第94話 怪物の海は何故生まれたか

 夜の海は未知の恐ろしさを際立てるように広がっていた。

 空と海面にある星々の光は、数こそ多くともしるべとするにはあまりにか弱い。魔法による灯りも、明るくし過ぎれば災いを誘いかねないので抑えている。

 黒々とした波は底から招く手のよう。あらゆるものを呑み込む深みを連想させる。

 風と波の音は怨霊が嘆く声めいていた。

 見通せないからこそ、そこに警戒心を抱き、想像する。実証なき夢想を打破するのが研究者の役目であり信仰上の使命だが、難しさを重く実感するばかりだ。


 僕達はカモミールの報告を受け、船上にいた。

 他にもサラド島の竜人が、ほぼ総出。

 難破した船の乗員救出の為に、皆が力を合わせて危険な夜に乗り込んでいる。

 誰もが表情険しく、空気は固い。


「見た事もない怪物、か……」


 災いをもたらした相手を警戒しつつ乗員を探す。流石に興味だけで飛び込めない事態に、唇を噛む。


 怪物。

 これまでフダヴァスで撃退した生物とはまた違うのだろう。それも強大。慎重を期せば、どうしても効率は鈍る。


 加えて、波で求める姿も声も紛れるのが厄介。

 しかし船を進めるには風や波が必要だ。現に速度を重視しており、船は波を蹴立てている。

 島近くに流れてきた彼は、特に泳ぎの得意な人物で助けを求める為に無茶をしたらしく、話を聞くと船が沈められたのはかなり遠いという。

 まだ出発したばかりだが、既に見逃していないか自信は持てない。

 シャロが同行していないのが悔やまれる。


「あら、心配しないでいいわ。ええ、ええ。きっと大丈夫よ。私はこれでも祖竜様に仕える巫女の一族だもの。海での救助なんてお手の物よ、お手の物。ふふ。さ、張り切っちゃいましょうね」


