第106話 罪は己の内にありて

「これは……まさか……」

「傍迷惑なモンだな」

「なにこれ……気持ち悪いよ……」

「……ここまでとは」


 暗く、寒く、息苦しい空気。ただそこに居るだけで押し潰されそうな圧迫感。

 質の悪い魔力が体に染み込んでくるような感覚がおぞましかった。

 つい先程まで神々しい聖域だった山頂が、今は禍々しい。

 その原因は無数の光輪に包まれた聖人が作り出し、地面に広げた黒い光輪。

 罪人を縛るのではなく、内側に底無しの穴を宿す。更には炎を燃やしていた。僕達に熱は感じらない不可思議な炎が揺らめく。不浄な空気も漏れているようだ。

 彼女の言葉と照らし合わせれば、正体が見えてくる。


 地獄。

 その門とでもいうのか。

 “断罪の奇跡”。

 その極地、最大の裁きが、執行されようとしている。


 僕は肝が冷えるのを感じていた。

 これは流石に予想外の展開だった。


 罪悪感は、常に己の内から。


 僕達が、どれだけ罪人だと言われても罪はないと反抗していたように。

 どれだけ罪ではないと他者から言われても、本人が罪だと思えば罪悪感はのしかかるのだ。

 他人にも己にも厳しいが故の、厳罰。公平であるが故の、不寛容。僕達を道連れにしようというつもりのない、自責。

 だがやはり相応しい罰が地獄行き、とは明らかに過剰な結論だ。神に見放された土地を否定した事で、流刑が最大の罰足り得なくなったとはいえ。

 直情的で苛烈な正義。

 彼女の人生を思わずにはいられない。


 さて。

 では僕達はどうすべきだろうか?

 このまま見ていていいのだろうか?

 万が一を考え、巻き込まれないように逃げるべきか?

