第?托シ話 邨カ蟇セ蠎ァ讓吶→逶ク蟇セ蠎ァ讓
入力も出力も、ソフト上で行われた処理のどこにもおかしなところはないのに、出てきた文字列は明らかに化けており、その日付も存在し得ないものを指し示している。0と1……明確に異なる2 つの数で表されたデジタルの世界は、初心者が分け入るには深く高い山なのだと悟った。
ふと、新たな視点が生まれた。この世界と時間を別個に扱うべきではないか、とする向きである。
僕は今まで、僕自身がいるのは一年前の世界か現在の世界か──すなわち社会人としての立場を得る前後どちらなのか──の二択で考えてきた。学生としての僕がいる世界と社会人としての僕がいる世界は隣接していて、両者の境界となるのは一年前に僕が卒業した瞬間である、と考えてきたのである。時間が一年以上前であれば僕は必ず学生であり、一年以内または現在以降であれば僕は必ず社会人である。世界を構成するパラメータの1 つに時間が含まれていて、時間が決まれば世界の様子は一義的に定まるのだ。
ところが、今僕がいるところはそれとは明らかに異なる。時間は現在──世界的大流行が起こった後──であるが、僕は学生という身分にある。僕が経験した学生時代とは異なる世界が広がっているのを、この一週間で認めざるを得なかったわけだ。
その差異をどうにかして納得できる解釈を考える上で、世界の様相は時間によって一義的に定まるとする発想が実は誤っていたのではないか、という着想を得た。世界の様子が急変するタイミング、すなわち僕が学生から社会人へと変化する瞬間とは絶対的な時間の座標によって定まるものではなく、僕が存在できる有限範囲のうち下限値からある割合に達した座標として定まっているのではないかということだ。例えば僕の人生を百年と仮定すると、生まれた時を原点に取って二十二%となる座標で卒論を書いて社会人になるようにプログラムされているのかもしれない。そして世界を構成するパラメータの中に絶対的な時刻は含まれておらず、あくまで生まれてから死ぬまでの期間に対する相対的な割合から呼び出すに過ぎないから、今の僕のように「時間は現在、身分は去年」という一見不可思議な状況が成立する理由を矛盾なく説明できる、ような気もする。何だかだいぶ無理をしてこねくり回したようにも思うけれど。
さてそのように解釈すると、メールで送信した卒論の閲覧において重要なのは二千XX年などといった絶対的時間座標ではなく、僕の人生における相対的割合としての時刻ということになる。
では今この時点はというと、卒論執筆前ということになる。僕が既に経験した卒論地獄とは絶対座標にして一年ほどの解離があるが、人生の起終点を区間とした場合の相対座標で考えると、一年前の僕と何ら変わらない。何なら当時の僕はこれから卒論を書き始めるところだ。したがって僕は今、まだ存在していない卒論を読もうとしているわけだ。そりゃあメールを読めるはずもない。相対座標系ではまだ存在していないのだから。
そういうわけで、卒論のセルフコピペは大人しく諦め、最初から書き直すことにした。
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