第102話 神域の交渉、善意の保証
山頂の聖域でこんなにも動きがあるのは、もしかしたら千年以上なかったのではないだろうか。
晴れ渡る空は近く、雲は眼下にも見え、強い風は冷たい。息は白く、しばらく温暖な地域にいたせいか、低い気温が辛い。
神殿の造りをじっくり調べたいが、あまり目立つ動きは避けるべき。非常に残念だ。
衛兵がこちらを睨むのは大して気にならなかった。涼しいものだ。
しかし時間が過ぎるにつれ、徐々に緊張感が高まる。
交渉に応じてくれるのか。問答無用で再捕縛されて終わりか。
予想と対策はすれど、安心は禁物。
ただ、備えて待つばかりだ。
風が雲を寄せてきて、太陽が隠れた。
影が聖域に落ちる。
冷えに体が震える。
そこに、魔力の異変を感じ取った。
「……む」
「転移の気配だな。来やがったか」
皆を見回し、頷き合う。
遂に、運命を決する時だ。
相手が見える前に、僕達は歓迎の姿勢を整える。
シャロとサルビアに讃美歌を高らかに響かせてもらう。
カモミールとローナによる精霊魔法で花びらを舞わせて、香りを撒く。
そして両手を広げて、人懐っこさを意識して声をあげる。
「やあやあ、お待ちしておりました! ようこそ、教団の皆様方!」
到着の途端、音と香りに包まれる一団。
まず先制の一撃に、教団の皆様は面白いように硬直していた。
教団から派遣されたのは、十人程。多くが出鼻をくじかれ、キョロキョロと辺りを見回して事態の把握に努めている。
しかし、一人。
スッと目を細めて、小柄な少女が静かに僕達を睨んでいた。
集団の中で一際に目立つ、敵意の塊。
彼女こそが、異端審問官筆頭、“純白の聖人”、リュリィ・ヒズベルク。僕達を捕えた張本人、“断罪の奇跡”の担い手だ。
早くも戦闘態勢。ビリビリと肌を刺す殺気じみた気配に、ゴクリと唾を呑む。
神聖な立場でありながら荒ぶる性質を持つ、強硬な潔癖さは、正に他の色を許さぬ純白。話し合いが通じないと思い知らされる。
しかし彼女を手で制して、老齢の男性が前に進み出てくる。
「……神罰の地に赦しが与えられたと聞きましたが詳しく聞かせてもらえますか」
「……これはこれは。アーノルフ司教様。異端の罪人の処遇にわざわざ御出で下さるとは」
教義や信仰に差異はあれど、僕は教団の内情を公開される範囲で知っている。反論するからには必要な知識だからだ。
司教アーノルフ。異端審問を管理する権限を持つ、地位の高い大物の一人だ。
清廉潔白。自らの努力と私財で人々を救い、良き道へと教え導く、数々の功績を残す高潔な人物であるようだ。
賄賂になびくような小物ではない。もしそうなら楽だったのだが、まあそんな小物はそもそも危険な異端者の前には出てこないか。使命感の強い者が現れたのは必然とも言える。
アーノルフは老練な知性を感じさせる、ゆったりした声音で話し出す。
「天上の主の御業が地上に表れたとなれば歴史に残すべき一大事。確認の役目は光栄な事です」
「罪人の戯言と一蹴されないので?」
「人を見る目には自信があります。報告に来た者は信用が置ける人物です」
あくまで対等な立場であり、侮り等はない。
相手によっては搦め手も考えていたが、彼の場合は逆効果だろう。正攻法しかない。
僕は背後、南側の崖際を手で示す。
「ならば御自身の目で確認なさるとよろしいかと」
「はい。そうさせてもらいましょう」
アーノルフの一声で彼らは移動する。
衛兵、異端審問官がピッタリと寄り添い、最大限の警戒。無論“純白の聖人”も。司教の命には従うらしく、今のところは大人しく睨みを効かせるだけだ。
僕達もここでは静かに数歩下がった。ただし音楽や演出は続けたまま、きつく睨まれても何処吹く風で。
そして教団の一行は、生まれ変わった土地を目の当たりにした。
背中だけでも、その驚愕の程が窺える。
「……ふむ。これは、確かに。伝え聞いていた魔界の様子とはまるで違います」
「……どうなさるのですか?」
動揺の声は部下からだ。
アーノルフはただ黙して眺めている。この
しばし後、ゆっくりと振り返って僕達を見た。
「君達が蘇らせたのですかな」
