第90話 聖女一行は海を渡って

 日差しと潮風に包まれて船は進む。

 波が煌めく海に豪快な笑い声が通り抜けていく。


「キャハハハハッ!」

「おかあさん強いね!」

「だがあまり船を揺らすと危ない。もう少し手加減をだな……」

「そん時ゃオマエがなんとかしてくれるだろ?」

「それは勿論だが……」

「わたしも頑張るよ!」

「ほら安心だ。な?」


 呆れ、不敵に笑み、尻尾がブンブン。親子は温かで、優しくカモミールを撫でる。

 とても鮫の群れを退けたばかりとは思えない空気感だった。


 あのカジキからも何度か大型の生物に襲われた。

 鮫、蟹、海獣、海鳥、などなど多種多様な生態系は興味深い。魔法を用いる種までいて研究者としてはじっくり調査する時間がないのが悔しかった。

 他の漁船に任せたり、追い払うだけで済ませたのもある。海の人々は逞しい。


 が、どうにも疑問だ。


「しかし普段からこんなに危険な海なのか?」


 中には凶暴に過ぎる生物もいた。ローナだから易々と打ち勝ったが、彼女に並ぶ強者揃いとは思えない。

 移動するだけで命懸けでは大陸との交流など実現しなかったはずだ。


 その問いに、やはりワコは首を横に振る。


「変。でも久し振りだし」


 否定しつつも、歯切れは悪い。

 話を聞くと、故郷を出て大陸南方を渡り歩き、もう何年も帰ってきていなかったらしい。乏しい表情でも申し訳無さそうな、寂しげな気配があった。

 少なくともそれ以前はこれ程活発ではなかったという事だ。


「となればここ数年の出来事でしょうか。しかし大陸でも竜人の方と話はしましたが、このような話は聞いていません」

「それもそうだ。とすると最近起きた変化か?」

「原因はなんでしょうか。分析でも異常はありませんし」

「今のところ情報不足だな」


 僕とクグムスで簡単に話し合う。

 また事件ならば今の内から情報を集め予想を立てておくのも悪くない。杞憂だろうと、研究になるのだから無駄骨にはならない。


 しかしカモミールは純粋に心配している。


「とにかくここの人は困ってるよね?」

「だろうな」

「じゃあわたし、また頑張るよ!」


 両手を握り、張り切る。

 優しさと勇敢さは危なっかしく、心配になる。

 その心意気は間違いなく尊い。

 皆で守り、育まねばならないと思う。


 不安を温かな決意で包んで、僕達は朗らかに海を行くのだ。




 大陸から東、ずっと海を越えた先、竜人の国に着いたのは夕暮れ時だった。

 波打つ海面が暖色に染める。景色は息を呑む程美しい。

 フダヴァス諸島。

 僕達を迎える一つ目の島、マッシェ。


 海上の桟橋が島を囲むように伸びる。数え切れない船が停泊し、奥の陸地には砂浜と椰子らしき木。風通しの良い家々も見える。

 そしてワコが船を進める先には、体格の良い竜人が腰に手を当てて待ち構えていた。

 上裸なので、鱗に覆われた肌が見える。頭には草を編んだ帽子。

 いかにもな海の男らしい彼は喜色混じりに叫ぶ。


「おお!? 知らねえ船だと思ってたらサラドのワコ嬢じゃねえか! 何年振りだ!?」

「ん。忘れた」

「がはは! 相変わらずだ!」


 ワコは桟橋に船を繋ぎながら相手を見もせずに返答。どうやらかなり親密な関係らしい。

 僕はワコに近寄って問う。


「知り合い……以上にサラドのワコ嬢とは?」

「なんだ知らなかったか? サラド島の長の娘だぞ」

「そうなのか!」

「ん。そうだった」


 しれっと言ってのけるワコ。

 いかにも彼女らしいと苦笑。今更ながら、思えば数多くしてきた質問は竜人の種族としての特徴ばかりだった。ワコ本人については知らない事が多い。

 絵への情熱が強く、性格は意外と強情。カモミールやサルビアとも仲が良い。初めはモデルや顔料目当てだったが、すっかり僕達の仲間の一員。

 そんな認識だったが、やはり彼女には彼女の過去があるのだ。


 それはともかく。

 ワコの知り合いの男性はジロジロと無遠慮に僕達を眺め回していた。


「で、珍しい客に……また、凄え獲物だな! たった六人でコイツを仕留めたのか!」

「いぃや、アタシ一人でだ!」

「おお! 小さいのに強えな!」


 ローナが進み出れば、見上げてニヤリ。

 そして高らかに笑い合う。

 似た気質同士、早くも仲良くなったよう。


 最初から友好的。この流れは交渉に活かすべきだろう。


「僕達はトゥルグに出来た新しい町を代表する立場です。この島の代表者とお会いしたい」

「この人」

「おう。マッシェの長はこの俺、ナリトだ」


 ワコと当人が平然と応じ、あまりに気さく過ぎて驚きに固まった。

 慌てて姿勢を正す。


「改めまして。僕達は大陸の北方、神罰の地の向こうより参り、新たな故郷に根を下ろしました。この度はフダヴァスの方々とも縁を結びたいと考えております」

「へえ……」


 彼は再び、今度はより厳しく品定めするように僕達を眺め回した。

 が、すぐに相好を崩す。


「ま、ワコ嬢の紹介なら安心だな。話を聞こうか」

「助かります」

「おいおい、んな固い喋り方じゃなくていいぜ。な、ワコ嬢」

「ん」


 随分とおおらかな長だ。

 ならばと言葉に甘える。むしろその方が快く受け入れられそうだ。


