第95話 暴嵐の傷痕を癒やして

 ローナの暴走が理由で神罰の地に恵みが戻り、その影響で生物の移動が起きた結果、フダヴァスの海に危険が訪れた。

 ローナだけでなく、僕達の責任だ。


 沈黙に波音がやけに響く。さいなむように船が揺れる。サノ達からは別に責められていないが、罪悪感は己の内から刺さるものだ。


「……で、どうすりゃあいい?」


 ローナは重い声で問う。腕組みし口調も普段通りだが、気まずそうに目を細めている。目前の現実から逸らそうとはしていない。

 僕もまた未来を見据え、重く見解を述べる。


「いや、これは悪い訳ではないのだ。本来在るべき形に戻ったのだからな」


 まずは現状認識。

 逃避でも罪の軽視でもなく、真実の一端である。


 神罰は何故下されたのか。それは未だ不明。許されない大罪が犯されたのかもしれない。

 とはいえ長い年月が経った。罪人は既にいない。

 神とて罰を下し続けるのは本意ではないのではなかろうか。無辜むこの善人を進んで苦しめはしないはずだから。

 神の思惑を推し測るのは恐れ多いと教会は説くが、議論し推し測る事こそが神の望む人の進歩に繋がると、僕は信じている。

 それは、竜人にとっての神、祖竜であっても変わらないはずだ。


 そして土地が豊かになるのは、人にもあらゆる生き物にとっても好ましい。だからこそ大規模な移動が起きたのだ。

 危険性を除けば、生活圏を広げて有効利用し周辺地域は更に発展出来る。


 とはいえ、あくまでそれは一端だ。

 グタンが渋い顔で唸る。


「しかし実際危険だ。少なくとも被害が出ている」

「ああ。それは対策を打たねばならない」

「ならアタシらで全部退治するか?」

「それは流石に……いや不可能ではないか……?」

「……無茶は最後の手段だ。急激な変化による混乱が原因。魔力と精霊が馴染めば移動も落ち着くと思うがそれまで静観というのもな……」


 グタンも悩んだようだが、僕もローナなら突破しそうだと思ってしまった。しかしそれでは、また別の騒動を引き起こす場合も考えられる。今以上に大規模な変化は避けたい。

 しかし問題を解決するには周囲海域、大規模な範囲に影響を及ぼすものでありながら、他への悪影響のないものが求められる。全てを満たすのは難しい。


 それこそ神の御業のような。

 という訳で、ここは当事者に頼るべきだろうか。


「ワコ。相棒と話せるか?」

「ん……何を?」

「確認だ。これは何者なら解決出来る?」

「……自分は無理。祖竜様なら出来るって」

「ならば助力を願おう。神殿に立ち入る許可は貰えないだろうか」


 正直、好機だとは薄っすら思った。ただ事態への対処が最優先。笑みは抑えた。

 サノに尋ねれば、彼女はやはり柔和な表情で答える。


「そうね、うんうん。確かにこれだけ大事なら祖竜様に助けを求めた方がいいわね。お客様の立ち入りも、まあ、なんとかしましょう! だってこんな時だものね」

「感謝する!」


 飛びつくように礼を言えば、カモミールやローナからどう思われたか呆れ顔をされた。クグムスも妙に冷たい。

 日頃の行いのせいか。

 それはともかく。僕達の船は一路、神殿へ舵を切り、飛ぶように海を進んだ。




 祖竜の神殿。

 ほぼ海中に沈んだ岩だらけの狭い島の中央に、それはあった。神殿とはいうが、ほとんど自然のまま。天然の巨岩に丸い穴が空き、底知れない深さが覗く。

 周囲には飾りの彫られた柱や供物の台、見事な絵の旗。中央部と通り道になる箇所からは海藻が取り除かれ丁寧に磨かれている。フダヴァスの神殿とは、人の手による荘厳さより自然の偉大さを優先するようだった。


 そして、三人の竜人。ワコの家族であるリョットと弟が二人ヨタとヨト。確かに顔立ちはよく似ていた。

 これまでに見た竜人の服装とは異なる、飾りの多い真っ白な服を着ていた。

 成人したかどうかの年頃の子供達は興味深そうにしながらも父の様子を伺い、その彼は怪訝な顔で前に出てきた。


「……どうした。緊急事態か」

「それがね。最近、危険な生き物が増えたでしょう? それが北の方から来た生き物のせいなんですって。でね、それがまた大陸の事件が理由で。ほら、遠くで凄い嵐になってた時があったじゃない? あれよあれ。それを戻すには人の力じゃ難しそうなの」


