第7章-⑤ 動員令

 ラドワーン王とオクシアナ合衆国の連盟に味方し、イシャーン王とオユトルゴイ王国の陣営に対する、という方針については、なにも合衆国特使マーク・ハリスの来訪によってにわかに議論が始まったわけではない。

 大陸七ヶ国のうち、ブリストル公国がオユトルゴイ王国の侵略で滅亡し、抵抗する者は徹底的に弾圧され掃討された。今また大陸三ヶ国を巻き込む動乱が始まろうとしている。ロンバルディア教国として、この情勢に対しどのように対応していくかは、昨今最も重要な議題であったと言って差し支えない。

 王国に味方しよう、という者はいなかった。意見のある者はみな、王国やイシャーン王を仮想敵とした上での、主戦派、穏健派、中立派のいずれかであった。

 主戦派は言う。オユトルゴイ王国は、ブリストル公国を侵略し、その国家を滅亡せしめて破壊や虐殺の限りを尽くした。イシャーン王も同じ穴のむじなと言うべきで、彼らは自らの野心と打算、利益のために戦うことをいとわないであろう。今、スンダルバンス同盟が彼らの手に落ち、オクシアナ合衆国もその蹂躙じゅうりんに任せれば、やがては力をつけた彼らの侵攻を受けるに違いない。その時、味方となるべき国は既に滅び、孤立しておれば、勝算は皆無に等しい。むしろこの時期に決然として義軍を起こし、合衆国と結び、同盟を助け、王国とイシャーン王を再び決起するに不可能なだけの打撃を与えておくにしかず。すなわち国外派兵ではありつつも、その意図は積極的自衛と言うべきで、将来の戦火を自国に及ぼさぬため必要な措置である。

 一方、穏健派は主張する。クイーンの即位以来、志願兵や義勇兵の増加で軍事力は確かに増した。だが本来、ロンバルディア教国は戦いを好まず、自国の領土を防衛するための、いわば降りかかる火の粉を払う戦いは受けるが、他国の領土に進出して戦闘行為に参加するような想定はされていない。軍事同盟を結んでいるわけでもない第三国同士の戦争に介入し、一方に加担して戦うのは、明らかに自衛の拡大解釈である。むしろ外交交渉の場を設け、その主導権を握って、紛争を終結させることこそ、真の義挙であり、自国の利益にかなうであろう。

 中立派の意見はこうである。今回の争いは、いわば地域紛争であり、他国同士の軍事力を伴う衝突である。教国にとっては、直接的な害はない。戦争の長期化による物資の欠乏、輸送状況の悪化から同盟との貿易に影響は出ているが、それも一時的なものである。いたずらに軍事力を誇って他国の戦争に介入し、国力を疲弊させるのは愚策であり、自国は自国のみの力で守る「栄光ある孤立」を保つのが、民衆の理解も最も得やすいことであろう。

 王国がブリストル公国に大規模な侵攻を開始した時点では、穏健派や中立派が多数であった。他国間の紛争に、ロンバルディア教国が軍事力を行使して介入する事例は、これまでほとんどなかったのである。だが公国が滅亡し、やがて同盟内部の争いに王国が割り込んできた時点で、宮廷内の論調は主戦論に徐々に偏りを見せた。

 何より危惧されるのは、状況を放置すれば、味方となるべき勢力が滅び、やがて敵の攻勢を自国だけで引き受けねばならなくなる、という事態であった。チャン・レアンやイシャーン王は、狼や禿鷹はげたかたぐいである。両者とも勇猛であることは大陸に比肩する者がなく、その野心の巨大さも、並ではあらぬ。同盟が併呑され、合衆国が消滅すれば、彼らは残った国を各個に撃破して、大陸の統一を目指すであろう。これは自明の理である。

 それゆえに、合衆国特使マーク・ハリスの来訪時点で、これ以上狼と禿鷹を野放しにしておくのは危険すぎる、参戦もやむなしとの意見が過半を占めていた。

 クイーンも、いかにも苦渋の表情ではあったが、同盟領への大規模な派兵を決断した。

 決断さえすれば、その実行力はまさに神速と言っていい。たちまち編成計画、補給計画、移動計画の立案がなされ、国外派兵の布告も発せられた。

 今回、クイーンとともに遠征の途に就くのは、近衛兵団の主力と、第二師団、第三師団、遊撃旅団である。

 第二師団を束ねるのは、かつて名将ラマルク将軍のもとで副師団長を務めた、41歳のカッサーノ将軍である。

 ラマルク将軍曰く、「変わり者だが大局観があり、特に優位な状況からの攻撃に実力を発揮する」と評されるほどの驍将ぎょうしょうとして知られる。速攻と急襲が得意で、騎射に妙があり、この師団には特に騎兵が多く配備されている。恐らく戦況を一挙に転換させるような奇襲作戦や、殲滅せんめつ戦に力を発揮するであろう。

