第7章-① オーバルオフィス

 大陸西北部に位置するオクシアナ合衆国。

 市民革命によって樹立された近代民主主義を政体とする大国である。国土は約88万㎢で、バブルイスク連邦に次いで大きく、人口は約1,100万人でオユトルゴイ王国の次に多く、軍は制式陸海軍に民兵を合わせて約16万を数え、これも大陸最大のバブルイスク連邦に匹敵する規模である。

 国の指導者は各州議会の代表者によって選出される大統領で、ミネルヴァ暦1390年以降、アーサー・ブラッドリーが2期目を務めている。

 彼は就任以降、特に軍制改革や軍備拡張に力を尽くし、合衆国をあらゆる点で強化した辣腕家であり、歴代大統領のなかでも、まず第一級の政治家であると言えた。

 ただ、車椅子に乗っている。

 彼は壮年のみぎりに感染症を患い、その後遺症で重度の下半身麻痺を持っているため、歩くことができない。身体に重度の障害を持つ者が大統領を務めることは本来は困難なことだが、彼は大統領選挙の際もその不都合な事実を巧妙に隠し続け、今でも秘匿ひとくしている。政敵と呼べる者が少ないことも手伝って、国民の圧倒的多数は、この国の元首の座が車椅子であることを知らない。

 家庭人としてのブラッドリー大統領は平凡で温和な君子人で、妻と三人の子に囲まれ、波風を立てない。

 だが一方、大統領官邸では政務に忙しく、また彼の特徴は稀代の外交家であり戦略家であることだった。やむを得ず敵対する場合でも、常に味方を多数派とし、劣勢な状況のまま戦うことをしない。例えば大統領選挙を戦う際の多数派工作しかり、ブリストル公国の消滅とそれに続くスンダルバンス同盟の危機的内紛に対する措置においてもそうである。

 スンダルバンス同盟は四人の王が強固な軍事同盟のもと領土を分割統治する特殊な国だが、その最も東に位置するイシャーン王が、利己的な目的でオユトルゴイ王国軍の領内通過を認め、それがブリストル公国滅亡の直接的な原因となった。

 ほかの三人の王は、イシャーンの行いを激しく非難し、対立の末にイシャーン討伐の兵を挙げた。イシャーンはかつて王国軍の領袖りょうしゅうであるチャン・レアンに貸しがあるために、危機に瀕して救援を求め、両軍はネタニヤの会戦で交戦、イシャーンとチャン・レアンの連合軍の勝利に終わった。ただ一挙にスンダルバンス同盟の統一とはならず、特に同盟領の最も西に位置するラドワーン王が頑強に抵抗して、戦線は停滞している。

 合衆国としてラドワーン王を救わざれば、遠からずチャン・レアンとイシャーンの連合軍によって国土を蹂躙じゅうりんされる憂き目に遭うであろう。野心家の二人のことである、肥沃で広大な合衆国の地に、食指を動かさないはずがない。

 合衆国政府は、まずグラント大将の大軍を緊急出動させてラドワーン王に合流させるとともに、旧公国領へも陽動部隊を派兵し、チャン・レアン軍の後方を脅かすこととした。

 さらに一昨年の新女王即位以来、友好関係を強めてきたロンバルディア教国にも協調して出兵し、ラドワーン王に加勢することを求めた。

 ロンバルディア教国の女王は聡明で徳が高く、野心のまま他国の領土を侵すチャン・レアンやイシャーンを野放しにしておけば、大陸内の勢力均衡が崩れ、多くの民衆が塗炭とたんの苦しみを被るであろうことと、自国にとっても長期的に危険が迫るであろうことを理解し、必ずや賛同するであろうと見たのである。

 実際、ロンバルディア女王は以前に駐教国特使を務めた経験のあるマーク・ハリス国務副長官とはことのほか昵懇じっこんで、誠意をもって話を聞き、大統領の親書も熟読して、緊急の政府幹部会議ののち、即日で要請を受諾した。

