第4話 ラッキースケベ……?

「もう殴らないんで出てきても大丈夫っスよ。片付けるの手伝ってくれると嬉しいっス」


先程まで闘牛とうぎゅうのような暴れっぷりを見せた彼女がやけに素直である。

やはり退学という言葉が効いたのだろう。


言動はお手本のような不良少女ではあるが、真面目に学校には来ている。

だから、阿久津には真っ当な学生生活を送ってほしい。


「いいだろう」


彼女のことを少し信じることにした。

俺はその言葉を信頼して、金属の扉を開く。


「……ん?」


阿久津の姿が、ない。


次の瞬間、


死角――ロッカーの右側から、すらりと足が伸びた。

その足は俺の弱点を確実に狙う。


っ……」


股間にあの蹴りがクリンヒットする。


激痛は一瞬にして脳まで至り、何度も患部を往復しながら、痛みを継続させる。

そのあまりの痛さに、上手く声が出せない。油のような汗が額から吹き出る。


股間を押さえながらうずくまっていると、彼女は俺の頭を両手で掴んだ。

そして頭を抑えたまま、膝蹴りをあごの下に放つ。


その反動でメガネが吹き飛び、視界が揺らいだ。


軽い脳震盪により、膝の力が入らなくなった俺はそのまま後ろに倒れる。


「おっと、危ないっ」


一瞬耳を疑った。


だが事実として、阿久津は俺を助けたのだ。

倒れる瞬間、彼女は俺の体にのしかかり落下の軌道を変えた。


落下時に頭の横を通る物体の感覚――横目で確認するとその正体は机だった。阿久津のタックルが無ければ、俺の後頭部は机の角に当たって大惨事になっていただろう。


「阿久津、お前……」


当の本人はそのまま仰向けで倒れる俺の腹の上に、勝ち誇ったかのように跨っている。


「ふっふっふ、騙されたっすね? 音々の名演技に」

「お前、俺を助けたのか?」

「ち、ちが……いや、そうっスよ」


彼女は誤魔化しながら、無防備な俺の制服の内側に手を突っ込む。

内ポケットから生徒手帳を奪い取ると、それを開きながら続けた。


「音々が助けなかったら、えーっと……田中み? じつ?くんは死んでたかもしれないっス。音々は命の恩人っスよ」

みのるだ。お前のようなキラキラネームと違って、『田中実』は日本で一番多い名前だ」

「ふーん、没個性っスね」


そう言って彼女は生徒手帳を乱暴に投げ捨てた。


「この名前はメリットが多いから、俺は気に入ってる」

「そうっスか。じゃあ実くん、スマホを音々に渡すっスよ」


彼女はそう言って、マウントポジションを取りながら俺の身体検査を再開する。


俺の制服のポケットに入っているのは、ハンカチとティッシュ、生徒手帳。ズボンのポケットは空。


あとはリュックだが……


「おい、辞めろ」

「なるほど、そっちにあるんすね」


阿久津は抵抗する俺の両手を両足で踏んで封じ込めと、しめたと言いたげな表情で、近くに転がるリュックを拾った。


彼女は全てのチャックを開けて、逆さにして中身を一気に出そうとする。


「やめろ! せめて出すときは優しくしてくれ」

「何言ってんすか実くん? 君がものを言える立場っすか?」


彼女は一旦リュックを床に置いて、俺の口を指で摘む。


――ガタン。

不意に、何かがぶつかる音がした。


俺と阿久津は息を飲みながら、その音がした方に目を向ける。


恐らく大きな音を聞いて駆けつけたのだろう。裸眼なのでぼんやりとしかシルエットしか認識できないが、上下紺の服―は恐らく運動部――の生徒が扉の外で腰を屈めていた。


「……何見てんスか?」


阿久津が低い声で凄みながら牽制けんせいする。


「す、すいません! 私は何も見てませんから!」


それは女性の声だった。彼女は阿久津の威嚇いかくに怯え、逃げるように走り去ってしまった。


「さて、」


野次馬を退けた阿久津は、何事もなかったかのように持ち物検査に戻る。


「『さて、』じゃないだろ! いいのかお前。多分あれ、勘違いしてるぞ?」


乱暴に荒らされた教室。

床に寝る服の乱れた男子生徒とその上に跨る女子生徒。

地味な男子生徒に襲いかかる不良少女。


そのワンシーンを切り取れば、良からぬ想像を駆り立ててしまう。


「実くん、意外とピュアなんスね」


阿久津は気に留めず、そのままリュックをゴソゴソと漁る。


「お前に羞恥心しゅうちしんというものは存在しないのか?」

「しゅうちしん?」

「恥じらいの心という意味だ」

「もちろんあるっスよ。音々はか弱い女の子っスからね」


……どの口が言っているんだ?


暴力、暴力、暴力。

さらにあの命知らずの屋上からの大移動。か弱いとは対極にいる、とんでもない女だ。


「けっ、ほんとに何も持ってないんすね。弁当箱と水筒、筆記用具とこれは……予備のメガネ。あとはタブレットPC《マイパッド》っスか」


彼女はそう言いながら、リュックの中身を床に広げる。

黙ったままだと拳でも飛んできそうだったので、俺は事実を伝えることにした。


「スマホを持っていると言うのは嘘だ。俺はそもそもスマホを持っていない」

「は? 親に虐待されてるんスか?」


阿久津はあわれむような声色で俺に尋ねた。


「不要だからだ。それに、俺にはこれがある」


そう言って俺は床に置かれた、自分のタブレットPCを指差す。


「目が悪すぎて、デカい画面じゃないと見れないとかっスか?」


確かに今は視界がぼやけているが、普段は必ずメガネをかけているので問題ない。


と言うよりも、そもそもが見当違いである。


「違う。俺にとって、スマホは不要なモノだからだ」


キッパリと、そう答えた。


「友達と連絡取るとか、SNSとか、ゲームとか……」


阿久津はしつこく『高校生はスマホを持っていて当たり前』と言う常識を俺に押し付けようとする。


だがその価値観は理解しかねる。そのまま馬耳東風しても良かったが、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないので、理由を話すことにした。


「それは俺が読書をするためだけに使っている端末だ」


タブレットの大きい画面と持ち運び易さは素晴らしい。

普通の本とサイズは変わらないし、何百、何千冊の本を持ち歩くことができる。

それにいざとなればネットに繋いで、文中に出てきた分からない単語の意味を調べることができる。


「SNSもゲームもしない。本があれば十分だ」


スマホは余計なノイズが多すぎて、時間を無駄に浪費してしまうからな。


「実くん」

「なんだ?」

「ヤバい人なんっスね」


確かに俺は世間からズレているかもしれないが、お前には言われたくない――と脳内で数百回唱えた。

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