第23話 遭遇


 昼休みは生徒会室が使える。


 俺は阿久津から隠れるために、チャイムが鳴るとすぐに、学食へ向かう人込みに紛れて生徒会室を目指した。


 周囲を警戒してから扉を開き、中に入った。先客はカルロスだけ。

 俺はそれを確認すると、緊張で溜まっていた吐息を出した。


「どうしたの田中? ため息なんかついて」


 長机に座ったカルロスが、弁当を広げながら俺に尋ねる。


「阿久津が学校に来ている。停学明けは二日後のはずなのに、なぜかそれが早まったんだ」

「あー、そういえば今日いたよね。あの頭目立つから、すぐ分かったよ」


 カルロスは適当に返事をして、おかずを口に入れた。


 認識の違いは諦めるしかない。

 俺は後ろを向いて、扉の鍵を閉めた。


 ……ガタガタガタガタ。


『あれ? 閉まってる。ここにはいないんスか?』


 まさに間一髪――鍵を閉めた瞬間、外から扉をこじ開けようとする阿久津の声が聞こえた。


 俺は息を殺しながら、扉に耳を付けて外の様子を伺った。


『どこいったんスかね、実くん』


 耳を澄ますとかすかに彼女の声と、その後に遠ざかる足音が聞こえた。


 阿久津は諦めてくれたらしく、なんとか俺の安息あんそくは保たれたようだ。


 胸をそっと撫で下ろすと、物音を立てないようにゆっくり歩いて、そっと椅子を引いて座った。


「カルロス、お前は味方だよな?」


 彼は無言で首を縦に振る。その返事を聞いて安心した。


 俺は持ち出したリュックからおにぎりと水筒、タブレットを出して安息の昼休みに入った。


 居心地の良い空間で昼食をとりながら本を読む。

 カルロスは無言でスマホを弄るだけなので、全く邪魔にならないし、つい読書に没頭して時間を忘れた際の時報代わりになる。


 これだけで生徒会に入った価値はあったかもしれない。


 そう思って、二個目のおにぎりを手に取った瞬間である。


『あっ! やっぱりいた』


 声が少しこもった阿久津の声が耳に刺さった。


「ヤバいよ田中、外にいる。ここ二階だよね?」


 カルロスが首を窓側に向けて呟く。


 阿久津は外から窓ガラスに張り付き、窓を開けようとしていた。


 ――俺は彼女に襲われた、あの日のことを思い出した。


 午後からは雨模様とのことで、窓の鍵は閉まっていたのは不幸中の幸いか。


「まぁ、あいつは猿みたいなものだからな」

「なんでそんなに冷静なんだよ! あーもう、どうしようどうしよう。少し怒ってるみたいだけど、さすがにあれは危ないよね」


 カルロスは窓の鍵を開けるために、スッと立ち上がった。


「待てカルロス。疲れるまで放っておくんだ。二階から落ちても、あいつの運動神経なら死ぬことはない」


 冷静にそう言ってカルロスを押さえつけようとしたが、頭の中では色々な面倒事を想像して葛藤かっとうしていた。


 ……結論、俺は諦めた。

 カルロスに全てを委ねよう。


 彼は鍵を開け、阿久津を招き入れた。

 彼女が何も言わず着地した瞬間、俺たちは身構える。


「もう、いるならいるって返事して欲しいっスよ」


 阿久津は笑顔のまま、俺の元へ近寄る。


 俺はこのまま逃げるべきか迷ったが、足が震えてしまって立ち上がることができない。


 最後の抵抗として、口を開く。


「俺をどうする気だ?」 

「別にどうもしないっスよ。音々は話したいことがあって、来ただけっス」


 彼女はキョトンとした顔で机の上に座る。


 そして俺の顔をマジマジと見ると、突然腕をこちらに伸ばした。


「うっ……」俺は反射的に目を瞑る。


 しかし拳は飛んでこない。


 恐る恐る目を開けると――


「お、俺のおにぎり!」


 彼女は机に置かれた俺の昼食を奪い取り、かじり付いていた。


「もぐもぐ、美味いっスねこれ。鮭と昆布っスか」


 もうここまでされたら諦めるしかない。

 幸い彼女は怒ってはいないようなので、俺は対話することにした。


「話とはなんだ?」

「ふはふのほとッスよ」

「ちゃんと食べてから話せ」

「……ゴクン。部活のことっスよ。山下から聞いたっス」


 俺は部活の件については阿久津の意思を聞いてからだと思いつつ、山下に相談していた。


 山下は面白半分なのか、気を利かしたのか知らないが、阿久津の耳に入れたらしい。

 とにもかくにも、説明する手間は省けたが……


「部活いいっスね。音々も賛成っス。実くんも勿論……」「入らん」「なんでっスか!」

「俺は生徒会で忙しい」


 やはりこうなると思っていた、だから俺は生徒会と言う逃げ道を作ったのだ。 


「生徒会に入るんスか? やっぱなんっスね! 会長のおっぱい目当てなんっスね?」


 いちいち否定するのも面倒なので、俺は無視する。

 生徒会に入った本当の理由は阿久津本人には話せないからな。


「あれ? でもおかしいっスね。部活に入る気ないなら、なんで協力してくれたんっスか?」

「部室があれば満足だろ? 俺がお前にしてやれることはここまでだ」

「優しいんスね。そんな優しい実くんには、これを」


 そう言って彼女が差し出したのは、俺から盗んだ食い止しのおにぎりであった。

 当然、他人が齧ったおにぎりなど、口に入れたくもない。


