第9章-④ もう一人の将軍

 マルティン・ゴルトシュミット大将。

 それが、レガリア帝国国防軍の第一軍集団司令官の名である。名前の似たメッサーシュミット将軍とは同格の大将で、長年のライバルであった。能力も人格も、メッサーシュミット将軍に比較すれば一回りは小粒と称されることの多い彼だが、闘争心や功名心はむしろ豊かすぎるほどで、ライバルに離されまいと必死に出世街道を走り続けた。ヘルムス総統への忠誠と精勤が認められ大将に昇進したのは、つい昨年のことである。

 今、彼に千載一遇の好機が巡ってきた。

「第二軍集団の遠征軍襲撃と相前後し、第一軍集団の総力をもって、カスティーリャ要塞を抜き、ロンバルディア教国全土を攻略せよ」

 この密命を帝都ヴェルダンディの総統官邸から受け取ったゴルトシュミットは、文字通り勇躍した。メッサーシュミットがロンバルディア教国女王を討ち、遠征軍を殲滅せんめつしたならば、教国はいわば主なき家となり、第一軍集団の全軍を挙げて攻勢をかければ、その併呑は決して困難ではない。教国の留守部隊が遠征軍の全滅を知れば士気大いに低下して、それこそ無血占領に近いかたちで早期決着するということもありうる。彼の元帥昇進も固いであろう。

 第一軍、第二軍、第三軍の麾下きか全軍を率い、教国国境に彼が姿を現したのは、ロンバルディア教国遠征軍への襲撃が行われた2日後、1月5日の昼のことである。

 彼は、目前のカスティーリャ要塞へ使者を遣わした。

「去る1月3日、我が帝国はロンバルディア教国に対し宣戦を布告し、領内を通行中の教国軍と干戈かんかを交えこれを全滅させた。最高司令官たるエスメラルダ女王も戦死している。既に国家の命運は明らかである。速やかに降伏の意思を示さば、無益な流血も避けられよう。賢慮あられたし」

 用件は極めて簡潔、だがその文句には明白な脅しが込められている。

 ゴルトシュミットは状況に対し過度に楽観視していた。遠征軍が壊滅し、女王が死すれば国境を守る軍も動揺の極みに陥って、士気が急落し、まともに抗戦することもできまい。うまくすれば、教国それ自体が内部から瓦解する。

 要塞を守る第一師団長デュラン将軍からの返書も、彼の希望的観測を裏付けるに充分な内容であった。大要はこうである。

「思わぬ報に接し、要塞内の師団幹部は一同、驚愕している。小官自身、動揺を抑えるのに苦労している有り様である。将軍の高名はかねがね伺っており、大軍を率いて攻め寄せられては、指導者を失った我が国が抗するのは難しいと考える。ついては降伏もやむなしと内心では覚悟しているが、生命や名誉、地位の保証につき、将軍は請け合ってくださるであろうか。この点、亡国の危機に我が身の安全を図るようで恥じ入るばかりだが、のちのために承りたい」

 書面を一読したゴルトシュミットは、鼻で笑った。第一師団長デュラン将軍といえば教国でも随一の名将と聞くが、この文面からにおうその人格は、いかにも小人といった印象である。しかもよほど慌てふためいているのか、文字の書き損じがいくつかある。このような男を実戦部隊の首席に置いているようでは、教国軍の程度も知れようというものだ。

 彼は、「貴公は無論、降伏したいかなる将士も、地位と安全の保証を行うことを、我が名誉にかけ誓う」と書き送った。実際、急峻なヴァーレヘム山脈が横たわる国境線を守るカスティーリャ要塞を開城させることができれば、その程度の交換条件はヘルムス総統とも充分に交渉できるであろう。本来、そこまで保証できるだけの権限は彼にはなかったが、いとも簡単に条件を請け合った背景には、そうした読みがある。また、彼以外の誰もがそうであるように、労少なくして功多き方法を選択したがるのは当然というものであろう。

 待つうち、要塞から返事がきた。

「名誉ある降伏を了承いただき、感謝の言葉もない。将軍の懐の深いことは、まさに評判通りである。ついては、我が隊は武器を捨てて要塞を出るとともに、将軍の入城を待ちたい。また、留守を預かるラマルク将軍と、国都を守るグティエレス将軍は、我が友人である。彼らにも降伏を勧めて、民の無用な苦しみを避けたく思うが、いかがであろう」

 即座に、返答した。

「話がまとまって安堵している。では早速ではあるが明日、部隊とともに要塞を出て、武装を放棄し、我が軍を待たれよ。両将軍への降伏勧告は無論願ってもないが、本国への連絡には時間がかかるであろう。まずは要塞明け渡しを優先されたい」

