第105話 尊き対話、奇跡の頂

 ──その祈り、聞き届けた。


 真っ白に輝く空から、荘厳な声が降る。

 翼を持つ巨大な人影。ローブのような緩やかな服を身に纏い、神々しい眩さによって詳細な顔立ちはよく見えない。

 ただ、圧倒的な力と威厳が感じられた。


 神。創造主。

 その御姿。その威光。


 計画していた張本人だが、いざ目の当たりにすると、その偉大さに震えるばかり。ひたすら身に余る有り難さだ。

 立場が違う他の者も皆平伏している。

 神聖な静寂。体が強張る緊張感がありながら、決して悪くない空気感。


 そして神は、じっと僕の言葉を待ってくださっている。眼差しは見えずとも、慈愛が感じられた。

 だから僕は震えを意地で止めて、最大限の敬意を持って声を発する。


「此度の降臨、誠に感謝致します。私は研究者の端くれのペルクスと申します。本日は恐れながら質問をさせて頂きます。……魔法を用いた命の創造は罪悪なのでしょうか」


 なんとかハッキリと言い切った。

 いきなりの本題。失礼ではなかったかと、言い終えてから不安が募る。


 僕の信じてきたものが独り善がりではなかったか、今、審判の時。

 喉が渇いて仕方がない。唾すら出ない。

 呼吸が乱れそうになるのを、意識して浅くした。

 肉体は痺れる、五感も薄い。

 時間は恐らく数秒。しかし、重い。

 創造主、父に叱られるのではないかと心細くなる子供か。

 カモミールは、ローナは、グタンは、どんな気持ちで待っているのだろうか。


 僕達の行く末を左右する神託。

 神は、重々しい威厳の下に、告げる。


 ──われは子の喜びを妨げる事を良しとしない。


 聞こえた瞬間に湧き上がるのは、歓喜。


「それでは、こちらの娘、カモミールは御身が祝福された存在であるのでしょうか」


 つい意図を確認すべく、早口になりながら言葉を重ねた。


 ──その娘は確かにわれの保護下にある子らの一人である。


 歓喜は今度こそ身体全体に巡った。

 辺りを探る余裕はない。感動に打ち震える。

 ひたすらに明るいカモミールの声で、やっと我に返った程だ。


「ありがとうございます、神様! 皆を認めてくれて!」


 ──良い。われは他者に善意を向ける子をこそ望む。


 直々に言葉を交わす、その言葉遣いや態度にハラハラしたが、神は人が作った礼儀にはこだわらないようだ。

 偉大さに負けぬ、尊い笑顔。

 グタンとローナがすぐに駆け寄り、ひしと抱き合う。肌に触れ、撫で、笑う。幸せそのものの姿。

 まさにこの瞬間を得る為に、僕は経験を積み重ねてきたのだ。

 家族。愛の証明。

 それが一つの結実を迎えた。


 しかし、異を唱える影が一つ。


「お待ちください!」


 聖人が顔を上げていた。

 完璧な祈りの姿勢のまま、自らの信念が崩れないように問いかけた。


「私は“純白の聖人”、リュリイと申す者です。生命の創造は主の御業。人がその領域を犯す事を、御身は許すのでしょうか」


 ──許す。人の成長はわれの喜びである。


 僕の考えていた通りだ。

 神は巣立った子を見守り、成長に慈しみを感じている。むしろ自らの領域にまで至る事を期待しているのだろう。


 しかし聖人の思想とは、真逆。彼女は絶望的な表情で言い募る。


「主は私に断罪の奇跡を授けてくださいました。であるのならば、罪人を裁く事は私の使命なのではありませんか!」


 聖人は平静をぎりぎりで保って叫ぶ。

 目に見えて必死な訴え。教団の歴史、己の過去、信念、全てが崩壊する瀬戸際で、少女は救いを求めていた。


 だが、しかし。


 ──われはそなたに奇跡を授けていない。


「……………………え?」


 間の抜けた声が漏れた。

 敬意を一時忘れたような、余りにも大きな衝撃。


 ──そなたの力はそなた自身の研鑽けんさんと信念の賜物。誇るが良い。


 予想外の真実。

 僕も強い衝撃に揺さぶられ、神と聖人の間で視線を彷徨さまよわせてしまった。


 神直々の称賛を受けて、しかし聖人は喜びもせず、狼狽しながら言葉を紡ぐ。


「……は、いえ、しかし、この力は通常の魔法の域を超えた、主の御力の一端であると……」