 自らの安全確保を最優先とするならば、そうすべきかもしれない。


 しかし、僕はつい先程も誓ったのだ。

 神に、研鑽けんさんを積み続けると。つまりは神が望む、他者に善意を向け続ける事を。口だけで動かない事を、神は良しとしないはずだ。

 更に交渉材料の一つとして、教団の見殺しの罪を糾弾した。であれば見殺しは出来ない。吐いた言葉には責任があるのだから。

 それに、このまま進めば聖人一人だけではなく、周囲一帯、僕達の街にまで被害が及ぶ可能性がある。本当に安全確保をしたいのなら、放置は出来ない。

 そしてやはり、眼の前にある未知を見過ごせない。未知を解明する事こそが僕の人生だ。


 つまり、信仰、道義、安全、信念、どの観点から見ても、この事態を解決すべき、という結論になるのだ。


 と、そこまで考えたところで。


「ペルクス、どうすれば助けられる?」


 カモミールが真剣に問うてきた。瞳は純粋で真っ直ぐ。多少緊張はしていても、怯えや迷いは一切なし。

 恐らく、僕のような思考を辿らず、一足飛びで出した結論だろう。

 ひたすらに、善性の発露。


 神直々の称賛を受けただけはある。

 僕は心からの笑みを浮かべて応える。


「気絶させるような強硬手段は恐らく無理だ。僕達で分析するが、時間がかかる。それまで皆を守っていてくれ」

「分かった! 精霊さん、皆を守って!」


 心地良い返事をして、意気揚々と空へ飛び出す。

 羽の輝きが鮮やかな虹めいた軌跡を描いた。

 精霊魔法が広がる。地獄に対抗する清浄な風が降り注ぐ。

 この空気であっても、カモミールの心中は絶好調らしい。とにかく聖人を救おうと頑張ろうとしているのだ。


「まさか奴を助ける羽目になるとはな」

「だが争うよりずっと良い。カモミールも喜ぶ」

「キャハハッ。そりゃあそうだな! 精霊オマエら、ありったけの力を貸せ!」


 高笑いするローナ、落ち着いたグタン。

 娘に負けじと、強力な精霊魔法が更に重ねられた。

 一人一人を包む、鎧のような障壁。結界。不浄を通さず安心して分析出来る、堅牢な城壁だ。


「きひひっ。まだ大仕事が残ってたか。退屈しないよ、全く」

「師匠!」

「報告は後だ。やるよ」

「……ボクは正直、自信がありません」

「なら尻尾巻いて逃げてもいいんだよ。ワタシは責めやしない」

「……いえ、逃げません。逃げられませんよ」


 陸鮫達に遅れて、別働隊から更に頼もしい味方が合流。

 不敵に笑う師匠はともかく、顔色の悪いクグムスには不安があった。

 顔は頭上、カモミールに向けられていた。

 確かに、幼い聖女に任せるばかりでは、大人として格好がつかない。

 僕と師匠はもとより、クグムスも覚悟を決めた。

 三人視線を交わして頷き、唱える。


「“展開ロード”、“分析アナライズ”!」


 三人の声と意志が揃う。

 途端に溢れてくる情報。奇跡を実現する魔法陣を読み解いていく。

 好奇心も恐怖も抑えて、冷静に観る。

 観察こそが、僕達の戦いだ。




「リュリィ! 落ち着くのです、リュリィ! 貴女に罪はありません!」


 アーノルフは繭のような光輪越しにひたすら呼びかけていた。

 黒い光輪、炎の内側に立ってまで。彼もまた焼かれているはずだが、裁きの炎は罪人だけを焼くのか。

 いや、確かに肌が爛れている。身を挺しての呼びかけだ。聖職者の鑑らしい。


 が、そんな彼を無理矢理引き剥がし、輪の外に運ぶ影があった。


「貴方こそ冷静に。今は言葉の出る幕ではありません」


 アブレイムだ。

 姿勢を整え、アーノルフに一礼する。


「お久し振りです、先生。ご挨拶が遅れましたね」

「……こちらこそ、気付いていながら無視する形になって済みません。君の論理は相変わらず耳が痛い」


 知り合いだったらしい二人。アーノルフは苦笑していた。

 交渉にあたって、確かにアブレイムの知恵も借りた。教団や教義については彼の方が博識だから。

 彼はやはり厳しく言葉を紡ぐ。


「では更に一つ。才があるからといって、幼い少女に重責を背負わせるべきではありませんでした」

「全くです。反論出来ません」


 悔いる様子のアーノルフ。アブレイムは静かに責めるように、淡々と見下ろしていた。

 しかし、それ以上は何も言わない。

 手を伸ばし、杖で聖人を包む光輪を軽く打ち据える。甲高い鐘のような音が鳴った。


「断罪の輪の、罪人を縛る権能は変質していますね。しかし強固さは健在、と」

「力が通じないのです。やはり言葉を信じるしかありません」

「いいえ。祈りましょう」


 黒い光輪のすぐ外側、炎の間近に膝をつき、手を組む。乱れのない綺麗な姿勢。

 祈りの形だ。


「奇跡が神の御業ではなく人の力だというのなら、人の手で覆せるはずです」

「……はい。今こそ償いの時です」


 アーノルフも隣に並ぶ。

 神の帰った天を仰ぎ、炎をものともせずに、祈る。


「神よ。憐れな子羊を守り、お救いください」

「道に迷う子に、どうかお導きを」


 二人は真摯に身と心を捧げる。

 祈りは神と、その使いたる精霊への呼びかけ。精霊魔法でもある。

 だからこそ強い信仰心は強力な魔法を生むのだ。

 炎は二人の思いを聞き届けたように、確かに穏やかになった。



