第3章-⑤ 老兵は去るのみ

 軍の人事は大きく動いたが、大臣らは目立った顔ぶれの変化はない。

 軍組織に関しては、第二師団長ガブリエーリ将軍が失脚したり、有力貴族が没落してその私兵集団を取り込んだり、あるいは各地で爆発的に志願兵や義勇兵が増えているなどといった状況があり、組織の抜本的な改変を要求されたからでもあるが、文官はそのほとんどすべてがプリンセスに従ったため、変化させる必要性と外的要因が乏しかったからである。

 文官で大きな変更があったのは、先述したように神官長と神殿騎士団長を兼任するジルベルタ女史が退任するくらいのものだった。

 プリンセスが新体制の骨格を固め、翌日にはカルディナーレ神殿へ出立しようという前日、ラマルク将軍が麾下きかの第一師団とともに帰還した。第一師団は国都アルジャントゥイユの外れにある屯営で戦時の疲れを癒し、ラマルク将軍自身はわずかな将校らとレユニオンパレスに参上した。手土産を持っている。

 カロリーナ王女を殺した山賊フランキーニと、その一党八人の身柄である。

 山賊の手下どもは第一師団の総力を挙げた迅速な掃討戦のなかで次々と死んでいったが、教国の東海岸にあるエーデ湾近くの断崖へと追い詰められて、フランキーニはわずかな徒党とともに降伏し、命乞いをした。

 ラマルク将軍はカロリーナ軍の貴族らがそうされたように、彼ら全員の両足首を切断し、傷口を焼いて死ぬことも逃げることもできぬようにし、縛り上げた上、まとめて馬車に積載して、まるで家畜でも運ぶように王宮へと引き立ててきた。

 その時分、プリンセスは財務関係の大臣らと税務に関する打ち合わせをしていたが、ラマルク将軍が手土産を持って帰着したむね報告を受けると、直ちに王宮の談話室のひとつへと向かった。

 第一師団長のラマルク将軍、同副師団長のカッサーノ将軍、そしてきつく縛られた革袋から顔だけを出し、目隠しをされた賊どもがいる。首から下をくるんであるのは、衣服を奪ったため全裸であることと、切断した足や戦いの過程で負傷した部位から流れ出る血で宮殿を汚さないためで、目隠しをしているのは、第一級の罪人である彼らに貴人たるプリンセスの姿を見せないためである。

 プリンセスは義妹を凌辱の上に殺した卑劣極まる山賊の頭領とその一味に、静かな怒気と憎悪のこもった視線を送っていたが、やがて両将軍に向き直り、確認した。

「彼らが義妹いもうとを殺した、そうですね」

「左様です。カロリーナ王女に加担した貴族は、彼らに足首を切断され、衣服を剥ぎ取られました。この者どもも同様の姿にしてあります」

「彼らは命乞いをしましたか」

「捕らえてから護送の道中、そればかりです。殺しますか」

「いいえ」

 おや、とラマルク将軍は意外な顔をした。殺すためでないなら、何故捕らえたのであろう。

「このような者たち、殺す価値もありません」

「それはそうですが、しかし無罪放免というわけにはいきますまい」

「構いません、もはや歩くこともできなくなった者たちです。これ以上、剣を汚す必要もないでしょう。カッサーノ将軍」

「はい、プリンセス」

「誰かに命じて、彼らを解放してきてくださいますか。ただし、人のいるところではまた民衆に害が及ぶかもしれません。ルヴィエール砂漠に捨ててきてください」

 感情を殺しきったプリンセスの表情には、普段は見せない、一種の凄味がある。

 その場にいた将軍や近衛兵らはみな一様にたじろいだ。

 ルヴィエール砂漠は教国南部に位置するれき砂漠で、辺境かつ荒涼の地であることから、人の姿はない。動物さえも見当たらない。この地に両足を失った人間を廃棄してゆけば、確実に死ぬであろう。

