第2話 職員室にて
それは今日の昼休みの出来事。
俺は新担任の村田から、職員室に呼び出されていた。
「別にお前の人生だから、それを強制するつもりはない。ただ、勿体ないと思ってだな」
「確かに自分なら、このまま真面目に勉強すれば国立大くらい行けるでしょう。卒業生の進学実績にその大学名が載れば、この学校にも箔が付く」
「いや、俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだよ」
村田は自分のパイプ椅子に腰掛けながら、呆れた顔で答えた。
その横で立たされている俺は、だらしなくぶら下がっていた両手を後ろで組んで胸を張り、姿勢を正す。
「もちろん大学に行くメリットは分かります……が、自分は進学したくない。大学に行くよりも働いてお金を貯めたい。それを考えた結果がこれです」
そう言って俺は、彼の机に広げられた1枚の紙に目を向けた。
進路希望調査。第一志望は『就職(警備員)』。村田はその用紙を手に取って顕示する。
「でもいいのかこれで。警備員だぞ? お前は勉強できるから、もっといい条件の働き口があると思うんだが」
彼の言いたいことはなんとなく分かるが、俺には俺の将来設計がある。
俺はそもそも大学と言うものを信用していない。大学に4年間高額な授業料を払うくらいなら、その4年間働いて金を貯めた方がマシだと思っている。
今はわざわざ大学へ行かなくても学べる時代だ。高卒でも楽に稼ぐ方法はいくらでもあるからな。
「もっと楽な仕事があるなら紹介してください、村田先生」
「なら大学に行くことだな。大卒は就職先の選択肢が増える。選択肢が増えれば楽な仕事も見つかりやすい。大卒の生涯賃金を知っているか? トータルで言えば、高卒で就職するより大卒だ。いいか、大学って言うのはな……」
彼の価値観に耳を傾けるつもりはない。
話し合いをしても無駄なので、俺は適当に相槌を返すことにした。
……退屈だ。早く解放してくれないだろうか。教室に戻って本の続きを読みたい。
小さく溜息を付いて職員室を見渡してみた。
他の教師たちは自分のデスクで昼食を採りながら仕事をしている。村田に至っては貴重な昼休憩の時間を生徒の進路相談に使っている始末だ。とんでもないブラック環境……公務員なのに労働基準法が機能していない。わざわざ大学を卒業して教員免許を取った結果がこれだ。
村田はまだ30代半ばらしいが、ストレスの影響か白髪がかなり生えており、頭のてっぺんも薄い。彼が椅子に座っているせいで、ちょうど目線を向けるとその頭皮が目について、変に気を使ってしまう。教師という職業はそれほど過酷なのだ。
そんな彼の話を適当に聞き流していると、不意に猿の鳴き声のような甲高い声が耳に刺さった。
思わずその声の方を振り返ると――あいつがいた。
セミロングのストライプヘアーは黄色と緑のネオンカラー。チラリと見える耳には五寸釘を刺したかのようなピアス。ピンクに塗りつぶされた爪とその指に装備されたシルバーのアクセサリー。制服の下に黒のパーカー、スカートの下はジャージに上げ底のブーツという校則違反の展示会。口をくちゃくちゃさせているのは、恐らくガムを噛んでいるからだろう。
なぜそれが許されているのか分からないが、とにかく彼女はこの学校の正式な生徒だ。
――そう、彼女が噂の阿久津音々である。
「だから、捨ててあったのを拾っただけっスよ。悪いことに使わないっス!」
彼女を説教しているのは数学の若手女教師の山下だ。
彼女は整ったルックスと親しみやすい性格もあってか男子生徒ばかりか、女子生徒からも人気がある。そんな彼女はこの新学期に、不幸にも阿久津の担任をすることになってしまったのだ。
「ダメよ
彼女は持ち前の愛想の良さで阿久津をなだめる。
「人にぶつけたりしないから大丈夫っスよ」
自分の髪を指でいじりながら、阿久津は
彼女は何か危険なものを学校に持ち込んだらしい。
それは山下の足元に置かれていた。
……ボーリング玉?
もちろん、この学校にボーリング部なんてものはない。
人を見かけで判断するのは良くないが、阿久津がこれを持っていると、どうも悪いイメージしか思い浮かばない。廊下にペットボトルでも並べて、今にも遊び出しそうである。
誰かが怪我をする前に没収するのが妥当だろう。俺は山下の判断に一票投じたい。
「なんだなんだ? また阿久津が何か……って、なんでそんな物持ってんだお前?」
「ああ、すいません村田先生。うちの生徒が」
村田も興味を持ったらしく、俺への指導を打ち切ってそちらに顔を出した。彼が山下の肩にそっと手を置こうとして、軽く払い除けられたのは見なかったことにしてやろう。
「こんなもの没収に決まってるだろ」
「だってさ、阿久津ちゃん」
村田の票も入り、彼女の旗色は絶望的になった。
もちろん、野次馬である俺の意見も教師側である。
「……チッ。放課後になったら返して下さいね」
「いや、これは返さないよ。だって阿久津ちゃんに渡したら、何しでかすか分かんないし」
「はぁ? なんで? 音々の私物取るなんて窃盗っスよ。そもそも没収してどうするんスか、それ? 先生もそれで遊びたいんスか?」
彼女は不満そうな顔で皮肉も込めて反撃を試みた。
それを聞いた2人の教師は、顔を見合わせて溜息を付く。
「残念ながら窃盗はお前の方だ。捨てられてたゴミを拾ったと言ったな? 確か
「村田先生、それは資源ゴミに限りです。ボーリング玉がそれに該当するでしょうか? 彼女はどちらかと言えばゴミ捨て場の不法侵入、もしくは……いや、ボーリング玉を転売目的なら、財産の窃盗に該当しそうですね」
つい口が出てしまった。
俺の悪い癖だ。本で得た知識を披露したくなってしまう。
2人の教師は少し驚いた表情で俺を見つめていた。
「キッモ。なんスかこのガリ勉メガネくん。ドヤ顔で語っちゃって」
そして最初に反応を示したのは阿久津であった。
「くっ……」
俺はメガネをかけているので、『メガネくん』と言われるのは仕方ないが、他の部分は癇に障る。
この女に対して何か反論をしたくなったが、この手の輩と口論するのは無駄だと分かっているので、俺は言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
「なんだその態度は。不良生徒のお前が優等生の彼に何か言える立場か?」――代わりに村田が俺の肩を持ってくれたようだ。
「せっかく山下先生が穏便に済まそうとしてくださってるのに、お前は反省する気はないのか?」
「別に」
阿久津は適当な返事を返しながら、いつの間にやらスマホを取り出し、画面の中に意識を向けていた。
説教中にスマホを取り出す愚行。
見ている俺の方がヒヤヒヤして、心の臓を抉られそうだ。
教師側は案の定それを見て絶句していた。
「阿久津ちゃん、さすがにそれはマズいっしょ」
「おい、お前……」
「もういいっス。お昼食べる時間ないし、音々はここで失礼するスよ」
「おい待て阿久津! 説教はまだ――」
彼女は不機嫌そうな顔を見せて、勝手に部屋から出て行ってしまった。
――これが『阿久津音々』。
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