第7章-⑦ 往く者と残る者

 女王の代替わりは、すなわち王位継承体制の一新も意味する。

 ロンバルディア教国の女王は代々、養女を貴族社会から貰い受けてきた。この国における貴族は、王権を支える特権階級であるとともに、優秀な子女を育成して、次代の女王を輩出する役目も担っているのであった。女王の実家となった貴族家は、当然のことだが王の外戚がいせきとして内政に介入し、権勢を誇るのが常であった。

 先代女王はそのなかで実に異例なことながら、名門貴族の一門ではない平民エスメラルダ少女を第一王女として立てた。視察に訪れていた孤児院で、エスメラルダ少女の卓抜した聡明さと幼女とも思えぬ高徳を見出し、前例のないことは承知の上で、彼女を王女に迎えたのである。

 ただし、当時は外聞をはばかり、彼女の真の出自は機密事項として明らかにされなかった。貴族家の反発や、民衆から侮りを受けることを懸念したためである。

 やがて先代女王が没すると、大貴族家の半数近くがトスカニーニ侯爵家の出身であるカロリーナ王女の旗のもとに集い、エスメラルダ王女に敵対した。彼らのほとんどは、カロリーナ王女を通してエスメラルダ王女の出自の秘密を明かされており、彼女が女王になった場合の貴族家の影響力低下を恐れたのであった。むしろカロリーナ王女に助力し勝利すれば、彼女が貴族中心の古典的階級思想の持ち主であるだけに、かえって貴族の権利を伸長させることにつながるであろうと踏んだのである。

 だが、一昨年に発生した内戦の始末を通じて、叛乱に加担した貴族はすべて没落し、残った貴族も新女王の断行した数多くの法改正や慣例の廃止によって所有していた既得権益の多くが無効化もしくは放棄せざるをえなくなった。いわゆる名門貴族の影響力は、新体制において大きく縮小を余儀なくされたのである。

 また新女王自身も、有力貴族の後ろ盾を特に必要としていなかった。内戦においても彼女は教国の正規軍と傭兵部隊のみを使い、味方貴族の私兵は頼らなかったし、その後の体制構築においても貴族の力が必要だと思ったことはない。彼女に必要なのは優秀な官僚と規律のある軍であって、女王である自分と民衆とが直結している方が、何事も都合がよかったのである。

 そうした事情もあって、即位してから半年後には、彼女は自ら平民の出自であることを公表した。果たせるかな、民衆に驚愕はあれども、動揺はほとんど起こらなかった。この時点で、多くの民衆が新しい政治体制の恩恵を実感しており、女王の出自が貴族であろうと平民であろうと、彼らが支持派から不支持派に回る動機にはなりえなかったのである。

 貴族制度は、制度としては残っているが、急速に形骸化しつつある。

 だが、一方で見えざる弊害もある。これまでは貴族家のなかから才気に恵まれる娘を探して養女にすればよかった王女選びにおいて、対象が貴族から全市民に拡大したことで、大いに難航するようになったのである。

 ロンバルディア教国の王女選びは国体護持のための重要な課題であり、この案件はクイーンの即位からまもなく、ロマン神官長が主担当となって進めていたのだが、彼女ほどの才覚者がこの件に関しては容易に決めることができなかった。そもそも、王女を選抜する政治的プロセスの構築から始めねばならない。だが、無数とも言える自国民のなかから、どうやって才と徳に恵まれた娘を探し出せばよいというのか。

 貴族のなかから選んでもよかった。それであれば候補者は大いに限定されるであろう。だがその場合、選択肢が少ない分、適格な者がいるとは限らないし、妥協と消極的選択の結果として優秀とは言いがたい王女が選出されてしまいかねない。また貴族出身の娘は、多かれ少なかれ特権意識があって、それはクイーンの推し進めている改革を逆行させてしまうことにもつながる。さらに、実家の貴族家が裏で権力を掌握し、体制を逆行させるようなことがあっては元も子もない。

