第101話 決戦マーチを鳴らせ

 ベバリート山脈。

 大陸を南北に別ける、天然の境界線。かつて神の降り立った、教団の聖地。

 それだけに人が立ち入るには非常に厳しい環境だ。

 急峻な岩肌は人を拒絶するように堅い。

 南北、生死、善悪、あらゆるものの狭間の象徴として、ずっと世界にそびえていた。


 しかしここにもローナが起こした影響はあり、草木がまばらに生えてきていた。かつて遭遇したトカゲだけでなく、他の生き物も発見。

 死の山から命ある山へ変わりつつある。


 とはいえやはり、道は整備どころか何もなく、登るには崖を登るような難行を強いられる。

 それでも僕達は陽気に進んでいく。


「皆、大丈夫?」

「ああ、問題ない。カモミールの魔法が上手くなっているおかげだな」

「よっしゃ、アタシらも負けてらんねえな!」

「ふ。ならば自分も張り切ろうか」

「うおお……怖えぇ……早く下に降りたぁい……」

「コラ、そんな事言わないの。カモちゃんが気を遣っちゃうでしょ」

「こんな時こそ楽しく歌えばいいのですよ」

「ふむ。人の痕跡が見当たらないね。幾ら大昔だとして、少しはあるはずなんだが」

「全て流されてしまったのでしょうか」

「順調に終われば巡礼路を整えてもいいかもしれません」

「そうなれば交易も始まるはずだ。大規模な事業となるな」

「海路の方が楽だと思う」


 難行のはずが、賑やかな声はまるで普段通り。思わず微笑みが浮かぶ。


 登山を手軽にしているのは精霊魔法だ。

 岩を砕いて足場を作り、なだらかに整え、風で落ちないよう支える。皆の力があればこそ、安全な道を即興で作って楽しく進んでいけるのだ。


 僕、カモミール、ローナ、グタン、シャロ、サルビア、ベルノウ、師匠、クグムス、アブレイム、マラライア、ワコ、それから陸鮫やゴブリンを含めて二十を超える人数。

 トカゲや他の生き物も近寄ってこない。

 凶暴な性質だったと思うが、本能がこの集団の危険度を察しているのだろう。賢明な判断だ。


 高所からの眺めは良い。

 空と大地、海まで一望。それぞれの美しさが胸に響く。僕達の旅路を見渡すと思えば更に感慨深い。

 カモミール達が持つ空からの視点を一時体験出来たようだ。

 勿論ここまでの高度は恐怖も抱かせるが、妖精母娘の存在による安心感が勝る。


 そういう訳で、これから重要な交渉に赴くとは思えぬ、賑やかな行楽めいた道行きであった。


 が、流石にいつまでも行楽気分は続けられない。


「もうすぐ網に引っかかるぞ」

「うむ」


 ローナの警告に、全員が表情を固くして立ち止まる。

 空気が一変。ここは歴戦の経験がなせるものか。

 僕は皆を振り返り、明るくなるよう意識して声を張る。


「さて、別行動だ。皆任せた」

「きひっ。弟子の晴れ舞台を見守らせてもらうよ」

「お気をつけて」

「任されたのです」

「貴様ら、私が見ていないからといって手を抜くんじゃないぞ!」

「はっ! 見くびんじゃねえや!」


 師匠、クグムス、ベルノウ、陸鮫達。それからゴブリン。

 この別働隊には重要な役目がある。交渉の要となる仕込みの為に、一時別れるのだ。

 山中の各地へ散っていくのを勇ましく見送る。


 人数は減っても、心強い信頼は健在。

 彼らが配置に着く頃を見計らい、僕達も前進する。


「では行くぞ」

「うん!」

「そんじゃ、アタシからだ」


 ローナがまず結界を通り抜けた。

 途端に周囲の魔力に異常が発生。侵入を検知されたのをこちらも感知した。

 見た所の異変はない。

 しかし静けさが不気味だ。肌がひりつく感覚もある。