 変わり者、と言われるのは、戦場では攻勢を得意とする勇将タイプだが、余暇を見つけては詩を書いたり、高名な詩家の詩を取り寄せて声に出して詠んだりしているからである。軍陣にあってもそうで、かつての上官であるラマルク将軍や彼の同僚はやや困惑したような苦笑を浮かべるのであった。詩をつくるからといって彼を軟弱者と呼ぶ者は、彼の将としての有能さ、勇猛さを知るだけに皆無であったが、決して上手とは言いがたいその趣味は、他者にとっては微笑ましくも少々迷惑でもあるのだった。

 第三師団長のルーカス・レイナート将軍は、年齢36歳。教国の六人の実戦指揮官中、最も若く、しかも隣国のレガリア帝国からの亡命者という、異色の経歴を持つ。以前は第二師団のガブリエーリ将軍のもとで千人長を務め、プリンセス暗殺未遂事件に端を発する内乱では、教国最北端でレガリア帝国との国境線に位置するカスティーリャ要塞を守ったが、内戦終結と叛乱への加担を不問に付すとの降伏勧告に従い、要塞を征討軍に明け渡した。

 その用兵手腕は実に手堅く、特に守勢における堅固さ、粘り強さはまさに堅忍不抜と称するに足る。清廉潔白だがおよそ人付き合いというものをしない男で、クイーンの即位後に政府高官や高位の軍人を一堂に会して開かれた園遊会でも、言葉を交わしたのはクイーンと第四師団のグティエレス将軍だけという寡黙ぶりであった。

 彼はレガリア帝国の出身で、故国を裏切り、また内戦下においても上官の信任に背いて要塞を手土産に降伏したという経緯から、彼を節度のない信用ならぬ人物と評する者もいる。だがそのような男を、クイーンはあえて遠征軍の陣容に加えた。不利な状況のなかでも鉄壁の防御陣を敷いて決して屈することのない彼を頼りにするとともに、クイーンの彼に対する信頼を証明する意図もあったであろう。

 遊撃旅団のドン・ジョヴァンニ将軍は、この年48歳。昨年の内戦で当時のプリンセス・エスメラルダの知己を得、困難な対第二師団戦線を任され、少数の兵で敵軍を翻弄し、勲功第一等と称された。正規軍による堂々たる駆け引きよりも、泥臭いゲリラ戦が持ち味で、どのような局面であろうと、その豊かな経験と巧妙な実戦指揮で、活路を見出せるに違いない。

 生まれはロンバルディア教国だが、幼少時に合衆国に移り住み、成人してのちは特殊部隊に所属したが肌に合わず、山賊、海賊、傭兵の親分など、多彩な前歴を持っている。特に傭兵団長としての実績は豊富で、バブルイスク連邦を除くすべての国を渡り歩いて得た経験と見識は容易には得られがたい。

 彼を帯同することに決めたのは、クイーンのさすがなる人物鑑定眼と言うべきであろう。

 彼の指揮する遊撃旅団は、ゲリラ戦を想定した訓練を必要とするため、国都北部のマジョルカバレーや、国境線のヴァーレヘム山脈あたりに出ていることが多いが、動員命令が出た時期はたまたま部隊全員に休暇が出ており、ドン・ジョヴァンニは国都にいた。

 急ぎの出頭命令を受けて宮殿に出向くと、特に官吏らの動きが慌ただしい。近衛兵に案内され、談話室に入ると、彼と同様、国都に滞在していた第三師団のレイナート将軍と、第四師団のグティエレス将軍が既に着席していた。レイナートは沈毅で口数が少ないが、グティエレスは人との会話を楽しむところがあり、ドン・ジョヴァンニとも顔を合わせればよく話をする。

「貴公も呼ばれたか。いよいよ、重大なお話のようだな」

「ということは、皆さんも用件は知らされていないと?」

「私もレイナート将軍も、まだ何も知らない。だが見当はつく」

「というと?」

「今、この大陸を席巻する動乱の嵐から、どう雨風をしのぐかの結論が出たということであろう。進んで風雨のもとである雲を断ち切るか、雨風をしのげるように家を改築するのか」

