第6話 対話

「うわーっ、実くんドヤ顔でキモいっス! キモカッコいいっス!」


 彼女は机の上から飛び出し、俺の胸元の近くで両手を合わせて小動物のようにぴょんぴょん跳ねる。


 褒めているのか貶しているのか分からないが、とにかくMytubeで正解らしい。


 実際に蓋を開けてみればなんてことない。

 阿久津音々はMytubeが好きな、ごく普通の女子高生だったのだ。


 しかしそうだとすれば、気になる点が一つある。


「動画撮影なら教室でやればいいだろう。なぜわざわざ屋上を使った?」

「教室は早く出て行けってせがまれないっスか? むしろ実くんがこの時間に教室に居れることが不思議っス」


「そうか」


 それは恐らく信用の問題だろう。

 優等生の俺と不良生徒の阿久津では、教師の心証が明らかに違う。


「なんでなんすか? 意味が分かんないっす! 理不尽っすよ」

「お前は教師にちゃんと説明したのか?」

「もちろんしたっスよ! そしたら山下が『違う場所でもできるでしょ?』って言いやがって」

「なるほど、とすれば考えられる理由は2つだな」

「なんスか?」


 彼女は俺の元に詰め寄り、上目遣いをしながら尋ねる。

 もう彼女から暴力が飛んでくる気配はない。さしずめ好奇心旺盛な幼少の子供のような雰囲気だ。


 俺は自分の荷物を片付けながら、返答を勿体ぶることにした。


「…………」


 俺の思惑通り、阿久津は黙々と片づけを手伝い始めた。

 彼女は拾ってきた予備のメガネケースを差し出しながら、じっと俺の顔を見つめる。


 それは正に褒美の餌を期待する犬。少しは人に媚びると言うことを知っているらしい。


 よろしい、ならば一つ褒美をやろう。


 彼女から荷物を受け取ると、俺は一つ目の理由を開示した。


「まずお前の心証が悪いことだ。お前と山下の関係は昼に見させてもらった。とにかく彼女を信用させることだな。手始めにその校則違反な見た目をなんとかしろ」


 それを聞いて阿久津の眉がピクリと動く。


 しまった、言い過ぎたか? ――体が自然と防御体制を取った。


「はぁ……」彼女はため息で怒りのほこを収める。


 その反応に安心して、俺もため息がこぼれた。


「これは音々のアイデンティティだから変えられないっス。Mytubeは個性が無いと生き残れないんスよ」


 彼女は俺の発言に対して怒っていたわけではなかった。


「そうか、ちゃんと考えていたんだな」


 それに、素直に感心し理解した。

 阿久津音々は本気でMytubeをやろうとしている。


 だから苦労して見つけた撮影場所を奪おうとした俺に怒ったのだ。やり方は度が過ぎているが。


「……っぱ暴力っスね。暴力で山下を屈服させるしか無いっスよ」


 阿久津は自分のこぶしを撫でながらそう語った。


「待て待て、なぜお前はそうなるんだ」


 相手を説得する選択肢が、そこに向かうのはおかしい。


 とにかく一旦彼女の暴力的思考を落ち着かせる必要がある。


「Mytubeは暴力を推奨しているのか? そんな下劣げれつな方法で勝ち取った撮影場所に、価値はあるのか?」

「た、確かに!」


 阿久津には少しの常識が残っていたようだ。


 胸を撫で下ろそうとした瞬間、彼女の口から「でも」と言う言葉が聞こえて、嫌な予感がした。


「でも、炎上系Mytuber(マイチューバー)はいるっスよ。過激なことをして再生数を稼ぐんス。音々もその路線……」

「やめろ、聞きたくない!」


 せっかく彼女を説得したのに、暴力に逆戻りだ。

 その続き聞きたくない俺は、耳を塞ごうとした。


「……は嫌っスね。音々はみんなに好かれる可愛い系Mytunerになりたいんで。だから実くんの言う通り、力尽ちからずくはやめるっス。他の教師に色仕掛けで行くっス」


「なんでそうなるッ!」


 予想外の回答。


 俺はこの行き場のない感情を地団駄じだんだで表現した。


「どうしたんスか急に?」


 どうしたんだはこっらのセリフだ。足踏みが激しくなる。


「頭おかしくなったんスか?」


 それもこちらのセリフ。彼女からの報復ほうふくが怖くて、言い返せないのがもどかしい。


 だが冷静に考えると彼女の言う通り、俺のこの行動は客観的に見て頭がおかしい。


「ふぅ……いや、なんでもない」


 俺は何事もなかったかのように、涼しい顔をして足の動きを止めた。


 阿久津がさげすんだ目でこちらを見ている。


 俺はこの状況を誤魔化すために、もう一枚のカードを出すことにした。


「そうだ阿久津。話を戻すが」「あ、誤魔化した」「お前が教室を使えないもう1つの理由だ。それは恐らく、動画撮影の不確実さだと思う」

「どう言うことっスか?」


 誤魔化せはしなかったが、強引に阿久津の意識を逸らすことができた。


 彼女にはこのまま、俺の奇行を忘れていただこう。


「例えば俺の『読書』の場合だと、机と椅子を一つ使うだけだ。それに俺は、担任の村田と『5時までには教室を出る』と約束を取り交わして、それをきっちり守っている。だから村田は心配することなく、俺に教室を使わせているんだ」


「うわっー、ロボットミタイデキモイッスネ」


 阿久津は感情のないロボットのような無表情と棒読みで感想を挟む。


 少しイラッときたが、俺は咳払いを入れて話を続ける。


「一方『動画撮影』は、教室のどんな備品を使うか分からないし、終わる時間も分からない。責任者である山下は、お前が何かしでかさないか気が気じゃないだろう。少なくともどんな撮影をするか伝えて、彼女に許可を取るべきだな」

「なんスかそれ! クソめんどくさいっス!」


 阿久津は不貞腐ふてくされた表情で、椅子を軽く蹴飛ばすと、その勢いで教室から出て行ってしまった。


「おいっ! 片付けくらい手伝え……よ」


 彼女の耳にその言葉は届くはずもなく、俺は猛獣に荒らされた部屋に取り残されてしまった。

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