第7章-② ランバレネ高原の会戦
ランバレネ高原は、スンダルバンス同盟の四人の王のうちの一人ンジャイ王の領土である。標高1,200mから1,300mほどの平坦な原野で、誰もが認める戦略上の要地であることから、古来、この高原を舞台に大規模な会戦が幾度となく繰り広げられてきた。
スンダルバンス同盟は山岳地帯がほとんど存在せず、一面の平原、荒野、
この高原に、引き寄せられるようにして総勢10万人以上の軍がふたつの陣営に分かれて布陣したのは、11月14日のことであった。
陣営の一方は、チャン・レアン大都督率いる36,000の王国軍と、イシャーン王率いる19,000の反主流派同盟軍で、これが高原の東側に南北に分かれて陣取った。
王国軍は主将のチャン・レアンが中軍本陣で愛馬の絶影に騎乗し、この会戦における最大兵力の持ち主として、重厚極まる五段構えの陣を敷いた。そばにはトゴン老人が、哀れなほど小さな馬に乗って従軍している。先鋒は副都督のウェイ・ユン将軍で、チャン・レアン
その南方に、イシャーン王の軍が左翼を前進させた斜線陣で待ち構えている。戦術的な意図としては、精鋭を左翼に集め、その方面から戦線を圧迫して、右に展開する王国軍と包囲体制を築こうという動きである。
いま一方は、グラント大将を主将、フェアファックス中将を副将とする28,000の合衆国軍が王国軍と向かい合う形で
その南に、ラドワーン王が23,000の兵で
この日は両軍とも大兵力の布陣と展開で一日を過ごしたが、途中で強風と強雨に見舞われ、敵味方の位置を見失い、合衆国軍とラドワーン王軍とのあいだで不意の同士討ちがごく小規模ながら発生する事態となった。
風雨は翌未明に落ち着き、夜が明けると一転して快晴となった。周囲に
晴天のもと、絶好の決戦日和であるとみなしたチャン・レアンは、独断で進撃を開始した。まずは小手調べとばかりに、先陣のウェイ・ユン将軍を動かし、真一文字に合衆国軍の正面にぶつける。
この動きに即応したのが、ラドワーン王である。両軍とも、自軍右翼が敵左翼に対して優勢である。敵の右翼が合衆国軍に対し攻勢を仕掛けたのなら、右翼に位置するラドワーン王は、敵左翼であるイシャーン王の軍を撃破すべく動かねばならない。
ラドワーン軍は、先の会戦の汚辱を
「慌てるな、中軍と右翼は徐々に後退しつつ、敵の攻勢を右翼に流して、王国軍の左翼と挟撃するのだ!」
イシャーン王は、ともすれば敵の勢いに圧倒されがちな自軍を激しく
予備兵力として備えていた精鋭の
彼の部隊は雨のように降り注ぐロングボウの矢にも怯まず、ラドワーン軍の先鋒を強引に突破し、突破した勢いのまま時計回りに疾走して、ラドワーン軍の後方へと回る。この常識破りの用兵の結果、やや不完全ながらも前後に挟撃されることとなったラドワーン軍は一転して混乱に陥った。
ラドワーン王は動揺し潰走しかける部隊を懸命に統率しつつ、自らタルワールと呼ばれる片刃刀を振るって20名以上の兵を斬り殺し、無数の刃こぼれで使い物にならなくなったと見るや、即座に背に負った短弓に持ち替えた。彼が放った矢はすべて敵兵の眉間に命中して即死させたが、その奮闘も矢籠の矢が尽きるまでであった。
彼は混乱のなかで号令を下し、陣形を鱗の陣から方陣へと
合衆国軍が王国軍を突き崩さない限り、この劣勢は挽回できないであろう。
一方の合衆国軍は当初、ウェイ・ユン将軍率いる王国軍の先鋒と互角以上に戦っていたが、開戦から3時間あまりで、チャン・レアン将軍が自ら指揮する8,000の鉄騎兵の攻勢を左側面に受けることとなった。「狼将」の異名を持つチャン・レアンが最も得意とするのがこの迂回機動戦術で、大陸最強と言われる彼の騎兵の強みを最大限に活かす戦法でもある。
戦場を大きく迂回したチャン・レアンは、無防備な合衆国軍の左翼を粉砕する勢いで突入し、多大な犠牲を払いながらも、本軍とのあいだに包囲網を敷くことに成功した。
「勝った」
と、チャン・レアンはこの時点で確信した。合衆国軍は数こそ多いが、多くの実戦を経験し、鍛え抜かれた王国軍の前には烏合の衆も同然である。
彼は攻勢の手を緩めることなく、合衆国軍左翼を強引に突破しようとした。激闘の結果、彼は赤子の手をひねるような容易さで合衆国軍左翼を前後に分断し、その渦中へと分け入った。
「勝った」
と、このとき合衆国軍左翼を直接指揮していた副将のフェアファックス中将は唇の片端を吊り上げた。
異変は突如かつ無慈悲に起こった。合衆国軍左翼を突き破り、
