第96話 お土産はとびきりの神秘

 神殿の小島は、すっかり見違えていた。


 夜の海。月のない曇った夜空。真っ暗な物寂しい風景。

 その下に、生命と活気が満ちている。

 夜闇を払う火は煌々と眩く灯り、波と合わさって幻想的な光を描く。誘われた生物が顔を出し、跳ねた。

 岩場の周りでは鮮やかな色彩が乱舞している。

 技巧の凝らされた無数の旗。

 木や珊瑚の飾りも情熱の結晶。

 島を何重にも囲んで船が停泊。板を渡して道を作り、島が拡大したようだ。

 神官をはじめ、人もまた彩られている。

 普段着より遥かに華やかな服に、一つとして同じ物のない装飾品。貴金属よりも織物、花や貝殻の美しさが重視されているようだ。


 事前に聞いていた、祖竜から竜人が独立して国を興した事を祝う祭。フダヴァスにとって重大な祝いの日だった。

 生態系の異変も解決し、一日がかりの準備を終え、無事に行われる事となったのだ。


「尊きこの日。我々はまた御前に帰って参りました。旅立つ我々を見守ってくださった事、真に感謝しておりまする」


 神殿、海底へ続く穴の前。

 朗々と唱えるのは、リョット。

 鱗と角で飾られた服や帽子は、竜を模した姿か。

 神官の威厳は、以前会った時とはまるで異なる。

 厳粛な儀式。島を囲む船に乗る竜人達は無言で見守っている。

 僕もその空気に同調。疑問を尋ねる事もはばかられた。

 カモミールは口を抑えている。歓声すら控えてじっと見入る。


 ヨタとヨト、リョットの後ろに控える若い二人が進み出て、二人がかりで支えていた船の模型を入れた。ポチャンと水音を残し、ゆっくりと沈んでゆく。

 すると涼しげで透き通るような音色が響いた。

 祖竜からの返礼なのだろうか。場が更に引き締まった感覚がある。


「今一度、血の通った我々は同じ時を過ごしましょうぞ」


 リョットが厳かに両手を広げる。背後に下がったヨタとヨトが振り返って手を叩く。


 そして歌が始まった。

 周囲の竜人達が一斉に、口を揃えて。

 音楽はなくとも、自然に一体となった唄。

 風と波と、海に混ざった人の声。

 意味は通じない。古い言葉なのだろうか。あるいは、鳴き声を模したものか。

 それでも込められたものは伝わる。

 愛情が海に轟く。

 参加出来ない僕達は固唾を呑んで聞くばかり。


 興味深い儀式だ。

 機会を逃した師匠はさぞ悔しがるだろう。報告は簡単に済みはせず、根掘り葉掘り聞かれると思うと気が重い。開放されるのはいつになるか。

 とはいえ師匠の為ならば是非もない。

 複雑そうに微笑むクグムスと視線で感情を共有する。きっと鏡のように似ていたはずだ。返せる恩は返すのが道理なのだから。


 歌が終われば、最後に全員で手を打つ。

 一度、二度、三度。綺麗に合わさり耳に心地良い。

 まるで潮騒にも聞こえる、海の国の音色。

 手拍子が止むと同時に海が凪いだのは偶然か。いや自然も合わせたのだ、とそう思わされる。


 そして最後にリョットが帽子を脱いで、神殿へ沈める。振り返って、ピシリと手を掲げた。

 それが合図らしかった。


 我先にと竜人達が島に上陸。

 魚、果物、旗、楽器。次々と神殿にものを投げ込む。

 人波は怒涛の流れ。しかし同時に美しさすらある集団の整った動きだった。


「あれは供物なのか?」

「そう。感謝の捧げ物」


 丁度戻ってきたワコに質問。

 彼女は筆を捧げたとの事だ。

 どうやら、過去の幸せを感謝し、未来の幸せを願う儀式のようだ。


「ふむ、僕達も参加出来るだろうか」

「んん……普通は無理。でも認められたし……」

「そうね。直接祖竜様にお会いになったのだもの。招かれたのなら正式なお客様よね。今日もきっと認めてくださるわよね。うん。ね、そうじゃないリョット?」


 サノが滑らかに会話に加わる。

 父と弟、いつの間にかワコの家族が揃っていた。


