第108話 理は愛に通ずる

 僕は、無条件に神を信仰している訳ではない。


 勿論創造主、生みの親だから尊ぶべきという理屈は理解はする。ただ、残念ながら全ての生みの親が子にとって好ましいとは限らないのも事実だ。

 仮に好ましくない創造主だったとしたら、僕は信仰などしていない。


 僕が神を信仰する理由は、この世界が、美しい理に則って成立しているからだ。


 生き物を調べればその体の作りの合理性に感嘆した。

 移り変わる空にも秩序があると感激する。

 星の巡りの正確さは感心するばかり。

 大地の中には目に見えぬ働きがあると驚嘆。

 水や熱の細やかな循環は奥深い。

 魔術によって書き換えられるのは、世界の全てが、人が理解出来る論理で構築されているからだ。未だ未解明の物事も、いずれは手が届くと確信出来ている。


 その事実に、子が自らの暮らす世界をより良く工夫出来る余地を残しておこうという、成長への期待、深い愛を見た。

 神の愛は甘やかすだけでなく自立を促し、その為に世界を整えられた、それだけの偉業は尊敬に値する。

 だから僕は応えたい。


 世界は人の手が届く論理で構成されているのだから、つまり奇跡でさえも解明出来るはずだ。

 これまでにない未知。最難関の命題。

 しかし困難は望むところ。

 だから僕達は、喜びとともに奇跡へ挑む。




 すぐ近くでは天使との激しい戦闘が繰り広げられている。

 ローナやカモミール、グタンにマラライアを中心に、皆それぞれ力を尽くす。

 神話のような、理外の激闘だった。

 が、劣勢だ。

 特にグタンの負傷が酷い。手当てはしているが、長い戦線継続は厳しいだろう。

 健闘していても、戦力は足りていない。あのローナでさえも、奇跡相手では分が悪かった。

 このままでは負傷と疲労で、いずれ底をつく。


 それでも、解明が僕達研究者の役割。

 見捨てるのではなく、適材適所。

 最早途中からは戦闘を見もせず、奇跡の魔法陣の分析に集中していた。

 怒号や悲鳴、衝撃や音も届かず。恐怖や心配とも無縁。

 魔法陣、考察と研究の世界に没頭する。


天啓拝謁ジャッジメントでの経験が役に立ちますね。近い箇所が見られます」

「ああ。知識は繋がるものさ」

「しかしまだまだ初めて見る要素が多いですよ!」


 僕と師匠が意見を交わす中にクグムスの悲鳴が混じる。冷静さが欠けた叫びは、僕も内心共感した。


 奇跡の魔法陣は、非常に複雑。

 直々の御言葉により、神が与えた訳ではなく、本人の研鑽けんさんと信念によるものだと判明。

 それは、解明の取っ掛かりとなっている。

 魔術は精霊魔法を応用した論理優先の陣であり、精霊魔法でも精霊独自の理屈がある。

 だが、今まで奇跡は無秩序にしか見えなかった。精霊を介さず、直接世界に働きかける。神の御業と考えられてきた理由だ

 その謎を徐々に解き明かせている。


 陣を読み解いていくにつれ、驚きの事実が積み重なった。

 魔法陣を構成する要素には、不要と思われる部分があるのが疑問だった。

 が、部分ごとの役割を理解し、選り分けていく事で理解。不要な部分は、どうやら彼女自身の情報らしい。

 考え方、嗜好、過去、それらが丸ごと刻まれている。

 奇跡を起こす聖人が、己の存在そのものをくさびとして世界を書き換えていたのだ。


「これは、生き様が見えてきますね……」

「覗き見のようで心苦しいです」

「きひひ。我慢してもらうしかないさね」


 三人で情報共有しながら、必要だと深堀り。


 強固な信念。

 リュリィという少女の、過去。

 元々才能があり、高等教育を受け、心身を鍛え上げた。そして純粋だからこそ、教団に教わった善悪を覚え信じた。

 何色も寄せ付けぬ、純白。

 厳しさは、正義の象徴。


 壮絶な思い、敬意を込めて呟く。


「信念の成せる人の技、納得です」

「きひひひっ。そう良いモンかい? こりゃあ言うなれば、世界を変える程の思い込み、だろう?」

「その言い様は少し……いえ、確かに近いのでしょうか……」


 師匠の要約は奇跡への容赦がないが、僕としても納得出来てしまった。


 魔法にはそれぞれ特徴がある。例えば、水を熱湯にする場合でも過程が異なる。

 精霊魔法は精霊に「熱湯が欲しい」と呼びかければ、精霊が水を熱して熱湯にする。

 魔術は魔法陣に水の温度を上げる命令を書き込み、それが実行されて熱湯にする。

 それが奇跡では「これは熱湯である」と信じれば、過程なく既に熱湯になっている、というものだろう。


 強過ぎる信念が、世界を変える。

 無意識に自動的に、陣が生成されるようだ。故に複雑で整理されていない陣となっていたのだ。


 思い描く物事が、この世界では当然であると信じ込み、実現。

 理を強固に書き換える程の信念。壮絶な過去あってこその、奇跡だ。


 マラライアの場合は、極限状態における願望、部下や街があって当然、という認識が基なのだろう。


 強固な思い込み、あるいは信念。

 それを礎として陣は固定されており、無理矢理に干渉して再び書き換えるのは難しい。

 ならば。


「こちらでも新たに奇跡を作るしか対抗手段はないでしょうか」

「難しいだろうね。ワタシらじゃどうしても論理を考えちまう」