 いまいち要領を得ないような説明。

 僕が補足しようと口を開きかける。

 が、やはり夫婦。リョットは納得顔で返す。


「祖竜様に祈るのか」

「ええ、そう。祖竜様ならお助けしてくれるはずよ。そりゃあ頼ってばかりは申し訳ないけど、今はとんでもない大変さだもの。ね、そうでしょう?」


 リョットはゆっくりと頷き、振り返る。話が早く、厳かな足取りで中央へ歩んでいく。

 神官らしい、静謐せいひつな立ち姿。祈りを捧げるに相応しい姿勢で神の前に立った。


 しかし、彼が声を発する前に。


 ──友連れし子と、客人よ。招待しましょう。


 凛と声が響いた。

 自然と背筋の伸びる緊張感のある響き。悪い気配はなく、むしろ神々しさすらある。見えない姿を畏れ、固まってしまう。

 と、なればその主は。


「まさか!」

「え!?」

「こりゃあ……」

「お、おお……!」


 誰もが察していた。畏敬の念を抱いて、呆然と、あるいは興奮して立ち尽くす。


 その間に、島の外から、異変。

 大波が飛沫をあげて迫ってきた。

 しかし、危機とは感じない。抗う気は起きず、安心して身を任せられる。安全なものだとやはり誰もが察していた。


 その場の全員が呑まれ、神殿の奥へ、水底へと沈みゆく。






 ──よくぞ招きに応じてくれました。


 目覚めれば、広い洞窟。

 全く手の入っていない天然の岩壁に囲まれている。

 ゴツゴツしていても広々とした空間に圧迫感はない。湿った空気がひんやりしている。

 魔力が濃厚で酔いそうになる程。

 前方は海に沈んでいた。海中に繋がる洞窟なのだ。


 そして、大いなる存在が堂々と。


「此度の招待、光栄に御座います」


 まず口を開いたのはリョット。儀礼的な姿勢で恭しく神を讃えていた。


 祖竜。

 竜人が奉る神と、今正に向かい合っている。

 首がかなり長く、知性を湛えた顔つき。胴体にはヒレ。体の多くは海中だ。艶々した体表は淡く深く、青い光沢が常に変化している。

 濃厚な魔力の中心であり、精霊すら整然と己を律している。

 水の竜。海の竜。

 圧倒的な存在感。ひれ伏すのが当然と思わされる。

 ただ、この神々しさであっても、神の全てではなく一部、あくまで人の身が立ち会える規模の分霊であると感じた。


 それ以上の考察には、竦む。

 手を出してはならないという本能が、分析したい気持ちより上回っていたのだ。

 これが、威光か。


 僕は何も出来ぬまま、リョットの声を聞く。


「此度のお呼び立ては如何なる御用なのでしょうか」


 ──海はわたくしの領域。荒れた状態で放置する事は望みません。


 まさか、祖竜の方から同じ理由で接触してくるとは。

 助かるが、今更ながらだいそれた事をしようとしていたのだと思い知った。


 ──神官リョット。貴方の働きに不満はありませんが、今は下がってください。


「畏まりまして御座います」


 リョットは恭しく下がる。平常心ではいられないだろうに、厳格な所作を貫いて下がる。尊敬に値する胆力だ。


 視線は僕達の方へ。


 ──天と地、彼ら・・の領域から来た客人ですね。


 彼ら、とは何者か。

 竜人の神が同等のように言うのだから、人間と獣人の神だろうか。


 もしや敵対しているのか。

 竜人の土地に災厄をもたらした僕達を裁くのか。


 冷や汗が止めどなく噴き出す。


 ──恐れる必要はありません。わたくしの罪をそそいだ事を感謝しているのです。


 僕達は強張った顔を見合わせる。

 裁くどころか、感謝して受け容れられたのだ。

 しかし迷いは残る。恐れは未だに強い。緊張感が最高潮。


 代表して、ローナ。やはり当事者である彼女が語る。


「しかしこの海に危機を招いてしまいました」


 ──妖精。その娘もまたよく働きました。心配は無用。人に罪はありません。わたくしの責において安寧をもたらしましょう。


「……恐れながら。この日までそれをしなかったのは、如何なる理由なのでしょうか」


 珍しい言葉遣いだ。

 場違いな感想を抱く。それだけ強い現実感の無さに、頭が上手く動いてくれない。


 ──親元を離れた子への過剰な干渉は好ましくはないでしょう。成長に期待し、見守るつもりでいました。故に干渉の手を離していました。しかし、人の身に余る、最低限の助力ならば惜しみはしません。


