第7章-⑥ 招かれし老獅子
「女王陛下が大軍を伴って遠征の途に就かれる」
との風聞は、またたく間に国都アルジャントゥイユに広まった。布告は枢密院の直接指揮下にある官吏の手で教国各地の町へ運ばれ、そこで掲示されて、全土に布達される。
国都は宮殿の膝元にあり、人口も多いから、情報が広まるのも早い。
「レガリア帝国を越え、オクシアナ合衆国と手を組んで、同盟を荒らし回っている王国軍と、イシャーン王の軍を退治なさるそうだ」
「王国とイシャーン王というのは、そんなに悪い連中か」
「ブリストル公国を滅ぼして、今は同盟領の統一を目論んでいるらしい」
「オクシアナ合衆国も女王陛下も、放置しておけばいずれ自国にも火の粉が降りかかるかもしれない、だから今のうちに連中をやっつけておかねばならないと考えたんだ」
「なんでも王国のチャン・レアンとかいう将軍は、狼のように
「お前はいかれぽんちだな。余人ならいざ知らず、軍を率いるのはエスメラルダ女王陛下だ。負けることがあるものか」
「だが、実戦の指揮は去年の内乱のときが初めてで、それが最後だろう。実績と呼ぶには、前例が少なすぎるじゃないか」
「前例が多かろうと少なかろうと、女王陛下は絶対に負けないッ!」
掲示の前や道端、店や酒場など、市街のあらゆる場所で、
戦争に参加する、というだけでヒステリックな拒否反応を示す者もなかにはいたが、国都では
それだけに、エスメラルダ女王が決然として紛争への介入を決めたからには、それは支配者の持つ好戦的な欲求からではなく、国家を存立させていくための必要に迫られてであろうという信用がある。しかも危険を承知で自らが前線で指揮をとるというのは、その覚悟の表れでもあろうと。
さて、
一人は近衛兵団の千人長ニーナ、一人は同じく近衛兵団の百人長シルヴィ、そしていま一人は彼女らに護衛される初老の男性である。帽子からのぞくもみあげには白髪が多く混じり、目つきには壮年の獅子を思わせる威厳がある。
このところは温暖な国都の天候が徐々に冷え込んで、秋の風が夏の残り香を完全に駆逐しつつある。男は国都の四季をこよなく愛していた。世界広しといえど、この街の季節の移り変わりほど、情趣を刺激するものはないであろう。
しかし彼は、だからといって彼のよく知るかつてのある部下のように、詩人を気取るつもりはない。風景や季節の移ろいに心を奪われるほどには、彼の精神は詩的ではなく、むしろその天職は詩人ではなく軍人にあった。
南門をくぐり、宮殿に入ると、そこにはささやかだが特別な人物の出迎えがある。
「クイーン、わざわざのお出迎え痛み入ります」
「ラマルク将軍、お久しぶりです」
迎えられたのは前第一師団長のジェレミー・ラマルク将軍である。彼は国都の3区に住居を構えているが、今朝、近衛兵の突然の訪問を受け、クイーンからの重要な依頼があるとのことで、駆けつけたのであった。
道々、その依頼とやらの内容を様々に憶測したが、確信はない。長年、師団長として活躍を続けてきた彼に用件があるとすれば、恐らくは現役復帰ではないかとも思ったが、今の実戦指揮官たちに不足があるとも思えない。彼の後任として、第三師団長から第一師団長に転任したデュラン将軍が、人格中庸にして堅実である以外は、皆それぞれに一癖も二癖もある。だがいずれも有能であることは疑いの余地がないであろう。
とすれば、軍事顧問といったあたりが妥当なところか、と見当をつけていた。間もなく、クイーンが精鋭を率いて遠征の軍を起こされる。その編成や兵站に関して、彼の経験を役立てようというのではないか。
が、違った。
談話室で依頼された任務は、途方もない重責であった。軽い挨拶と互いの近況について触れたのち、クイーンは、
「ラマルク将軍、単刀直入にお話しします。王立陸軍最高幕僚長代理として軍の最高幹部に名を連ねるとともに、私が遠征中のあいだ、軍の総指揮をとっていただけませんか」
「なんと仰せですか?」
唖然としたラマルク将軍のその言葉は、やや礼を失していたと言えるかもしれない。
だがクイーンは気にせず、詳細を続けた。
「連日、動員準備や諜報活動を、軍や外務局、諜報局などが総動員で進めているのですが、軍の最高位であるネリ将軍が倒れられたのです。当初は留守中の軍務は彼を全権代理に立てることで考えていたのですが、恐らく過労が原因とのことで、重い心臓病を患い、当面は安静が必要です。レガリア帝国に対して最大級の警戒が必要な情勢において、長期にわたって軍務の全権を掌握し、実戦部隊を束ね、国境を隙なく固めて国の安全を守り通すためには、あなたほどの経験と実績、そして人望を兼ね備えた方でなければ務まりません」
「しかし私は老境の身にて、退任から二年以上を経過しています。実務から遠ざかっている上に、昨年の内乱鎮圧の際は独断で兵を動かした罪もあり、率直に申して適任とは思えませんが」
「すべて承知しています。承知してなお、あなたにしか任せられないと考えています。レガリア帝国が万が一、遠征軍の派遣で戦力が半減した我が国に宣戦し、国境を突破しようとしたときに、軍の総帥として国土の防衛をお任せする方を選ぶとすれば、あなたしか考えられないのです」
予想外の打診とその背景にある思わぬ評価に、ラマルク将軍は二の句が継げず、黙り込んだ。ただ返答は決まっている。
軍を完全に引退してから、国都の片隅で悠々自適の
もはや出る幕はないものと現役には完全に見切りをつけていたが、彼が今受けている打診は、なんとクイーンの留守中に限った話とはいえ、軍の最高司令官として国を守ってほしいという依頼である。
生粋の軍人として、名誉でないはずがなかった。
しばらく感懐を味わう時間をつくってから、彼は回答した。
「お引き受けします。微力ではありますが、クイーンがお留守のあいだ、私がこの国をお守りいたします」
「ありがとうございます。将軍にしばらく、この国を
クイーンは、簡潔に徹し、
彼は改めて忠誠を誓約し、直ちに現役復帰の手続きに入った。
留守中、政務はフェレイラ議長に、軍務はラマルク将軍に一任することで、体制は整った。
だがもう一点、クイーンが遠征するにあたって決定せねばならない重大事がある。
女王位継承権者の擁立、すなわちクイーンが戦場に
これが、難題であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます