阿久津音々と生徒会

第7話 恋セヨ青年

 朝の静寂せいじゃくが好きな俺は、いつも登校する時間が早い。


 慌ただしい昨日の出来事から逃避するために、俺はいつも以上に早く学校に到着した。

 まだ誰もいない教室で読書をたしなむためにだ。


 校舎に入り、上階へ向かう階段に足をかけようとした瞬間、阿久津の担任である山下がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


「山下先生、少しいいですか?」


 少し躊躇ちゅうちょしたが、彼女に全てのことを打ち明けることにした。


「ん? どうしたの田中くん」

「ちょっと来てもらっていいですか?」


 呼び止めた彼女をそのまま俺の教室に呼び出す。

 誰もいないこの部屋は、一見すると普段と何も変わらない――一部を除いては。


「実は昨日の放課後、阿久津音々に襲われまして、教室の備品がボコボコに……まずこの机と、あとあれとあれ。そして掃除ロッカーです」

「うわっ、めんどくさ。それマジなの?」


 途中まで笑顔でいた山下の顔が引きり、彼女の口から本音がこぼれる。


 やはり普段の言動の差からなのか、山下は証拠不十分な俺の話をすっかり信じ込んでいる。


 顔と名前も知らない女生徒の目撃者がいるにはいるが、彼女の証言を得る必要も無さそうであった。


「あー、もう知っちゃったから朝から職員会議じゃん。貧乏くじ引いちゃったよぉ……まぁ、とりあえず教頭に報告か。ホント、めんどくさいなぁ」


 俺はそれに愛想笑いで答えるしかなかった。教師という立場上、黙認とはいかないのだろう。面倒ごとに巻き込まれるのが嫌という気持ちは分かるが、わざわざそれを口に出さないで欲しい。


「てか田中くん怪我なかった? ごめん、まず最初にそこ聞いとくべきだったよね。あー、私最低だなぁ……」

「いえ、大丈夫です。怪我はしていません」


 本当はアイツに睾丸こうがんを蹴られたのだが、これ以上大ごとにするつもりは無いので、黙秘した。


「あの、それよりもアイツはどうなるんでしょうか? やはり退学に……」

「うーん、田中くんに怪我はないみたいだし、備品破損で一週間停学ってとこかな。ただ次やると退学かもね。高校って義務教育じゃないから」

「停学……ですか」


 アイツが退学にはならないことを聞いて、俺は何故かそっと胸を撫で下ろした。


 その様子をまじまじ見ていた山下は、新しいおもちゃを見つけた子供のように口角を上げてニヤつく。


「あれ? なんだか嬉しそうじゃないの。もしかしてあの子のこと好きになっちゃったとかぁ? いわゆる吊り橋効果ってやつで……」

「なんでそうなるんですか。俺は被害者ですよ。あんな常識のない女なんてゴメンです」

「ウソウソ、冗談だって」


 彼女はそう言って俺の額を人差し指で軽く吐いてみせる。


 この人は比較的若いこともあって、女子高生のような言動を取ってくる。それが生徒たちに人気である所以であり、俺自身も話しかけやすくて助かっている点ではあるが……


「よし田中くん、あとは先生に任せたまえ。大丈夫、君の大事な阿久津ちゃんは私が守ってあげるからね」

「だから俺はアイツのことなんてどうでも良くて……」

「恋せよ青年。喧嘩から始まる恋もあるんだよ」


 ……一言余計なのである。


 俺は彼女の背中を見守ると、自分の席に着いてタブレットPCを起動した。

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