 と、そこでサノが饒舌に、好ましい雰囲気を作るように言った。

 屈強な船乗りを率いる彼女は、あくまで柔らかく微笑み、精霊へと呼びかける。


「友よ来て。歌鳴く友よ。舞う友よ。願いを聞いて。証の下に」


 応えたのは甲高い鳴き声だ。

 精霊魔法を兼ねた声に呼ばれて、イルカが現れた。煌めく青の、魔力纏う艶やかなイルカが、五頭。精霊との繋がりが深いようだ。興味深い。カモミールも目を輝かせていた。

 サノが会話するように海へ顔を出して囁く。お礼として魚も投げる。

 そして先導。飛ぶように先を泳ぐ海の友。

 彼らとサノに従い、速度を増して船は追う。


 そして、事実イルカ達は的確に役目を果たしてくれた。


「いたぞ!」

「怪物はいないか!」

「よし、大丈夫だ!」


 見つけさえすれば、竜人達は手早く仕事を成し遂げた。僕達の出る幕はない。

 夜であっても手慣れた様子だ。

 海に落ちた人を見つけ、イルカとも協力して救助。その数人は誰もが無事だ。手当をして、彼らを乗せた船は先に島へ帰る。

 険しかった空気も安堵に塗り替えられていた。


 しかしまだ、全員ではない。

 最悪の場合を予感し、焦燥が募る。

 上手く進んでいるが故に、反動を思う。

 僕は間に合えと祈り、進んだ。




「見つけた!」

「イヤ待て! ……おい、ヤベえぞ!」


 夜の暗さが極まる深夜に、絶望の悲鳴を聞いた。

 快調に先導してきたイルカも進まない。

 鮮やかな船板を掴み泳ぐ人影は、必死。

 発見は喜ばしいが、同時にそれを追う恐ろしい姿も目にする。


「あれは!」


 怪物。

 そのシルエットが歪に蠢く。

 長く太い触腕がゆっくりと、しかし豪快に海を荒らす。巨体は海面下に隠れており、全ては見えない。薄明かりにヌラヌラした体表が照らされる。

 タコやイカめいた特徴的な姿は、いやでもその名を頭に浮かばせた。


「クラーケン!」


 見るのは初めてだが、僕はよく知っている。

 記録は読み込んだし、剥製なら直に研究した経験もあった。

 物語でも恐れられる、怪物。大陸北方でも特に北側の海に生息しているそれは、南方の竜人が見た事がなくて当然ではあった。

 それが、何故ここにいるのか。


 疑問は後回し。


「喰われた! ラカヌが丸呑みされちまった!」


 逃げる男が恐怖に引きつった顔で叫ぶ。

 既に、丸呑み。

 そうだ、クラーケンはその巨大さ故に獲物を丸呑みする。絶望的だが、まだ助けられる可能性は、ある。


「おし! アタシがやる!」

「待て! 巻き込みかねない!」

「大丈夫だ!」


 ローナが宙に躍り出て唱えれば、即座に強風が吹き始めた。身を切るような冷たい風が。


 そして、突撃。


 嵐の槍がドバンと打ち貫く。巨体の端、触腕の一本を削り取った。

 喚くように身を悶えさせたクラーケン。悲鳴をあげる番の交代だ。

 怪物とはいえ、格上を認識する知能はあるらしく海中へ潜り逃げようとした。

 サノがそれを抑える。


「穏やかに喜び奏で、波の怒りは打ち鳴らす。戦の乱舞を踊ってみせて」


 海水がうねり、形をなして動きを縛る。

 クラーケンにも勝る太い腕となって下から押し留めた。


「精霊さん、空に打ち上げて!」

「“展開ロード”、“生物研究サンクチュアリ”」


 そこからカモミールによって海上へ。巨体が己の領域から剥がされて宙に姿を晒す。

 更に僕の魔術。丸呑みされた竜人の位置を特定。魔力で印を示す。

 これで、整った。


「あそこだ!」

「おう! 精霊オマエら、穿て!」


 ローナの精霊魔法がはしる。

 空中の水滴が、疾風を纏った無数の矢と化して、示した位置以外を的確に狙い撃った。

 クラーケンの断末魔が空へ抜けていく。

 そして沈黙。

 巨体が力なく浮かぶ。怪物の呆気ない最後だ。


 短い荒事は終わり、丸呑みされていた人物も無事救助。海は穏やかな闇を取り戻す。


「これで、全員助けたんだよね?」

「ええ、ええ。そうよ、完璧! 全員完璧に助かったわ! ありがとう! あなた達のおかげ! 感謝してもしきれない!」


 サノを始めに竜人達が大いに喜び、高らかに叫ぶ。海に熱気ある歓声が響いた。


 しかし、僕としてはまだ安心は出来ない。異常には原因があるからだ。


「やはり、調査が必要だな」

「ああ」

「はい。ここからはボクらの出番です」


 グタン、クグムスとも意識を共有。

 真剣に頷き合った。


「迷い込んできた原因を突き止め、経路を駆除する。となれば北か……」


 サノ達とも話し合い、救助者は先に返して二隻の船だけで更に進む。

 クラーケンの本来の住処である、北へ。懐かしき方角へと。




 その先に待ち受けていたのは、更なる苦難だった。


「なに……!?」


 複数体のクラーケン。

 互いに争うのは、獲物である脚のある鮫を奪い合っているのか。結果的に海を凶暴に荒らしている。

 巨体が海を埋め尽くすような異様な光景に言葉を無くす。本来の生息域でもまず見ないはずだ。

 たまたま一体が迷い込んだのではなく、生息域や生態に変化があるのか。解決の必要性が増した。


 とはいえ、だ。


「もう巻き込む奴はいねえよな?」


 ローナはニヤリと不敵に笑う。

 僕が素早く魔術で確認。深く頷いた。


「そう、だな。人はいない」

「思う存分やるといい」

「おう!」


 精霊が号令に沸き立った。

 暴風が吹き荒れる。しかし制御されており、僕たちの船は穏やかに揺れるのみ。

 活性化した魔力が圧力となって周囲を威嚇いかくするよう。天も海も強大な力に平伏すが如く。

 破城の槍が、放たれる。


「キャッッハアアァァァァァァ!!」


 大海が轟いた。

 小さな妖精が複数のクラーケンをまとめて貫く。

 海を二つに割る一撃。圧倒的な力が世界にその証を刻む。破格の力が北方の怪物を討ち果たした。

 ポカンとする竜人達には同情しよう。

 平穏な夜の海というには血生臭いが、まあ静かで安全にはなった。


 仲間内以外では唯一元気なサノが、ローナへ興奮気味に呼びかける。


「なになに、なんなの今の!? 凄いじゃない、凄いじゃない! ねえ、ねねっ、妖精ってやっぱり魔法が得意なのね!」

「まあな!」


 自慢気に胸を張る姿は威風堂々。それでいて二人の母のはしゃぎようは子供のようでもあった。


 ただしこれは一時凌ぎであって、原因の解決はまだなのだ。

 僕は更に進むべきかと悩みつつ、周囲を観察する。


「……む?」


 気付けば、遠くに大陸が見えた。高い山がそびえている。

 頭の中で地図を描く。

 捜索の間にフダヴァス諸島からかなり北上し、そこから西の方角。

 となれば、あの辺りはもう南北の中間。

 神罰の地だ。

 南北を分断しているそこでは最近、大きな出来事があった。


 時期と北との繋がり、この符合は偶然か?

