第10章-② 留守を預かる者たち

 ミネルヴァ暦1397年1月5日。

 帝国との国境に位置するカスティーリャ要塞を守る第一師団長ラファエル・デュラン将軍のもとに、北方に大軍団の移動する気配ありとの報告がもたらされたのは、ちょうど彼の昼食の時間であった。要塞内の各城砦じょうさいにはそれぞれ食堂用のスペースがあって、交代で食事をとる。

 デュラン将軍の王と任務に対する忠義心は人後に落ちない、とはもっぱらの評判で、このときも、彼は躊躇なく自らの食欲を満たすべき時間に別れを告げて、司令部がある城砦の高台へと上った。

 なるほど、北の方角、遠方に万は優に超えるであろう大軍の移動する様が望見される。しかもそれはひとかたまりになって、こちらへ近づいてきているようだ。

 デュランは遠目の利く者を呼び、帝国軍か教国軍かを尋ねた。

「各陣にひるがえるは鉄十字の軍旗。数は3万から5万」

 第一師団の幹部は一様に眉をくもらせた。こちらへ近づき来るのは、まさに雲霞のような大軍団である。その数からしても、目的は軍事行動以外にありえない。明らかに敵対の意図が見てとれる。

 とすれば、と誰もが思った。遠征中のクイーンと、その率いる軍は果たして無事なのであろうか。

 デュラン将軍は直ちに全要塞に緊急配備をかけ、襲撃に備えるよう号令した。同時に、クイーン不在中の最高司令官代理たるラマルク将軍のもとへ、第一の早馬を出した。帝国軍から、交渉なり、脅迫なり、攻撃なり、何かしらの働きかけがあるにしろ、まずはその姿が見えたということを報じておくべきであった。

 そして同日夕刻には、早くも帝国軍から第一軍集団のゴルトシュミット将軍の名で降伏の勧告を寄越してきた。この時点では、要塞内の別の城砦じょうさいに詰めていた突撃旅団のコクトー将軍も内密に合流している。

 書面には、クイーンの戦死と遠征軍の壊滅についても書かれていて、この部分には勇猛だがやや粗忽そこつなところがあるコクトー将軍が思わず平静を失った。彼は失意と絶望のあと、ただならぬ怒気を発したが、デュラン将軍はさすがに流されない。

「ここに書いてあることが事実とは限らない。敵の申し述べることを鵜吞みにしていちいち反応するようでは、難攻不落の要塞も内側から崩れる。それに、この内容が万が一にも事実であったとして、我々は帝国との国境を守る使命を帯びている。いたずらに混乱して判断を誤れば、それこそ国が危うい。まずは我ら自身が自らを律し、この要塞を守ることを一途に専念することが肝要だろう」

 第一師団と突撃旅団の幹部はその言葉に冷静さを取り戻し、互いに戒め合った。そして一計を案じ、夜も深まってから、コクトー将軍の確認のもと、デュラン将軍自ら返書をしたためて帝国軍の使者に持たせた。

 この間の推移については、ゴルトシュミット将軍の項に詳しい。

 いずれにしても、前線としては堅忍不抜の決意をもってして、要塞を固く守り、変化を待つほかない。無論、王宮に駐留するラマルク将軍のもとへは、頻々ひんぴんと状況報告の使いを送って、全体方針の決定を促している。

 さて、そのレユニオンパレスだが、クイーンの留守中、政務は枢密院議長で政府首座のフェレイラ子爵、軍務は王立陸軍最高幕僚長代理のラマルク将軍が、それぞれ全権代理として務めを果たしている。第一師団からの情報は、まずラマルク将軍のもとへ直接上げられる。帝国の大軍が要塞へ向かって進撃中、との報告のあと、すぐに降伏勧告があったむねの続報が入って、ラマルク将軍はその権限において緊急幹部会議を催した。軍からはラマルク将軍に加え、王立海軍最高幕僚長のハチャトゥリアン提督と第四師団長のグティエレス将軍、閣僚は枢密院議長のフェレイラ子爵、同副議長兼神官長のロマン女史、同副議長代理のモラレス伯爵、都合六名が参加した。

 冒頭に第一師団からの報告、つまり帝国軍の接近と、その指揮官から開戦の事実とクイーンの戦死、遠征軍の全滅を告げられたことを明かすと、ラマルク将軍の予想通り、モラレスが「それは本当か」と誰に聞くでもなく、呟くようにして応じた。

 こういう時、例えばクイーンの死去を耳にしたような場合に、武官と文官の明確な差異が出る、とラマルク将軍は思う。本当か、ではない。事の真偽を確かめられるだけの情報がまだ集まっていない段階で、誰が真実かどうかを判断できるというのか。それにこのような事態は、つまりクイーンが遠征先で不慮の事故や戦闘の結果として帰らぬ人となるというのは、クイーンが自ら出征すると言い出した時点で、充分に予期してしかるべきであろう。少なくとも彼は、クイーンは永遠に戻らぬものであろうと覚悟し、その前提で軍務を執っている。戻れば、彼は御役御免で、また引退の生活へと帰るだけで、備える必要などない。戻らぬときに備えるのが、今回の彼の役目でもある。

