第11章-② 剣を捨てた暗殺者
シュリアという男は、例えば構想力や指揮力といった能力は皆無に近いが、現場の技術者としては優秀かつ有能である。
つまり作戦や計略を考案したり、それを指導ないし管理したりするのは不得手だが、そうした能力に恵まれた者のもとで、実行者として構想を具体化し力を振るうことにかけては一流である。実際、イシャーンに使われることで、彼は多くの有力な敵対者の命を絶ってきた。
が、今回の任務は暗殺ではない。流言飛語によって、帝国軍の名将から軍権を奪う、その離間の計を成功させることである。
(まずは、噂を流す)
彼には今回の任務のため、三名の部下が預けられている。これはラドワーン王直属の諜者で、シュリアの仕事を助けることはもちろん、その成果を見届けて功績の証人となるため、またシュリアが再び背くことのないよう、目付役を務めるのである。
彼はこの部下たちとともに、帝都ヴェルダンディに到着して早々、噂をばらまいた。帝国のメッサーシュミット将軍は、王国のチャン・レアン大都督、同盟のイシャーン王と私的に通じ、ラドワーン王討伐の暁にはその旧領の一部を貰い受ける約束を取り付けたが、肝心の取り分を巡って揉めている。そこへ今度はラドワーン王から取引を求める使者が来て、帝国に叛旗を翻し、ともにヘルムス総統を追い出したら、メッサーシュミット将軍をして帝国の全権者たるを認めると言って寄越した。将軍にはもともと独立した勢力を持ちたいとの野心があり、そうした取引に下心があったから、教国軍に対する奇襲攻撃においても手心を加え、女王を故意に逃がしたのだ。考えてみるがいい。帝国領内で、兵力に劣り、しかも遠征に疲れた敵に奇襲を仕掛けて、軍を壊滅させることもできず、あまつさえ女王の逃走を許すなど、本来のメッサーシュミット将軍の実力からして考えられない結果である。メッサーシュミット将軍の邪心は、教国軍に対する奇襲が、限りなく失敗に近い結果に終わったことそれ自体が証拠である。今はイシャーン王とラドワーン王、どちらにつくのが自分にとって利益が大きいのか、双方との交渉を通じて天秤にかけているのであろう。
よくできた流言であった。メッサーシュミット将軍の作戦指揮がデュッセルドルフの奇襲戦において甚だ精彩を欠いたことへの不満と不審、かつ指導者にとって巨大すぎる軍権を手にした有能な将軍への畏怖と
シュリアは、あえてこの流言がヘルムス総統直属の特務機関の耳に入るよう仕向けた。特務機関の関係者が多く出入りする酒場でさかんにメッサーシュミット造反説を唱えたのである。
果然、風説は特務機関のトップである特務機関長クリューガー中将のもとまで流れ、彼は直ちにこの聞き捨てならぬ噂の出所について調査を命じた。真偽はどうあれ、事の重大性を
シュリアは特務機関によって逮捕された。彼の手下はいずれも逃走し、身を隠したが、シュリアは抵抗もせず
彼を待ち受けていたのは、拷問であった。帝都において前線の将軍をことさらに誹謗中傷するのは、何らかの底意があるものと考えられる。この男が広めている
尋問は特務機関工作課課長のフィッシャー大佐が担当した。特務機関はいわば、あらゆる汚れ仕事を引き受ける総統直属の特殊任務部隊であるが、工作課はそのなかでも特に悪名高い組織である。拷問によって情報を引き出すなどといった法によらない措置は、工作課の
「貴様、何者か」
最初の質問が、シュリアの身の上に関することであった。当初、彼はイシャーン王の治めるクリシュナ地方に本拠を置く商人である、と名乗ったが、そのような見え透いた嘘は通じない。彼の身柄はすでにくまなく調べられていて、ククリやダガーをはじめとする武器が全身から出てきたので、恐らく同盟にて暗躍しているアサシンではないか、と思われていたのだ。物騒な世の中だから、商人が私兵を持っていたり、自衛のため武装するなどに何ら不思議はないが、それにしても物々しすぎる。
問い詰めると、拷問するまでもなく、シュリアは白状した。
「自分は、もとはイシャーン王の配下にて、アサシンのシュリアと申します。王の命令で、ロンバルディア教国のエスメラルダ女王と、ラドワーン王の暗殺を図りました。ですが首尾は不調で、囚われの身に。命を助ける代わりに、帝国のヘルムス総統を暗殺するよう命ぜられたのです。ですが総統官邸の警備はことのほか厳重で、近づくこともできません。故国に帰って復命しても、失敗の責めを負って殺されるだけ。いっそ酒を食らってこのまま死のうと思い、飲んだくれていたのです」