 もしや、これが。


「……ローナ、僕達がいない間に、神罰の地の様子を見たか?」

「いんや? わざわざ行ってねえな」

「ならばすぐ見てきてくれ!」


 怪訝な顔だったローナだが、僕の焦りが伝わったか、真面目な表情で一つ頷く。

 高速で飛んでいった。


 報告を待つ間に、他の準備をしておきたい。


「僕達も移動しよう」

「いや待て。まだだ」


 グタンが鋭く警告した。

 ピンと一同が緊張。


 海中から、巨大生物が出現。

 次はシーサーペント。大海蛇の群れ。竜にも近い恐ろしい生物だ。

 クラーケンと比べれば小さく捕食される側だが、脅威が去ったが故に浮上してきたのか。

 今はクラーケンの肉片を食べ漁っているが、獰猛な性質であるので僕達に目を向けるのは時間の問題だろう。

 そして、やはり北の怪物。

 最早警戒よりもうんざりしてくる異常な数だ。ただ、大きさを見るに幼体も多い。

 移動だけでなく繁殖にも影響があるのか。

 ローナがいない今、苦戦が予想された。


「飛べるのはカモミールだけだが、やはり厳しいだろうな。グタン、僕が手段を用意しよう」

「ああ。任せてくれ」

「あらあら、それには及ばないわ。ここまでお客様に任せて怠けるなんて嫌よ。私達だってこの海に生きてきたんだもの。今度はこちらの技を見せてあげるわ。ふふっ」


 あくまで余裕の出で立ちで荒れる海を見渡しつつ、サノは朗々と唱える。


「水は豊かに恵むもの。潤いありて海の歌。舌に流すは潮騒色。魚群の泡を身に纏う」


 魔法陣は海ではなく本人に現れた。

 強化する類の魔法で、それも見る限り対象は声。

 そして口を開けば、本命の魔法が放たれる。


「──────────!」


 それは、無数の鳥が同時に鳴くような歌。

 最早人には聞き取れない速さで言葉は紡がれる。

 が、呼びかける精霊には人の耳など関係ない。術者と繋がりがあり、意思が通じるのなら問題ない。


 よって数多の魔法が次々に展開される

 高度で複雑な魔法陣も瞬く間に出現。

 波が形をもって怪物を縛る。

 光纏うイルカが跳び上がって、ヒレで強烈に打つ。

 海蛇は自らの長い体で雁字搦め。

 海に生きるはずの生き物を溺れさせすらした。

 サノの歌は止まらない。たった一人の合唱。輪唱。伸びやかに響き、精霊は踊る。踊る。踊る。

 ローナとは違った意味での超高速の魔法が息継ぎもなく連続する。

 普段から早いお喋りが、魔法によって更に速い。

 省略等ではなく、ただ早口による高速展開。強引なようで理に適っているので、呆れるよりは感心するしかない。


 彼女の活躍で、三度平穏な海になるのにそう時間はかからなかった。


「……母君は、凄まじい使い手だな」

「ん」


 何処か照れた様子で微笑むワコ。やはりお喋りに辟易とする事はあっても、誇らしいのだ。その姿には和む。


 その内にローナが戻ってきた。

 夜を切り裂く眩い光は、感情の表れ。興奮した面持ちで報告してくる。


「おう、確かに見違えてたぞ! 荒野に草木が生えてた。魔力も精霊も満ちてる!」

「やはりか」


 僕は確証を得て腕を組んだ。


 神罰の地が荒れ果てていたのは、神罰に焼かれて以来、外から精霊や魔力が入って来なかったからだ。

 それがローナの暴走で一時的に流入した。しかも潤沢に、解決の為にあえて持ち込みもした。物理的に多量の雨水も降った。

 それが切っ掛けとなって、外から精霊と魔力が自然に流入しやすい環境となったのだろう。


 精霊が忌避するのなら、人為的に運べば良い。

 誰もやろうと思わなかっただけで、実はあの荒野を蘇らせるのは簡単だったのかもしれない。

 いや、必要な量が莫大に過ぎるだろうから、やはり偶然あってこそか。


 ただ、今重要なのは、それによって何が起きたのか。

 そして、


「北の生物が来た原因は、神罰の地の緑化だ! 急激に魔力と精霊が周囲から流れ込み、それに引っ張られるように海にも影響が及び、生物も豊かな魔力を求めて移動してきたんだ!」


 異変の原因は、僕達にある、という点だ。


 言葉もない。皆、顔色が青ざめる。

 ただ風が「私はやらかしました」と「反省しています」の旗をバタバタとはためかせていた。

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