第11章-① 再出撃

 胡散うさん臭い盲人が、クイーンとの面会を求めている。

 その報告をナジュラーン宮殿の門番から伝え聞いたのは、近衛兵団の副兵団長であるジュリエットである。彼女は不覚にもデュッセルドルフの原野にて帝国軍の奇襲のため重い傷を負い、クイーンの指示で職務を離れていたが、ナジュラーン滞在10日ほどで負傷も大方癒えたため、近衛兵団長代理としての本来の務めに戻っている。

 すぐにクイーンとエミリアに伝えた。二人は小走りで門に向かった。彼女らにとって見知った盲人は一人しかいない。

 果たして、来訪者はサミュエルであった。クイーンの記憶では、デュッセルドルフで襲撃を受け、近衛兵団が散り散りになって以来の再会ということになる。実際にはそののち、サミュエルはクイーンに光の術を用いることでその逃走を助けた経緯いきさつがあるが、それは彼とエミリアだけの秘密である。

「サミュエルさん!」

 クイーンは叫び、彼の手を握り、再会を喜んだ。涙ぐんでいる。

 黄砂が舞い、しかも太陽の光をさえぎるもののない不毛の荒野を半月以上も徘徊したせいであろう、紅茶のような色合いだった髪が赤銅色に焼けている。

 サミュエルはその特徴とも言える屈託のない笑顔を口元に浮かべた。彼は直ちに王宮内に招じ入れられ、クイーン、エミリアとともに懇談の場を持った。

 当然のことだが、クイーンは盲人である彼が案内人もなく、当地にたどり着けたことに感嘆すると同時に疑問にも思った。

「あなたが無事で本当に安心いたしました。けど、サミュエルさんには、遠く離れていても、私の居場所が分かるのでしょうか?それとも、それも天からのお告げのようなものがあるのでしょうか?」

「僕は、思念を交わしたことのある相手であれば、ある程度ではありますが、気配を察することができます。女王様には以前、天然痘の治療の際に思念の交わりがありましたから、僕は女王様の思念の軌跡をたどって、大まかな位置を探ることができるのです」

「そうでしたか。それにしてもよくご無事で」

「途中で隊商の馬車に乗せてもらったり、無償で泊めてくれたり、助けてくれる人がいました。術は使っていません」

 嘘は言っていないように思われた。当のクイーンに対して術を用い逃走を手助けしたという点を除けば。

 クイーンは、彼の話を聞き、かねて気にかかっていた件を思い起こしたらしく、その解決の可能性について尋ねた。

「サミュエルさん、私以外の者の気配は探れますか?実は近衛兵団長のヴァネッサが、帝国軍の襲撃以来、行方不明なのです。どこかで生きているのか、捕虜になったのか、あるいは戦死したのか……」

 やや言葉に詰まってから、ヴァネッサは私の友人で、彼女の消息が気がかりである、ほかにも行方の知れない者が多く、そうした者たちを見つけることができないかを聞いた。

 サミュエルはクイーンの心中をおもんぱかって、口元の表情を暗くした。

 それはできない。彼は彼と思念を通わせたことのある者でなければ、その軌跡を追うことはできないのである。つまり、クイーンの居場所しか知ることはできない。術者とはいえ、すべてにおいて全能なわけではないのである。

 クイーンは長い睫毛まつげを伏せ、かたちのよい眉に愁色を浮かべて、しばらく黙った。幼少時代、クイーンとヴァネッサは同じ孤児院でともに育った仲である。クイーンがプリンセスとして王宮に招かれ、ヴァネッサが近衛兵としてその後を追うまで、その交流は中断したものの、知己となってからの年月で言えばエミリアよりもさらに長い。

 そのいわば幼馴染の生死さえようとして知れないというのは、彼女にとって心痛の甚だしいものがあろう。

 サミュエルにはそれが分かるだけに、自らの非力を詫びた。クイーンは彼に対して、わずかでも期待を持ったに違いないのである。

 だが、クイーンには無論、彼を責める気などない。

「いえ、謝罪せねばならないのは私です。危険と分かっていてあなたを同行させたことにも責任を感じていますし、私の油断のせいで、あなたを危地に立たせ、多くの将兵を死なせてしまいました。すべては私のあやまちによるところなのです」

 三人は、一様に陰影の濃い表情を浮かべた。あの戦いでは、多くの者が死んだ。各部隊とも善戦し、帝国軍が深追いを避けたことで、全滅こそ免れたが、特に近衛兵団では遠征に伴った者たちのうち、9割が戦死、捕虜、行方不明のいずれかとして扱われている。悲惨な敗戦であった。