 警戒を強めつつグタンが続き、それから残る僕達も踏み出す。

 止まって備えるも、ひとまず危険はない。

 なのでゆっくりと、これまで通りに道を作りながら歩んでいく。緊張が緩み、再び話に花を咲かせたくなる空気感が作られていく。


 が、安堵しかけたそこに、悪寒が走る。

 重低音が耳に届いた。

 見上げれば、山肌が横滑り。

 僕の“石工メイソン”のように、直線的で人工的な挙動。

 土砂どころか、岩塊そのままが切り取られ崩れ落ちてくる。

 圧殺の罠か。


「うおおおお!? やっぱりいい!」


 シャロの盛大な悲鳴が山肌に反響し、空へと拡散。皆の驚きをかき消す程で、逆に冷静になれた。


 そして近くで活性化する魔力。


「雄大なる大地、高遠なる天空、猛き戦士たる力を我が内に」

精霊オマエら、手伝ってやれ」


 前に出たのは、グタン。ローナもその真上から助ける。

 熱気溢れる闘志。頼もしく震える肉体。

 足場が悪いのも意に介さない。

 気炎を上げ、ズシンと岩塊を受け止めた。大重量にも不動の構えは揺るがない。

 ビシッ。と握力で砕いて強引に掴む。そして体をひねって、背後へと投げた。

 山のふもとへと落ちていく。豪快な眺めには爽快感すらあった。

 グタンは一息つき、痛めた手をひらひらと振っている。


「おとうさん、凄い!」

「さっすがあ! 筋肉万歳!」


 カモミールとシャロが歓声をあげて飛びつく。

 グタンは微笑み、娘の頭を撫でた。


「想定より単純な罠だ」

「いやいや、あれを単純とか言っちゃう!?」

「いちいち驚き過ぎじゃない。まだ慣れてないの?」

「新鮮な感動は芸術家に必要なんだよ」


 シャロとサルビアもじゃれ合い、危機から一転、また雰囲気が和やかになりつつある。

 警戒を維持するのも一苦労だ。


 そして当然、罠はその後も続く。


 岩塊の次は土砂崩れ。

 斜面がバラバラに流れ、広範囲に広がり侵入者を呑み込もうとする。小規模の災害だ。


 ただしそれは、ワコの得意分野だった。


「川は群れ。陸に流れ。排除の雨。渡る舳先に」


 土砂の流れは左右に別れ、僕達を避けて下方へ。中央の安全地帯で過ぎ去るのを悠々と待つばかり。

 別働隊が心配になるが、彼らも強者なのでなんとかするだろう。


 更にはゴーレムも現れた。

 岩ではなく、陶器のような素材。山肌から生まれるように、すり抜けてきたように、奇妙な登場を果たした。

 人型で、武器を構えるそれらは聖地の番人か。

 数も多かった。数十の軍隊が器用に山肌を滑りながら迫る。

 が、やはり敵ではない。


「ドルザ突撃!」

「ごめん、邪魔しないで!」

「人の姿であればやりやすいですね」

「くっくっくっ……壊せ!」


 小型ゴーレムドルザが砕き貫く。

 カモミールが風で吹き飛ばす。

 アブレイムが杖で崖下へ叩き落とす。

 マラライアが奇跡で部下を呼び出す。

 それぞれが次々に撃破。小気味良い破砕音が連続で響く。後には砕けた白い欠片が積もり、雪のよう。

 少しぐらい研究の為に確保したかったが、ここはぐっと自重だ。

 怒涛の勢いで突き進む。

 

 その最後尾で、シャロが両手を頭の後ろに回して軽く言う。


「なーんか、大した事なくない? 失われた魔法とか言ってなかった?」

「調子いいわね。怖がってた癖に」

「だってもう怖くないし。えっ、このメンバーが強過ぎ……?」

「いや、古き魔法は警報だけだ。罠の類は最近のものだな。そもそも警報も、本来は客人をいち早く察知して歓迎する為のものだったのかもしれない。とはいえ、安心はまだ早い」

