第30話 あの日の続き

 牧田が泣き止むまで、俺たちは彼女を見守った。


 それで全てのことが解決するはずだったのだが……


「うわあああん、感動したわああああ」

「な、なんスかいきなり!」「山下先生?」


 部屋の前でずっと聞き耳を立てていたのか、山下が突然泣きながら生徒会室に乱入してきた。


 彼女はハンカチで顔を押さえながら、阿久津の方を向く。


「ごめんね、盗み聞きなんかしちゃって。でも、我慢できなくて。これぞ青春よね」

「何空気ぶち壊してんスか。せっかくいい感じに終わりそうだったのに。大体何しに来たんすか? 部外者は入ってこないで欲しいっス」


「山下先生は俺が呼んだんだ。先生、お話大丈夫ですか?」

「ぐすん……ごめんね、ちょっと待って。フーン! フーン! フスッ」


 彼女はハンカチで鼻をかみ、溜まっていた感情を吐き出した。


 牧田は枯れた目をこすりながら顔を上げる。生徒会長と一緒に山下の方に目線を向けた。


「あ、ごめんごめん。アラサーになると涙腺がガバガバになるのよ。でも、もう大丈夫だから。えーっと、牧田さん……だっけ? あなたも大丈夫?」


 牧田はゆっくりうなずき、鼻をすする。


「よし、そっちの問題は片付いたようね。じゃあみんな、次のステップに進みましょうか。私『山下遥はるか』は、阿久津ちゃんの部活の顧問に立候補します」


「えっ、マジっスか?」

 阿久津が素で驚いた声を上げる。


 彼女が驚くのも無理はない。

 彼女は山下から一度断る旨を伝えられたからだ。


「ただし、条件があります。条件はチャンネル登録者数一万人を達成すること。一万人を達成したら、私が正式に顧問になってあげる」


「はぁ? い、一万人ですか」

 それを聞いて瞬時に生徒会長が叫ぶ。


「山下先生、それはあまりにも厳し過ぎませんか? 五00……せめて一000人くらいの、普通の高校生がなんとか達成できるようなレベルじゃないと」

「会長、それはダメよ。だってこの高校は生徒が九00人いるでしょ? あれだけ派手な宣伝されたら、五00なんてあっという間。それじゃあ面白くないでしょ。ね、阿久津ちゃん?」


「フン、一万人っスか? 上等っスよ」


「音々ちゃん! 先生の挑発にのっちゃダメよ。一万人なんて、卒業までに達成できるかどうかも分からないのに」


 Mytube素人の俺にはよく分からないが、一万人という数字はかなり難しいらしい。その難易度は生徒会長の態度が物語っている。


「けっ、会長は小せえっスね。たかが一万人なんて、通過点にもならねぇっスよ」


 対する阿久津はいつもの自信過剰かじょうを張っている。


 いつもの俺なら、またくだらないことを言っていると蔑んでいただろう。だが今の自信に溢れた阿久津を見ると、やってくれそうな気がしてきた。


 なら彼女を信じて、次のステップに進むまでだ。


「ところで山下先生、頼んでいたものですが」

「ああ、忘れてた。廊下に置きっぱなしだわ。ちょっと待ってね」


 彼女は一度部屋を出て、ブツを取り出した。


 重い荷物を持つため大股になりながら、再び生徒会室に戻ってきた。彼女は両手に抱える巨大な球体を、テーブルの上に披露する。


「ってことで、阿久津ちゃんにプレゼント」


 それを見た生徒会長は目を丸くして驚く。

 当然だ。俺も初めて見た時、のけ反りそうなほど驚いたからな。


「どういうつもりっスか?」


 阿久津は俺と山下を交互に見る。


「私に聞かれても知らないよ。だってこれ持ってこいって言ったの、田中くんだし」


 山下はボールを転がしながらそう言うと、全員の視線が俺の方に集まった。


 俺はテーブルの上を転がるボールを上体で受け止めると、今度は阿久津の方に目を向けた。


どういうつもりなんだ、阿久津音々。お前はこれを使って、どんな動画を撮ろうとしていたんだ?」


 俺はセリフを真似しながら、彼女の方にボールを転がす。


 ――お前はあの日、ボーリング玉で何をしようとしていたんだ?


 阿久津は片手でそれを受け止めると、穴に指を入れて持ち上げた。


 ボールを胸元で抱え込むと、彼女は白い歯を見せて言った。


「やることはシンプルっス。こいつを素手でぶっ壊す! 素手で無理ならハンマーで! 音々のチャレンジ企画、本当の第一段っス!」


「全く……お前はほんと、派手な奴だな」……それのどこがシンプルなんだ。


 パワフルでめちゃくちゃな阿久津音々らしい、いいアイデアだ。


「ちょっと! それってめちゃくちゃ危険じゃない」「ふっふっふ、面白いわね。面白いけど、学校は壊さないでよね」


 と慌てる生徒会長と、それを冗談交じりに揶揄する山下。


「……さすが音々先輩です。#(ハッシュタグ)音々ちゃんしか勝たん」


 牧田が静かに、阿久津を褒めたたえる。


「お願いだから、ちゃんと安全を考慮してやってよね」


 皆のことを心配するカルロ……ん?


「カルロス、お前いたのか」

「最初からずっといたよ! 阿久津に名前は呼ばれなかったけど、一応僕も動画編集協力したんだからね! みんな僕の存在忘れてるから、結構ショックだったんだからね!」

「何言ってんスか。カルロスくんは音々の大事な家来だから、忘れるわけねいっスよ」

「阿久津ぅ……って、家来? 今家来って言った?」


 阿久津とカルロスの漫談まんだんは放っておいて、次に進めよう。


「ところで山下先生。阿久津が言ったことですが、実際に責任者の立場から、それをすることは許可できますか?」


 尋ねると、山下は両腕を組んでしばらくうなり、そしてしぶしぶ口を開いた。


「よし、分かった。私が見張るから、その範囲でやること。とりあえず安全面に考慮して防護服は欲しいな。あと、床に叩きつけるとかは絶対やめてよね。それから……」


 俺はそれを聞きながらペンを拾い、投票用紙の裏にそのことを書き留める。


 しばらくメモを取っていると、生徒会長が俺に声を掛けてきた。


「随分張り切ってるようだけど……まさか今からやるとか言わないよね?」


 言語道断げんごどうだん

 俺と阿久津は声を揃えて言った。


「「当然、今からやるに決まってる(っス)!」」


 カルロスに生徒会の仕事を押し付けると、羽化した蝶のように部屋を抜け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る