第92話 愛さえあれば大丈夫
僕達のフダヴァス諸島の旅路も三日目。
船旅は快調。広々とした青の景色は、未だに飽きる気配もない。カモミールは元気に飛び回っていた。
僕の方も海の生物の研究もかなり進んで満足している。
やはり凶暴な生物の襲来があったが、容易く撃退しているのでそれすら朗報になってきた。
次はサラド島。
ワコの故郷の島だ。それにしては普段より顔が暗いようで気になったが、拒絶したい訳ではないようだ。
島の大きさは最初のマッシェ島と最大のシューボン島との中間程度か。
簡素で開放的な港はそれらの島と似ている。が細部を見れば特徴は見えてくる。ここは竜と人の意匠が多かった。
そして一人の女性が手を振っていた。
僕達が島に降り立てば熱烈に歓迎される。
「まあまあまあまあまあ! おかえり、よく帰ってきたわねワコ! 大陸はどうだった? 良い思い出は作れた? 悪い事はなかった? ああ、聞かなくても分かるわね。こんなにお客さん連れてきたんだもの!」
朗らかで大らかな竜人の女性。
とにかくまくしたててきて、呆気にとられる僕達と順番にスキンシップ。皆されるがままになっていた。
乏しい表情ながら辟易している雰囲気のワコが冷たく止める。
「母様。そこまで」
「なあにワコ? あらやだ、ごめんねえ。私ばっかり喋っちゃって。でも仕方ないわよねえ。こんなにおめでたい日だもの。ねえ? あ、ごめんなさいね。私はこの子の母親でサノ。よろしくしてちょうだいね。うふふ」
サノと名乗った彼女は確かにワコとよく似ていた。
寡黙な娘とお喋りな母。
対照的な母娘だが、まあ、そんな事はよくある。例はすぐ身近にも。
それはともかく、やはりまだ口を挟む暇がない。
「リョットは今外にいてね。もぅ、こんな時に間の悪い人よね。あ、リョットってのは旦那なんだけどね。その子の父親。それで祖竜様の神殿に居るのよ。ヨタとヨトも、あ息子ね。その子の双子の弟。も一緒に連れてっちゃって。ほら今年はウチが担当神官だから」
「む!? あの、済みませんが詳しく」
「で、で、あの人ったらもうね。また真面目なものだから祝祭の前に徹底的に掃除と祭具の交換と練習までしててね。ずっと大変なの。本当。無理しても逆効果になっちゃうのに。ねえ?」
「あの!」
「だから悪いんだけど歓迎やら真面目な話やらもまた後に」
「母様、先行く」
ワコは一声かけてお喋りを遮り、ズンズンと歩いていった。
もうせっかちなんだから、と言いながら母も続いたので僕達も進む。
強引に無視するしか手はなかったか。
多少賑やか過ぎるのは苦笑いするが、悪くはないと僕は苦笑。ローナは大笑いしてサノの隣へ飛んでいった。
屋敷は島長だけあって立派だった。ヤシの木材が主で大型生物の骨や皮も使われており、鮮やかな色に飾られている。
通された部屋も独特な情緒が漂う内装で興味深い。
そこで、僕達はサノと話す。
長であるリョットが帰ってくるまで正式な交渉は後回し。
今はただ、友人の家族として世間話に興じる。
そう、あくまでワコとの縁や思い出話といった世間話の流れで、祖竜に関する調査の認可を頼んでみた。
「んん~。やっぱり外の人を入れるのは難しいわねえ。娘のお客さんを歓迎したいのは山々だけど、ねえ。いや疑ってはないのよ。なんたって娘が連れてきたんだもの。でもほら、ねえ。私達の祖たるお方だから」
結果はこの通り。頬に手を当て、朗らかな態度で話すが、答えは固い。
もうすぐ竜人が祖竜の下から独り立ちして国を興した事を祝う、祭りの日だという。
それでなくとも聖地に部外者を招くのはフダヴァス全体から認められる必要があるとの事だ。
彼らの信仰は雑に扱えない。
残念。しかしこの答えを受け入れて、笑みを形作る。
仕方がない。
と、素直に引き下がろうとしたところ。
「あ、でもぉ」
