第8話 単位エネルギー

 翌週のミーティングは、僕ら学部四年生が発表する順番であった。前週の高分子実験棟の爆発を受けて、その内容は暗澹あんたんたるものだった。僕らが調べ上げた貧弱な既存文献を元に「このような性能を得られると予想します」と並べ立てるだけの報告になったのである。通常のミーティングであれば、総合火力演習の如く突っ込まれ、しばらくは再起不能となること間違いなしであるが、今回は少々特殊である。何せ、実験設備が吹っ飛んだのだから。それも卒論一ヵ月前に。個人の努力によって追加実験ができるものではなく、それ故に、ミーティングで浴びせられる砲撃も、致命傷とはならないだろうと予期していた。実際、致命傷でこそなかったが、例えば「でもそれって実際にやらないと、本当の所は分からないよね」とか「関東の方でその辺の融通が利く施設があったはずだから」という教授のフォロー(無論フォローではない)などが飛び交い、生きた心地が全くしなかった。


 ミーティング後、四年生同士で少し喋った。「ちょっとやばいかもな」などと自嘲気味に喋った。中でも、僕の研究に対しては同情が集まった。

「同じ高分子といっても、俺なんかは引張強度の測定を一応やって悪くない結果が出たから、『データが足りない』って言われる程度で済むと思う。だけどお前のは大変だな。この前やった材料もダメだっただろ」

 運が悪いな、ついてない。自分でそう口に出すと、かえって諦めがつきそうな気がした。

「卒論が低レベルすぎるとどうなるんだろうな」

 僕は素朴な疑問を口にした。

「知らんのか? もう一度四年生になるんだ。

 卒業には単位エネルギーがいるんだ。数多の講義に出席して必要単位数を取得し、最後の一手として卒検発表が構えている。それらが完全に揃った時、俺たちはようやくここから出られるんだ」

「何だそりゃ。単位エネルギーなんて変な名前を付けたが、要は必要単位数が足りないって話じゃないか」

「まあそう言うな。でも妙に説得力あると思わないか。だって……知ってるか、このキャンパスは時空が歪んでるんだぜ」

「何を今更って感じだ。あれだろ、隣の建物との間で階数が一つずれるやつ」

「そうだ。だから建物の境界を起点として、このキャンパス全体が異質な空間になってるんだ。エネルギー的に不安定な場所なんだ。そこから脱出するには、最低でも第一卒業エネルギー(百三十単位)を取得する必要がある」

「はあ」

「しかも時間制限があってな、通常四年で、最長でも八年で完全に取得しなけりゃいけない(詳細は履修要項を要確認)」

「そりゃお前の空想だろ。よくそんなの考えたな」

「まあ、そういう捉え方もできるって話だよ。いろんな見方ができると人生が豊かになるかもしれんぞ」

 そう言って、そいつは学生部屋を出て行ってしまった。


 部屋は僕一人になった。


 単位エネルギーだって……何と馬鹿げたアイデアだろう。けれども、それを基に考えると、この世界が説明できる気がした。


 僕がここへ戻ってきてしまった日、まさに学生証をドアにかざした瞬間、高分子実験棟が爆発した。となれば、その時キャンパス内のエネルギー的均衡が一瞬崩れたのではないか。特にA棟とB棟の境界は、普段から時空の歪みが発生するような場所だから、ちょうどそこに居合わせた僕は、時空の歪みに吸い込まれた…………。


そう考えると、僕がどうすれば元の世界に戻れるかも、分かった気がする。卒検発表を無事に乗り越え、第一卒業エネルギー以上の単位を取得することだ。


 つまりはあと一ヵ月で成果を出すこと。それこそが、ここを脱出するための条件であり、希望の灯火である。あと一ヵ月、どうにかしなければ。まだ見ぬ新規性と進捗を求めて、前に進もうと僕は決意した。

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