「む……そうだな。否とは言えまい」

「ね、ほらそうよ。大丈夫よね。ほらほら皆も願いましょ。祖竜様もきっと、ううん、必ず喜んでくださるわ」

「感謝します」


 許可が出たので早速僕も島へ踏み出す。

 カモミールが躊躇いがちに下り、グタンとローナとクグムスも続く。


 僕が取り出したのは顔料の壺。フダヴァスとの繋がりを願い、投じる。

 それから、綺麗な貝殻。鮮やかな布。精緻な珊瑚細工。文字の刻まれた石板。皆がそれぞれに捧げ、祈る。

 全員が終わったところで、リョットが再び島へ。


「そろそろ晩餐と致しましょう。時の巡りを願いまして、神酒を乾してくださいませ」


 恭しく酒を流す。

 彼が戻る歩みに合わせて炎が高々と燃え上がり、夜空を暖かく染める。

 神聖な空気が漂う中を、静かに船へ乗った。


 その瞬間、何処からともなく、陽気な声があがる。


「祝い酒だ!」

「また一巡りが待ち遠しいな!」

「次こそ嫁を連れてくるぞ」

「はは。無理だろ」

「なあなあ、俺と一緒に……」

「どうせなら大勢がいいわ」

「よっしゃあっ! フダヴァス万歳!」

「いや早え!」


 爆発的な大騒ぎ。

 神殿の周囲、無数の船の上で、小島には立ち入らずに宴会が開かれた。

 食べ、飲み、祝う。

 無秩序な集まりはひたすらに賑わしい。

 僕達が持ち込んだ酒や食材もそれに一役買っている。

 海上の船を駆け回り、時には海に飛び込み、誰もが子供のようにはしゃいでいた。


 僕達も少し遅れて参加。

 ローナは自由気ままに舞い、様々な相手と相伴。何処でも陽気に盛り上げる。

 カモミールはワコと二人の弟と一緒にお喋り。かと思えば竜人の子供達が何人もやって来て、楽しそうに空へと連れだしていた。

 僕はクグムスと共に未だ見ぬ料理等を調査がてら見て回る。まるで好奇心が尽きず、質問と考察も溢れてくる。

 グタンはリョットと随分と気が合ったようだ。そこに初めに会った島長のナリトも加わっていた。

 即興で多くの絵が描かれる。全てを快く承諾。皆笑顔の傑作だ。

 今までにも祭は体験してきたが、特に自由で独特。何も気にしない、無遠慮な空気が人を無邪気にしていた。


 僕も気分が乗ってきて、つい好奇心を優先してしまう。

 祭が終わるまでは、と後回しにしていたものをワコに求める。


「ところで、祖竜から預かった知識はどうなっている?」

「今?」

「いや済まない。どうにも気になってな。無理ならいいのだが」


 僅かに眉根を寄せ、ワコは不満げだった。カモミールや子供達も水を差されたと言わんばかり。

 しかし仕方ないと言いたげに肩をすくめ、メフアトレスと話してくれる。


「……ん。なるべく多くに見せたいからいいって」

「ほう」


 なにやら気にかかる言葉だ。単なる褒美ではないらしい。

 むしろ期待が膨らむ。期待して見つめる。


「じゃ、やって」


 鮮やかな異形が魔法陣から出現したが、多くは気にも留めない

 メフアトレスは不動のまま、未知だらけの魔法陣が宙に展開した。


 神秘。

 空から油のような質感のものが染み出して、光を吸って色が付き、小島の上空に浮かぶ。

 巧みに操られ、形をなした。

 下方に大きな土地。その上には人と獣。絶えず動き、まるで人形劇のよう。


 それは物語だった。


「なんだなんだ?」

「おい誰だ、凄えじゃねえか」

「えっ、わあっ!」


 宴会に夢中だった人々も指差し、驚く。

 観客は騒ぎながら空を見る。

 しかしそんな活況とは裏腹に、内容は誰も知る事のなかった、秘された神話であるはずだ。


 まず、大陸は僕達が暮らす大陸で間違いない。中央部の山はベバリート山脈だろう。

 大型の獣と翼のある人物が山脈を挟んで、それぞれ北と南に陣取っていた。

 従う人々もまた、人間と獣人に別れる。


 山脈を境に別れた、人間と獣人。

 だとすれば、やはり。


