第3章-④ 傭兵を招く

 明くる朝、乗馬で軽く運動したあとも、プリンセスはひたすらに多忙だった。分単位で報告を受けたり会議に出るなどして、都度何かしらの判断を下している。

 この予定を計画しているのは目下、エミリアであった。彼女には未だ正式な地位や役職が与えられているわけではないが、いわば秘書のような役割を担っている。秘書であれば、プリンセスとともに行動し、その意思決定のすべてに目を通すことができる。公の場では自重して助言などしないようにしているが、内々に相談を受けることはできる。そのあたりが、プリンセスやエミリア自身として現在望みうる最高の立場であった。

 さて、この日の朝は、教国各地で爆発的に増加している志願兵や義勇兵、傭兵の売り込みなどにどう対応するかが議せられた。内乱平定の正式な布告はまだ全土に届いてはいないが、その前から軍への入隊を志願する動きが活発化している。それは国民士気の上昇やプリンセスに忠誠や期待が集まっていることの象徴としてはまことに好ましいが、一方で軍事力を抱えすぎれば財政が逼迫ひっぱくする。無制限に受け入れるべきか、なにか条件を設けるべきかが争点である。

 結論としては、新たに布告を発して、9月いっぱいまでは志願兵や義勇兵を積極的に受け入れることとなった。ただし老人など明らかに戦闘に耐えられないと思われる者は除く。また傭兵については契約条件によるし、志願兵や義勇兵の集まり具合を見て、改めて布告することとなった。いずれ使える見込みがあるなら、ドン・ジョヴァンニに預けて遊撃部隊に組み込むのもよいだろう。

 こうした動きにより、教国の軍事力は飛躍的に増大することとなった。師団の数も増え、師団あたりの規模も倍にまで膨らんだ。

 軍備を強化する背景としては、先の内乱に加担した貴族が没落したことで、その所領も没収され、私兵も解散したために、教国の直轄軍を拡大する必要があったからである。またプリンセスの構想としては、ゆくゆく貴族制度を廃して、国家機構を中央集権化し、封建体制を脱却する考えもあった。貴族が完全には影響力を失ってはいないために、急進的な改革は避けたが、軍事力を不必要に各地に分散させれば、内乱や割拠の原因になるとの危惧は、政府高官が等しく再認識したところであった。

 午後も大臣や軍の関係者らと面談を重ねるなど怒涛のような予定をこなして、最後にドン・ジョヴァンニとの面会が行われた。

 談話室に招じ入れられた彼は、紺色の落ち着いたエンパイアドレスに身を包んだプリンセスに見惚れる自分を隠そうともせず、無遠慮に眺めている。彼は何よりも、金と酒と美人が大好きであった。

「プリンセスの御前だ。敬礼を」

 氷のような冷ややかさと威厳でもって、部屋の隅に控えていたエミリアが促した。

 彼は慌てて脱帽し、礼をしたが、やはりプリンセスの立ち姿に見入っている。

 プリンセスは目を丸くして、何度かまばたきをした。

「どうかされましたか、何か変でしょうか」

「ああいやいや、相変わらずお美しいと思いましてね。特にドレスからのぞく鎖骨のあたりなどは、まるで石膏せっこうで造作したヴィーナスのようで」

「あなたは本当に変わった方ですね」

 妙な褒め言葉だ、と思ったのであろう、唇に指を当て愉快げに笑った。その所作にいささかの嫌味も下品さもない。

 (この人が、万を超える将兵を率いて戦いを指揮したとは思えんな)

 宮殿に住まう限りは、深窓の住人としか思えない、高貴で典雅な姿である。

 ドン・ジョヴァンニは、雑談が好きな男だ。向かい合って座ると、もう口を動かしている。

「今日の護衛隊長さんは、この前の方よりお手柔らかのようですな。あまりうるさく言ってこない。先日は殺されかけた」

「エミリアとは初めてですか?」

「おとつい、たまたま無駄話をちょっとね」

「エミリアは、私と同じで、あなたのことが好きなのです」

「それはそれは。ぜひ墓碑に刻んでもらいたいお言葉ですな」

 この男も、態度こそ不遜で非礼だが、プリンセスを大変気に入っていた。

 そのため、プリンセスから師団長に次ぐ正規軍の将として迎えたい、と正式に打診されたときの意外さと、それを名誉に思う気持ちは小さくなかった。これまでもいくつもの国や王侯から招聘しょうへいされたことのある彼だが、その度ににべもなく拒絶してきた。

