阿久津音々の企み

第22話 ねおん復活

 怒涛どとうの一週間が終わり、新しい週が始まる。


 狂った予定の歯車を修正するために、俺は休みの間に溜まっていた積読を消化した。


 いつものように朝早く学校に着き、静かな教室で本の続きを読む。


 校舎に入り、階段の前に差し掛かった時、デジャブを感じた。


「おはよう、田中くん。いつも朝早いね」


 山下女史にばったり遭遇そうぐうしたのだ。

 彼女は声こそ明るいが、少しダルそうな表情をしている。


「おはようございます。顔色が少し悪いようですが、大丈夫ですか?」

昨日深酒ふかざけしちゃって、二日酔いで頭が痛いのよ。あー、吐きそう」


 彼女はそう言って、階段の手すりにもたれ掛かる。

 そして片手に持っていた水の入ったペットボトルを、ごくごくと飲み、「ぷはぁーっ」とワザとらしく声を出し、ボトルから口を離した。


「あー、そうそう。田中くんにいい知らせと悪い知らせがあるんだけど」


 少し落ち着いたのか、彼女はボトルのキャップを閉めながら、冷静な声で言った。


 よく聞くお決まりのセリフ。

 この手の二択だと、悪い方から先に聞いておくのが定石じょうせきである。


「では、悪い知らせから」


 山下はそれを聞くと、口元を緩ませはにかみながら俺の後ろを指差した。


 その瞬間、背中に悪寒おかんが走る。

 俺は顔をこわばらせなら、反射的に振り返った。


「グッドモオオオオニングウウウウウ!」


 が朝から甲高い声を発しながら、こちらに目掛けて走って来る。


 明るい黄色と緑のストライプヘアー。遠くから見ても目立つ、黒く塗られた目と真紅の唇。


 それが突進する猪のように迫ってきている。


 彼女は俺にぶつかる寸前で立ち止まり、キリキリと靴底でブレーキを掛ける音を響かせた。


「うっス! 音々復活っス! 実くん、音々に会えてうれしいっスか?」

「朝から最悪な気分だ」


 これが山下の言う悪い知らせか。

 俺が聞いた話ではあと二日停学だったはずだが、阿久津は堂々と制服姿で学校に来ている。


「うっス、山下先生。約束通り七時半に来たっスよ。今日はどこの掃除をすればいいっスか?」

「おはよう阿久津ちゃん。それじゃあ今日は廊下の窓をお願いしようかな」


 俺を間に挟んで、阿久津が山下と会話をする。


 ……なんとなく状況を理解した。

 阿久津の停学明けが予定より早くなったのは、この奉仕活動との交換条件なのだろう。


「それじゃあ俺はここで」


 とにかく今は、山下に阿久津を任せよう。俺は静かに本を読みたい。


 そして案の定、予想通りだが、阿久津が俺を呼び止めた。


「あれ? 実くん、手伝ってくれないんスか?」

「意味が分からない。そんな義理俺にないだろ」

「だって、音々を待つために朝早くから学校に来てたんっスよね?」

「そんなわけな……」「あれ、やっぱりそうなの? 田中くんってやっぱりそうなのね」

「先生は黙っていてください」


 想定外の山下の裏切りにより、現場が余計にややこしくなる。


 もうこれ以上彼女たちの戯言たわごとに構っている暇はない。

 俺はこの場から逃げるために、なりふり構わず階段に足を掛けた。


「待って田中くん。の知らせは聞きたくないの?」


 去り際に山下の声が聞こえた。

 どうやらいい方の知らせは、阿久津の復帰のことらしい。悪趣味にも程がある。


 これ以上悲惨なことは聞きたくないので、俺は逃げるように階段を駆け上がった。

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