「それはつまり、神のご意思ではないと疑われるので?」
「魔法の得意な者が揃っています。長い時間もありました。この可能性は無視出来ません」
「神を疑い、試すのは聖典の教えに反するのではないですか」
「疑い、試しているのは君達です。神の御業の認定は厳しいものなのですよ」
悪意や敵意はない。じっと澄んだ視線に射抜かれては、全てを見透かされる気分になる。
あくまで真実を見極めようとする姿勢。
手強くもあり、有り難くもある。
「何をすれば証明になるので?」
「言ったはずです。人を見る目には自身があります、と。君は何か隠していますね」
ハッタリか。
いや、人生経験から来る確信だ。
証拠がないと突っぱねる事も出来る、が。
「……認めましょう。これは我々の仕業です」
「ほう」
アーノルフの柔和な目が険を帯びた。しかし未だに懐の深さがある。
ここが勝負所だ。
ローナの暴走が精霊と魔力の流入を招き、それを呼び水として蘇った。
と、素直に言う。
その選択肢もあったが、ここはより分かりやすく都合の良い筋道を示す。
「しかし、神に認められた、新たな聖人の御業なのです」
「何を!? 今度は聖人だと!?」
部下が怒りも露わな声で叫ぶ。“純白の聖人”に至っては視線だけで人を害せそうな形相だ。
それらもやはりアーノルフは手で制する。
「聖人の騙りは重罪です。罪人が更に罪を重ねますか」
「ならば証明しましょう」
僕は一時下がり、マラライアが応えて前に。
堂々と、凛々しく騎士の礼。
「以前はジョーケント騎士団に所属しておりました。マラライアと申します」
「貴女が聖人として認められたと?」
「はい。このように」
瞬時に部下を呼び出し、背後に整列させた。
鎧を纏う彼らは、司教に忠誠を誓う聖騎士団のよう。景色も合わさって絵になる。
奇跡。夢想を形にする神秘。
教団の彼らは驚愕の一色に染まる。
「……これ、は」
「おお……」
奇跡でしかあり得ない神秘。
疑い、彼らなりに魔法で調べるも、結果は当然未知。奇跡を自分で証明する結果に。
跪き、祈る者もいた。
かつての神罰の土地を見た時以上の慌てよう。
「私に与えられた奇跡は、このように無から有を作り出します。やはり、このように」
次は緑を生んだ。草花が萌える。明るい花畑が香った。
この奇跡で、土地を蘇らせたと主張するように。
神と神獣、祖竜。
他の創造主がいる、聖典は出鱈目ばかりだ。という方向性は避けた方が良いと判断した。
新たな聖人、という交渉カードを切るのに最善だと思う。
一時凌ぎの嘘は悪徳であり、後々厄介事の種にもなり得る。
それでもまだ早い。柔軟な者ならともかく、頭の固い者には受け入れられまい。拙速な糾弾は戦争の種にもなり得るのだ。
アーノルフは一歩一歩、ゆっくり近寄ってきて、マラライアの肩に触れた。
「おお……真に新たな聖人。すぐにでも罪を取り消し、認定しましょう」
「身に余る光栄です」
ざわっと部下に動揺が走る。
罪人が聖人に。あり得ない立場の変化は、しかし司教の決定。軽々しく意は唱えられない。
“純白の聖人”は、聖人同士感じるものがあるのか若干目付きが柔らかくなっていた。
マラライアは儀礼的に、恭しく語る。
「私は与えられた役割を理解しました。魔界に遣わされたのは浄化の為だったと」
本音ではない、事前に覚えた台詞をスラスラと。
シャロ達劇団組の指導が活きていた。
「そして魔界が浄化された結果、南方の人類は既に悪魔を撃退していたと知りました」
ピクリとアーノルフの顔つきに警戒が浮かぶ。交渉の行く末を感じ取ったか。
それには反応せず、平然とマラライアは続ける。
「山脈より南は魔界と、そう聖典に記述のあるのは承知しております。しかし、聖典は千年以上の遥かな過去に書かれた物です」
「聖典を否定するのですか」
「いいえ。大陸の南方は聖典が書かれた後、千年の間に変わっていたのです」
あくまで全面的な否定はしない。
ただ、受け入れられる余地に、落とし所に誘導していく。
「魔界とは大陸南方全てではなく、北方と南方の境の、あの荒野だけを指す言葉だったのでしょう」
アーノルフは沈黙して聞き役に徹していた。