 ──そなたの研鑽と信念こそが人の域を超えていたのだ。子の成長は真に喜ばしい。


 思わぬ答え合わせは覆らない。

 今度こそ聖人は言葉を無くした。


「それではつまり、私の力も私の研鑽と信念の賜物なのでしょうか」


 マラライアもまた、戸惑いながら問う。


 ──その通りだ。素晴らしい子の多き事は非常に喜ばしい。


 彼女の奇跡は南方での極限状態において目覚めた。心身が壊れかけても失われなかった、仲間と故郷への思い。それらが在って当然だという信念の強さが奇跡をもたらしたのか。

 その経緯、マラライアの元々の経歴も合わせれば、納得ではある。


 貴重な情報を得られた一方で、聖人の意味が変わる。

 神に神秘を託されたのではなく、己の技で神に近付いた存在。認められた事には変わりないが、やはり印象は違ってくるのだ。


 聖人は愕然とする。力なく俯き、地に崩れるのをなんとか耐えているといった様子。

 代わりに、アーノルフが発言する。


「それでは、私共の行動は間違っていたのでしょうか?」


 彼の立場からすれば、口にしてはいけないはずの迷い。それも、神の前では無意味。

 神は等しく子羊に答えを授ける。


 ──われは子らのいさかいを望まない。しかし秩序の維持は必要。そなたらの行いもまた、認めよう。


「有り難き御言葉、感謝致します」


 寛大な御心に、アーノルフは最敬礼を返す。

 背後の信徒達も揃って敬意を示した。

 続けて声をあげるが、神は遮る。


 ──子らとの語り合いは実に名残り惜しい。しかし終わりが近い。


 慣れぬまま言葉を交わしてきたが、そろそろ時間だ。

 周囲に満ちた輝きが弱まっていく。

 魔術の効果の限界が近いのだ。それを、神も察知していた。間違いなく僕以上に。


 ──儀式の再生、見事。しかしこの通り未熟な部分も残っている。引き続き研鑽を積みなさい。


「はい。肝に銘じます」


 ──われは子らの成長と幸福ある繁栄を願っている。故に、此度は祝福を授けよう。


 魔力が降り注いだ。

 優しく、柔らかく、温かく、幸せに満ちた魔力だ。疲労は消え、体調は万全に。活力がみなぎってくる。

 祝福。神の御業。感激に全身が打ち震えた。


 そうして神は座所へとお帰りになり、天上の輝きは薄れ、元通りの空へ。

 神話の再現の終わりだ。


 ふうっと、息を吐いた。

 緊張感から開放されて、軽くなる。神々しさに浸る時間が終わって残念だが、未練は残すまい。

 様々な面で有意義だった。

 証明は終了。


 僕は意気揚々と立ち上がる。


「さて、司教殿、交渉の続きといきましょうか」

「……はい」


 アーノルフは僕に応え、聖人をチラリと見る。

 ガックリと項垂れたまま、動く気配もない。

 一度纏まりかけた交渉へ異を唱えた彼女に、問う。


「主は彼らの主張をお認めになられました。故に交渉を再開しようと思います。反論はありますか?」

「いいえ……」


 力なく返答。祝福があろうと蘇らない程に消沈しており、見る影もない。


「彼女に変わって謝罪します。皆様、罪人扱いしてしまい申し訳ありませんでした」

「大丈夫だよ。全然気にしてない」


 カモミールは朗らかに笑いかける。

 ローナは何か言いたそうだったが、娘の意思を尊重したらしい。


 しかし、交渉はやり直しだ。


「さて、交渉の続きでしたね。生命の創造は罪ではないとはいえ、他の人物、単純な重罪人の罪深さは変わりません。聖人の管理下に置く事で特例とする話でしたが……」

「聖人は神から使命を授けられた存在ではありませんでした」


 これは予想外だった。

 聖人であるならば信用出来る、という理論が崩れてしまう。

 予想外だった、が、しかし事前の計画に収まる範疇はんちゅうだ。


「今日この日、神が降臨し、新たな信託を直接授けてくださいました」

「はい。聖人は直接称賛された、尊き存在である事に変わりは……」

「いいえ」


 アーノルフの言葉を遮り、僕はあっけらかんと、最後の切り札を明かす。


「これを記念し、祝祭を新たに作るべき一大事。勿論僕は今回の儀式の全て提供し、教団に託しましょう。そして──この一連自体が、恩赦に相応しい慶事ではないでしょうか」


