第10話 カルロス

 職員室を通り過ぎ、校長室の横の階段を登る。位置としては校長室の真上に該当する。薄れた文字で『生徒会室』と書かれた室名表示札。確かにそこに、生徒会室は存在していた。


「生徒会……存在していたとは……」

「言ったでしょ? 生徒会はあるのよ」


 そう言って生徒会長は扉を勢いよく開いた。


 校長室の真上とあって、部屋の広さは普通の教室の半分くらいだろう。中央には木製の長机が縦に2列並べられており、そこに対面で座れようにオフィスチェアが四つ並ぶ。職員室で見たグレーの物より座り心地は良さそうだ。奥にあるのは職員室と同じグレーのスチールデスク。社長席のようなそこには恐らく生徒会長が座るのだろう。


 あとはホワイトボードと、書類の入った棚と掃除ロッカー。平積みにされた段ボール箱。ほこりが被っておらず綺麗な状態であったので、生徒会が現在まで活動していたことがうかがえる。


「好きなところに座って。次の授業まであと一0分ね……なら、五分だけ付き合ってくれるかしら」

「はい」「っス」


 そう言われて俺は扉から一番近い席に座った。そして前を向いた瞬間、驚いて声を上げた。


「カ、カルロス! いつからそこに?」

「やあ田中……っていうか僕、ずっとここにいたんだけど」


 対面に座する癖のある剛毛と眉、二重の瞼に浅黒い肌。一眼見ると外国人と思われるが、彼は立派な日本人である。


「なるほど、お前の推薦か」

「そうだよ」


 と一言添えてカルロスは微笑む。


 俺と彼は小・中と同じ学校の同級生であった。出会った時には既にあだ名で呼ばれていため、俺は彼の本名を知らない。


「それよりもお前、同じ高校だったのか」

「なんで覚えてないんだよ! 去年ずっと同じクラスだったじゃないか!」


 カルロスは特徴のある濃い顔と180センチ強の巨体で、本来は目立つ存在である。それがどう言うことか、存在感がない。


 そんな彼との再会を味わっていると、隣から騒がしい声が聞こえてきた。


「ちょっとあなた、何してんのよ!」

「音々は客人っスよ。一番いい席に座るのが常識っス」

「あなたは呼んでないわ! 私が呼んだのは田中くんだけ! なんで勝手についてくるのよ!」


 阿久津と生徒会長の声が交互に耳を通る。目を向けてで確かめてみると、阿久津は生徒会長の椅子に勝手に座って、下品にも机の上に両足を置いてふんぞり返っていた。


 生徒会長は彼女を席から引き剥がそうと奮闘ふんとうしている。


 その様子を横目で見たカルロスが、俺に尋ねた。


「なんで阿久津音々がいるの?」

「俺にも分からん。帰れと言っても勝手についてきた。それよりもお前、生徒会長を助けてやれよ」

「えー、やだよ。だって阿久津音々怖いもん。何されるか分かんないし」


 カルロスは巨漢きょかんのくせに小心者な男である。だが、その気持ちは分からんでもない。


 俺も多少は扱いに慣れてきたつもりだが、まだあいつのことを計りかねているところがある。昨日は何とか懐柔かいじゅうすることができたが、予測不能な彼女をコントロールするのは難しい。


「うわっ、こっちに来る。なんで?」カルロスが声を震わせる。


 二人で視線を送ったせいか、阿久津がこちらに気付いて歩み寄ってきた。彼女が向かう先は、俺ではなくカルロス。


「ハウアーユ? ボンジュール! グーテンモルゲン! スパゲッティー、ピッツァ! ボルシチ! ルクセンブルク!」

「ええ、何? 何なのぉ」

「マイネームイズネオン。アイムジャパニーズプリティーガール」

「おい阿久津。カルロスは日本人だ。日本語で大丈夫だぞ」

「マジっスか? でもなんでカルロスって名前なんスか?」

「顔がカルロスっぽいからだ」


 それを聞いてて阿久津はカルロスの肩に手を回して、彼の顔をじっと見つめた。

 蛇ににらまれたカエルのように、彼は身をすくめて顔を蒼白そうはくさせる。


「ププ、ホントっスね。カルロスっス! カルロスって感じの顔してるっスね!」


 至近距離で顔につばを飛ばされ、カルロスは目をつむり心底嫌そうな顔をしながら耐える。


 さすがに傷まれなくなった俺は、阿久津を引き剥がそうと立ち上がった。


「やめなさい。うちの副会長をいじめるのは」


 ――が、その必要はなかった。生徒会長が阿久津の襟元を掴んで、カルロスの元から離した。


「かいちょお……」

「大体あなたもあなたよ。こんなチビ女にビビっちゃって。その無駄にデカい体は飾りなの?」

「会長?」

「カルロスくんをいじめるな!」


 阿久津はそう言いながら、生徒会長の胸を両手で揉んだ。


「きゃああ!」

「けっ、無駄にデカい乳っスね」

「かいちょおおおお!」


 はずかしめを受けた生徒会長は両手を交差させて、両肩を抱えながら腰を落とす。


 阿久津はそれを見下しながら、勝ち誇ったかのような台詞を吐いた。


かたきは取ったっスよ。カルロスくん」


 この際カルロスのことはどうでもいい。


 救うべく相手はカルロスではなく生徒会長であった。俺は彼女の元へ駆けつける。


「すいません俺の監督不行届ふいきとどきでした。今度あいつが何かやらかしたら、少年院に投獄とうごくします」

「いえ、そこまでしてくれなくても結構よ。でも、今はお引き取りしてもらっていいかしら? 放課後、改めて一人でここに来てもらうということで」

「分かりました。とにかく阿久津は連れて帰ります」


 阿久津に聞こえないように生徒会長と密談したあと、カルロスにしつこくからむ阿久津の首根っこを掴んで、俺の近くに引き寄せた。


「俺の用事は終わった。ここから出るぞ」

「えー、もっと遊びたいっス」

「俺に用があるんじゃなかったのか?」


 その一言で、阿久津は生徒会室を出る決心をしてくれた。

 彼女は笑顔で生徒会長とカルロスに手を振りながら、別れの台詞を残す。


「じゃあまた。遊びに来るっスよ」

「ヒェ……ッ」


 カルロスの悲鳴を最後に聞いて、俺たちは生徒会室を後にした。

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