第15章-④ 死地へ向かう

「敵将、やはり降伏しません。正確な兵数は分かりませんが、全軍、玉砕の覚悟です!」

 降伏勧告の使者がそのように復命したのは、第一師団がミューレホルツを完全包囲してから、1時間後のことである。

 降伏の勧めはこれで二度目になる。町は第一師団の包囲下にあり、兵力差も隔絶しているために、まともな勝負にはなりえない。無意味な戦いは避けたい、とのクイーンの思いによって、無血降伏を勧めてきたのだが、敵将の意志は固いらしい。

「降伏は死んでも受けぬ、ということのようです。無情ではありますが、今後のことを考えれば、ここで無為に時を費やすべきではないでしょう」

「その通りです」

 デュラン将軍の言に、クイーンも同意する。しかしその語調はやや暗く、わずかな歯切れの悪さがある。いつも戦場で見せる、刀匠が鍛え上げた名刀のような隙のない爽やかな切れ味とは違っている。

 何か、心にわだかまりがあるのであろう。

 その様子に気付いたエミリアが水を向けると、クイーンは栗色の瞳の奥にたゆたう憂いを濃くして、素直な思いを口にした。

「私は三つの理由で、攻撃を躊躇ためらっています。ひとつは我が軍と帝国軍に出るであろう犠牲について。いまひとつはミューレホルツの町の住民たちのこと。そしてリヒテンシュタイン中将のこと」

「詳しくお示しください」

「まず、ここで時間をかけぬため、性急に攻めれば、決死の覚悟でいる帝国軍の前に、我が軍の損害も無視できないものとなるでしょう。帝国軍についても、言わずもがなです。あの町で我が軍を食い止めようという気勢は、まるで燃え盛る炎の束のようで、このまま戦えば全滅は必至です。敵兵だからといってこれを皆殺しにするのは、戦いの目的ではなく、手段としても好ましくありません」

 クイーンの横顔をじっと見つめる第一師団長デュラン将軍は、その言葉を聞いて穏やかに微笑んだ。知勇兼備の良将で、人格も優れた実戦指揮官の筆頭である。クイーンがプリンセスと呼ばれていた頃から彼女の聡明さを敬愛しており、暗殺未遂事件から始まる内戦においても、当時の第三師団長としていち早くプリンセス支持を表明し、全面的に賛同した経緯がある。クイーンに対する信頼と尊敬は、他の信奉者たちに劣らない。

 クイーンは静かに続けた。

「次に、攻撃するとすれば戦術的に最も迅速かつ有効なのが、火矢の一斉射撃によって盾となる建造物を焼き払い、しかるのち一挙に包囲殲滅せんめつするという策でしょう。しかし市街地を我が軍が焼けば、住民たちは住処すみかを失い、苦難を受けることとなります。これも、私が望む結果ではありません。またそのような事態となれば遺恨を残し、悪評が広がって、帝国の民衆は我が軍を憎むようになります。やがて着手する帝国領攻略作戦にも悪影響を及ぼす可能性があるでしょう」

 デュラン将軍やエミリア、ヴァネッサらをはじめとした側近団は揃ってうなずいた。

「最後は、リヒテンシュタイン中将のことです。私はキティホークで、あの将軍の戦いぶりを見ました。彼はいわば、カッサーノ将軍のかたきではありますが、それ以上にその勇猛さや武人としての潔さに敬服しています。率直に言って、あたら有為の人材を、このような場所で散らしては惜しいと」

「クイーン、その点は私も将軍の端くれとして、一言申し上げても」

「デュラン将軍、ぜひご教示ください」

「誇り高い将帥というものは、えてして幼稚なさがにこそ激しくき動かされるものです。わずかな兵とともに大軍を引き受け、味方の退却を援護せねばならないというこの状況で、彼は恐らく生への執着を完全に捨てております。それはこの地を死に場所として、武人の最期を飾りたいと望んでいるから。愚かには違いありませんが、その意気を察し、見事な散り際を与えることも、名君の情けではないでしょうか」

「確かにそうです。確かにそうではあります」

 デュラン将軍の指摘はクイーンに新たな気付きを与えたようであったが、それでも踏ん切りをつけるまでにはいたっていない。

 すると、末席から臆せず進み出た者がある。

「クイーン、私が参りましょう」

「ユンカースさん、参る、とは?」

「私が降伏を勧めに参ります」

 自殺行為だ、と全員が思った。帝都でのクーデター騒ぎから日も浅く、ユンカースはその首謀者として帝国全土に手配されている身である。しかも、帝国軍の重鎮であったメッサーシュミット将軍を殺害したこととされている。メッサーシュミットの子飼いであったリヒテンシュタインのもとへおもむけば、たちまち殺されてしまうことは疑いの余地もない。

「ユンカースさん、何故あなたが行かれると?」

「同じ帝国人だからこそ、胸襟きょうきんを開いて説得すれば、通ずるところもあるでしょう。リヒテンシュタイン中将といえば、帝国軍の猛将。それだけに感激屋で、物事に感じやすい。情を尽くして説けば、かえってころりと転がるものです」

「あなたが行けば、殺されるかもしれませんよ」

「その時は、私の命数も器量もそれまでだったとお笑いくださるとよい」

「それならば俺も行く」

 と、彼の同志であるローゼンハイムが名乗りを上げた。顔面が蒼白で、病的なほどであった。当人であるユンカースは平然としている一方で、彼は彼で親友の提案のあまりの無謀さと悲壮さに青ざめている。こいつは死ぬ気でいる、とそう思っている。

 しかしユンカースは、自分が死ぬとは思っていない。

 (天は私をここで死なせはしない。私にはまだ与えられた役割がある)

 などと、本気でそのように考えている。なるほど、彼のごとき人物は、度しがたい夢想家と言うべきであろう。

「レオンハルト、貴様には貴様の仕事がある。これは俺に与えられた役目だ」

「しかし、友をひとりむざむざ死地に送り出すわけにはゆかん」

「死にはせんさ、心配するな」

 実に、不敵な態度である。クイーンは彼に何か考えがあることを察したのか、それ以上深くは尋ねず、ただその提案に了承のみを与えた。そして、数分のあいだにリヒテンシュタイン中将宛ての手紙を流れるようにさらさらとしたためた。

 ユンカースは白旗を借り、それを背中にして悠々と出発した。剣や槍は持たず、丸腰である。ユンカースもローゼンハイムも、今回の同行において武器は一切持たされていない。ヴァネッサ近衛兵団長が、身辺に彼らを置くことに強い懸念を示し、丸腰であれば認めることとしたからだ。

 手ぶらで、まるで観光にでも向かうかのような気軽さで陣営を出てゆくユンカースの背中を、ヴァネッサは終始黙って見送った。

 猶予ゆうよは、二時間である。

 それを過ぎれば、第一師団は包囲網を縮め、火矢でミューレホルツを焼き尽くし、あぶり出された敵を殲滅する。この町の周囲には、分散して野営していた敵軍がまだあちこちに残っている。それらを各個撃破して、軍事的脅威をカスティーリャ要塞正面から取り除くには、この町の制圧だけに時間をかけるわけにはゆかないのである。

 この二時間でユンカースが戻らなければ、説得の首尾がどうであろうと、彼は死ぬことになる。

 (無理だ、あいつは死ぬ)

 ヴァネッサは妙な胸のざわめきとともに思った。

 十中八九は殺される。誰もがそう判断する任務へ、ユンカースは馬を駆り颯爽と向かっている。

 滑稽と言ってもよいかもしれない。

 殺されるべき彼だけは、自分が殺されるなどとはまるで考えていなかったのである。

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