第3話   序列1位 バエルからの依頼②

 それは、お店の名前や道の角がとても丁寧に描かれた、お手製の地図だった。


「それで、本日きみにお願いしたいのは、この地図上の、この建物に住んでいる女の子なんだ。歳の離れた弟を、自分の息子だと偽って世話をしながら働いているんだ」


「わあ、お姉さんなのにお母さんを演じてお世話を。大変そうですね……」


「それはもっともな意見だ。子育ては大変だからな」


 頭上を浮遊する哺乳瓶が答えた。ネフィリムは、自分がそんなに手間のかかる子供には当てはまらないと思ったのだが、言わないでおいた。親には親にしかわからない苦労が、あるのかもしれないから。


「バエル、その少女は契約者には、なってくれそうか?」


「それが、彼女に召喚師の才能は皆無のようです。この国にいるほとんどの人間が、そうですが」


「それは惜しいな。弟君も含めて、魂が二つ喰えたかもしれんのに」


「ええ、全くです」


 魂を喰らうとは、何の比喩なのだろうかとネフィリムは小首を傾げた。大人はたまにネフィリムの知らないことを話し合う。


「さて、ネフィリム君」


「はい」


「この女の子の周りには、いろんな人間が生きているんだ。彼らをよく観察して、気が向いたら、カップルを作ってもいいし、作らなくてもいいよ。僕からの依頼は、以上だよ」


「え? 気が向いたら、ですか?」


「うん。気乗りがしないなら、何もしなくていい」


「え、何もしないなんて、それだとお金をもらうときに少し気が引けますね……」


 ゆるゆるの契約内容に、ネフィリムは尻込みして、もじもじと膝小僧を付き合わせる。バエル氏が女の子をどうしたいのかが、全く見えてこない。お客に対して、込み入った事情を聞いてもよいのやら、どこまで踏み込んで尋ねたらいいのやら、基準がネフィリムにはわからない。だってこの商売、始めたばかりだから。


「それと、きみがどう行動し、何を感じたのかを、毎日レポートにまとめて、僕に渡してほしい」


「あ、はい、わかりました」


 やっと仕事らしい指示をもらって、ネフィリムはほっとした。気ままでいいよ、なんて仕事内容は、返ってやりづらいから。


「きみがこの日を最後にしたいって思った時は、いつでも言ってね。その日でお仕事を完了としよう」


「え、僕のさじ加減で決めてもいいんですか?」


「うん。きみが、もういいかな、と見切りをつけた時でかまわないよ。引き際ってやつだね」


「は、はい、わかりました……」


 指示されればされるほど曖昧になってゆく仕事内容に、眉毛がふにゅるネフィリム。お客を目の前に、不安な感情がダダ漏れだ。


「がんばりますね。レポート、たくさん書いてきます」


「ああ、そうだ、きみが彼女の周りを歩きまわっていたら不審がられてしまうよね。この金のメダルを、きみに贈ろう。使うと、姿を一度だけ消せるメダルだよ。短時間だけだけどね。レポート一枚につき、隠れる回数を一つ増やしてあげるね」


 バエル氏は懐から、ぱっと見は金の懐中時計のような小さなメダルを取り出した。金の鎖付きで、テーブルに置くと、しゃらりと音を立てて、鎖がテーブルに広がった。


 金のメダルの表面には、何やら模様の描かれた円陣が彫られている。部屋が薄暗いせいで、よく見えないが、ネフィリムはメダルの模様よりも、こんな小さな道具でどうやって姿を隠すのかがわからず、バエル氏を見上げた。


「隠れる……? この、金色のお守りみたいなもので、そんなことができるんですか?」


「使い方は私が教えてやろう」


「お願いします、パパ」


 父を見上げるネフィリムが、安心からか両足をぶらぶらさせた。


「それでは、依頼人である僕にレポートを届けてくれる時間帯を決めようか。何時がいい? きみに任せるよ」


「え」


 またまた緊張するネフィリム。よく知らない大人の時間を、好きに決めて良いなんて、言われたことがなかった。しかも、こんなに穏やかで素敵な人のを。自分がどうこう扱って良い相手に、思えなかった。


「じゃ、じゃあ、んっと、夜の八時に、です。いいでしょうか? 九時だと、眠くなっちゃうので」


「わかった。午後の八時だね。時間は少しくらいずれても大丈夫だよ」


「いえいえ! 厳守させていただきますです!」


 ぴしっと背筋を正して断言。緊張でお茶とクッキーの味しかわからなくなっていた。


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