「やれやれ……」


 彼女の自由奔放ほんぽうで、他人の迷惑を考えないところを見ると、阿久津音々が帰ってきたことを実感する。


「話はこれで終わりか? 終わりなら、それを食べて帰ってくれ」

「おにぎり要らないんすか? 美味しいのに……」


 それはそうだろう。俺の鮭おにぎりはメインディッシュだからな。

 一個目は昆布と梅干しを中心とした食物繊維とビタミンを考えたおにぎり、二個目は鮭フレークのタンパク質を中心にしたおにぎりと、栄養バランスを考えて作ってきている。

 お米の炭水化物に偏らないように、具材も多めにしているので、不味まずいわけがない。


「ふーん、じゃあこれ全部、音々が食べるっス」


 阿久津は悪びれない様子で、残りのおにぎりを口に入れた。


 小腹が空くのは腹立たしいが、小さい子供みたいに美味そうな表情で食べてくれるのはせめてもの救いだ。

 牧田がこのシーンを見ていたら喜びそうだ。


 阿久津は食べ終わると、俺の水筒を奪い取り、口の中をうるおした。

 満足してようやく帰ってくれるかと思ったが、まだ続きがあるらしい。


「そうそう、山下から実くんに伝言があるんスよ」

「なんと言っていたんだ?」

「『朝言いかけた悪い方の知らせは、あの件を断る』らしいっス。音々は何のことだか、よく分かんないんスけど」

「なんだ、そのことか。お前にも関係することだ。この話は、お前の意思を聞く必要があったからな」


 後回しにするか、今するかの話だ。

 俺は昼休みの余暇よかを諦めて、彼女にあのことを報告することにした。


「すまないカルロス、牧田をスマホで呼んでくれないか? 『阿久津が生徒会室にいる』と伝えれば、勝手に来るだろう」

「えっ、いいの? いや、別にいいか。ちょと待ってね」


 彼に頼み、協力者である牧田を呼び出す。


 俺は改めて机の上に腰を下ろす、阿久津と対した。


「山下に頼んでいたのは、お前の部活――まぁ、仮名として『映像研究部』でいいだろう。その顧問こもんを引き受けてくれるよう頼んでいたのだが、それが今断られてしまったって話だ」


「へー、そうだったんスね。まぁもしもの時は山下を脅迫するんで、大丈夫っスよ」

「……もう面倒だからいちいち突っ込まないぞ」


 冗談なのか本気なのか分からないのが阿久津の怖いところである。


「さて、これで映像研究部の方は難しくなった。そこで俺が提案したいのは同好会だ。生徒会で校則を調べてみると、同好会の方は簡単そうだった。生徒会と教師一名が認可すれば、その活動が認められ、学校施設の使用が可能になる。決まった部室や部費などは貰えないが、十分な行動範囲を手に入れれるだろう」


「ふーん、同好会っスか。いまいちよく分かんないっスね。そもそも音々は、場所以外にも人とパソコンが欲しいんスよ。撮影を手伝ってくれる人と、動画を編集できるパソコンが。だから部活の方が……」


「だからその人物を呼んだんだ。あいつがいればその条件をクリアできる。ほら、うわさをすると来たようだ」


 カルロスが鍵を開け、牧田が恐る恐る部屋に入ってきた。


 彼女は本物の阿久津を見て、体を震わせ緊張している。


「ぽ、ぽっ、ぽ、ぽ……」


 声にならない音を発しながら、阿久津に近付く。


「あのー、牧田さん。八尺様みたいになってるけど大丈夫?」


 心配になったカルロスが声を掛ける。


 牧田は体を痙攣けいれんさせながら、産まれたての小鹿のような足を阿久津の元へ向かわせる。


 対して阿久津は、その様子を見て固まっていた。


 そして二人の目が合う。


「ぎゃあああああああああ!」

「あああああああああああ!」


 阿久津と牧田はそれぞれ奇声を発し、阿久津はそのまま窓へ向かい、二階から飛び降りてしまった。


 牧田はそれを見たショックで膝から崩れ落ち、顔を伏せる。


 俺とカルロスはしばらく呆然ぼうぜんとしていた。


「くそぅ! くそぅ!」


 牧田が自分の膝を叩き始めたので、俺は慌てて彼女を止めた。


「どうしたんだ牧田、お前らしくない」

「す、すびばせん……本物に会えた衝撃で、緊張しじゃっで」


 長い髪で隠れていて表情は分からないが、彼女の声は涙ぐんでいた。


「音々ぢゃんをごわがらせでしまいまじた。わだじの生きる価値はあびまぜん」


 思い返してみれば、阿久津の牧田に対する印象は最悪だ。

 年下の女に力負けして、謝罪をさせられる。阿久津が唯一恐れる相手が、あの時の牧田である。

 彼女に印象はそこからアップデートされていないのに、牧田は冷静に接することができなかったのだ。


「……ぐすん」


 彼女は涙を拭いゆっくり立ち上がると、開かれた窓の方へ向かった。


 察した俺たちは慌てて彼女の体を止める。


「早まるな牧田! そんなくだらないことで身を投げ出すな!」

「そうだよ牧田さん。牧田さんは頑張ってたじゃないか。動画を見せれば、きっと仲直りできるって」

「離して下さい! 私は死にまあああす!」


 一難去ってまた一難。

 情緒不安定な後輩の説得で、俺の昼休みは潰れた。

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