じっくりと僕達の思惑を見極めるように。
「そして南方の住人は、今この場にも同席しております。彼女はワコ。竜人です」
「よろしくお願いします」
畳み掛けるように次の手。ワコが姿を現す。
言葉遣いに気をつけてもらったので妙な感じだ。
その竜の要素を持った異質な見た目に、幾度目かのざわつき。中には失礼な態度を取る者もいたが仕方がないか。
マラライアに代わり、僕が話を引き継ぐ。
「僕達が交渉の席を希望したのも、ひとえに彼女らと北方との繋ぎとなる為なのです」
「私達は交易を望みます。貴方がた北の国々との平和な交流を希望しています」
多少たどたどしさはあったが、文言は台本通り。十全な仕事だ。
ここで流れを掴む。
神の御業や奇跡の証明から、実利的な交渉に移行させていく。
「こちらには冬でも作物が実る、豊かな土壌があります。満足して頂ける量を用意出来ます」
「……有り難い提案です」
温暖な気候はそれだけで利点だ。
ただでさえ冬は保存食頼りで、度々飢饉にも見舞われてきた。飢えに苦しむ民を支援する国も教団も、資金があっても物がなく、常々調達に悩んできたのだ。
魅力的な条件を差し出せば相手は乗らざるを得ない。交渉が成立するのなら多少の損も受け入れよう。
とはいえ下手に出過ぎて買い叩かれるのも困る。
その為に、ワコには少し怒りを見せるように指示していた。
「罪人を送り込まれた迷惑料も欲しいところですが、求めません」
「……それは失礼しました。どうか無知な我々をお許しください」
アーノルフは姿勢よく、本気で謝罪してきた。
南方の人々を罪人とはせず、対等に誠意を持って接してくれる。正に聖職者の鑑だ。
そして攻め時は今だと、僕が更に話を進める。
「つきましては各国に南方の国々の存在を知らせ、条約を定める必要があります。大規模な会議となるので教団の口添えがあると助かるのですが」
「成る程。あくまで罪人ではなく善良な人々の為に、ここまで赴いたと」
「その通り。全て贖罪の行動です」
「すると罪人の処遇が問題となるのですね。善良な人々の近くにも、交易路の中にも置けません」
異端者の処遇。話はここに戻ってくる。そこはやはり手を抜いてくれないか。
南方が赦されたのなら、他に流刑地などない。牢を作るにしても問題は多い。
そこで僕から提案するのは、マラライアの力と立場を活かした手段だ。
「我々を新たな聖人の管理下に置いてください。罪人の身分は弁えております。罪を減じろとは言いません。二度と罪を重ねないと誓った、聖人の配下であると考えて頂ければ」
「私に与えられた奇跡は罪人鎮圧にも適しています。必ず暴虐を許さないと誓いましょう」
聖人の保証。
教団において聖人という肩書きの影響力の高さ故の一手だ。
否定する理由はないはず。
司教と視線を交わす。
見透かすような瞳と、真っ向から堂々と。
続いているはずの賛美歌も意識に上らない。
まるで静寂の中めいた対峙。
そして長い黙考の末、アーノルフは頷く。
「ふむ。確かに道理です」
「では!」
「良いでしょう。私の権限をもって認めます。詳細は持ち帰って議論する事になりますが」
「ありがとうございます!」
僕達は心からの感謝を込めて、揃って一礼する。
交渉は上々。
欲張らずに双方の落とし所を突き詰めれば、成立する。戦いではなく協調。人の世の理とは、人の争いを避ける知性が作り出した尊い理屈だ。
獣ではなく、人としての誇りある決着。
再び晴れてきた空も、僕達を祝福してくれるようだった。
と、そんな風に上手くいくとは、僕は最初から思っていない。
予想通りに、反発の声が響いた。
「何を仰るのですか、司教様!」
苛烈な叫びは幼さの残る少女のものだった。
純粋で濁りのない、発する気配は他を塗り潰す潔癖の白。
「罪人に騙されてはいけません……っ!」
“純白の聖人”。敵意をみなぎらせて構えている。
損得や誠意ではなく、己の絶対的な正義にのみ動く人物。
話が通じない相手と、それでも僕達は交渉をするのだ。
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