 ひとつには、彼自身に対する評価であった。将として招かれる、といってもその提示する待遇はどこも下級将校どまりである。所詮しょせん、傭兵はどこへ招かれても、どこまでも傭兵上がりとしての評価しか受けられない。自分の腕を安売りするくらいなら、傭兵隊長でもやっている方が気楽だし、実入りもいい。

 いまひとつは、宮仕えの窮屈さに代えられるだけの忠誠の対象を得られなかったからである。またそれだけ彼の興味を引く人物も現れなかった。その点、この王女様はどうであろう。

 彼はプリンセスの誘いを、腕を組み目を閉じて神妙に聞いていたが、いくつか疑問を投げかけ、それによって自らの回答を得ようと思った。

「いくつか聞きたい。まず、俺を将軍の末座に迎えたい動機は?優秀な軍人はほかにもいて、あなたのことだからそうした者を見抜く目がおありでしよう。何故、わざわざ部外者のこの俺を?」

「あなたがいれば、我が軍の戦略の幅が広がるからです」

「ほう、詳しく伺いたいですな」

「作戦を立てるとき、重要なのはそれを実施する指揮官に人材を得ることです。例えば今回の第二師団との戦いでも、あなた以上にあの方面の作戦を指揮できた者はいないでしょう」

「光栄なことで」

「作戦を立てるだけでは、それはただ机上の観測に過ぎません。老練の宿将であるラマルク将軍、攻守の均衡がとれたデュラン将軍、急襲や強行突破が得意なコクトー将軍。これに、どんな局面でも対応できる遊撃戦の名人ドン・ジョヴァンニさんが加われば、あらゆる作戦をその実施面で支えることができるでしょう」

「なるほど卓見だ。しかしその作戦というやつです。あなたは恐らく流血を好まない。平和な国を築くことでしょう。そうなれば退屈この上ないが、しかしそうなると私なんぞは無用の長物だ。違いますか?」

「確かに目下は大きな叛乱も起こらないでしょう。それだけの固有の武力や勢力を持った貴族はもうおりませんから。しかし外国の脅威は潜在的にあります。特にレガリア帝国の動きからは目が離せません。備えを怠ることはできないのです」

 レガリア帝国は、皇帝の支配する国ではない。だがヘルムス総統という独裁者が君臨していて、しきりと隣国の領土を切り取り、威圧的な外交を進めている。ロンバルディア教国は国境にカスティーリャ要塞という要塞線を張っているために直接の侵略を受けていないが、状況次第で、新たな戦雲の元凶となりうる隣人である。

「もうひとつ。俺はこれまで、国の兵士や傭兵、山賊や海賊なんぞをやってきた。誰かを殺し、奪うことで生きてきた。要は血塗られた道ですよ。平和な世界には不向きな男だ。あなたがつくる世界に飽きて、血のにおいがする戦場に戻りたくなったときは、気ままにさせてもらう。それを認めてくれるなら、あとは条件の話をさせてもらいましょう。いかがです?」

 いかにも傲岸不敵な態度と言うべきであろう。これから自分の主君になろうとする者に、抜けたくなったら勝手に抜ける、と宣言しているのである。

 ひとり近侍していたエミリアも、これにはわずかに顔をしかめた。彼女の忠誠の対象に対して非礼たること甚だしいし、主従の契約をまるで傭兵の感覚そのままに取引しようとしているのが気に入らない。それにこの人を食ったような態度では、仮に将軍の称号を授かっても、周囲との協調を欠いて失敗するのではないかとも思った。

 プリンセスはしかし、彼の条件を躊躇なく呑み込んだ。たやすいことです、とその微笑みは語っている。目が、つるを張った弓のように細くなっている。プリンセスが笑うとき、よくこのような無邪気な表情になる。その意味では、どこにでもいる明るく朗らかな娘でしかない。

 (表情の豊かな人だ。この人のためなら命も平気で捨てられるという者は多いだろう)

 仕えるに値する人か、ひとつ腰を落ち着けて確かめてみるとしよう。

 ドン・ジョヴァンニは決めた。

 これで、新体制において教国の正規軍を率いる実戦指揮官全員が内定したことになる。

 プリンセスによる異例の抜擢が色濃く反映された、強烈な個性を持った軍団が組織されることとなりそうであった。

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