「御意のままにいたします」

 カッサーノ将軍は室外に控えていた兵を呼び寄せ、罪人どもを担ぎ上げて出ていった。

 ラマルク将軍がひっそりとのぞき見ると、プリンセスは表情を押し殺しているが、肩の呼吸が速くなっているように見受けられる。義妹の貞操と命と名誉の全てを奪った仇敵に対しても、感情のままに報復することなく、冷静に対処したのは立派と言えた。

 (やはり、本物か)

 先の先まで見据えての判断なのであろう。沸騰する怒りに任せて残酷に殺し、その処置が噂となって広がった場合、聡明で寛容と見られているプリンセスの印象と評判に傷をつけることになる。奴らの命にその価値はない、ということだ。

 やはり真の名君か、とラマルク将軍は仰ぎ見るように思った。

 そして彼は、本題を持ち出した。この件は、彼女が正式に女王になる前に伝えておきたい。

「実はプリンセス。本日参ったのは復命のためだけではありません。ご心労のなか恐縮ですが、お人払いを願えますか」

「もちろんです。エミリアも外した方がよいでしょうか」

「いえ、彼女は結構です。彼女はあなた自身も同然だ」

 この前近衛兵団長は、歴戦の名将をして一目置かしめている。そして彼の用いた表現は、エミリア自身にとって最高の名誉でもあった。

 プリンセスと向かい合って座った彼は、淡々として辞意を表明した。衝撃を受けた様子のプリンセスに構わず、彼は先の戦役で犯した独断専行、すなわちコクトー千人長に兵を預けてドン・ジョヴァンニの監視と加勢に派遣した件を告白した。さらにプリンセスは古今に類の無い名君であり、名将でもあり、そのような方がつくろうとする新しい国、新しい軍に、自分のような老骨が居座るとかえって組織の害になる、と述べた。

「老臣は去るべきです。この際、一挙に弊風を吹き払い、プリンセスのつくりたい国をつくられませ」

「ラマルク将軍、翻意いただけませんか。あなたは国家の柱石です。老練の宿将たるあなたがいればこそ、軍も安定すると考えているのですが」

 ラマルク将軍は頑固で、プリンセスも誠意を尽くして慰留したが、梃子てこでも動きそうにない。最終的には受け入れた。勇退というかたちで、軍務から完全にしりぞくこととなったのである。

 その軍歴は40年以上にもなる。プリンセスが養女として宮廷に入った頃から、彼は実戦指揮官として名をせており、その名声たるや他の将帥とは比較にならない。皮肉屋で他者に合わせるところがなかったので、同僚や上官、主君からは扱いやすい部類ではなかったが、経験と実績は群を抜いており、彼の手腕を疑う者はいない。

 プリンセスも若い世代が多い新体制における軍の重鎮として考えていただけに、彼が引退するとなると痛手だった。

「しかし、新しい軍組織は六人の将軍をもって実戦部隊の中核となす構想でした。ラマルク将軍を欠いては均衡が崩れてしまいますが、誰かひとり将軍を推薦くださいませんか」

「去る者が人事に口を差し挟むのははばかられます。ただあえて申し上げるなら、副師団長であるカッサーノ将軍がよろしいでしょう。少々風采の冴えない変わり者ですが、大局観があり、特に優勢な状況からの攻撃に定評があります。充分に、軍の一翼を担えるでしょう」

 それに、とラマルク将軍は続けた。

「軍の中核はほかの誰でもない、あなたです。組織を動かすには確かに核が必要で、様々な指揮官の個性を有機的に連動させる必要がありますが、その力量に関しては、私よりもあなたの方がはるかに優れています。私が去っても、ご心配はいりません」

「分かりました。将軍のお志には感服するばかりです」

 プリンセスはラマルク将軍の長年の功労を称え、充分な栄誉と多額の褒賞金でむくいることを約束した。

 新体制の骨格が整い、明日はいよいよプリンセスの戴冠式のため、カルディナーレ神殿へと向かうことになる。

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