 だが翌日、要塞正面まで接近しても、一向に教国軍は要塞から出てこない。彼の要求は、要塞守備隊は全員、要塞を出て、武装を解除し、帰順の意を示すことであったはずだ。

 ゴルトシュミットはやや苛立いらだって、催促の使者を急派した。その返書は、彼の落胆と焦燥をかきたてるに充分であった。

「実は昨夜、僚友のコクトー将軍が要塞に入った。彼は好戦的な猪武者で、事態を知ると徹底抗戦を主張した。慎重に様子をうかがっていたが、とても我が勧めに沿って降伏に応じるような柄ではない。我が師団のみ降伏するにしても、下手をすれば我らのみ追い出された挙句、彼に要塞を乗っ取られかねない。それでは将軍の望みにそぐわぬであろう。いま少し工夫の猶予をいただければありがたい」

 何をもたもたしている、と思わず舌打ちをした。邪魔が入って降伏手続きさえまともにできぬというのか。帝国軍に降伏しようとしている以上、その邪魔をする者はすでにデュラン将軍にとっても敵ということになるであろう。敵ならば、要塞内で密かに暗殺し、その兵もろともに降伏すればよいではないか。その程度の度胸もなければ知恵も働かぬか、私をこれ以上失望させるな、と思った。

 文面は丁重にしつつ、ただしそれに近いことを記して送ると、夕刻になってようやく回答が得られた。

「お申し越しのこと、汗顔の至りである。何分にもコクトー将軍は無類の利かん坊で、抑えるのが難しい。彼の側近らも殺気立っていて、出戦を止めるのがやっとである。本国へは早馬を送って早期降伏を促しているから、その返答があり次第、コクトー将軍も開城を承諾するであろう。すでに黒白こくびゃくは決しており、将軍におかれてははやることなく、状況を静観されたい。遠からず、教国全土は将軍の威名になびくであろう」

 この時点で、ようやくゴルトシュミットは自らの迂闊うかつを呪った。これは時間稼ぎである。愚かにも敵を侮って、無為に時間を過ごしてしまった。奴らは実際には降伏の意など持っておらず、ていよくあしらって、我が軍の鋭鋒を避けようとしている。

 ゴルトシュミットは怒髪天を衝くばかりに憤ったが、時刻は夕方であり、要塞への攻撃に夜間は向かない。やむなく翌朝の総攻撃を決意した。デュラン将軍との通信に、5日以上も費やした。これ以上の遅滞は軍の上層部、ひいては総統の怒りを買うことになる。

 1月11日早暁そうぎょう、ゴルトシュミットの率いる第一軍集団の全軍が、カスティーリャ要塞への攻勢を開始した。この第一軍集団に属する各軍は、下記のような編成となっている。


 第一軍司令官 メッテルニヒ中将

 第二軍司令官 ベーム中将

 第三軍司令官 シュテルンベルク中将


 またカスティーリャ要塞について説明を加えておくと、この拠点は帝国と教国の国境に横たわるヴァーレヘム山脈に築かれた難攻不落の要害で、過去、両国の紛争において幾度も死闘が繰り広げられた地でもある。戦う都度、帝国軍が負けた。どれだけの犠牲を払おうとも、カスティーリャ要塞を攻略することができなかったからである。

 ロンバルディア教国は、大陸南西部に突き出たアポロニア半島を領有している。この半島は太古はひとつの独立した島で、その下層にあるプレートが気の遠くなるような年月をかけて島を北上させ、それがミネルヴァ大陸とぶつかって、現在の半島を形成した。その衝突に伴って生成されたヴァーレヘム山脈も、アポロニア半島下のプレートが現在でもわずかずつ北上しているために、さらなる隆起を続けている。

 この山脈を挟んで両国の国境とし、北を帝国、南を教国の領土としているわけだが、ヴァーレヘム山脈は極めて急峻な山系で、ここを安全に縦断するには、交易用に整備されたピレネー街道を利用しなければならない。ピレネー街道は帝国領に入るとヌーナ街道と名前を変え、途中で帝国首都ヴェルダンディやオクシアナ合衆国西方の都市オリスカニーへ向かうダンツィヒ街道へ分岐しつつ、本線はスンダルバンス同盟領へと接続している。ピレネー街道は山脈の半ばでカスティーリャ要塞の関門下を通っており、まとまった軍を帝国領から教国領へと向けるには必ずこの要塞を突破しなければならない。

 カスティーリャ要塞はいわば、教国領へと向かうための回廊を塞ぐ、鎧で固めた騎士というわけである。ピレネー街道を避け、ヴァーレヘム山脈を強引によじ登り教国領に入ることも不可能ではないが、5,000m級の山々が連なるこの山脈を、武具や防具、馬、輜重しちょうを伴って大軍が移動するのは到底、不可能である。ましてこの時期は冬季で、連山には厚い雪が積もっている。海抜1,900mから2,200mの高地にあるカスティーリャ要塞とて時折、山地特有の気候の影響で雪が降る。

