第12話 長身で、髪の長い後輩

 あの後、佐々木に「何があったのか」を聞かれたが、彼が期待していた通り「動画の件について揶揄からかわれた」と嘘の報告をして、その日の学校を乗り切った。


 放課後になり、いつものように教室に一人残って読書……とはいかなくなってしまった。


 原因は阿久津の存在である。彼女にこの教室がバレてしまったため、彼女が停学になるまでしばらく使えない。


 それともう一点、俺は生徒会長に呼ばれたので、今日はその用事を済ませて帰らねばならなくなった。

 大方の予想は付くが、断るなら断るではっきりしておいた方がいい。

 阿久津の件に加えて、生徒会関係の絡みが入ってくると、ますます俺の平穏が脅かされてしまう。


 俺は他の生徒たちを隠れみのにしながら、周囲に奇抜な頭髪の女が現れないかを警戒して、生徒会室へ向かった。


「失礼しま……」


 生徒会室の扉を開けた瞬間、嫌なものが目に付いた。椅子に座るカルロスに執拗しつように絡む阿久津。それを目にした瞬間、俺は頭を抱え込んだ。


「た、助けてくれ、田中」


 カルロスは目と声で俺に訴えかける。阿久津は何やら黒い物体を彼の口元に押し付けようとしていた。


「あら田中くん、早いわね」


 後ろから生徒会長の声が耳に入った。

 俺は彼女が中の惨状さんじょうを見ないように、扉を閉めようと手に掛けたが、彼女は首を伸ばして中を覗き込んでしまった。


「げっ、何でいるのよ」

「すいません」

「あなたが謝ることじゃないわ」


 生徒会長はポンと俺の肩を叩いてため息を吐くと、生徒会室に足を踏み入れた。


「よっ、爆乳会長! 自慢のIカップが揺れてるっスよ!」


 阿久津は部屋に入る生徒会長の姿を見た途端、セクハラ発言をかます。


「なんで知ってんのよ!」

「実くんに教えてもらったっス」


 それを聞いて生徒会長は俺の方を振り向いた。


 俺は両手を激しく振って全力で否定する。


「いやいや、俺がそんなこと知ってる訳ないでしょ。そもそもあいつには虚言癖があって……」

「実くんは頭がいいから、それくらい朝飯前っスよ。少し観察すれば、バストサイズを当てるだなんて造作もないことっス。この前なんて音々の秘密をたった数回の質問で……」

「もうこれ以上余計なことを喋るな! 大体なんでお前はここにいるんだ」


 カッとなった俺は部屋に入って、阿久津の元に詰め寄った。

 阿久津はニヤニヤしながら俺の疑問に答える。


「カルロスくんに味見をしてもらってたんスよ」


 そう言いながら、彼女は黒い物体が入った透明な袋を誇示してきた。


「その暗黒物質ダークマターをか? 大体なんだそれは?」

っス」


 黒く見えたそれは、焦げであった。俺の知っているクッキーと形は似ているが、似ているのは形だけ。発がん性物質の塊は暗黒物質と呼ぶに相応しい。


「お前はカルロスを殺す気なのか」

「これは実くんにあげる物っスよ」

「なるほど、俺を殺す気か」なら仕方あるまい。


 生徒会長との約束を破棄することになるが、俺は自分の命が惜しいので、この場から立ち去ることにした。


 阿久津を適当にあしらいながら、出口の方へ向かう。


「おっと」


 不意に、扉の奥に壁のようなものが見えてぶつかりそうになり、足が止まった。


「ああ、すいません」


 そこに立っていたのは一人の女子生徒であった。ちょうど俺の目線の先に制服の襟が見えるので、彼女は女性にしてはかなり背が高い。


 長身の彼女の腰まで伸びるつやのある黒髪。その黒髪は絹のようにしなやかで、光が当たるたびに深い漆黒の輝きを放つ。垂れる前髪は長く、さらりと額を覆い、右目を隠してしまっている。彼女は左の三白眼でじっと俺の顔を見つめながら、廊下の前で待機していた。