サノは僕達を、正確には僕とクグムスを見る。
好奇心に爛々と輝く瞳で、身を乗り出す。
「身内になれば別よね。ね、ね! そこのところどうなの? そういうつもりで連れてきたの? どっち? ねえワコ、あなたどんな人が好みだったかしら? ほらどっちも真面目そうで良い人なんじゃない!?」
「……違う」
母の詰め寄りに、ワコは首を横に振る。あくまで平然としつつも、やはり苦々しいようだ。
僕としても居心地は悪い。
下世話な話題へ大きな興味があるのは理解するが。
身内になれば。要は、ワコと結婚すれば神殿に堂々と入れるという話だ。
研究には好都合。大いに助かる。
とはいえ、だ。
「いえ、娘さんは確かに可愛らしく素晴らしい方ですが、好奇心の為に利用するのは……」
「きゃああ! まあまあ、可愛らしく素晴らしい方! 可愛らしく素晴らしい方!? ちょっと、もうもう、良い人がいるんじゃない、ワコったらもう!」
断ろうとしたら、ぐいぐいと勢いよく娘に絡み始めた。
ワコにもじぃっと恨むように睨まれる。
礼を欠かさぬようにしたのだが、迂闊な発言だったのは間違いない。
失礼にならないようにしつつ、否定しよう。
「いえ、ですからお話自体は有り難いのですがお断りさせて頂きます。しかし娘さんに問題がある訳ではなく。信念の強い精神性には見習う点も多く、感情表現は乏しくとも豊かな思いを持つ人物であると理解しております」
「まあまあまあまあまあ!」
「おうおうおうおう、なんだオマエらそんな感じだったか!」
ローナまで加わった。僕の耳元を飛んで面白がっている。
カモミールすら耳をピクピクとさせて興味津々。
グタンとクグムスは静観。哀れな生贄を見るような目をしていた。
少々面倒になってきた。冷や汗がじわりと冷たい。
「褒めてはいけないか……しかし嘘は……」
「ほらほらどうなのどうなの? ほら、ワコ? 本音で褒めてくれてる男の人は嫌い?」
「……ん……嫌いじゃ、ない」
ワコは少し俯き、顔色を僅かに変えて、壊れ物を扱うように囁く。
そして続く言葉は意趣返し等ではなく、本音のようで。
「話を聞いてくれるし、欲しいものを分かってくれる。追究の姿勢にも共感。あと一緒にいたら面白いものが見れるから、目を離せない」
「あら? あらあら!?」
「なんだよ。もうくっつけばいいじゃねえか」
囃し立てる母二人。
僕とワコは一緒になって対抗する。
「いや、確かに好感はある。それは認めよう。しかし恋愛感情があるかといえば……」
「ん。そう。嫌いじゃないけど……」
「そこは疑問でなぁ」
「ん〜?」
素直な疑問が揃う。
首を大きく横に傾ける。その動作も綺麗に揃ってしまった。
「まあまあまあまあまあ! お似合いじゃないもう!」
「全くお似合いだ! 祝福するぜ!」
「え? え?」
当人を置いて興奮する二人はなんだか無敵だった。
最早収拾がつかない。
一度無理矢理お開きを宣言。
グタンとも協力してもらい、逃げるように部屋を出ていくのだった。
屋敷の中に用意された客室。
ピシリと揃った木組みは美しい。見た目だけでなく丈夫な造りで実用性も高く、風通しがよくて涼しかった。
寝台には鮮やかな布が敷かれており、細かい飾りが刺繍された布はカーテンか。
外には島の家々が見える。
壁には巨大な鮫の絵。しかも足が生えている。本物を是非見てみたいと、非常に好奇心が疼く。
「いえ、先輩。現実逃避しないでください」
「むう」
クグムスに言われ、部屋の観察を止める。
迫る困難と向き合おう。
この部屋には三人。僕とクグムスとグタン。女性部屋ではさぞかしましくお喋りが繰り広げられている事だろう。
想像すると、気が重い。
「いやしかしだな。僕もワコもどうこうなる気はない、と、それで終わる話だろう。政略結婚が必要な訳もあるまいし」