 カスティーリャ要塞は別名をカスティーリャ要塞線とも言われるように、一個の巨大な要塞ではなく、急峻な山脈を貫くピレネー街道上を覆うようにして、複数の城砦じょうさいを連携させたつくりとなっている。その城砦の数は18で、これが相互に支援して、容易に手をつけられない。しかも各城砦にどれだけの兵が籠もっているのかが分からないため、思わぬポイントから大兵力が躍り出て、足場の不安定な寄せ手を襲うため、痛打を被る。

 ゴルトシュミットはそうした過去の教訓を活かし、いくつかの城砦を同時多発的に攻撃して、その兵力や士気、戦術を確かめようとした。

 果然、教国軍の士気は高く、地の利を得ているために帝国軍はたちまち崩れた。

 が、兵力はさほどではない。

「やはり戦力は我が軍に比して乏しい。孤立している城砦に狙いを定め、雷撃のように攻めて各個撃破すれば、充分に活路がある。時間をかけると教国軍に増援が来るぞ。急いで攻めよ!」

 犠牲を度外視して、強攻することとした。

 午後からは、18ある城砦のいくつかを火が出るようにして攻め、高地ながらカタパルト部隊も展開させて猛攻し、夕方近くにそのうちのひとつを陥落させた。

「明日は、奪った城砦を橋頭堡きょうとうほとして、攻勢を浸透させてゆく。カスティーリャ要塞とて、恐るるに足らん」

 ゴルトシュミットは豪語し、翌朝からさらに攻勢を強めた。攻略した城砦に大兵力を詰め、そこから三方へ部隊を繰り出して、攻撃線を拡大しようとした。

 しかしデュラン将軍も教国軍にあって良将と賞賛される男である。兵力に劣りながらも、特異な地形を活かし、決して譲らない。交戦3日目には、彼の作戦指揮下にあるコクトー将軍の突撃旅団を夜間、帝国軍の死角とも言える城砦に密かに動かし、4日目朝の戦闘開始とともにこれを突出させて、帝国軍を一時は混乱に陥れた。

「敵もしぶとい。ここはひとまず明日いっぱい部隊を休ませ、新たな戦術計画のもとで攻勢を再開するか」

 この4日目の夜に、ようやくデュッセルドルフでの戦いの顛末てんまつが届けられた。早馬なら現地から7日間もあれば到着するはずであるのに、どういう手違いであろう。

「我が第二軍集団はロンバルディア教国遠征軍をデュッセルドルフ高くの原野にて撃破し、大きな戦果を上げた。ただし女王は無事で、残存兵力はスンダルバンス同盟へと逃げ込んだ。第二軍集団は、同盟領からの反撃とオクシアナ合衆国の軍事的介入に備えている」

 ゴルトシュミットは唖然とした。彼はメッサーシュミット将軍を有能な指揮官であるとして尊敬していたし、それだけに競争相手として張り合ってもいたのだが、絶対的優勢な条件下で女王の身柄とその軍の同盟領逃走を許すとは、どういうことか。メッサーシュミットは名将であるという評判は、今後書き換えねばならないらしい。

 目下のカスティーリャ要塞攻略作戦にも影響はある。万が一、女王生存と遠征軍の健在が要塞に漏れ伝われば、敵の士気が上がる。

「そうなる前に決着を急がねばならんな」

 彼はこの際、予備兵力を投入して一挙に戦局を決せんと、麾下にある全軍で、要塞を攻撃するよう命じた。交戦5日目は朝から壮絶な激闘が交えられたが、帝国軍の最右翼に位置する城砦から、にわかにコクトー将軍の突撃旅団が出撃し、高低差を活かして怒涛のように駆け下り、ベーム中将の第二軍がその逆攻勢を受け止めきれず半ば潰走するようにして後退した。ようやく態勢を立て直して右翼を押し上げると、今度は最左翼の城砦からデュラン将軍自ら斬り込んで、シュテルンベルク中将の第三軍に大きな被害をもたらした。しかもこの反撃を受けた際、第三軍のカタパルト部隊が火矢により燃やされ、攻城用戦力の多くを失っている。

「ラファエル・デュラン、リアム・コクトー。なるほど優れた将帥だ」

 ゴルトシュミットは感嘆しつつ、味方の損害の大きさに驚き、この日の攻勢を不首尾として、全軍を要塞前面から12kmにわたり後退させた。

「やはりカスティーリャ要塞は難攻不落。そこに充分な兵力と有能な将軍に守られては、強引に攻めても難しい。ここは外交術と調略で攻めるか」

 古来、堅固な要塞に籠城し、地の利を得た敵を強攻して成功した例は少ない。こういう場合は知恵を使う。内応者、偽報、相互猜疑さいぎ、火攻めや水攻め、兵糧攻め、陽動作戦。ほかにもある。

 しかし帝国軍としては、ともかくも武力による短期的な要塞攻略をあきらめたこととなる。

 戦況は一時、膠着した。

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