「我らが神の姿か」


 双方の創造主が並ぶ。

 神が頂点ではなく、同等の存在がいる。

 それは重大な真実だ。


 そんな驚きを受け止める間もなく物語は進む。

 神は生活を祝福し、人々は大陸を行き交った。人が生まれ、繁栄していく。

 大陸の森は拓かれ、人工物が増える。


 繁栄は留まらず、やがて山脈の南に建物を築く。

 段々と積み上がり、伸び、遂には山に届きそうな程高く。人の強さを誇るように。


 それを、雷が襲った。

 瞬時に焼け崩れる塔。黒く炭化し、大地に散る。人々も怯えて逃げ惑う。


「神罰……か?」


 塔を築いた人々は獣の創造主の下に駆け込んだ。神獣は立ち上がり、山脈へ。

 神も誘いを受け止める。

 創造主が二柱、直接対峙。


 声はない。色だけの物語。

 しかし議論しているだろう事は分かる。徐々に激しさを増している事も。

 それがやがて、決裂。


 大地が乱れた。

 両者は塔の跡地で争う。

 雷。炎。嵐。地震。

 崩れ、燃え、壊され、砕ける。

 災いは土地を滅ぼし尽くさんばかり。


 そこに現れるのが、第三の創造主。

 海の竜。昨日相見えた、かの祖竜だ。


 大陸へ姿を見せ、話が通じないと分かると、御業を為した。

 山に匹敵する大波を起こす。

 大量の水が焼け乱れた大地を押し流した。

 後に残るは、死の土地と鎮まった三柱。


 そして最後の会談。

 詳しい内容は分からずとも、今度は平穏に終わった。

 荒野から離れた三柱は、それぞれ山と森と海に別れて眠る。


 その後、人々は別れたまま、中央部を忌み、繁栄を続けていく。

 これが祖竜の口にされた、罪。


「これが、神罰の経緯……」


 ごくり、と喉が鳴る。

 理解が追いつかないし、心臓が落ち着かない。知ってはいけない事を知ってしまった罪悪感すらある。

 ただ、そんな僕は少数派だった。


 竜人の多くは「面白いもん見せてもらったぜ!」と酒の肴にして盛り上がっている。嬉々として絵に描く者や真似して魔法で再現しようとする者もいる。

 あくまで娯楽として受け取ったようだ。


 呆気にとられつつ見回し、そこで着想が浮かぶ。


 細い糸口を逃さぬよう、目を閉じた。

 僕は記憶を辿る。

 思考の深くへ潜る。


 神罰の真相。

 創造主と邂逅し、対話が叶った。

 祭の賑わい。

 聖地、神殿の様相。


 フダヴァスの経験だけではない。

 神。異端者。

 神獣。神官。

 奇跡。聖者。


 あらゆる経験を巡り、知識が重なり、それらを一つに繋げる。

 道が開けた感覚があった。


 晴れ晴れとした気分で顔を上げ、そこで目前の瞳とかち合う。


「大丈夫……?」


 どうやらワコがずっと肩を揺すっていたようだ。

 今までになく歪んだ顔。真剣な憂いがあった。


 更に目を向ければ、皆が集合していたと気付く。


「……ペルクス、どうしたの?」

「おい、休むか?」

「陸へ上がった方がよさそうだが」

「確かに衝撃的過ぎましたが、それにしても異常な程に青ざめていましたよ。先輩」


 かなりの心配をかけた様子。

 場を考えずに集中して申し訳ない。深く反省するところだ。


 だが、明るい知らせがあるのだ。

 僕はニヤリと笑う。


「いや、むしろ絶好調だ。なにしろ全てを救える筋道が整ったのだからな」

「全てを救える? 何の話?」

「僕達に罪なき事を証明し、平穏な居場所を広げるのだ!」


 祭の喧騒に負けじと声を張り、カモミールに宣言する。

 未だ理解は得られていないようだが、僕だけは目的地を見据えて。


 そして挑むように天を仰ぐ。

 月を隠す雲が晴れずとも、僕には未来を照らす光が見えていた。






第六章 深き神秘へ潜る藍 終

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