 モラレスのみは少々、度を失った様子だったが、フェレイラ議長は努めて冷静に、半ば自分に言い聞かせるようにして、

「ここは我らが正念場だ。冷静な判断力を保てなければ、国が保てなくなる。クイーンがよく仰せのように、情報の整理、まずはそこから始めるのがよいだろう」

 クイーンの即位から3年弱、フェレイラ議長とはすでに名コンビと言っていいロマン神官長が語を継いだ。

「先に、ラマルク将軍のご意見から伺いましょう」

 ラマルク将軍は再び起立し、思うところを述べた。

 第一に、帝国との戦争はカスティーリャ要塞からの報告でもはや既定の事実と言っていい。つまり今は戦時下である。その前提で、軍は作戦行動に移る。ついては帝国との貿易活動の停止や物資の調達、経済的な混乱など、国政に関わる部分でも様々な不都合が今後出てくると予想されるから、政府閣僚におかれてはそちらの対応をお願いしたい。なお、軍の作戦については秘中の秘とし、このあと軍幹部のみで行う軍議で決定する。

 政府と軍の意思統一に問題なく、フェレイラ議長は帝国との戦争について布告する準備、ロマン神官長は開戦に伴う経済や財政の影響確認、モラレス伯爵は新たな兵站へいたんの手配など、各々おのおので忙しく動き始めた。

 ラマルク将軍、グティエレス将軍、ハチャトゥリアン提督は別室に席を移して作戦の具体的な相談に入った。この場で、懐中の妙策を披歴ひれきしたのは、第四師団長のグティエレス将軍である。

「優位な海軍戦力を活かし、帝国領西海岸を荒らし回るとともに、中規模の陸軍部隊で帝都ヴェルダンディの後背に上陸し、帝国軍の戦力を引きつけてその分散化を図る」

 一言で説明するとすれば、そのような作戦内容となる。

 狙いも作戦全体の動きも、さほど難しくはない。王宮たるレユニオンパレスと国都アルジャントゥイユを防衛する第四師団から、半数ほどの戦力を引き抜き、教国領西海岸のチロル港に行く。チロルには教国海軍の西海岸における根拠地があり、この戦力は帝国海軍の西海岸部隊に対して優勢である。作戦部隊は海軍各艦に分乗して海路を北上し、帝国領ブリュール近くに上陸する。ブリュール港には帝国海軍がいる。陸上と海上からブリュールを陥落させてしまえば、帝国は西海岸の制海権を完全に失うこととなり、奪回のために必ずや相当数の戦力を振り向けるに違いない。クイーンとその配下の遠征軍が無事にしろそうでないにしろ、帝国軍の戦力分散を図ることができ、一時的にも戦局を混乱させることができるであろう。

 妙案ではあるが、と添えた上で、ラマルク将軍は懸念を呈した。

「ブリュールは帝国首都に近すぎる。帝国軍の牙城とも言える地に少数の兵で作戦を行うのは危険が大きすぎるように思うがどうか。下手をすれば送り込んだ部隊がそっくり敵地で全滅することになりかねない」

「ご心配はもっともです。ただ、ブリュールだからこそ、また少数の兵だからこそ、この作戦は成功するのです」

 ラマルク将軍はしばらく考えて、答えを出した。

「政治的にも戦略的にも重要な拠点であること、もう一つは大軍ゆえの弱点、というところか」

「まさに。帝国軍はブリュールを抑えられて、無視することはできません。我が教国軍にブリュールを奪われたまま放置することの意味を考えれば当然です。もう一つは大軍ゆえの弱点というものがあり、大軍は少数の兵を近くにすれば、意地でも踏みつぶさずにはおられぬものです。一方で上陸部隊は粘り強く遊撃戦を展開し、帝国軍を苦しめているうちに、各地から敵の援軍が集まってくることでしょう。機を図って、上陸部隊は再び海上に退避し、あとは神出鬼没に西海岸の各都市を襲撃すれば、帝国を奔命に疲れさせることが可能です」

「それだけの能力を持った指揮官が、第四師団にはいるかね」

「その前線指揮は私が」

「それは」

 許可できない、と言いかけて、ラマルク将軍はその言葉を喉の奥へと戻した。軍務への復帰後、彼は王宮にあってグティエレス将軍と対話する機会が多かった。この、一見すると学者か、あるいは仙人のような脱俗的な風貌と態度を持った書生上がりの将軍が、黒曜石のような深みのある瞳の奥に、稀有の智謀を秘めていることにラマルク将軍は気付いていた。