 結局のところ、クイーンは貴族の力を弱め、ゆくゆくは貴族制度そのものを破壊し、王と民衆が直接に結ばれる新しい王政を敷きたいと考えている。その過程にあって、貴族のなかから次期女王たる王女を立てることは、将来にわたって大きな矛盾と障害を支配層の最高部に残すことになるであろう。

 そうした苦悩のなか、クイーン自身が若く健康であり、かつ諸改革に伴う政務が山積して誰も本件を喫緊の課題と考えていなかったこともあって、王女選びは2年以上にわたって後ろ倒しになり未だ結論が出ていない。

 そのため、クイーンの義妹で先の第三王女であるコンスタンサのみが、唯一の女王位継承権者として、レユニオンパレスに暮らしている。本来、第二王女以下の王女は第一王女に不測の事態が起こった場合のいわば補欠であり、第一王女の即位とともに役目を終えて、王族の地位から離れ、実家の貴族家に戻るか、適当な縁組先を見つけることとなる。

 しかしクイーンに新たな王女が立てられないままであるため、彼女の地位も白紙の状態で、ずるずると王宮に居残っている。

 クイーンが軍を率いて長期の外征に出発する段になって再燃したのが、この後継者問題であった。これが問題になりえるのは要するに、コンスタンサ王女は次期女王としての資質に欠けるところが多分に見られるとの共通認識が政府幹部にあったからである。彼女に才徳が十二分に備わっているのであれば、後継者について深刻に討議する必要もない、だが彼女のそれは良く言って凡庸、悪く言えば暗愚であった。特に後者の見方は、クイーンの遠征が決定したことを聞き、たちまち気鬱を発して寝込んでしまった彼女の姿を見て、さらに強くなったと言えよう。不世出の政治家であり、徳望にあふれ、民衆の圧倒的な支持を得るクイーンに比して、あまりに頼りない。まして、軍事大国であるレガリア帝国の攻勢が危惧されるときに、この者を女王にいただいていたのでは、国を守り切れるとは到底思えない。

 だが、コンスタンサの資性に批判的な目を向けている官僚らも、一致して推せる候補者がいるわけでもなかった。クイーンの代わりに女王位を務められる者を一朝一夕に見つけられるわけもない。支配者が有能であればあるほど、その失われた空隙は大きく、その後継者となる者も厳しく評価されることになる。

 後世において指摘される、クイーン・エスメラルダの数少ない失策のひとつが、遠征に先立って自らの後継者を定められなかったことであった。遠征ともなれば、平時よりもはるかに危険な状態に身を置くこととなり、死と隣り合わせであると言っても過言ではない。そのような決断をする一方、自らの暫定後継者であるコンスタンサに指導者としての器がないことを知りながら放置したのは、支配者としての責務を放棄したも同然である、というのであった。

 だが、王女を立てるには、現実として時間がない。遠征の決定からクイーン自身の進発まで、わずか10日の猶予ゆうよしかないのだ。

 クイーンは、遠征の計画立案で多忙の合間、自らコンスタンサの私室を訪ねた。

「コンスタンサ、体調はどうですか?気分がすぐれないと聞きましたが」

「姉上、どうしてもご自身で行かれるのですか?」

 クイーンがうなずくと、コンスタンサは眉の端を下げ、今にも泣きそうな顔になった。

「将軍たちに任せて、姉上は残ればよろしいのです。姉上に万が一のことがあれば、私では国が保てないと、皆が噂しています」

 すでにクイーン自身が軍を率いて外征することは、教国全土に布告してある。今になって親征の翻意を促す者は皆無であった。愚にもつかぬことを口にする義妹に、義姉も諭そうとはしない。気分が鬱したときのコンスタンサに、もっともらしく自制を促したところで徒労に終わるというのは、彼女の稀少な理解者であるクイーンには分かりきったことでもある。

「コンスタンサ、留守のことはすべて、フェレイラ議長とラマルク将軍にお願いしてあります。私に何かあっても、あなたは彼らを信任し、よくその進言に従えば、充分に務めを果たせます」

「しかし、私に姉上の代理は務まりません。大臣も将軍も民衆も、ついてこないでしょう」

 クイーンはただ、彼女の手を握り、懇々こんこんとなだめ、諄々じゅんじゅんと説得するだけであった。この心優しき義姉は、決して怒らず、苛立いらだちもせず、根気と粘りをもって、コンスタンサの精神を安定化させようとした。

