第15章-⑤ 降伏勧告
ミューレホルツの町に2,000の兵とともに立てこもったリヒテンシュタイン中将は、敵将であるデュラン将軍の予見通り、死を極めて近い未来の出来事として受け入れていた。それは指導者であるヘルムス総統や上官であるシュトラウス上級大将への忠誠心からでも、本軍を無事に撤退させるために自己犠牲をいとわないロマンチシズムでもない。ただ単に、名を残したいがためである。幼稚で単純だが、それだけにその決意は石よりも固い。
二度にわたる降伏勧告を無視して、いよいよ彼は教国軍の総攻撃を期待した。来るなら来い、一兵でも多くの敵を道連れにして、最後の戦いを存分に楽しんでやる、とそう考えている。
しかし意外であったのは、降伏を勧める三度目の使者が訪れたことであった。しかもその人物とは、ヘルムス総統暗殺未遂と内乱、そしてメッサーシュミット将軍暗殺の罪で帝国中に指名手配となっているユンカースであった。
「ユンカースとは、メッサーシュミット将軍を暗殺した男かッ!」
リヒテンシュタインは直情径行で、
が、リヒテンシュタインは高潔な人格者であるメッサーシュミットに育てられた男だけあって、武人らしい
危険極まりない針の
「マルセル・ユンカース、君こそは時の人だ。私に殺されると知って、よく来た。その勇気と胆力は、称賛に値する」
「リヒテンシュタイン閣下、私はロンバルディア女王の軍使である。軍使を斬るのは、軍陣の作法にもとる」
「君は軍使だが、今は我が掌中に迷い込んだ一羽の鳥である。作法はどうあれ、鳥の鳴き声を聞くも、拳で握りつぶすも、すべて我が意によらざるところはない」
「さすがは帝国最高の勇将として名高きお方。それならば私も死に際によき鳴き声を聞かせよう」
「ぜひ、拝聴したい」
ユンカースは堂々たる態度で席に着き、水のように静かな表情で、
「まず、メッサーシュミット将軍は自殺されたのであり、我々が殺害したのではない」
「この期に及んで、嘘を並べて死を
「私はもとより捨て身だ。だが死ぬ前に真実はあなたに伝えておかねばならない。メッサーシュミット将軍は、確かに一時的にその身柄を拘束した。しかしそれはヘルムス総統を暗殺してのち、メッサーシュミット将軍を首班とする新政権を樹立し、帝国を覆う恐怖政治を吹き払うための旗印として将軍の同意と決断が必要だったからであり、決して彼を害する意図はなかった。だがあなたのよく知るように、将軍は高潔で大志を抱き、節操の固いお方。政争の具に供されるのは本意でないと思われたのであろう。最後はなんと、便所で自殺された。彼はまさに山の
ユンカースに対する憎しみ以上に、メッサーシュミット将軍を回顧することで
「帝国はまことの名将を失った。私は彼の死を聞かされたとき、失意のあまり後を追って死のうかとも考えた。しかし、まだ死ぬわけにはいかない。閣下もご存知であろう。帝国の現在のあり方に、メッサーシュミット将軍が苦悩されていたことを」
「それは私も知らぬわけがない。だが貴様も、要はメッサーシュミット将軍の人望と実力を利用して、己の野心を満たしたかっただけではないか」
「はっきり言っておく。それは否である」
「どう違う」
「新しい帝国をつくるに、将軍は欠かせぬお方。功と名をまったく欲していなかったと言えば嘘になるが、すべては国に尽くすため。我ら青年将校は、その義と志のために決起したのだ」
リヒテンシュタインは不意に黙り、涙を拭いて、ユンカースの琥珀色の印象的な瞳をじっと見た。その輝きに、濁りはない。
(こいつ、嘘は言っていないか)
激情型の猛将として知られるが、リヒテンシュタインは決して知恵なしではない。物事の分別や道理を見極める判断力は、充分に備えている。そうでなければ、メッサーシュミット将軍ともあろう者が、この男を見込んで実戦指揮官として任用するわけがない。
ユンカースは必ずこの手で殺す、と息巻いていたのが、今や相手の志を信じ始めている。うかうかと信じて丸め込まれてはならぬ、と警戒する反面、彼の直感の部分が、この男の話は真実ではないか、とそう告げている。
実際のところは、分からない。
いずれにしても、この場の判断として、彼はひとまずユンカースの命はとらぬこととした。そのように決断すると、こういう類型の男というのはさっぱりしたものである。
「よかろう。真実は分からぬが、貴様の言い分に一応の筋は通っている。その首はひとまず預けておいてやる。叛逆の真相を話すのが今回の使いの目的ではあるまい。本題を話せ」
「用件は余の儀ではない。あなたに降伏を勧めたい」
「笑止千万」
「そうおっしゃると思ったが、まずまずこの親書に目を通されよ」
それはエスメラルダ女王がものの数分のうちに書き上げた直筆の書簡であった。急いで書いたためであろう、字はやや崩れているが、女性的な文体のなかに、あふれるような真心が散りばめられている。
「ヴィルヘルム・リヒテンシュタイン殿。貴殿の勇猛さと
文面を読み終わったとき、リヒテンシュタインは再び泣いていた。今度は先ほどよりも激しく、
たちまち、敵将に対する敬愛の
「古来より、英雄は英雄を愛し、武人は武人を知る。ロンバルディア女王は婦人ながらも、我ら武骨な者どもとその志は変わるところがない」
「女王はこうも仰せであった。リヒテンシュタイン殿は武人の
「あぁ、私には分かる」
リヒテンシュタインが天を仰ぎ、大きく息を吐いた姿を見て、ユンカースは任務の成功を確信した。このような型の男というのは、道理や利害よりもその行動基準を強烈に刺激する部分がある。
それが、情である。ただひたむきに、その情を刺激し、情によってからめとってしまえば、最後には情の海に溺れてしまう。世の中の一定数の人々というのは、自らの情を
ユンカースはそういった人の本質を理解しており、ロンバルディア女王も人を使いこなすことにかけては名人である。だからこそ、彼女のもとには多くの人材が集い、忠誠を誓っている。彼女もリヒテンシュタインの性格を知って、その転がし方についてこの手紙を書きながら微に
リヒテンシュタインはそうと知らず、ただ感動の赴くまま、決断を伝えた。
「よろしい、私は降伏する」
脇に控える幕僚どもは一様に驚いた様子だったが、止める者はなかった。彼らはリヒテンシュタインの命令に同意はしたが、かといって死ぬということに関し、指揮官を超えるほどのより積極的な熱量を持つ者はいなかったのである。
こうして、帝国第一軍中核部隊はミューレホルツ市街にて武装を放棄し、全将兵が丸腰のまま教国軍の捕虜となった。一時は全員が死を覚悟し、その気勢は天を焦がさんばかりであったが、いざ命が助かるとなると、その気骨も煮込んだ魚の骨が砕けるようにして崩れてしまい、あちこちに腰が抜けたように座り込んでしまっている。
教国軍は彼ら捕虜を遇するに、まるで客人か年来の友に接するように手厚くもてなし、縄はかけず、食事も惜しみなく与えた。武器を取り上げられた以外は、拘束もされず、飢える心配もなく、危険な戦場を駆け回る必要もないのであれば、無理に逃げる必要もない。
帝国兵のなかには、教国軍の捕虜となったことを喜び、その軍に積極的に加わりたいと望む者まで少なからず現れた。
決死の覚悟というのも、ぬるま湯に
ミューレホルツは無血開城し、2,000の兵が戦わずして帝国軍から離脱したこととなる。
今や、精鋭
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