第1章-⑤ ドン・ジョヴァンニという男

 コンスタンサによる駆け込み訴えがあった翌日、プリンセスは自ら計画した作戦案を実行するために必要な人材として、ある男と面接の場を持った。

 名前はドン・ジョヴァンニ。

 ロンバルディア教国キエーザの生まれ、オクシアナ合衆国スプリングフィールドの育ちで、年齢は46、職業は傭兵である。もともとは合衆国の特殊部隊に所属していた正規兵だったが、軍務に飽き、国を出た。諸国を放浪するなかで、ある時期は賞金稼ぎをやり、ある時期は山賊や海賊になり、やがて自前で傭兵団を創設し、大陸中を転々とした。傭兵は、多くの国では正規軍の補助的位置づけで、治安維持や警備任務といった役割しか回ってこないが、オクシアナ合衆国ではそれが正規軍とほとんど同等の重要な扱いを受けている。彼もその影響を受けて、傭兵の道を選んだのであろう。

 大規模な傭兵団は大陸中に存在するが、彼の傭兵団は特に勇名が高く、4年前はスンダルバンス同盟の内紛に手を出し、彼らを味方につければ勝てるというので、両勢力が報酬を青天井に釣り上げていって、ついに巨万の財を手に入れたという逸話があるほどである。

 古今東西の戦術に精通し、特に伏兵、陽動、戦力分断、後方攪乱、補給線の襲撃といったゲリラ戦にかけては名人と呼ばれる男である。

 年はもはや老境に近いが、渋みのある中背の伊達男で、プリンセスとの謁見にも麻のシャツに茶色のジレを羽織り、黒のフェルトハットを着用して現れた。名うての漁色家で、大陸をめぐって抱いた女は星の数ほどと豪語している。

 あながち、法螺ではないかもしれない。

 芝居がかった気障きざな言動をするので、政府高官などの堅苦しい連中には評判がよくないが、妙に男性的な魅力があり、若い女がときめく色気を持っているようだ。

 また、彼の指揮を仰ぐ兵も彼を信頼しており、軽いように見えて兵の痛みが分かる男で、しかも戦上手だったから、彼の部隊は常に士気が高かった。

「仕事の話がある」

 というので、プリンセスから突然の招きを受けた彼は、卑屈になるでもなく、むしろ案内の女官のあとを、悠々と歩いて彼女を訪ねた。不敵なことに、用意されたその一室に着いた頃には、この女官と夜の約束まで取りつけている。

 部屋に入ると、うら若い女性が直立不動で彼を出迎えた。全身が黒い装いで、ずいぶんと運動に適した服である。その特徴的な制服に白い腕章を着けていることから、近衛兵団の高級将校であることは、事情通の彼には一目瞭然であった。その近衛兵が、背はやや低いが、ひどく気の強そうな目をしている。

 (生意気盛りで、まだ乳臭ぇな)

 軽く挑発するような調子で微笑みかけると、近衛兵は彼のことが気に入らない様子らしく、一瞬、鋭くにらみつけて、すぐに部屋の奥の窓の方へと体を向けた。

「プリンセス。お呼びの者が参上しました」

「ありがとう、ヴァネッサ」

 部屋を奥へ進み、窓際の光のなかでたたずむプリンセスの姿を見出し、その鮮やかな印象に彼ほどの男が思わず呼吸さえも失念した。

 これほど美しい女性が存在するのか、と大陸七ヶ国のうち六ヶ国を渡り歩いて女という女を見尽くしてきた彼が思ったのである。

 栗色の短めの髪に、栗色の瞳、背はこの国の成人女性のなかでは高い方であろう。姿勢が良く、細身で華奢きゃしゃな体の線にオリエンタルブルーのドレスが見事に合っている。その肌は最高級の白色大理石を掘り当てたように肌理きめが美しい。容貌は微笑の浮かぶ頬や口元が甘く柔和だが、何より印象的なのが目で、凛々しさ、知性、活発、素直といった気質を感じる。

 プリンセスの容姿については国外にまで鳴り響くほどで、その点でも彼の興味を惹いていたのだが、まさかこれほどとは想像を超えていた。

 (俺としたことが、どうも迂闊だったらしい)

 実のところ、彼はプリンセスの器量を値踏みした上で、その提示する条件が甘ければ、即座に席を立ってやろうという気構えでいた。次に叛乱勢力側と交渉し、法外な報酬をせしめてやろうという考えであったのだ。

 傭兵とは要するに商品なのである。より高く買ってくれる方につく。だから、彼はその傭兵団の代表として、買い主に安く見られてはならない。

 しかしそれほどの海千山千のこの男をして、プリンセスの魅力に心を奪われてしまっている。単に容姿が飛び抜けて美しいというだけではない。その人柄、人と相対する姿勢が、彼女の最高の徳であると言えるのである。

「こんにちは、エスメラルダといいます」

 会えるのを心から楽しみにしていました、という言葉も意外であった。いくら力を持っていたところで、傭兵などいわば雑役夫のような扱いで、露骨に見下す者が多い。ロンバルディア教国は決して小国ではなく、しかもその次代の王を争う者が、まるで対等の友人を迎えるように応接している。

