第1章-④ 駆け込み訴え

 彼女がわずかな護衛隊とともに、傷だらけでアルジャントゥイユの大通りを騎走したその姿は、多くの市民に目撃され、先代女王の薨去こうきょ以来続く一連の混乱を、一層世間に対して印象づけることとなった。

 王宮に達し、直ちにメインパレスへと迎え入れられ、プリンセスと再会した。

「姉上!」

 プリンセスをそう呼ぶのは、世界に二人しかいない。このコンスタンサ王女と、第二王女のカロリーナである。

 もっとも、彼女らは別に血のつながりがあるわけではない。教国の女王及び王位継承権を持つ王女は処女でなければならず、よって実子をもうけることができない。そのため、代々養子によって相続している。コンスタンサ王女も伯爵家の一門で、幼少の頃は目から鼻へ抜けるような聡明で利発な少女であり、それゆえ王女として縁組みされたのだが、宮殿の水が合わなかったのか、長じて凡庸になった。ことさら愚鈍ではないが、主体的に物事を洞察したり評価したり、あるいは判断を下すということができないのである。

 容姿も、プリンセスとは似ていない。

 金髪翠眼すいがんの美人ではあるが、口元が常に鬱々としており、目にも生気がない。落ち着いた栗色の髪に同色の瞳を持つプリンセスの方が、表情が明るくくるくると変わるためによほど華やかさと活力に富んでいる。

 ただ、資質はどうあれ、教国においてはこの上なく高貴な身分の人である。

 その貴人が、血まみれで逃げ込んできたので、王宮は一時、騒然となった。

 プリンセスもその凄惨な姿に思わず息を呑んだ。

「姉上!」

「コンスタンサ、どうしたのです、そのような姿で」

「これは護衛の者が斬った刺客の血です。私はかすり傷を。何時間も駆け通しで参りました」

「刺客?まさかあなたも襲われたのですか?」

 コンスタンサは即答できずにいた。もはや尾羽おは打ち枯らし、疲労と恐怖のためにへたへたと座り込んでしまい、喉も渇ききっていたために声を出すこともままならなかったのである。

 その様子を察したプリンセスは、彼女を医務室に運び込んで横たわらせ、典医に擦過傷さっかしょうの治療などさせつつ、それでも前後の事情の説明を欲した。情報は鮮度が肝心である。

 そして得られた情報は、政府の幹部一同を驚愕させるに充分であった。

 まず、自分はプリンセス襲撃や自分の暗殺を命じた者の名を知っている、という。

「黒幕はトルドー侯爵夫人」

 プリンセスはその事実を信頼する幹部らに打ち明けた。

「やはりあのお方でしたか」

「乱を起こすとすれば、かの夫人であろうと思っていた」

 その点については誰しも同じ感想を抱いたが、しかし彼らの想像した以上に狡猾こうかつな陰謀が背景にあることが分かった。

 トルドー侯爵夫人マルチーヌは先代女王とはいわば現在のプリンセスとコンスタンサのような関係で、第一王女と第二王女の関係にあった。それが順当に義姉が女王位を継いだので、王位継承権を失い、大貴族であるトルドー侯爵と縁を結んで王族からは除籍となった。

 とは言え、王族の地位を追われたのではなく、先代女王の好意による婚姻であった。だが当事者であるマルチーヌはそれを恨み、以来、復権を狙っていたらしい。女王の逝去が近いことを鋭敏に感じ取った彼女は、プリンセスに次ぐ王位継承権を持つ第二王女のカロリーナを抱き込み、王位に就けるよう協力する代わりに摂政としての地位を約束させたという。

 カロリーナは矯激な性格で、プリンセスを激しく嫌っており、かつ野心も人並み以上にあり、一方で知恵はあまり回らない方だったから、トルドー侯爵夫人もけしかけるのは造作もなかったことであろう。

 この二人が水面下で密かに手を結び、さらに第三王女のコンスタンサの勧誘のためトルドー侯爵夫人自身が微行してアルハンブラ城を訪ねてきたのは、5月8日のことであった。つまりプリンセス襲撃事件の1ヶ月以上前ということになる。

 義理の叔母にあたる侯爵夫人の提案は、小心のコンスタンサを震え上がらせるに足る内容で、プリンセスを排斥したのちは、第二王女であるカロリーナを女王に、自分は摂政として、そしてコンスタンサはカロリーナと養女の縁組を交わして第一王女となる、三頭政治を敷くという構想であった。ただプリンセスに特に失態や醜聞がないために、暗殺に前後して彼女に関する風説を流し、さらに隣国であるレガリア帝国の支援を引き込む計画であるともいう。暗殺には既に第二師団のガブリエーリ将軍と密約を交わして、手練てだれの襲撃隊を組んでプリンセスが最も無防備になる時、すなわち自らの女王即位のためカルディナーレ神殿に向かう途上で決行するという策である。

 コンスタンサはこの信じがたいほどに悪辣な叛乱計画を聞き半ば発狂して、協力を断った。侯爵夫人は散々になだめすかして利に訴えたが、情と理の点で正当性を欠いていることもあり、交渉は不調に終わった。侯爵夫人は、まずい相手に秘密を漏らしてしまったと後悔したであろう。

 コンスタンサはプリンセスの身に災禍が降りかかることを想像し、日々憂悶した。だがその計画を通報もせぬまま虚しく日を送り、そして暗殺は実行に移された。計画は計画のまま、義姉や義叔母も最終的には思いとどまるか、あきらめるのではないかと淡い期待を持っていたのである。

 しかし、実施された。

 秘密というものは、特にその重さによっては、一人では抱えきれなくなることがある。

 プリンセスの暗殺未遂という、この国の創業以来なかった醜悪な事件の真相を、彼女は内心に留めておくことができなくなった。

「プリンセスに報告しよう」

 計画を知りながら通報しなかったとがを、責められるかもしれない。あるいは沈黙によって、間接的に叛乱を助けたとみなされることもありえる。それでも、自らの罪も含めて真実を洗いざらいぶちまけて、楽になりたかった。一面、あの寛容で慈愛にあふれるプリンセスが、彼女に厳しい罰を与えるとも思われなかったという見込みもある。

 こうして護衛小隊とともに居城のアルハンブラ城を出たコンスタンサであったが、その姿は侯爵夫人の放った密偵によって監視されており、国都アルジャントゥイユ近くに潜む隠密工作部隊へと先回りして急報されていた。

 その工作部隊に、アルジャントゥイユ近郊の街道で待ち伏せを受けたのである。彼女は咄嗟とっさに馬車から抜け出て、側近の馬を借り、一目散に王宮を目指して逃走した。乗馬を趣味としていなかったなら、彼女の命はなかったであろう。

 ここまでの経緯が明らかとなって、プリンセスは決然と方針を示した。

 叛逆の罪状は明らかであり、叛乱軍に対しては断固たる姿勢で対処する。

 被告人は、以下の三名である。


 第二王女で、バルレッタ地方を領有するカロリーナ王女

 先の女王の義妹で、ドランシー地方を領有するトルドー侯爵夫人

 第二師団長で、カスティーリャ要塞に駐屯するガブリエーリ将軍


 これらに対し、ロンバルディア教国政府の名で、正式な喚問状を送った。いわば最後通牒つうちょうである。

 と同時に、プリンセスは十中八九、武力によって黒白こくびゃくを決しなければならないことを覚悟し、引続きその軍備を進めるべきことを軍の幹部らに伝達した。

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