「人の力、か」


 マラライアが呟きながら前に進んだ。


「神を否定したい訳ではないが。これは、私の研鑽と信念などではなく、皆から託されたものだと思うのだがな。故に命は無駄に出来ない」


 穏やかな顔つきは郷愁の念を感じさせた。己の誇り。それを胸にしまうと、厳しい緊迫感を漂わせた。

 戦闘態勢になって、炎のすぐ傍へ。


「貴女も向き合え」


 光に包まれたマラライア。自らの奇跡による守護だ。

 炎を無視してズンズンと歩み寄り、光輪を掴む。

 呼びかけつつ、干渉している。

 奇跡同士、聖人同士の対峙。目に見えずとも、苛烈なぶつかり合いだった。



「来ぉい、クロムジード!」


 シャロが妙なポーズを決めて叫ぶと異形が出現した。僕が姿を見るのは始めてだが、外界より来訪した、馴染みある仲間の一人。

 様々な楽器を纏う音楽の御使いは、しかし肩をすくめて首を横に振る。


「さあ、今こそ活躍を……え? あー、さっきのに力を渡して、もう出来る事が少ない?」

「こんな時でも締まらないわね!」


 サルビアは呆れも露わに見つめた。

 蓄えた魔力は、確かに限界まで“天啓拝謁ジャッジメント”に使わせてもらっていた。神からの祝福はあれど、現界するので精一杯か。

 しどろもどろになりながらも、シャロは諦めずに自らが出来る事を探す。


「いやでもほら、さ。応援は要るでしょ?」


 シャロが演奏すれば、クロムジードも全身を用いて奏でる。

 様々な楽器が同時に、艶やかな技術で音を鳴らす。二人きりの豪華な楽団。

 山頂に美しく荘厳な音色が響き渡る。


「これはいいわね」


 サルビアの歌も、やはり楽器の豪華さに負けていない。

 地獄由来の不快さを打ち消す煌めき。皆の力を引き出す、最高の背景楽だ。



「……来て」


 ワコもメフアトレスを呼んだ。

 舞い降りる異形。鮮やかな芸術の御使い。


 まず黒い光輪に白を塗ろうとしたが、あえなく弾かれた。簡単には覆らない確固たる色。

 ワコはめげず、代わりに空へ飛ばす。

 明るい天の色。カモミールの更に上、空をキャンバスに、神の降臨した神々しい景色を再現した。

 明るい色彩が心を照らし、晴れやかにしていくのだ。



「皆さん、無理は禁物なのです」


 更にベルノウもシュアルテンを呼び出す。

 地を踏み締める異形。雄々しき酒と宴の御使い。


 甘く爽やかな香りがふっと広がり、気分が良くなる。

 酔わず、冷静なまま、宴の気配だけを味わう。

 皆の心を癒やし、精神を高揚するのだ。


 異なる信仰。それぞれの供物。

 並ぶ御使い達の姿は圧巻で感慨深い。

 音楽と芸術と酒宴も、間接的な戦闘の一部。神聖なる場を混沌で彩る、僕達らしい祭の様相を呈していた。



 皆が、それぞれ出来る限りに力を尽くしている。

 陸鮫やゴブリンも精霊魔法を使い、アーノルフ以外の教団の者達も祈っている。手を尽くした総力戦だ。


 他者にまで無理強いはすまい。危険であり、憎しみを断てない者もいるだろう。

 と、考えていたが、どうやら余計なお世話だったらしい。

 一つとなって救おうとしている。

 地獄への抵抗、神話は未だに続いていた。



 しかし足りない。事態は悪化していく。

 黒い光輪が徐々に広がっているのだ。

 むしろ、皆の顔色が青くなっていた。段々と生気が薄れていくように。

 分析すれば、特に心身を蝕まれている訳ではないと判明。

 単なる疲労、重圧による消耗か。

 地獄は未だ完全には開いておらず、気配が漏れ出しているだけなのに。


 どれだけ深い罪悪感があるというのか。


「皆! 僕達が必ず突破口を見つける。なんとか維持してくれ!」

「いや、まだまだ奥が深いみたいだよ」


 師匠が顔を引きつらせて言った。

 聖人の足元から、更なる重い気配。

 強烈な悪寒。逃げ出したくなる、本能の警告。自然に身震いするのを止められない。


 そして、巨大な手が出てきた。

 天へ伸びるそれはたおやかでありつつ、逞しい。

 続いて現れた顔は、美しくも厳しい憤怒の表情。

 精緻に整った体の、背中に翼。全身から敵意。


 巨大な、天使だ。

 聖典には確かに、悪魔を裁く天使の存在か記されていた。

 だとすれば、これも断罪の奇跡の一部。聖人の信念が生み出した、使い魔のような存在か。

 罪人を迎えに、妨害する者を排除しに来たのか。

 拮抗する状況を打ち砕く、過剰なる一手。


 人の手に余る奇跡に恐れ慄く。

 本当に神の御業ではないのかと、疑いたくもなる。


 潰されそうな威圧感。分析の手が、思考が、止まってしまう。

 冷静でいようとすればするほど、焦りに火が付く。呆然と眺めるばかり。




 だが。


「負けないよ! 絶対に助ける!」


 何処までも純粋な声が、自失を断ち切る。

 カモミールが、慈雨を降らせるように、天から優しくも強い声で宣言した。





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 101話にて完結です。残り5話は1月1日から連続投稿します。

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