「なるほど、それは興味深いおしゃべりができそうだ」

 ドン・ジョヴァンニにも当然、議題の見当はついていた。ブリストル公国が滅び、今まさにオユトルゴイ王国、オクシアナ合衆国、スンダルバンス同盟が互いの存亡を賭けて戦うとき、この国だけが素知らぬ顔で平和を謳歌おうかしているわけにもいかない。

 自国として決められるのは、この動乱に否応なく巻き込まれるとしても、どの時点から巻き込まれるのか、その程度の問題であった。

「貴公はどう思う、現在の情勢から、我が国は介入すべきか、さらに静観するべきか」

「早い方がいいだろうな。なまじ組む相手が滅んでから戦おうとしたところで、単独では百にひとつの勝ち目もない。中立論も穏健論も通用する相手じゃない」

「ご意見、素晴らしい。レイナート将軍は?」

「同意」

 と一言、レイナートは応じた。レイナートからさらに意中を探ろうとしたグティエレスであったが、口を閉じ、静かに立ち上がった。

 クイーンが、入室したのである。

 (あぁ、美しい)

 ドン・ジョヴァンニは、クイーンにえっするたび、ため息が漏れるほどにそれを思う。にこやかな笑みのなかにも、強さや凛々しさ、気高さがある。どれほどの名画や名曲、あらゆる芸術品よりもさらに芸術的な存在こそ、今まさに目の前にいるこの人なのではないかと思われる。

「ありがとう、皆さん。座りましょう」

 起立して迎えた三人の将帥に、彼女は促した。クイーンと将軍たち、そして随行のエミリア、近衛兵団長のヴァネッサ、王立陸軍最高幕僚長ネリ将軍、兵站幕僚長クレソン、枢密院諜報局長マニシェが腰を下ろした。この錚々そうそうたる顔ぶれから推察される通り、この場は軍最高幹部会議と言ってよいであろう。

 クイーンは進行を人任せにせず、自らが議長を務めるのが多くの会議における通例である。

「軍務や休暇のなか、集まっていただき、ありがとうございます。今日お話ししたいのは、先頃より国際的な紛争が発生している、その状況に対しどのように対応するか、それを議するためです」

 ネリ将軍らクイーンとともに入室した面々には、あらかじめ説明があったらしい。要するにこの時間は、彼ら実戦指揮官たちに対する情報伝達が眼目のようであった。

「まず、事態に対する政治的判断をお伝えします。我が国はオクシアナ合衆国からの参戦要請を受け、大規模な軍を同盟領へと進め、そこに駐留して、必要とあらば王国軍及びイシャーン王の軍と干戈かんかを交えます」

 決断されたか、とドン・ジョヴァンニは軽い電撃が小気味よく全身の表面に流れるのを自覚した。即位前の内乱鎮圧の時もそうであったが、この人の決断の勇ましさ、尊いばかりの意志の強さは、彼のある種の情緒を激しく刺激する。これが忠誠心というやつかもしれない、などと、最近は思うこともある。

 クイーンは続けた。

「遠征軍の陣容は、第二師団、第三師団、遊撃旅団、そして近衛兵団の主力を帯同して、私が直接、前線で総指揮をとります」

 この言葉には、さしもの将軍らも絶句した。グティエレス将軍が身を乗り出し、レイナート将軍にいたっては思わず立ち上がっている。

「クイーン自ら王宮を離れ、前線指揮をなさるとおっしゃるのですか?」

 レイナートの率直な問いに対し、クイーンは無言で首肯しゅこうした。グティエレス将軍が真っ先に反対を表明した。

「クイーン、既に多くの諸大臣方が反対された上でのご決断でしょうが、あえて申し上げましょう。どうかこのレユニオンパレスに玉座を据えられ、玉体を危険にさらしたもうことなきように。前線指揮はどうか我々にお任せあって、クイーンははかりごと帷幄いあくの中にめぐらし、勝ちを千里の外に決せられませ」

「将軍、諌言かんげんは痛み入るばかりです。ですが、こればかりは私のわがままをお聞き入れいただければと思っています。一国の王たる者が戦場に出ることが、いかに国にとって危険であるかは承知しているつもりです。ですが、私はこの国を命を賭して守ろうとする兵たちに、ただけと命ずるつもりはありません。彼らを死地に立たせる命令を下すときに言うべきは、こう、という言葉です」