「今、私はこの地を治めるラドワーン王と協力して、本国へ帰還する作戦を立てています。私たちが通ってきたヌーナ街道を逆進し、カスティーリャ要塞まで進んで、我が国と同盟の勢力範囲をつなげるのです。サミュエルさんには、負傷兵の治療をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。もちろん、しっかり休養された上で」

「分かりました。どれだけお役に立てるか分かりませんが、僕でよければ」

「近衛兵のサミアにお手伝いをさせます。傷ついた兵たちを、何卒よろしくお願いいたします」

 サミュエルは翌日、宮殿の警備責任者スレイマーンに引き合わされ、早速、負傷兵の治療を始めた。この時期はすでに戦闘から日にちが経過しているので、軽傷者はほとんどが回復している。挫創、切創、刺創などの重度の外傷や骨折など、回復に時間のかかる者がまだ1,000名を超える単位で苦しみを抱えている。これらは同じ遠征軍の将兵や、盟友たるラドワーン王の王宮警備隊によって看護されていたが、何しろ医学の専門知識を持つ者が少ない。サミュエルは盲目とはいえ、クイーンの主治医になって以来、この方面の研鑽けんさんを積んできたから、きっと助けになるであろう。

 そして2月も半ばになって、ラドワーン王と教国軍幹部のあいだでは、いよいよ対帝国の反攻作戦を始動させる機運が高まりつつあった。ラドワーン王による膨大な量の物資の調達、教国軍の負傷兵の戦列復帰、王国のチャン・レアン将軍の旧ブリストル公国領への一時的な撤退、そしてオクシアナ合衆国からの外交使節がナジュラーンに到着し、教国と合衆国、そしてラドワーン王による通称「南北同盟」が正式に締約されたことも背景にある。

 ラドワーン王との協議の結果、2月21日にナジュラーン宮殿を発し、帝国軍を同盟領から駆逐して、さらに帝国領へと浸潤し、教国領へと接続して遠征軍の帰還を目指すこととなった。教国軍は本国で陣容を整え、時期を合わせて南から帝国領へ進軍し、東からはラドワーン軍、北東から合衆国軍も参戦して、一挙に帝国を降伏に至らしめる。しかるのち、東へ矛先を向け、改めてイシャーン王と王国軍を退治するのである。

 宮殿はその準備に連日沸いた。ラドワーン王の軍は、イシャーン王や王国軍との戦いから戻った疲れも見せず、存分に英気を養って、新たな敵との交戦に備えている。教国遠征軍も、帝国軍のために大打撃を受け、敗退を余儀なくされて以降、厭戦えんせん気分と望郷の念にさいなまれる者も少なくなかったが、再出撃と聞くと、誰もが負けじ魂を燃やして、帝国軍への復讐戦を願った。

 サミュエルは、残留を命ぜられた。

 無論、彼は随行を熱望した。が、今度は前回の国都を出撃した折とは事情が少々異なる。勝算は充分に立てた上でのこととはいえ、敵地を突っ切って本国への帰還を目指すのである。全軍、決死の覚悟であり、困難は想像を絶する。帝国軍は精強であり、数も多く、将軍も名将揃いである。盲人を本陣で守りながら戦う余裕はないであろう。

 クイーンは心底からサミュエルを心配し、危険にさらさぬためであると言い、その言葉と態度は到底、演技とは思われなかったが、一面、サミュエルには自分の存在が軍の行動において足手まといになりうること、懸念要素となりうることを理解してもいた。彼はなおも長期療養が必要な負傷兵とともに、ナジュラーン宮殿に留まることに同意した。

 クイーンは、ラドワーン王に断った上で、サミュエルの保護を宮殿の留守居を務めるマスウード大臣とスレイマーン警備隊長に依頼した。まさか術者であることは、盟友たるラドワーン王に対しても秘匿していたが、彼がクイーンの主治医であり、盲人ながらクイーンにとって個人的に重要な人であるから、よくよく彼に対しては援助をしてやってほしい、と。

 そして教国軍は、2月21日、ラドワーン軍と連れ立って予定通りにナジュラーン宮殿を進発した。

 その先には帝国の大軍が待ち構え、さらに向こうには、彼らの帰るべき地がある。

 たとえさらなる犠牲を払おうとも、そしてそのしかばねを踏み越えてでも、彼らは故国へ帰らねばならなかった。

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