第93話 愛は夜闇を照らす

 夜の海はドキドキする怖さと不思議さを持っていた。

 空には月と星が光って、それを映す海面は止まらずに揺れる。

 真っ暗な浜辺を動く小さな生き物も可愛い。

 精霊魔法で出していた灯りも消した。夜の闇も、暗くて怖いだけじゃない。よく見れば青かった。深くて濃い青が月と星の光と引き立て合って、とても綺麗。

 波音が心地良くて、砂を踏む感触も楽しい。風も強いけど温かいのが助かる。

 気持ちの良さに思わず尻尾が揺れてしまう空間だった。



 わたしとワコさんは二人で抜け出してきていた。おかあさんとサノさんをお屋敷に残して。

 二人はかなり仲良くなったみたい。

 ペルクスの話から始まったけど、ワコさんの大陸での話、ワコさんがいない間のこの島の話、っていう風に次々話題を変えて。書き溜めた絵を見たり、料理を食べたり飲んだりしながら全然止まらずに喋り続けていた。

 今は持ち込んだベルノウさんのお酒を飲みながら盛り上がっているはず。

 そのせいで、少しはしゃぎ過ぎてると思う。お互いに笑い声を響かせて、スキンシップも激しくて。

 頭が冷えるまで離れてようと二人で決めたんだ。


 おとうさん達の部屋に行っても難しい顔で話をしていたから、こっちも入りにくい。

 それならいっそ。って事で、飲み物や食べ物なんかを持って、こうして外に。

 おかげで素敵な経験ができている。


 でも、不意に心細くなった。ただ景色を眺めるだけならともかく、考えてしまうと、駄目だった。

 海の雄大さの前でも。隣にワコさんがいても。

 耳も尻尾もシュンと縮こまる。

 砂浜に座って、ちょっとずつ飲んでいる果汁のコップを見ながら呼びかける。


「ねえ、ワコさん」


 だけど、続きが出てこない。口を開けて、閉じて。やっぱり黙る。

 ワコさんはこっちを向いた。じっと、急かさず静かに待ってくれる。

 落ち着く心地良さに甘えたくなる。

 そこに特に強い風が吹いた。冷える風が、代わりに厳しく迫るみたいだ。


 だから勇気を出した。うつむきながら、ついに質問する。


「ペルクスと、ここで暮らすの……?」

「ん……」


 気になったのは、ペルクスとワコさんの話だ。

 二人が家族になるなら、もう会えないって事で。その想像が心細さの理由だった。


 仲が良いのは良い事だ。

 恋も素敵なんだって知ってる。

 二人とも好きだから揃って幸せになるのなら大歓迎だ。


 そのはず、なのに。

 でも、不安があった。胸が重苦しい。

 おかあさんとおとうさんみたいな関係。それは素敵な事。

 嬉しい事なのに。喜ぶ事なのに。

 なんだか、モヤモヤグチャグチャと落ち着かない。

 真っ暗な世界の、よく見えない景色はドキドキする。何も考えないで見てれば素敵なのに、それが何かって考え出すとモヤモヤが強くなって怖くなる。


 ジャリッ、て砂を踏む音がした。

 少し考えていたワコさんは、わたしとの距離を少し詰めて、困った風に眉を下げる。


「嫌?」

「うーん。寂しい、かな。もっと一緒にいたいし」

「それは、好きって事?」

「うん。でもおかあさんやおとうさんもそうだよ。ワコさんも」


 ペルクスとはずっと一緒にいた。おかあさんとおとうさんと、同じぐらい近い大人。流刑の前、近くの村の人と会う事もあったけど、ほとんど四人で過ごした。

 ずっと甘えていた。


 ペルクスとワコさんはお互いに良い所を言っていたけど、わたしだって、たくさん言える。

 色んな事を知ってて、色んな物を作れて、わたしを気にかけて大事にしてくれて、たまに困ったりするけど、一緒にいたらとっても楽しい。

 だから、きっと、友達だとか恋人だとかよりも、もう一人のおとうさんみたいな人だ。


 ワコさんは小さく、でも柔らかな気持ちが伝わるくらいに微笑んだ。


「大丈夫。とらない」

「ほんと?」

「カモちゃんは、悲しませない」


 ぎゅうっ、と横から抱きついてくる。ふわりと安心する力強さだ。

 笑って、わたしも力を入れて抱きしめ返した。


「わたし、ワコさんも好きだよ」

「ん」


 しばらくそのまま。温かさに浸る。夜の黒さもまた綺麗に思えた。

 名残惜しく離れると、今度は別の質問をする。


「でもじゃあ、一人で残るの? 寂しいよ?」

「んん。あの町に帰る」

「帰る、なの? おかあさんとおとうさんがいる家はここなのに」

「もう出てきたから。こっちはたまにでいい」

「この島は嫌い?」