 覚悟、と表現すれば適切なのであろうか。それはしかし、危険と代価との冷静な比較ではなく、彼女自身の個人的な誇りや信条の表れでしかないかもしれない。クイーンが戦場にたおれることの影響は、帝王が安全な場所から兵に戦いを強いることの比ではないであろう。

 クイーンの意志は、そうした理性の産物ではなく、多分に感傷の産物と言える。

 だが将軍ドン・ジョヴァンニとしては、この敬愛すべき主君が、躊躇ためらいもなくそうした感傷で動こうとするのが、たまらなく好きなのである。

 彼は、話に乗ることにした。

「よし、それでいきましょう。戦いに勝って、無事に戻ってくれば、万事めでたしだ。そんなに難しいことじゃない」

 前途は多難である。同盟領は気の遠くなるほどの彼方にあり、その国土には砂漠や荒野、海のように巨大な河や湖、密林や毒泉までがあるという。そのような勝手知らぬ未知の風土で、肌の色も、手にする武器も違う敵軍と戦おうというのだ。

 だが悲観論は、クイーンとクイーンの率いる軍には似つかわしくない。戦いに勝ち、無事戻ればよい。確かにその楽天的な精神だけが、この困難な出兵の原動力とするにはふさわしいであろう。

 グティエレス将軍も、それ以上には反対しなかった。彼自身が述べた通り、多くの重臣が参戦そのものはともかく、クイーンの親征という判断に対して反対の意を示したはずなのである。それをしりぞけたクイーンに、なお自分の意見によって翻意を促せるとは、そもそも考えていなかった。

 レイナート将軍も、反対意見は述べなかった。彼が口にしたのは、まったく別の懸念であった。

「クイーン。同盟領に向かうには、途中のレガリア帝国に領土通行権を請求する必要があるかと思われます。その手配はお済みでしょうか」

「先ほど、特使の派遣を決定しました。多少の見返りは要求されるかもしれませんが、昨今の両国の緊張緩和から考えて、通行自体は許可されるのではないかと期待しています」

「ご注意ください。帝国のヘルムス総統は稀代の梟雄きょうゆうです。民衆を扇動し、生存圏の拡大を声高に叫んでおります。柔和な表情で握手を求めるもう一方の手には、短剣を握っているかもしれません。また王国のチャン・レアン将軍はともかく、同盟のイシャーン王とて、権謀にけた奸人です。既に帝国にも彼の外交の手が伸びている可能性は充分にあります。ご用心あってしかるべきかと」

 レイナートはもともと、レガリア帝国で生まれ、軍に入っては20代で中佐にまで累進したほどの男である。それが、ヘルムス総統の独裁権力が強化され、次第に批判者を排除する恐怖政治が官僚や軍人に対して、あるいは民衆に対しても敷かれるにつれ、その圧政に疑問を感じ、単身で教国へと亡命した。帝国の内情をよく知るだけに、彼の発言には格別の信憑しんぴょう性と重みがある。

「レイナート将軍、ご忠告に感謝します。仮に領内通過に関して交渉がまとまったとしても、それをもって帝国を信頼に足る友と考えることはできません。帝国領内を通行中は、昼夜を問わない戦闘配備が必要になるでしょう。万が一の事態に備えて」

「クイーン。それならばぜひ我が師団もお連れください。近衛兵団を含め4万程度の戦力では、仮に帝国領内で奇襲を受けたらひとたまりもないでしょう。せめてもう一個師団は遠征軍にお加えください」

「グティエレス将軍、それでは本国が手薄になりすぎます。国境線はデュラン将軍の第一師団とコクトー将軍の突撃旅団、国都の防衛は将軍の第四師団が最後のとりでとして守っていただかなくてはなりません。ご心配いただくお気持ちはありがたいのですが、どうかご理解ください」

 (まったく頑固な人だ)

 この人の命令には胸のすくような切れ味のよさがある。命令を受けるたび、妙に心躍る爽快さ、痛快さのようなものを感じる。

 しかし、困難な任務だ。帝国領を通過して同盟領へ向かうというのは、虎口を通って狼の巣穴に飛び込もうとするかのごとしである。

 だがそれでも、この人が「往こう」と言う限りは、自分も間髪入れずに「往く」と言える、そんな気概と気前のよさは常に持っておきたいとも思う。

 根無し草で半生を送ってきた彼が、ようやく仕えるべき主君に出会えた。クイーンに初めて会った日から、徐々に強くなっていた実感が、このとき改めて強固な確信に変わったようであった。

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