「はい。確かにハッキリ断ればやり過ごせるでしょう。ですからこれは純粋なお二人の気持ちの問題です。好感があるのは確かなのでしょう?」
「……正直、何も分からん」
愛。
神の愛。
人の愛。
他者を思いやり助け慈しむ心。
そもそも僕がグタンとローナの依頼を引き受けたのは、愛があったからだ。
愛するものの全てを知ろうとする欲が探求の源であり、解き明かした術理の中にまた愛を見つける。
だからこそ魔術師にも研究者にも愛は不可欠と言っていい。愛がなければ成功はない。
それを理念としていた。
そう。僕は神の愛を信じ、追い求めてきた。
グタンとローナの愛も尊いものだし、カモミールにも愛を教えてきた。
ただ、無償の愛と恋愛はまた違う。
そして僕の個人的な愛情もまた別だ。
男女となれば子を産み育む愛が備わっている。欲も理解している。
だがやはり僕自身となると想像もつかない。そういった欲求も現状特に強く浮かばない。
つまり、ワコはあくまで尊敬できる友人の一人。
のはずだが、それで考えを止めて切り捨てるのはしたくない。分からない、で済ませたくない感覚がある。
それが、自覚していなかった気持ちからなのか、己の内面に対する好奇心なのか、単に色々と言われたせいで意識してしまったからなのか。判断はつかない。
そして分からない時は、素直に先達に頼るべきだ。
「グタン。ローナへの気持ちとはどんなものなのだ?」
「む……うむ。そうだな、参考にしたいか。昔もよく話したはずだが」
「改めて頼む」
グタンは深く考える姿勢となった。
真剣に向き合ってくれるようで大いに感謝する。
それから静かに、しかし熱意のある声で示してくれた。
「愛しい。美しい。傍にいて、触れて、それだけで満たされる。幸せを与えたくなる。幸せになれる。笑顔があれば胸が高鳴り、涙を見れば胸が張り裂ける。自分よりもかけがえのない…………いや、やはり言葉にするとどうも陳腐だ」
充分に語ったと思ったが、無念そうに首を横に振る。
言葉に出来ないのが真に悔しいのだろう。
飾らない真っ直ぐな言葉に、単なる知識が少しずつ血肉を帯びる感覚を得た感覚はある。
まだ若いせいか、クグムスは真っ赤に照れていた。
「ああ、そうか。カモミールもいるからな。二人への愛がどう違うか、という話が必要か?」
「助かる」
グタンは腕を組む。度々悩ませて申し訳ない。
今度は柔らかく微笑む。
「守るべき存在。自分より重要。その辺りは同じだが……そうだな。ローナとは対等に並び支え合って共に在りたいのに対し、カモミールには前に立って導き甘やかし守りたいのかもしれないな」
彼なりのしっかりした考えは重い。価値ある重さだ。
クグムスと共に何度も頷く。
参考になるし、増々頼りたくなる。
「友情。親愛。それらについては?」
「ふ。哲学じみてきたな。ペルクスらしいが……うむ。少し簡単な例を出そう」
僕を見据えて、落ち着いた声音で諭すように告げる。
「自らの好奇心を満たす為に関係性を利用したくない。それは優しさや誠実さでもあるだろうが、愛とも呼べよう」
「……それはワコだから、ではなく他の誰かでも同じなのだが……いや」
反論しようとして、詰まった。
やはり妙な感覚が論理を否定している。今回の流れで意識したせいか、はたまた別の理由か。
自分の内面を分析、考察する魔術はない。
ただ頭と心で、答えに至るまで悩むだけだ。
ふっ、とグタンは微笑む。
「無理に急ぐ事はない。自分とローナは十年近くかかった」
「はは。経験者は違うな」
焦りは結論を乱す。
海の開放感もまた。
正しくあるべく、未だ答えは出さずに過程を楽しもう。
その為にも、参考は多ければ多い程良い。
グタンの思い出話という惚気を聞きながら、僕達の夜は更けていく。
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