 奇異、とすら言える状況である。

「お会いできて光栄です。ドン・ジョヴァンニです。といってもまぁ、酔狂で名乗ってる通り名ですが。お見知りおきを、プリンセス」

 彼は帽子を脱いで胸に当て、プリンセスの手をとり、その甲にキスをした。絹のような質感と、バラのような高貴な香りがしたが、その余韻を感じる時間もなく、すぐに鋼の冷たい感触を首筋に感じることとなった。

「無礼者ッ!今すぐ離れろッ!」

 傍らに控えていたヴァネッサ近衛兵団副団長代理が、剣を抜いたのである。その剣の感触に、脅しではない、明白な殺気が含まれていたので、彼は寸分も身動きできず舌だけを動かした。

「おいおい、物騒なお嬢さんだな。この国の貴族さんは、こういうご挨拶はしないのかい」

「ヴァネッサ、いいのです。私がお客様としてお呼びしたのだから。剣をしまってください」

「しかし、プリンセスに対する非礼や侮辱の数々、私は許せません」

「ヴァネッサ、次室で待機していてください。何かあったらすぐに呼びます」

 ヴァネッサは不承不承ふしょうぶしょうの表情で、剣をおさめ、部屋を辞した。首に手を当ててみると、かすかに血がにじんでいる。

「いやはや、見上げた忠誠心ですな。ただ忠誠心が強すぎるようだが」

「せっかくお呼びしたのに、かえって失礼をしました。許してくださいね」

 プリンセスは彼に席を勧め、自らも腰を下ろして、あらかじめ用意された紅茶に口をつけた。

 (こっちは殺されかけたってのに、落ち着いたもんだぜ)

 見かけによらず動じない性格だ、宮殿育ちらしい鈍感さのせいか、と思ったが、そうでもないらしい。

「ヴァネッサは、私の幼馴染なのです。私たちは孤児院の出身で、彼女とはとても仲が良くて。私が亡き母王の養女となってからは、近衛兵に志願して、ずっと忠実に尽くしてくれています。年は同じですが、私にとっては妹のような存在です」

「孤児院の出身。すると拾われた王女様と?」

「えぇ、私の生みの両親は天然痘で亡くなって、その当時は私のような孤児が増えたので、母上が国費で孤児院を多く建てたのです。私はその視察の際、母上の目にとまって養女となりました」

「この国の王女は、貴族の優秀な子女を養女としていると聞きましたが」

「確かに二人の義妹はれっきとした貴族の出です。しかし私の生みの両親は平民で、後ろ盾となるような門地はありません。私が貴族の出身であるというのは、母上が世評と私の立場をおもんぱかってそのように公表していたからです」

「それはまた大変な話ですな。しかしそのような秘密を、何故私のような部外者に?」

「あなたにこの国の命運を預けようと思うからです。もちろん私の命も」

「何ですと?」

 彼は耳を疑った。国の命運と自分の命を預けるとは、あまりにも突飛な話ではないか。一国の君主となるべき者が、傭兵づれにそこまで重要な役目を与えようとは。例え口先だけだとしても。

 プリンセスの心底を探っていると、彼女は表情をややくもらせ、伏し目がちに続けた。ドレスからわずかにのぞく鎖骨から首筋にかけて、白磁のように白く、芸術的なほどの造形である。

「私が負ければ、カロリーナは私を殺すでしょう。彼女は私とほぼ同時期に養女となったのですが、私が孤児だったことを知っていて、ずっと私を憎んでいます。名門閥族の出身である自分ではなく、私が第一王女として立てられていたので、何かと邪魔に思っていたのでしょう。それに彼女は強い階級意識の持ち主で、平民を虫けらのように扱っています。私を捕えたら、その素性を明かし、躊躇なく殺すはずです。私は女王の地位に執着はないつもりですが、彼女のような選民思想を持った者にこの国を預けることはできないと思うのです。だから、私は気が進まないながらも、戦おうと決意したのです」

「その戦いで、私に格別の任務を与えようと?」

「そうです、この作戦は、あなたの経験と才幹があって、初めて成功を確信できるのです」

 (本気、らしいな)

 彼を見つめるプリンセスの視線は、痛いほどに真っ直ぐで、うわべだけの言葉で彼をおだてているそぶりはかけらもない。

 よし、と彼は上機嫌で応じた。

 恐らくこの人は勝つだろう。そして傭兵の心得の最も肝要であるのは、勝つ方に味方することだ。約束された報酬がいくら魅力的でも、負けたら絵に描いた餅になる。それに傭兵仲間も失ってしまう。なるべく金額を上げ、最後は勝つと思われる方につく。

 その意味では、この戦いは十中八九、この人が勝つであろう。

「お味方してくださいますか」

「まずはあなたの作戦とやらを拝聴しましょう。それから報酬の話もお忘れなく、だ」

「分かりました。しかしその前に、一つ気になっていることがあります」

「うかがいましょう」

「そのお帽子、とても素敵ですね。どちらの国で使われているのでしょうか」

 ドン・ジョヴァンニは愉快げに高笑いした。彼はただ一度の対面で、プリンセスを大いに気に入ったようであった。

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