第29話 主人公

 山下との話が終わり、俺は少し遅れて生徒会室へ向かった。


 扉を開けて部屋の様子を伺うと、阿久津が生徒会長の席に座ってふんぞり返り、牧田が後ろに立っている。


 生徒会長はとカルロスは手前の長机に座り、その机の上には、各クラスから集められた投票用紙が山積みになっている。


「田中くん、遅かったわね」


 生徒会長の声に覇気がない。

 それは他のメンバーも同様で、互いに目を合わせずに暗い表情でいた。


「遅れてすいません。少し先生と話をしていました」


 そう言って空いた席の足元に自分の荷物を置くと、俺は部屋の奥に向かった。


 窓へ向かう時に阿久津とも目が合うが、彼女も少し不機嫌そうな顔をしている。


「空気が重苦しいですね。換気をしましょうか?」

 言いながら、カギを外して窓を開ける。


 俺は窓の外に顔を出して深呼吸した。

 この暗い部屋とは違い、外は明るい。いつもと変わらぬ、部活動の音――掛け声とボールの打撃音、吹奏楽部の演奏音。野次やじと笑い声。


 その音を聞きながら、俺は生徒会長に問う。


「全員信任ですか?」

「ええ、そうよ」


 机の上に置かれた紙に正の字を書いているのは見えたので、集計結果が終わっているのは察しがついた。


 その結果が出たからこそ、重い空気になっていたのだろう。


「牧田が九割、俺は七か八割。阿久津は六割ほどが賛成ですかね。阿久津は予想以上に不信任が集まったことに、不機嫌になっている……といったところでしょうか?」

「相変わらず何でもお見通しなのね。その通りよ」


 生徒会長がそう答えると、今度は阿久津が立ち上がった。


「なんで分かったんスか? 実くんが不正したんスか?」


 俺は窓の外に向けていた視線を、彼女の方に向ける。


「牧田は無難なスピーチ、俺は少し生意気なスピーチをしたから牧田よりも若干支持率が下がった。そしてお前は、それ以前の問題だ」


 詰め寄る彼女を振り切るように、俺は部屋の中央の机の方へ戻った。


 そして紙に掛かれた投票結果を確認する。


『阿久津音々、信任:五六九票、不信任:三七二票。備考、ネオ生徒会支持:九二票』補欠選挙では前代未聞の反対票数だ。


 一応当選ではあるが、阿久津は自分が思っていたよりも賛同されなかったことに苛立いらだちを覚えたのだろう。


「こんなのおかしいっスよ! やっぱり実くんが仕組んだんスね?」


 阿久津は俺のそばに近寄って言い寄る。

 彼女は何が何でも俺を悪者にしたいらしい。


 だが俺が想像するに、この投票結果に悪者は存在しない。


「小説は事実よりも奇なりと言うが、逆もしかりだ。小説の登場人物のように、都合よくことが運ばないのが現実。高校生はお前が思っているほど子供じゃない。残念ながらほとんどが現実主義者で、出る杭は打たれる」


 と断定してみたが、実際はもっと複雑なものだろう。


 阿久津をよく知る二年、よく知らない三年、中学から上がりたての一年では、彼らの精神年齢と受け取る印象に大きな差が生じる。

 案外蓋ふたを開けてみれば、一年生が興味本位で支持多数と言うこともあり得るだろう。

 実際に阿久津を六割の人間が支持しているのだから。


 しかしながらそれは、俺が伝えたかった本質とは異なる。阿久津が間違った選択をしてしまったこことを、俺は伝えたい。


「そんなはずない! 音々はタピ高の主人公なんスよ? みんな音々のことが好きで」

「残念ながらお前はヒロインではなくヒールだ。悪は必ず最後に負ける。民意は悪が勝つことを許さなかった」

「なんで実くんはそんな酷いことを――っ」


 ――パチンッ!