 竜人の祖は、親の感覚を語った。

 つまり、人の理屈が通じる。

 ひとまずは安心。段々呼吸が落ち着いてくる。


 ──友よ。


 その厳かな呼びかけは、確かに友への気安さを感じた。

 すぐに色とりどりな異形の姿が現れる。

 メフアトレス。かつて悪魔と呼んだ存在。

 彼は祖竜と見つめ合い、無言のまま首肯。そして、目には見えないが、大きな力の移動を感じた。


 ──力を預けます。後は任せました。


 メフアトレスはただ、じっと受け取る。動作もなく対峙する姿には威厳があり、神に近い存在だと実感。

 そして消えた。強大な力の残り香を置いて。


 ──さあ、お征きなさい。


 祖竜の一声で海水が再び踊る。

 謁見の時間は終わりだ。身に余る、貴重な機会がもう終わり。


 威光に慣れてきた僕は焦燥のままに言葉をかけた。


「どうか祖竜様! どうか、今回の件が解決した暁には再び訪れてもよいでしょうか!」

「な!」


 リョットが顔を引きつらせた。失礼なのは重々承知。それでも、言うのを止められなかったのだ。


 永く感じる緊張の末。祖竜は、笑った気がした。


 ──賢者に褒美を与える事はやぶさかではありません。わたくしの罪について知りたいのですね。


 ごくり、と唾を飲む。


 ──それも、友に預けてあります。地上にて受け取りなさい。


 それを最後に、海水があふれた。

 煌めく青。藍、碧。神々しい眩しさは目が疲れそうな程。

 しかし、安心する心地良さが全身を包む。身を委ねて、任せて、流される。受け入れざるを得ない幸福感。


 神の愛。


 漠然とそう受け取り、ただ温かな暗闇に呑まれていく。






 空に星。輝く月。雲を滑らせる風。

 水飛沫が体を冷やす。口の中が塩辛い。


 そこは神殿。

 島に戻ってきたのだ。

 気付いた途端、唐突にグイと体を引っ張られる。厳しい顔つきのリョットだ。


「祖竜様のご意向を果たす」

「承知している」


 言葉少なに頷く。

 それから、神の友を宿す彼女に指示を促す。


「ワコ」

「ん。まずは南北の境目に行くんだって」


 軽く、しかし心なしか顔つきは凛々しい。

 皆で意識を統一して船に乗り込み、急いで目的地を目指す。





 海上は荒れていた。

 神罰の地、南北の境目に近付く程、激しさは増していく。

 波は高く。海蛇、鮫、海獣、南北両方の大型生物が高い頻度で襲撃してくる。

 その只中を各自の魔法を駆使して割り込んでいく。


「どうする!?」

「もっと寄って。岸壁に」

「ワコ、祖竜様からの使命は任せたわ。大丈夫、邪魔させないから安心してね。お母さんが絶対に守ってあげる。さ、行きましょ行きましょ!」


 二手に別れ、サノが率いる片方が海棲生物を引き付ける。無数の精霊魔法で派手に働き、宣言通りに守りを固めていた。

 僕達の船は慎重に岸壁へ。風と波を乗りこなし、魔法でもって位置を維持する。


「来て」


 ワコが呼び、メフアトレスが再び出現。

 独特な気配に強大な神々しさが加わっており、思わず怯む。


 ただそれは、すぐ隣からも。

 真剣な出で立ち、気負った目付き、神の命を受けたワコの凛々しさに息を呑む。

 彼女が恭しく手を掲げた。

 メフアトレスから溶け出た色が、舞う。岸壁をキャンバスにして描くようだ。


 竜。透明感のある青の祖竜。

 荒れる海の中心で、静かに美しさが生み出されていく。


「沈み沈め獣の種。流れ流せ緑のひれ。浮かび浮かべ鱗の角」


 歌うような声とも合わさり、さながら舞踊。神から力を預かり、世界へその威を示す。

 神の代理。触れ難き神々しさには畏れ竦むばかり。


 しかし途中、振り返ったワコには、普段通りの素朴な華があって。


「カモちゃん、手伝って。上から見たい」

「うん! あ、でもそれなら……」


 カモミールが差し出されたワコの手を握る。

 二人で飛ぶつもりだったようだが、カモミールは他の手を選んだ。


「精霊さん! 飛ばせて、皆一緒に!」


 船ごと風に乗せ、浮上させた。強引な、しかし波の影響がなくなるのはワコにとっても良さそうだ。

 驚きからすぐに立ち直ったワコは、上方から見回しながら巨大壁画を整える。


 その姿に見惚れていると、震えに気付く。

 重圧、緊張か。


 いや、歓喜だ。大仕事に喜び勇んで立ち会っている。

 左手はカモミールと繋いだままなのも、怯えからという感じではない。まるで近くで見ていて欲しいというような。


「海は命の住み家。されど母の揺り籠。獣の縄張りに非ず」


 僕も師匠譲りの魔術で集中できるように補助。

 船を安定させ、風を制御。いつかの逆で、彼女が専念出来るように露払い。

 背中合わせで同じ目的地を目指す。


 そして。

 美しき竜が世界に描かれた。


「掟を刻み、帰るが望み。己の影を辿りて眠れ」


 神秘の言葉が、閉じる。


 華麗な色は消えた。溶けたのではなく、岩に染み入るようにスゥッと見えなくなる。元の殺風景な岸壁に逆戻りだ。

 しかし、確かに神の威光は刻まれた。


 分析すればよく分かる。


「……これで、いいみたい?」


 ワコは自信なさげに首を傾げた。

 実感はないのだろう。


 だから僕は笑顔で指し示した。


「見事だった、ワコ」


 海は一変している。


 穏やかな海に、暴力は皆無。

 白々と太陽が顔を出し、海を照らす。

 波に分けられた光。水面は揺れて輝きに変化を与える。天然の色彩が目に飛び込む。

 筆舌に尽くし難い景色。

 わあっ、とカモミールが喜ぶ。ワコも今度は自信に満ちた顔で笑う。


 海の危機は静かに、しかし鮮やかに幕を閉じたのだった。

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