 ロンバルディア教国が味方についた時点で、彼らとしては勝利を確信してよかった。仮に合衆国・ラドワーン陣営が、王国・イシャーン陣営と対立しているという構図を描き出すとすれば、その軍事力はほぼ拮抗きっこうすると考えてよい。ここにロンバルディア教国軍が加勢すれば、バランスは確実に当方に傾く。

 ブラッドリー大統領、トンプソン首席補佐官、クラーク国家安全保障問題担当補佐官の三名のあいだでも、その認識は揺るぎない。

 だが、ここで彼らの脳裏によぎるのは、南の隣国レガリア帝国の存在である。万が一、レガリア帝国が敵に回ることになった場合、勢力は再び均衡、あるいは不利へと傾斜を深めることになるであろう。

 彼らは大統領執務室で、深刻でしかも容易ならぬ討議に時間を使った。トンプソン、クラークの補佐官両名は、ともに40歳前後の若さだが、大統領にとって最も信頼する部下であり、両腕であると言える。

「情報によれば、レガリア帝国の主力はスンダルバンス同盟との国境線に多く配備されています。警戒態勢は厳ですが、今のところ積極的に他国領へ進軍する気配は見られません」

「奴らは詐欺師だ。侵攻するときは必ず奇襲で来る。我々の目にどのように見えるか、それは問題ではない」

 車椅子の上でブラッドリー大統領はさかんにレガリア帝国とその指導者であるヘルムス総統を罵っている。彼は大のヘルムス嫌いとして有名であった。白く短い髪の下の広々とした額に、深い横皺が三本、くっきりと寄っている。

 トンプソン補佐官が、ただの一度ではあるが、ロンバルディア女王と直接の面識がある者として、自信ありげに請け負った。

「ロンバルディア教国のエスメラルダ女王は、信用できます。一度約束すれば、それを反故ほごにすることはありません。同盟のラドワーン王も、高潔な人物です。彼らとの紐帯ちゅうたいを強め、盟約を結べば、長きにわたり友でいられるでしょう。一方、チャン・レアンもイシャーンも、ましてやヘルムス総統などは、いずれも二枚舌の奸雄です。離間策を図れば、その結束には容易にほころびが生じ、連盟は瓦解するでしょう。信用できる者を味方につけ、敵に不和を生じさせて、各個に撃破すればよいのです」

 彼らが談合している大統領執務室は、オーバルオフィスとも呼ばれ、大統領官邸の西棟ウエストウイング内に位置する楕円形の部屋である。合衆国の独立以来、大統領のメインオフィスとして使われてきた部屋で、南側に張り出しているために採光の具合が良い。トンプソン補佐官は、東側の窓際に好んで立ち、執務デスクに車椅子のまま収まった大統領と会話をするのが常であった。

「離間策か。例えば王国のスミン皇妃に耳打ちして、チャン・レアンの野心を疑わせる。本国を遠く離れて大きな軍事力を動かすチャン・レアンに対して、疑念は容易に大きくなる。本国から帰還命令が出れば、チャン・レアンは嫌でも帰らざるを得ない。帰ったあとで、さらにイシャーンの領内に流言を流す。チャン・レアンに帰還命令などは出ていない、彼の真の狙いは合衆国軍と組んで同盟領全域の支配権を手にすること。イシャーンを見殺しにし、あとから自らが漁夫の利を得る気なのだと。さらにチャン・レアンに対してもさりげなく密告する。イシャーンは密かに皇妃のスミンと気脈を通じ、機を見てチャン・レアンを暗殺し、その軍を吸収して、自らの糧とするつもりである」

「妙案です。内部に亀裂を生じさせれば、戦力を大きく削いで、我々が優位に立てる」

「ではさっそく始めよう。CIA(中央情報局)のキャラガン長官にこの件をゆだねて、情報操作にあたらせよう」

「手配します」

 歴史あるオーバルオフィスでは、伝統と権謀の香りが混ざり合い、それが曲がりなりにも未来へ進む原動力となっている。

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