第27話 音々の演説

 ついに阿久津の演説が始まった。


「――最後は庶務候補、二年A組阿久津音々さんです」


『二年A組の阿久津音々です。私は……』


 彼女は原稿を読んでいるせいか、いつもと口調が違って違和感を覚える。


『私は革命を起こす。つまり、この学校をもっと自由にします。服装や髪の色、アルバイトの許可、全教室にWi-Fiの設置……』


 牧田が阿久津に用意した原稿は、少し攻めた内容であった。

 自分は猫を被っていたが、先輩に言いたいことを言わせているのだ。阿久津のキャラならこんなことを言っても許されるだろうと。


 しかしながら話す内容自体は常識の範囲に収まっており、阿久津のキャラクターに忠実である。


 俺はこのまま演説が無事に終わることを、ガラスの壁の外から見守った。


『……と、冗談はこれくらいにして』――無事に終わるはずなどなかった。


 スピーチの途中、突然阿久津はマイクを持って立ち上がった。


 マイクに繋がった導線が引っ張られたせいで、キーンとハウリング音が鳴り響く。


 彼女は牧田が用意した原稿を丸めて、カルロスに投げつける。不意の攻撃に驚いたカルロスは、勢い余って椅子に座ったまま後ろ向けに倒れてしまった。







 ――阿久津音々が目を覚ましたのだ。


『生徒会占拠! 選ぶ選挙じゃなく、文字通り占領する占拠! 音々は宣言する。生徒会を占拠すると』


「音々ちゃんぅ……」

 それを聞いて、牧田は原稿を床に落として恍惚こうこつした。


「音々ちゃん……? 嘘だよね……?」

 それを聞いて、生徒会長は膝から崩れ落ちた。


「はは、ははは」

 それを聞いて、俺は笑うことしかできなかった。


 だから忠告したじゃないか、阿久津こいつは必ず生徒会を裏切ると。


『生徒会なんて必要っスか? 音々は最近まで知らなかったっスよ、生徒会が存在していたなんて。だからこんなつまらない生徒会は潰すっス。そして音々が作る。音々による音々のためのネオ生徒会を!』


 その演説を聞いて隣で拍手が聞こえる。


 両手を叩きながら目に涙を浮かべる牧田の姿は、正にカルト宗教の狂信者。


「早くあれを止めないと」


 その一方で正気を取り戻した生徒会長は、防音室の中へ向かった。


「いつの間にか鍵がかかってるわ! 副会長、なんとかしなさい!」


 ドアノブを回しても動かない扉を、彼女は必死で叩いてカルロスを呼ぶ。


 ……だが時すでに遅し。


 仰向けに倒れたカルロスの体の上にまたがり、阿久津は伸ばしたマイクを握りながらマウントポジションを取っていた。

 経験者の俺は知っている――あの体制で捕まったら、全く抵抗できないことを。


『音々の願いはただ一つ。クソみたいな高校生活をもっと楽しくすること。そのためにはみんなの支持が必要っス。みんなで団結すれば、生徒会も学校も音々たちを無視できない。意思表示は簡単っス。阿久津音々の信任を丸して、余白に『ネオ生徒会支持』と書いてくこと』