「違う」


 ワコさんはキッパリと否定。悲しさなんかはない、晴れ晴れした顔で。

 それから空を、遠くを見上げて、優しい声で言った。


「ここは好き。この海も。人も。勿論、母様と父様も、弟達も」

「じゃあどうして?」

「……好きなものは、たくさんあっていい。一番も、何度変わったっていい」


 なんだか遠回しだったから首をかしげる。

 ワコさん自身もよく分かってない事を整理する感じで、考えながら、少しずつ話してくれる。


「……昔、大陸から人が来た。大陸の絵とこっちの絵を交換した。その中に、あの聖画の写しがあって、見たら、感動した。それで、もっと見たいと思った」

「ここも素敵なのに?」

「ん。他の国、人、色んなもの、全部。全部見て、描きたかった」


 たくさん話すその顔からは、ワクワクが伝わってきた。これまでにないくらい熱をもっていて、それだけ、大切なんだって伝わってくる。


 自信に満ちた顔つきで、ワコさんはわたしの手を取った。


「ん。今は、あなた達が一番。だから、帰るのは、あの町」

「そういうものなの?」

「大人は選ぶもの。昔と、新しさ、色々経験して。自分の居場所を。一番を」


 自分の一番を選ぶ。


 分かった気がする。

 わたしだって、今まで選んできていた。

 おかあさんとおとうさんを待つんじゃなくて迎えに行く事を。辛くても皆が笑顔になれる道を。一旦楽しみを遅らせて、皆の為の行動を選んだりもしてきた。

 全部、わたしのワガママだ。


 だったら、わたし達を選んでくれたのは、嬉しい。尻尾が砂浜を叩く。


「じゃあ、ペルクスと、あの町で暮らすの?」

「……悪くない。でも、違う……と、思う」


 段々と弱まる声。

 否定しきれない感じは、わたしにも分かる。自分でもよく分かってないし、どんな形でも悪く言いたくないんだ。

 やっぱり仲良しなんだと思う。


 それでもワコさんは、まだそれを選ばない。

 ブンブンと首を横に振って、わたしの手を強く握った。


「ん。今はまだ、カモちゃんの方が好き。もっと描きたい」

「分かった! いいよ!」


 嬉しくて元気よく答えたら、ワコさんはすかさず紙とか道具を取り出した。目もキランと光った気がする。

 早速描き始めた。

 少しは恥ずかしいけど、この時間は好きだ。出来上がりも楽しみ。耳や尻尾が動かないように抑えるのは大変だ。


 静かな海。

 温かな夜。

 絵筆が動くかすかな音が、波や風より耳に入る。ワコさんと二人、幸せを噛みしめる。




 だけど。


「あれ? なにか、聞こえない?」


 波音に混ざって、人の声が聞こえた気がした。しかも悲鳴みたいな、切羽詰まった感じの声。

 勘違いかもしれない。でも、なんだかザワザワと嫌な予感がする。

 波打ち際まで走って、真っ暗な海を見渡す。


「海に……誰か溺れてる? 波でよく分からないかな……」

「ん……凪の景色。色彩の旗。撫でる尾鰭。艶やかに」


 ワコさんが精霊魔法を使ってくれる。

 波が弱まって静かな海になった。

 耳を澄ませる。頑張って集中。音の出どころを探す。


「見つけた! 精霊さん、速く飛ばせて!」


 羽を広げて、精霊魔法で聞こえた方向へ一気に飛び立つ。

 黒い海面。強い風。助ける為に跳ね除けていく。


 見つけた。

 男の人だった。仰向けに浮かんで、必死に手を振っている。急いでしっかり手を掴んで、岸まで引っ張る。

 ワコさんのおかげで波は小さいのが助かって、なんとか浜辺に辿り着いた。


「大丈夫?」

「う、うう、ゲホッゲホッ!」


 ワコさんが様子を診て、手当てをする。わたしも精霊魔法でお手伝い。

 かなり辛そうだったけど、少しずつ落ち着いてくる。


 竜人は泳ぎが得意って話だったけど、それでも溺れるなんて。

 そもそもどうして海に?


「怪物が……見たこともない怪物が船を……」


 男の人はか細い声で答えた。

 顔色は恐怖の一色。全身が怯えて震えていた。わたしにまで怖さが移ってくる。


「その船、他にも?」

「あ、ああ。仲間は皆海に……」

「大変!」


 真っ暗な海に何か恐ろしい怪物がいて、他にも海に落ちた人がいる。


 なら、助けなきゃ。


 わたしとワコさんは顔を見合わせて、頷き合う。それから急いで皆を呼びにお屋敷へ向かった。

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