 阿久津のビンタを受けて、俺のメガネが宙を舞った。

 彼女の悲しみがひしひしと伝わり、頬がしびれる。


 ぼやける視界で阿久津の姿を捉えながら、俺は目を細めて彼女を睨んだ。


「一回目は見逃してやる。だが、二回目は許さない。退学になってもいいのか?」

「くっ……くそおおお!!」

「音々先輩、それもダメです」


 拳を握ってテーブルを殴ろうとしていた阿久津を、牧田が声で牽制けんせいする。


 彼女が阿久津をなだめている間に、生徒会長が俺のメガネを拾ってくれたので、俺はそれを装着して阿久津の顔を見た。


 初めて会った時に見せた、怒り心頭の顔だ。

 怒りで我を忘れて、物事の判断がつかなくなっている。


 しかし俺は知っている。阿久津は意外にもロジックでさとすことができると。


「残念ながら、お前はこの世界――生徒会では脇役だ。ヒロインにはなれないし、ヒールにしかなれない……だから違う世界でヒロインになれ。お前が掌握したいのはタピ高のようなミクロな世界か? 違うだろ。もっとマクロな世界のはずだ」

「ミクロとかマグロとかワケわかんないっス! なんで魚が関係あるんスか!」


 俺は彼女の怒りの矛先を変えるために、わざとカタカナ用語を使った。


 阿久津はそこに脳のメモリーを裂いたせいで、眉間に寄せていた皺の形がハの字に変わり、すがるような目で俺を見つめながら、彼女は鼻息を立てている。


 じゃじゃ馬阿久津音々の手綱たずなを握ることができるのは俺だけだ。


 俺と阿久津は対等な関係で、これまでずっと同じ目線の高さで会話してきた。


 あらぬ方向に脱線することが多かったが、それでもきちんと軌道修正が出来ていた。

 俺なら今回も、上手くできるはずだ。


「マクロとは広い世界のことだ。Mytubeは正にマクロな世界での戦い。お前は戦うステージを間違っている。阿久津音々が主役になるべきは、生徒会じゃなくて同好会……いや、部活動だろ」

「……そ、そんなことは最初から分かってるんスよ! でもそれが面倒だから、音々は生徒会を奪い取ろうと」


 阿久津は言いながら俺から目線を逸らした。

 彼女の持っていた怒りは薄れ、羞恥しゅうちが現れ始めたのだ。


「意味が分からないわ。なんで音々ちゃんはそんな回りくどいことを」


 傍観ぼうかんしていた生徒会長が立ち上がり、ようやく口を開く。


 阿久津は外方を向きなが答えた。


「音々は全部欲しいんっスよ。実くんも、マキちゃんも、会長も。みんなで作ってくれたあの動画。あの動画がすごく良かったから、今度は音々もみんなに混ざって一緒に作りたい。そう、思ったんスよ」


「ほんと不器用な子なのね、あなたは。それならそうと……」「うおおおおおおおん、うわああああああん!」「「「!?」」」


 生徒会長が阿久津を許そうとしたその時、突然大きな声が部屋に響いた。


 その発生源を探すと、牧田が机に顔を伏せて、大号泣してた。心配になった生徒会長は阿久津を一旦無視して、彼女の元に歩み寄った。


「どうしたのよマキちゃん」

「だっで、うれじぐで……ぐすん。音々ぢゃんが、ごんなごと、思っでぐれでるとは思わながったから」

「うん、そうよね。私も嬉しいもん」


 生徒会長も目を赤くして、牧田の背中をさする。

 阿久津は恥ずかしくなったのか、腕を組みながら後ろを向いて、彼女たちを見ないようにしていた。


「会長ぉ……わだしと音々ぢゃんをゆるじで下さいいいぃ。ごめんだしゃいいいぃ」


 生徒会長は何も言わず、牧田の頭を撫で続ける。


 彼女は下唇を噛み締め、涙が出そうなのを堪えていた。


 やがて部屋には牧田の嗚咽だけが響いた。

 彼女が泣き止むまで、我々はそれを見守った。

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