 生徒会長を介入させず、副会長を屈服くっぷくさせて演説する。その姿は正に支配者。


 阿久津がここ数日大人しく潜んでいたのは、この瞬間を手に入れるためだった。


 やがて横隔膜おうかくまくから出る乾いた笑いが止まり、俺はただ傍観ぼうかん者としてその場に立ち尽くした。


 もう誰も、あの女を止めることはできない。眠れる獅子が目覚めてしまった。


『阿久津音々を信任。余白に『ネオ生徒会支持』。みんなでこの学校を変えるっスよ! 以上!』


 言い終えるとマイクを放り投げて、ハウリング音を響かせた。


 阿久津は堂々と起き上がってカルロスの顔を足で踏みつけると、何食わぬ顔で鍵を開けて中から出てきた。


 勝ち誇った表情の彼女は、自分を睨む生徒会長を見て鼻で笑う。


 生徒会を侮辱され、挑発を受けた生徒会長は歯を食いしばった。そして眉間みけんしわを寄せならが手の平をかがげる。


 俺は反射的に彼女の手を止めた。振りかざしたの手の先は、阿久津の頬の寸前で止まった。


「落ち着いてください。気持ちは分かりますが」


 自分でも驚くくらい冷静だった。それは恐らく、こうなることが分かっていたからだ。


「暴力なんていいんスか会長? 停学になるっスよ」

 阿久津は口角を上げて微笑みながら、生徒会長の神経を逆撫さかなでにする。


 俺の握っていたか細い腕が、怒りでぷるぷると震え出した。


「関係ないわ! 私たちが作り上げてきた生徒会をめちゃくちゃにして……それに証拠なんて」

「残念ながら牧田が動画を撮ってます。あなたの暴力の証拠は残りますよ」


 俺は言いながら目線で牧田の方を指した。生徒会長はそれを辿るように、ゆっくりと彼女の方を向く。


「すいません会長。私はあなたのことが好きですが、それ以上に音々先輩のファンなんで」


 牧田は申し訳なさそうにしながらも、スマホを横に構えていた。


 恐らくそれは阿久津の演説を録画するために用意したもので、結果的に阿久津を守る盾となってしまったのだろう。

 結果的に生徒会長の暴力を防ぐ効果になったので、不幸中の幸いと言わざるを得ない。


 力の抜けた生徒会長は、その場で膝から崩れ落ちる。

 俺は生徒会長に肩を貸しながら、阿久津に尋ねた。


「お前は一体何がしたいんだ?」


 彼女は俺を見下しながら、腰に手を当てて答える。


「同好会なんてかったるいんスよ。生徒会を占拠すれば、場所も、部費も、マキちゃんも、実くんも全部音々のものっス」


「音々ちゃん、私に相談してくれたじゃない。部活を作りたいから、どうすればいいかって。私は協力するつもりだったのに、どうしてそんなことを……」


 顔を伏せた生徒会長が阿久津に問いかけるが、彼女は何も答えない。


 阿久津は堂々と俺と彼女の横を通り過ぎると、最後に捨て台詞を吐いた。


「さて、飯の時間が勿体ないから音々はここで失礼するっスよ」


 牧田もそれに追従するように、頭を下げて少し気まずそうにしながら二人は放送室から出て行ってしまった。


 放送室には俺と生徒会長、そして呆然としているカルロスが残る。


 カルロスがけっぱなしであったマイクの電源を切ると、この狭い空間に無音の時間が訪れた。


 気まずそうにカルロスが部屋から出てきて、おろおろしている。俺は生徒会長を近くの椅子に座らせ、彼女が落ち着くのを待った。


 俺とカルロスは無言で彼女を見守る。

 かける言葉が見つからず、三人のせき払い、呼吸音だけが部屋に響く。


「……ありがとう二人とも。私はもう、大丈夫よ」


 しばらくすると彼女はゆっくり立ち上がり、出口へ向かう。


 俺たちは追いかけるように部屋を出た。


「じゃあ、僕が鍵返しとくから」

「すまない、カルロス」


 後のことは彼に任せ、俺は自分の教室に戻った。





「おい、田中が帰ってきたぞ!」「あれどう言うことなの? 台本? やらせ?」「やっぱ阿久津音々はすげぇよ」「ネオ生徒会とか言ってたけど、ほんとにそんなの出来るの?」


 教室に戻ると予想通り俺はクラスメイトに質問攻めにあった。

 もはや俺のスピーチの内容など覚えていないだろう。彼らは口を揃えて「阿久津音々」の名前を呼ぶ。


 完全にお祭り騒ぎだ。

 好奇心旺盛こうきしんおうせいで血気盛んな青年たちは、退屈な日常に風穴を開ける阿久津音々の登場に声を踊らせる。


 彼女はこの瞬間、紛れもなく田平岡高校のインフルエンサーになった。

 阿久津音々の知名度は学年を越えて、全校生徒に響き渡ったであろう。


 果たしてこの騒ぎが吉と出るか、凶と出るか。


 全ては投票結果次第である――

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