 グティエレスは一兵を指揮したこともなく、大きな戦いの実績もない、という世評があり、確かにほかの師団長や旅団長に比べると、その閲歴は明らかに劣る。だが彼に足りないものはそれだけでもある。実際に、これほどの度胸と大局観と戦術的柔軟性を必要とする困難な作戦をこなしうる者を挙げるとすれば、この国ではカスティーリャ要塞に駐留するデュラン将軍を除けば、ラマルク将軍とこのグティエレス将軍しかいないのであった。

 ラマルク将軍は、最高司令官代理として、この作戦案と人事を決裁した。そして、彼ら両名のやりとりをにこにこしながら見守っていた老人に、

「ハチャトゥリアン提督、いかがです」

 と尋ねた。

 王立海軍最高幕僚長のハチャトゥリアン提督は、すでに70歳を超えている。老将という点では、ラマルク将軍でさえ頭が上がらぬほどのいわば大御所である。背はさほどではないが、その横幅と厚みたるやまるで子供の遊ぶまりか、あるいは鶏の卵でも見ているようである。その滑稽な体格に、表情はふてぶてしいほどの微笑をたたえているのが常であった。普段はウィスキーを水のように飲み、いつ迎えが来てもおかしくないほどの老齢の身でありながらしばしば孫ほどに若い愛人を抱いている。不敵で頼もしい自称「海のおとこ」で、この男と並ぶとあのドン・ジョヴァンニでさえまだくちばしの黄色い青二才に過ぎないが、戦場以外では穏やかで実に寛容な男である。

 この時も、ラマルク将軍とグティエレス将軍の才気がほとばしるような検討を面白そうに眺めていた。彼の意見は至極、単純明快である。

「俺には難しいことはよう分からん。やれと言われたことを精一杯やり遂げるだけだい」

 こうして、第四師団はその兵力を半分に分け、一方を師団長のグティエレス将軍が率いてチロル港へ、一方を副師団長のアリギエーリ将軍が預かり、カスティーリャ要塞へと向かった。ラマルク将軍も、アリギエーリ将軍とともにカスティーリャ要塞の前線へ乗り出すことなった。

 従来、第四師団によって守られていた王宮と国都は手薄となるが、この防備にはカルディナーレ神殿に常駐するランベール神殿騎士団長と教国各地の神殿騎士団を呼び集めて対処することとした。国都を一個師団で守ったところで、国境のヴァーレヘム山脈を突破されればやがては陥落を免れることはできない。使える戦力は前線に投入してしかるべきであった。

 そして、ハチャトゥリアン提督自ら指揮する教国海軍が帝国領西海岸ブリュール沖に姿を現したのが、2月23日払暁ふつぎょうのことである。

 最初、帝国海軍も、この町に駐留する警備部隊も、海上の船団に対して目立った反応を示さなかった。一方的に攻撃され、混乱しているはずの教国軍が、こうも早く積極的な反攻に出るとは到底、思われなかったからである。沖合の船団は、所詮は教国海軍の偵察部隊が様子を見に来たものであろう、と高をくくっていた。

 だが、沖合の船団は明白な戦闘意志をもって、真っ直ぐに殺到してきた。帝国海軍は動揺し、慌てて港から出撃し交戦したが、それ自体が目くらましであった。にわかに海上戦が繰り広げられているなか、第四師団の将兵を満載した別働艦隊がブリュールの南に突き出た半島の影に接岸し、揚陸作戦を決行した。第四師団は上陸後、素早く軍をまとめ、砂塵さじんの舞うように走って、ブリュール港を急襲し、駐留の帝国軍部隊を追い出してこの町を占拠した。その頃には、海上でも教国海軍が帝国海軍を打ち破り、敗残部隊は北へと逃げていった。

 作戦の第一段階であるブリュールの制圧が、ここに成功したのである。

 その後、グティエレスは偽装後退と伏兵を組み合わせた戦術で、帝都から出てきたハプスブルクの部隊を手玉にとり、これを撤退に追い込んだ。

 だが、この成功はさらに大規模な帝国軍の襲来を呼ぶこととなる。実際、東部戦線と南部戦線から引き抜かれた二個師団が、国防軍最高司令部総長のシュトレーゼマン元帥に率いられ到来することになるが、このときはさすがに彼も無益な交戦はせず、ブリュール港に入港していた教国海軍の軍船に乗って悠々と海上へ逃げた。その後は、帝国領の兵力過少なポイントを探しては、神出鬼没に上陸作戦を試みるので、帝国軍としてはこの方面に常に一定の注意と戦力を振り向けねばならず、大いに迷惑した。

 その結果として、明確に狙ったわけではないが、帝国軍の東部戦線における戦力が低下し、この地域での教国・ラドワーン軍の戦略的優勢をもたらすこととなった。

 教国軍の反攻は、まずカスティーリャ要塞の第一師団と突撃旅団が帝国軍の攻撃を受け止め、第四師団の上陸部隊が帝国軍を西へ誘引し、そしてデュッセルドルフの窮地を逃れた遠征軍がラドワーン軍と一体となることによって、その下地が整ったのである。

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