落とし穴であった。
長さ10m、幅60mほどの範囲に、深さ16mもの奈落を掘り、あたかも鉄騎兵の鋭鋒に突破された演出によって、敵をこの穴の中へと誘い込んだのである。
それはほとんど全滅と言ってよかった。部隊は敵中を突破する勢いのまま、我先にと穴に飛び込み、底にまるで
流れを止めることはできない。密集し濁流のように突き進む騎兵集団は、低きに流れる水のような自然さで、自ら死を求めた。この
チャン・レアンは、生き残った。彼の場合は、前方に落とし穴があると知るや、躊躇なく大地を蹴って、対岸まで到達した。彼の愛馬たる絶影は、2m近い巨漢のチャン・レアンと、重い
自慢の
この頃には計略の成功を見た合衆国軍は全面攻勢に移っており、王国軍は全戦線にわたって後退しつつあった。終始、優勢に戦況を支配しつつあった南方戦線のイシャーン王も、孤立を恐れ、王国軍と歩調を合わせ後退した。
前線は再び、イシャーン王の治めるクリシュナ地方まで押し込まれたのである。
ランバレネ高原の会戦は、戦略的にも戦術的にも、合衆国軍及びラドワーン連合軍の勝利であった。死傷割合ではほぼ互角ではあったが、大陸最強の呼び声すらあったチャン・レアン将軍の鉄騎兵軍団を再起不能なまでに壊滅させ、彼らの軍を撃退してその侵攻の企図を挫折せしめたのである。
しかも11月25日には、軍を再編し態勢を整えているチャン・レアン将軍のもとに本国のスミン皇妃から緊急の帰還命令が出たために、彼は軍の半数を率いて王都トゥムルへと舞い戻った。
さらに、旧公国領で
残されたイシャーン王のもとには、不可解で不愉快な情報が多く寄せられた。その多くは、チャン・レアンに帰還命令など出ていない、というものであった。
当初、イシャーンはこれらの情報を敵の離間策であると疑い、容易に信じようとはしなかった。
だが、一通の書簡が彼の手元に舞い込んできて、その考えも変質を余儀なくされた。それは合衆国軍の密使を捕らえて手に入れた書簡で、このように書かれていた。
「チャン・レアン殿。先日は同盟領の分割につき合意いただき、感謝に
さてこそ、狼は奸賊か、と砂漠の
一方、風に誘われるようにして王都へ帰還したチャン・レアンはスミン皇妃に拝謁したが、別に用などはなかった。
「本国を遠く離れ、久しく会わずにいたため不安になった。親しく懇談し、戦地の労苦を慰めたくも思った」
などと、愚にもつかぬことを玉座の隣で言っている。
チャン・レアンは、スミンのことが好きだ。顔を見たかった、と言われると、ずいぶん喜ばしい気持ちになる。しかし、前線指揮官の立場としては、迷惑なことこの上ない。前線を統括する者が戦場を離れるというのは、たとえそれが一瞬であろうとも容易なことではなく、敵に付け入る隙を与えることであり、金銀兵糧を無駄に消費する上、いたずらに士気を消耗する。
スミンとしても、チャン・レアンが本国をはるかにしのぐ強大な力を持ち、そこへイシャーンと組んで造反を企んでいるとの噂に惑わされ慄然としたものだが、いざ呼びつけると素直に膝元へ帰り、ひざまずいている姿を見れば、腕白児を迎え入れた母親のような気分で、それだけで疑惑がすっかり氷解してしまったのだった。
釈然とせぬまま、ともかくもスミンの衰えぬ美貌を拝めたことで満足し、再び戦地へと急ぐ彼のもとに、前線に残したウェイ・ユン将軍の使いと名乗る者が、驚くべき情報を持ち込んだ。
「イシャーン王が皇妃スミンに送った使者が、誤って我が陣営に帰着した。彼は皇妃スミンと結託し、チャン・レアン大都督を密殺して、その軍権を奪い取るべく画策している。くれぐれも注意されたし」
狼はまさに怒髪天を衝く勢いで激怒し、すぐにもウェイ・ユン将軍と呼応してイシャーンを血祭りに上げようと目論んだが、これはトゴン老人によって止められた。
老人はこれら一連の不可思議な情報の錯綜や味方の動きから、敵の離間策であることを看破し、両者のあいだを奔走して、その不仲を解消することに努めたのだった。
だがその折衝をようやくまとめようというさなか、トゴン老人は戦陣の疲労と心労がたたって、陣中にて病没した。
彼の仲介で、狼と禿鷹の両雄は誤解を解き再び手を組んだが、王国軍を支えた軍師と、そして戦況の主導権を握るための貴重な時間を失った。
オクシアナ合衆国の仕掛けた離間策が、思わぬかたちで奏功したと評してよいであろう。
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