「ああ。警戒はすべきだろうな」


 会話はやはり軽い。気を張り詰め過ぎるのは悪く精霊魔法にも影響するとはいえ、流石に緩いと感じた。

 罠が問題ないとしても、自然は険しい。温度や風、急斜面、本来の山の危険にも備えなければ。

 妙な所で苦労するものだ、と苦笑しつつ登っていった。




 見上げた先では、山肌が途切れて空が広がる。

 もうすぐ、山頂。

 一言かけ、皆に気を引き締めさせる。

 念の為にカモミールとローナが偵察に出た。青空に飛び立つ影が美しい。

 素早く見て、スッと戻ってくる。


「人が出て来てるよ! でも十人ぐらい?」

「んでもそいつらも大した事なさそうだぞ?」


 やはり待ち構えていたか。

 その報告と後付けらしい罠を合わせて考えれば、新たに推測できる事もあった。


「罠はあくまで時間稼ぎ。そして彼らも、だな」

「異端審問官の主力が来るまで、か」

「ああ。“純白の聖人”さえいれば勝利だからな」


 聖人だけは別格。常に各地で仕事がある為、待機している訳ではない。転移があるとしても時間はかかる。

 だからこその時間稼ぎ。

 聖人が到着するまで流刑地からの逃亡者を留めておけばいい、という考えでの対策だろう。


 だが、今回の僕達の目的は、あくまで交渉だ。


「僕達としてはむしろ来てくれないと困るのだがな」

「じゃ、行くか」


 ローナを先頭に堂々と出ていく。


 山頂の景色に息を呑む。

 報告通り、整備された平地。

 荘厳な神殿と物寂しい住居の対称性が印象深い。詳しく調査したい欲望が膨らんでくる。


 しかし、空気は物騒。

 武装した衛兵が並んで、槍をこちらに向けていた。動作が不揃いで浮足立っており、緊迫感や戦意よりも事態に困惑しているように見える。恐らく何も起きないと高を括っていたのだろう。


 なので。


「皆様、お疲れ様です。我々は聖円教団の、カモミール派です。同じ天上の神を仰ぐ者同士、交渉に参りました」


 にこやかに、礼儀正しく挨拶。

 それからシャロの荘厳な演奏が公式な場を演出する。暴力を手段としないと伝える為だ。


 だが、相手からは怒号が返ってきた。


「黙れ異端の罪人が!」

「大人しく投降しろ!」

「今に“純白の聖人”が到着するぞ!」


 予想通りの反応だ。

 僕は予定通り、演技らしく大仰に、とぼけた風に小首を傾げる。


「はて。罪人。僕達を何故そう呼ぶのです?」

「黙れ! 流刑地から来たではないか!」

「流刑地。流刑地! いやはや、我らが神の愛された土地を流刑地呼ばわりとは嘆かわしい!」

「何を言う!」

「ならば見よ、この土地の豊かさを! 今まで見てこなかった、怠惰の罪と共に!」

「そうだよ、ちゃんと見て! 精霊さん、風を!」


 カモミールが強風を吹かせた。

 教団の衛兵が空に舞い上がる程の、しかししっかり包み込む柔らかさも兼ね備えた風が。

 ただしその思いは伝わらず、突然宙に浮いて恐慌に陥った彼らは叫ぶ。


「う、うわああ!」

「な、この……っ!」

「待て、あれは!?」


 とある気付きにより、悲鳴から驚きの声に変わった。

 強制的に見せたのだ。緑の土地、命ある土地を、神罰の地の変わった姿を。

 まずは一つ、教団の抱える愚かさを暴いた。


 落ち着いた、あるいは混乱の極みで黙った衛兵達を、ゆっくり降ろす。


「分かっただろう。神はこの土地の罪を許されたのだ」


 僕は複雑な顔の衛兵達へ語りかける。

 堂々と、罪人らしからぬ立ち振舞いで。


「ならば僕達もまた許されるべきではないか?」

「なぁ、何を言う!? それとこれとは話が別だ!」

「そうだ。しかし罪人が豊かな土地で、豊かな暮らしをしている。それを見過ごしていいのかと、僕は問いたいのだ」

「……何が言いたい?」

「ああ。だから“純白の聖人”が来るのだろう? 僕達の処分を改めて話し合おうじゃないか」


 僕は地べたに腰を下ろす。

 衛兵は困っている。自分の判断出来ない領域の問題に、どうする事もできないでいる。

 ざわざわと混乱した空間。

 未だ響くシャロの音楽だけが、神殿の偉大さに似合っていた。


 とりあえず、第一歩。

 さて、交渉の始まりだ。

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