 恩赦。

 神の恵み、神の赦し。

 他者を慈しみ愛すべき、という教えの下の秩序。


 カモミールの無罪証明は絶対だったが、それだけでは足りない。

 全てだ。

 全てを勝ち取る事こそが、僕の目的だった。

 神を利用するようで心苦しいが、あくまでそうした形になるだけであって正当な流れだ。不敬ではないだろう。

 この作戦を話した時の皆の反応は、呆れが強かったのは確かだが。


 アーノルフは目を見開く。そして、穏やかでありながら、悪巧みの共犯者のような茶目っ気を見せてくれた。


「……はい、そうですね。主が御降臨なされた、これは恩赦が相応しいでしょう」

「ならば」

「はい。教皇様に進言し、お認めになられるまで時はかかるでしょうが、確実に通るでしょう」


 聖人を除いて、教団側の人員がどよめく。しかし反論はない。誰も止められない。

 法と秩序の下、辻褄合わせ。前代未聞でろうと、筋道は正当なものであるから。


「あなた方の減罪をお約束しましょう」

「こちらこそ、互いの繁栄を約束します」


 固く握手を交わす。

 改めて契約や今後の罪人の処遇を取り決めるので、厳密にはまだ遠い。

 だが、これで、全てが叶った。

 僕達は晴れて自由の身となるのだ。

 抑えようとしても抑えきれない歓喜が、僕達の間に膨らんでいく。


 教団の者達も興奮覚めやらぬ中、速やかに帰り支度。

 アーノルフは去り際に、聖人の前へしゃがみこんだ。


「リュリイ。気持ちは察しますが、今は帰りましょう。主は貴女を責めませんでした」

「わ、私は、最早誰にも顔向けが出来ません……」


 酷く狼狽し、顔を歪める。哀れみを覚える姿。

 僕達を捕えた張本人ではあるが、やるせない。


「へっ、いい気味だぜ」

「今までずっと間違ってたんだ。今度は自分を罰しろよ!」


 陸鮫が口々に追い打ちをかけた。

 他の者も、口にはせずとも、似たような思いはある。

 とはいえ無礼は止めようと、彼らを叱ろうとする。


 が、当の本人は、罪を認めた。


「……そうです。私の力は主より授けられたものではなかった。なのに、主より認められたと疑いなく振るう。なんと傲慢だったか!」


 悲痛な金切り声で叫ぶ。親を見失った子供のように。


「罪人は私の方でした! 私は悪辣な人間でした!」

「リュリイ。落ち着きなさい」

「いえ、いいえ。罪人を許してはいけません」

「間違いは罪ではありません。一度深呼吸を──」


 アーノルフの言葉も全く聞かず、聖人は光輪を生み出した。奇跡、自らの研鑽と信念の結実を。

 こちらにではなく、自分自身に。


「罰を下しなさい! 縛り、打ち据え、首を括るのです!」

「リュリイ! いけません自ら命を捨てる等!」


 アーノルフが肩を掴んで揺さぶる。

 自死は大罪。新たに罪は犯せない。頭が冷えたか、聖人は止まるしかなかった。


 哀れだ。

 カモミールが泣きそうな顔で僕を見た。

 僕が遠因ではある。だがどうすれば救えるのか。


 神からの称賛が、逆に絶望へ変わってしまう人物を。


「何故! 何故! これでは、私は、罰が……地獄へ行かねばならないのに!」

「待つのです。主はお赦しになるはずです!」


 必死な説得も届かない。ひたすらな自責。

 そして彼女は、思いついてしまった。


「──ならば、自ら参りましょう」


 光輪が無数に出現し、聖人を包む。縛るどころか、最早まゆのように隙間なく。

 そして、次に作られた光輪は変質していた。

 暗く、色濃く、神聖とは反対の物へと。

 今まで感じた事のない歪な気配。

 嫌な予感が、寒気となって体を走る。


 それが地面に接すれば、大穴が空いた。

 底知れぬ真っ暗な闇。不吉な気配を漂わせる、人知の及ばぬような深淵だった。


「主よ! 罪人を相応しき場所へお送り致します!」


 聖なる山頂に開いたのは、まさか地獄の門か。


 断罪は未だ終わらず、立場が逆転して続いていた。

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