第28話 山下先生

 放課後。生徒会室に向かう途中――「田中くん」と俺は廊下で阿久津の担任教師である山下に呼び止められた。


「それにしても今日は大変だったね。阿久津あくっちゃんがあんなことするなんて」

「この度は阿久津がご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」


「いいよいいよ謝らなくて。私としては結構面白かったし。いやぁ、若いっていいよね」

「先生もまだお若いでしょう?」

「いやいや、私今年で三十よ。最後に高校生だったの十年前だし、もうすっかりおばさんに近付いた感じ。三十って結構ヤバイのよ。腰痛くて肩凝るし、なかなか寝付けないし」


 そんな年齢だったのか。

 さすがによく見ると目のシワが見えるような気がするが、それでも見た目は二十代前半である。


「いや、私の場合は不規則な生活と酒のせいか。ハハハ、田中くん。お酒はあんまり飲み過ぎないようにね」


 彼女はふざけた声で笑いながら、俺の肩を叩いた。


「いや、俺は多分お酒は飲まないと思います。百害あって一利なし、なので」

「……て思うでしょ? そう言うタイプがお酒にハマるのよ。実は私も学生時代、田中くんみたいなタイプだったの。馬鹿みたいに遊ぶ同級生を見下しながら、真面目に勉強して。その結果がこれよ。酒に溺れる不真面目な教師。失った青春はもう戻らないのよ」


 山下は語りながらゆっくりと足踏みし、ヒールで廊下を叩く音を響かせ、砕けていた表情が徐々に引き締まる。

 真面目な表情に切り替わった彼女は、本題に入った。


「田中くんには私みたいになって欲しくない。だから、阿久津ちゃんを頼みます」


「それが今までの話と、どう繋がるんですか?」

「私は田中くんの青春を応援したい。阿久津ちゃんと出会ってから、学園生活が楽しくなったでしょ?」


「それは……」阿久津とのこれまでを思い返してみる。苦労が九割、楽しさ一割くらいだろうか。

 腕組みをしながら、俺は唇を尖らせる。


「ほらやっぱり! 田中くんには阿久津ちゃんが必要なのよ。逆にあの子にも、田中くんが必要。二人はもう、運命共同体なのよ」


 それを聞いて、俺は背中がかゆくなった。


 山下は俺の顔を見ず、近くの窓枠に肘を付いて外の景色を覗き込む。

 俺もそれに釣られて、窓の外を見た。


 スポーツウェアに着替えて部活動をする生徒、ベンチに座って話し込む三人組。皆が同世代の仲間と学園生活を満喫している。


 彼女はその平凡な光景を見て、口を開いた。


「阿久津ちゃんは、ずっと一人ぼっちだったの。私は去年の担任の先生に、それを聞かされてたから、ずっと心配で……実際私が担任になっても、彼女はずっと一匹狼だったわ。ところが最近、田中くんが現れてあの子は変わった。これまで全然懐なついてくれなかったのに、今はよく話しかけてくれるの。話の中心は、いつもあなたのことよ」


「あいつが……?」俺のような、朴念仁を。


 それを聞かされると複雑な心境だ。

 今は牧田という絶対的な後輩がいるから、もう俺は必要ないだろう。


 だが、俺は阿久津が心配だ。

 やっぱりあいつのことは気になる。


 いつも何をしでかすか分からないし、言ってることは常に支離滅裂で自信過剰。


 放っておけない。

 牧田のようなイエスマンに任せてはおけない。


「阿久津には俺が……必要、か」

「え? 何今のセリフ? ちょっとカッコイイじゃん! 田中くん、もう一回言って」

「揶揄わないでください」「ごめん、ごめん」


 段々とこの人のことが分かってきた。

 空気が重くなると、こうやって茶化すのだ。


 俺はこれが悪いとは思わない。

 むしろ、彼女の長所でもあると思っている。


 山下はこちらを向くと、咳払いを挟んで仕切り直した。


「てことで、私も協力しちゃおうかな。この前断った顧問の件、引き受けます」

「そうですか、それは助かります。きっと阿久津も喜んでくれると思います」


 あいつが考えるなんてものより、何百倍も健全だ。


「でも、タタじゃつまらないから、条件加えるね。ちょっと耳貸して」

「なんですかそれは。それに、わざわざ耳打ちなんて……」


 そう言いながらも、俺は彼女の出す条件を耳を澄まして聞き入れた。


 話の内容は、顧問を引き受けるための条件だった。

 俺にはいまいち分からないが、多分ギリギリで実現可能なものだろう。


「阿久津ちゃんと田中くん、二人で協力すればできるでしょ? 私は二人に期待してるからね」

「……分かりました。まぁ、俺なりにやってみます。ところで、一つお願いが」

「何かしら?」


 今度は俺が彼女に耳打ちをする。

 特に意味などないが、対等なやりとりが肝心だ。


「――――はい。実は阿久津が持ってきたアレのことなんですが……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る