なるほど、シュリアは見苦しいほどに酔っており、口元もずいぶんと締まりがない。
「酒場でうろんなことを言っていたそうだな。メッサーシュミット将軍が我が国に叛意を抱いているとか」
「事実です。私がイシャーン王の手下であった頃、王はメッサーシュミット将軍やゴルトシュミット将軍としきりに書簡を交わし、彼らの協力を得て、ラドワーン王と帝国をともに打倒する策を模索していました。将軍はまんざらでもなかったようですが、条件面の折り合いがつかなかったのです。将軍は帝国打倒の暁には帝国全土の支配権を望んでいましたが、イシャーン王は帝国領の半分を割譲せよと。そののち、私が任務に失敗してからは、ラドワーン王はラドワーン王で、メッサーシュミット将軍に帝国への叛逆を扇動していることを知りました。実際、将軍はロンバルディア女王という大魚を故意に逸したのです」
「よくしゃべる奴だ」
フィッシャー大佐はシュリアの言を疑い、過酷な拷問を加えた。まず、数本だけ残っていたシュリアの歯をすべて抜き、次いで手と足の爪を残らず剥いでしまった。さらに全裸にしたシュリアを鞭で打ち、最後は焼いた鉄を背中に押し当てた。
その都度、シュリアはこの世のものと思えぬ常軌を逸した叫び声を上げて許しを乞うたが、嘘を認めようとしない。フィッシャー大佐は、彼の尋問に耐えられた者はいないとされるほど、情報を強制的に引き出すことに
(いよいよ事実かもしれん)
フィッシャーは疑いを解いた。正確には、半信半疑よりなおもわずかに疑いが濃い。だが、彼はその半生を通して、拷問をすれば誰もが最後には落ちるということを知っていたし、彼自身の実績によってそれを証明してきた。だから、彼の拷問を耐え抜いたシュリアの言に一定の
内容が内容であれば、彼ももう少し時間をかけて尋問を続けたことであろうが、今回は悠長に確認している時間はない。メッサーシュミット将軍は国防軍の重鎮であり、その指揮兵力は帝国軍において最大かつ最強である。もし将軍に叛意があるとすれば、これを放置することは国家の崩壊につながりかねない。
彼は状況報告を上長のクリューガー中将に上げた。それはシュリアの証言が真実であるとはまったく断定しておらず、むしろ事実無根であることを示す反証、矛盾などが見出せなかった、といっただいぶ慎重な内容であったが、クリューガーはフィッシャーの尋問能力に全幅の信頼を寄せており、彼をもってしてこれが流言に過ぎぬことを立証できなかったとすれば、あながち根拠のない誹謗とも言えぬ、との観測を強くした。
クリューガーは直ちに、ヘルムス総統に直接の報告を行った。この時点で、報告書の内容はメッサーシュミット将軍への疑惑の色が大いに付与されている。ヘルムス総統はかねてからの将軍の作戦指導に不満と不審を持っていたが、この報告によってそれらが一挙に氷解したような思いを持った。
「メッサーシュミット将軍を解任し、逮捕して特務機関への身柄送致を決定する。第二軍集団は国防軍作戦本部次長のレーウ中将を後任の司令官として引き継ぐように命じる」
ヘルムスはまさに稲妻のような素早さで命令を発した。クイーンの仕掛けた離間の計は、成功したということになる。
フィッシャーやクリューガーは、アサシン、というよりは、シュリアという男を甘く見ていたのかもしれない。いや、だがこれはさすがに彼らに対して酷というものであろう。シュリアは、彼らの知る人間というものの機能や精神性を逸脱した男であったのだ。シュリアはあらゆる拷問を耐え抜く訓練を受けていたし、実際、耐え抜いた。確かにこのような男は、帝国の刑事犯や政治犯のなかには存在しえなかったであろう。酷烈な拷問によって引き出せぬ情報などない、との前提に立っている者は、拷問を通して新たな情報が出なければ、そもそも情報そのものがないのだ、との結論に至ってしまうのは当然とも言える。
いずれにしても、メッサーシュミット将軍は解任された。
シュリアは特務機関の監房に抑留されたが、数日してから看守を殺し、逃走した。
彼のごとき者は、本来は歴史の闇の部分に巣食うコウモリのような存在で名も残らないが、彼に限っては超一流の間諜として、その名を史書に記録してやるべきであろう。
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