「今更その思考を捨てられませんしね」


 この案はスパッと断念。

 どう考えても僕達とは相性が悪い。

 奇跡は求めて手にするものではない。


 では次の案。


「マラライアに協力してもらうのは……」

「二つの奇跡は全く違う理だ。正面からのぶつかり合いになるし、ちと厳しいだろう」


 マラライアは今、武装と軍隊を生成している。規模が大きく、離れれば戦線が維持出来なくなる。それに、現時点でも分が悪い。

 対抗するには難しいと判断した。


 改めて考える。

 勝利条件は、聖人を救う事。

 説得して、罪悪感から解放し、暴走を止める事だ。

 それが出来ないのは、光輪の繭に閉じこもっているから。


 これは必ずしも、彼女の信念に反する訳ではないはずだ。


「この理に従った上で要望を通す形にすればいいのでしょうか」

「ふむ、それしかないだろうね」


 書き換えられた理に踏み込み、奇跡の許容する範囲で、相乗りする形で書き換える。

 これが実現可能な手段だろう。最大級に難しいとしても。


 この場合は、罪人は罰されるべき。それが当然であるという信念。

 それから法と秩序を強制的に守らせる奇跡だろう。


 本来は捕縛する光輪。抵抗や発言も認めなかった。

 それが、地獄や天使の召喚。刑罰の実行に変質した。

 それが当然だと、彼女は信じたのだ。


 しかし、罪人の尊厳を守る法もある。


 過剰な束縛や、法に合わない私刑は罪だ。

 役人の権限にも限界はある。

 断罪の奇跡の理は、教団の善悪の上だ。聖人が信じる法であれば、守られて当然のはずだ。

 そこを狙う。


 一旦断罪を中止し、裁判をやり直す。

 刑罰を遅らせる。

 恩赦を与える。

 執行人を交代させる。

 罰の内容を改める。


 奇跡の範囲に収まりそうな案を考え、魔術により次々と試していく。


 しかし、介入はことごとく弾かれた。

 陣を改変しようとするが、すぐ元通りになってしまうのだ。


「駄目か……! 他に何か……」

「恩赦は通じない、過去の国の法も思い出しちゃあいるが……」

「違う方向からのアプローチも考えた方がいいでしょうか」

「クグムスはそうしてくれ。僕はまだこの方向性で考える!」


 必死に悩む。

 罪人への容赦はない。執行人も聖人自身が担う。その役割は全て独占されていた。

 ならば罪人ではなく、役人でもなく、第三者の権利が絡めばどうか。


 例えば、と僕自身の経験を思い出す。

 純白の聖人に捕縛され、移送。一時的に牢に繋がれ、流刑を行う刑場へ。

 その過程に、何があったか。

 担当の役人は何を言ったか。

 僕達以外の収監者は何をしていたか。

 そういえば、釈放以外でも罪人が移動する事例がなかったか。


 僕もまた、南方の地で罪を犯した者を捕え、罰を下してきた。

 牢に繋ぎ、自由を制限し、償いの仕事を与える。

 その中でも、あのように身動き一つ出来ない拘束はなく、会話も禁じていなかった。


 ──面会。


 それは罪人にも利はあるが外に残された者の権利だ。制限するのは不合理。

 罪なき第三者には優しい。厳しくとも彼女は正義なのだから。

 興奮を抑えて冷静に魔法陣へ手を加える。理に則り、わずかな変更を、糸を通すような精密さで。

 祈りつつ、反応を確かめる。


「……通った!」


 思わず快哉をあげた。

 あくまで一旦束縛を緩め、第三者を入れて話す機会。繭のような光輪を一時的に緩め、対話を許す権利だけだ。

 罰自体は止められないし、遅らせる事もしない。面会の間に説得する、そんな淡い希望だけだ。

 それでも落ち着かせるか、罪悪感を多少なり弱められれば叶うはずだ。


 僕に対し、クグムスは渋い顔だ。


「……会話だけ、ですか」

「心許ないね」

「いいえ、この場合はそれが相応しい」


 今日は元々、戦闘ではなく交渉に来たのだ。

 話し合いで解決出来るのならば、望ましい。

 では、その役割は誰が背負うべきか。

 馴染みある上司か、似た厳しさを持つ聖職者か、経験豊富な人生の先達か。


 いや──と、僕は空を見上げる。

 眩しい軌跡を描く、妖精の羽。勇ましく揺れる獣人の耳と尻尾。

 懸命に奮闘するカモミール。我らが聖女。


 この厳しい環境でも、ずっと、真っ直ぐな善意を胸に頑張っていた。戦いではなく、人々を救って笑顔にする事を目的に。

 自らの罪悪感を抱えた聖人は、最早論理では救えない。赦しを与えるのではなく、自らを赦せるように説くしかない。


 必要なのは、無償の愛だ。


「カモミール! 今から聖人に繋ぐ! 説得してくれ!」


 呼びかければ、すぐに振り返る。

 少女らしい純粋な、弾ける笑顔。しかし決意を持った、芯の強い表情。

 大仕事を安心して託せる、強い姿勢だ。


「ありがとう! 絶対に、リュリィさんを助けてくるね!」


 返事を受けて、素早く陣を操作。

 カモミールに光輪と同じ輝きが宿る。天使に負けない神聖な存在感。対話を果たす鍵だ。


 あくまで戦意ではなく愛情を持って、彼女は光の繭へと飛び込んでいくのだ。

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