「1年生か。いや、俺の方こそすまない」


 田平岡高校はネクタイの色で学年分けがされている。

 1年生――つまり彼女は緑のネクタイ。2年の俺や阿久津、カルロスは赤。3年の生徒会長は青だ。


 後輩である彼女は、どうやら生徒会に用事があるらしい。


「何やってんのよ田中くん、マキちゃん。早く入りなさい」――マキと呼ばれる後輩は俺と同じ来客者であった。生徒会長が俺と彼女を部屋に呼び込む。


「仕方ない。阿久津は一旦無視するか」


 俺は諦めて、席に着くことにした。


 そしてマキが部屋に入ると、五人の人間がこの部屋に揃った。

 奥の特等席は生徒会長。縦に並んだ二本の長机には上座からカルロス、俺、阿久津、マキの順で座っている。


 改めて全員が席に着いたことを確認すると、生徒会長は少し意気込んで発言した。


「さて、四人全員揃ったわね……でもその前に邪魔者を排除しましょうか。阿久津音々さん」

「なんスか?」


 不意に名前を呼ばれて、阿久津は生徒会長の方をにらむ。


「あなたのことは調べさせて貰ったわ。いいのかしら、こんなところにいて? これ以上罪を重ねるのは辞めておきなさい。停学が退学になるわよ」

「……は? 会長もワケ分かんないことを」阿久津は首を傾げる。


 あまりにも本人が平然と校内にいるので、山下が隠蔽いんぺいしたと思い込んでいたのだが、阿久津の停学は既定路線だったのか。


 この話が生徒会長の耳に入っていたのは意外だったが、そんなことよりもこれ以上先を言われると、阿久津の悪事を告げ口した俺の命が危ない。


 俺はさっと立ち上がって生徒会長の方へ向かう。


「ちょっと田中くんどうしたの? なんなの急に」

「すいません、俺は命が惜しいので!」


 彼女の後ろを通り、掃除ロッカーへ向かった。少々扉は固かったが、力を込めて無理矢理こじ開けることができた。俺は内容物を取り出して、その中に入る。


「一体なんなの? いきなりどうしたのよ?」

「自分の身を守るためです」


 声のこもるロッカーの中から受け答えをすると、その後生徒会長の口から明かされるであろう事実の公表権を奪い取り、阿久津に俺が直接伝えることにした。


「落ち着いて聞いてくれ阿久津。お前は恐らく一週間の停学処分になる」

「……実くんは何を言ってるんスか?」

「昨日のあの惨状は現状復帰が不可能だった。生徒や教師が見つけるのは時間の問題だ。犯人探しなどの大ごとになる前に、俺が第一発見者として山下に報告した」

「音々を、裏切ったんスか?」


 阿久津はドスの効いた声で机を叩き、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。隣で座っていたカルロスはそれを聞いて小さな悲鳴を上げる。


「怯えるなカルロス! この中で阿久津を止められるのはお前だけだ。そのデカい図体は飾りなのか?」

「無茶なこと言わないでよ田中ぁ」やはりカルロスは役に立たないか。


 視界情報の少ないロッカーの中だと、外の様子は音でしか判断できないはずだなのだが、阿久津が放つ覇気で徐々にこちらに近づいてくるのが分かる。


「生徒会長逃げてください! カルロス、せめてお前はそこの1年生を連れて逃げろ!」

「止まりなさい阿久津さん。これ以上暴れると、処分は重くなるわよ」


 生徒会長は俺の忠告を無視して、阿久津の前に立ち塞がろうとする。


「やめろ無茶だ! 小さい体をしているが、こいつの殺傷能力は高い。加減のできない化け物なんだ!」


 扉の隙間から生徒会長の背中が見える。彼女は良い人だ。これ以上迷惑はかけられない。


「くそっ、やるしかないのか」


 俺は防護シェルターから飛び出して、姿を表した。


 あいつの目的は俺だ。彼女は関係ない。


「阿久津、俺はここだ。お前の怒りは分かるが、俺はお前のためを思って――」

「うがあああああああ!!!!」


 鬼のような形相ぎょうそうをしながら、阿久津がこちらに向ってくる。覚悟を決めた俺は腕を盾にしながら目をつむった。


「あああああ! なんスか? なんなんっスか!」


 拳や蹴りが飛んでくる気配がない。阿久津の様子がおかしい。


 まさかカルロスが?


 俺はそれを確かめるべく、まぶたをゆっくり開いた。


「音々を離すっスよ! 何してんスか!」


 彼女を止めたのは大男ではなく大女だった。マキが阿久津を後ろから羽交い締めをして、完全に拘束している。身長差のせいで阿久津は体を浮かせ、足をバタバタさせてもがいている。


「なんなんですか、このトーヨコキッズは?」

「音々はそんなんじゃないっス! 失礼っスよ、デカ女!」

「デカ女とか言われるの傷付くんで、やめてもらっていいですか?」

「うるさい、黙るっスよデカ女あああ!」


 阿久津は必死に抵抗するが、マキは一切動じない。まるで大木のように足を床に固定してさせている。

 俺が敵わなかったこの化け物を、彼女はいとも簡単に封じ込めたのだ。


「なんなんスか、もう……離してよ」


 阿久津は疲れ果て、心が折れてしまった。

 暴れ回って頭に上っていた血が下がり、無様な姿を晒していることに気付いて、それに耐えられなくなったのだろう。

 後輩相手に威勢を放っていたが、彼女には敵わないことを理解したらしい。


「じゃあ私と先輩たちに謝って下さい」

「……ごめんなさい」


 まさか阿久津の謝罪が聞けるとは。それは確かに彼女の口から聞こえた言葉だ。

 それを聞いたマキは素直に阿久津を下ろす。だが俺は知っている、阿久津はそれで終わらないことを。


「待て、まだ離すな。こいつは――」

「帰るっス」


 解放された阿久津は騙し討ちも企てず、肩を落としながら大人しく去っていった。


 はっきり言って拍子抜けだ。


 実物よりも大きく見えるその背中が、俺にはとても小さく感じる。あの暴れん坊の阿久津が反撃を諦めてしまったのだ。

 お前はそんな程度だったのか……?


「田中くん?」


 生徒会長に呼び止められて、阿久津を追いかけようとした足が止まった。


 ……俺は何を考えているんだ。あんなやつ、どうでも良いじゃないか。


「いえ、なんでもありません。大丈夫です」

「では邪魔者が消えたと言うことで、始めましょうか」


 生徒会長が仕切り直しをした瞬間である。


「なんで実くんは追いかけて来ないんスか!」


 乱暴に教室の引き戸をこじ開け、阿久津が戻って来た。


 呆気に取られていると、彼女にメガネを奪われてしまった。


「待て、阿久津!」


 そのまま逃走する彼女を、俺は追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る