 そして一時間ほどの不毛とも思えるやりとりの末、コンスタンサはようやく落ち着いて、クイーンを過酷な外征の途へと送り出す気になった。

 クイーンはさらに次の日、彼女の主治医であるサミュエル・ドゥシャンから、思わぬ願い出を受け取った。

「遠征に同行したい」

 と言い出したのである。

 クイーンの傍らにはエミリアだけがいて、この突飛な希望を聞いていたが、クイーンに先んじて彼女がたしなめた。

「無茶だ、目の見えない者を戦場に連れていくなど」

「でも、エミリアさんは片腕がなくても、同行するのでしょう?」

「サミュエル」

 エミリアは思わず絶句した。彼女はこの2年あまりで、彼の名を呼び捨てるほどに、親交を深めている。

 確かに、彼は盲人といっても、並の者ではない。まず、彼はフェレイラ議長やロマン神官長でさえ舌を巻くほどの博識であり、抜きん出た体力も持ち合わせていて、また盲人ながら馬と気を通じ合い、乗りこなすこともできる。

 だが、盲人は盲人である。目の見えぬ者を戦場に連れていくなど、聞いたこともない。軍としては、彼を連れていく意味がないし、むしろ足手まといになるであろう。

 それを悟ったのか、サミュエルは懇願するように、

「この2年間、僕は女王様の主治医として、医術を学びました。軍医としても、少しは役に立てると思います。邪魔になるようなら、置き去りにしてもらってもかまいません」

「何故、そうまでして従軍したいのですか?」

 クイーンの疑問は当然のことでもあった。

「僕はずっとこの宮殿に住まわせていただいて、色々な経験ができました。主治医にしていただいたことはもちろん、教育や難民施策についても意見を聞いてくださいました。孤児院や学校、難民キャンプに随行したのも、とても大切な経験です。現在、軍では医師が不足していると聞きます。お供して、少しでも恩返しができればと思うのです」

「戦場は、とても過酷ですよ。敵味方の悲鳴が聞こえて、見知った人が亡くなったり、自分も命の危険にさらされます。私も、先年の内戦では前線に立ちましたが、当時のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなって、つらい気持ちでいっぱいになります。好んで行くような場所ではありませんよ」

「承知しています。ですがどうか、ご恩に報いる機会を」

 しばらく考えたあとで、彼女は許した。エミリアが反対を唱えようとする気配を、穏やかな笑みと点頭とで制して、

「ですが一点、お約束してほしいことがあります。分かりますね?」

「術は、決して使いません」

 それが、彼がクイーンの主治医になるにあたって誓約したことであった。術を決して使わないこと。それが、彼の亡き姉との約束でもあり、クイーンの願いでもあった。光の術者は、闇の術が世界に蔓延はびこったときにのみ、その術を解放することを許される。それ以外の場合に、術は使ってはならない。一度ならず二度も、彼女はサミュエルの術によって命を救われた。しかし、それは本来、救われることのなかった命であり、術によってその命の行く先を変えることは、光の術者の行いではない。

 それに、術者の存在は世界を混乱に陥れる可能性がある。術者がその存在を広く知らしめるような行いは、慎んだ方がよいのである。

 クイーンは、断固として誓うサミュエルの言葉に慈愛の深い笑顔を浮かべた。

「では、サミュエルさんも出発の準備をしてください。出征中は、常に傍らにいていただきます」

 こうして、サミュエルは従軍側近団の一人として、遠征に随行することとなった。

 征旅の途中、偉大な指導者の姿を見ようと集まった民衆は多かったが、誰もがクイーンの傍らに目を布で覆った盲人が控えていることに不思議の念を覚えた。

 物知りは、クイーンの主治医が盲人であり、その名前がサミュエル・ドゥシャンであることを知っていた。

 しかし、彼が術者であることを知る者は一人もいない。

 術者の存在は未だ、極めて少数の人々のみが知る重大な秘密として秘匿され続けている。

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