「では有り難く。とはいえ今日はもう遅い。話は明日にした方が?」

「いんや、まずは宴だな。歓迎しよう」




 マッシェ島はダイマスクの都程度の大きさで、フダヴァスの中では中規模にあたるらしい。

 その島中の人々が一箇所に集まってるかのようだった。

 歓迎の宴は準備などなく唐突に始まり、膨れ上がっていた。

 島の真ん中に幾つも大きな火が焚かれ、賑やかな喧騒と共に、薄闇を払う。

 中心にはローナが仕留めたカジキが堂々と鎮座。

 豪快な料理には、僕達が贈った食材や酒もふんだんに使われていた。

 皆が自由気ままに食べ、歌い踊り、笑う。

 そして絵。見た限りはワコを含めて十人程が、片手で料理をつまみながら丈夫な布に絵を描いている。

 ダイマスクの事件の原因となったばかりの絵だが、やはりこうして人の輪の中にあるのは好ましい。


「腕上げたなあ! 流石お嬢だ!」

「ん、感謝。そっちも良い」

「この絵の具最高だな。色もいいし使いやすい!」

「気に入ってくれてなにより。今後も良い取引をお願いする」

「こ、この生き物を食べるのですか?」

赤棘海鼠カワルコゥリか? 美味えぞ。見た目にビビんなって!」

「うわあ、皆凄いね!」

「ありがとな嬢ちゃん!」


 マッシェの島民は朗らかで人懐っこく、僕達は早くも馴染んだ。いや、彼らが馴染ませてくれた。

 この柔らかな寛大さには大いに好感を抱く。


 振る舞われる料理にも僕は興味津々。

 魚の串焼き。果物の葉で包んで蒸した貝。今まで食べようとも思わなかった珍味。香草は独特。辛口の酒は何を醸造したものだろうか。

 皆、行儀は良いとは言えないが、なにより美味しそうに食べていた。

 だがメインのようなカジキには、まだ手はつけられていない。絵描き達が囲んでスケッチしている。


「いやホント有り難えな。描きごたえあるモン獲ってきてくれて」

「これだけ大物で、しかも状態が綺麗だもんな」

「その功労者のアタシも描いていいぞ! ん?」

「あ、ちょっと! 邪魔しないで!」

「おう?」

「ローナ。落ち着きなさい。ローナ!」


 荒れかけるローナをグタンが留める。早速酒も入っているようで、苦労していた。


 とは言うが彼女も珍しいモチーフ。興味がなさそうなのは疑問だ。

 それに答えるかのように、ワコが説得する。


「今は無理。大きな獲物は絵に残すのが伝統。供物にもなる」

「はー。そういうもんか」


 興味深い文化だ。

 見渡せば家の壁にも大魚や大蟹が描かれた布が飾られている。誇り、競うよう。柱や屋根も鮮やかな色彩を纏う。派手なようで島の風景として溶け込んでいる。

 中には趣の異なる、ダイマスク風の絵もあり寛容さや美意識も感じられた。


 絵だけでなく、服も歌も踊りも珍しい。

 人の営みは専門外であっても、やはり未知を知るのは楽しかった。


「いやあ、やはり新たな場では好奇心が疼くな」

「俺もアンタらの話を聞きたいね」


 唐突に代表者のナリトがドカリと隣に座ってきた。

 にこやかに飲み物を勧めてくるので受け取り、口をつける。

 甘く爽やかな果汁の、しかし強い酒だ。

 旨いと呟けば、彼はありがとよと微笑み、そして問う。


「しっかし、わざわざこんなに遥か遠くまでご苦労だな。何故だ?」

「頼みがあれば直接出向くのが礼儀だろう」

「フダヴァスの大長だけじゃなくこの島まで来た理由だよ。商売か?」

「それもあるが、味方になってほしい」


 ナリトは目を細める。警戒の気配を漂わせていた。


「敵がいるのか? とにかく数が欲しいと?」

「確かに数は力だ。しかし欲しいのはあくまで友好的な広がり。敵を作らない為の味方。僕達余所者が仲間として馴染みたいという意思表示だ」

「ふぅん……そりゃ本音か?」

「本音だとも」

「いいや。あの子の為だろ?」


 ナリトは親指で背後のカモミールを指す。

 鋭い。

 まあ、異端の事情を詳しく知らずとも、何処でも人は似たような事をしているという事かもしれない。

 人と違う見た目は、やはり避けられる。


 異端の余所者全体が安心して生活出来るようにしていく役割が僕にはありつつも、個人的には彼女に肩入れしたい気持ちが確かにあった。親心のようなものだ。


「あれだけ目立てば、そりゃあ厄介事もワンサカ舞い込んで来るわな」

「……カモミールは純粋で善良だ。悪意に遭っても尚、曲がらず強い。僕達全員が逸れ者だが、カモミールは幸せになるべきだと」

「分かってる。良い子だ」


 言葉を遮った彼は体ごと振り返り、僕もよく見ようと移動する。


 宴の只中でも、笑顔ではしゃぎ空を舞うカモミールは目立っていた。

 絵が描き終わったのか、遂にカジキが火の上に移され丸焼きにされている。

 火力を調整し、切りわけ、運ぶ。精霊魔法を使って手伝う彼女は健気だ。

 このマッシェの人々にも可愛がられている。

 グタンとローナも娘に負けじと宴を盛り上げる。

 良い循環が完成している。

 大輪の笑顔の中心には、祝福と奇跡の申し子。


 ナリトもまた、白い歯を見せて軽やかに言う。


「悪い悪い。余計な警戒させたな。これだけの良い宴にしてもらっちゃあ無下にはできねえよ」

「有り難い」


 無事に縁が結ばれた。

 人の温かみは、やはり尊い。


 いい雰囲気だ。

 いい雰囲気ついでに、他の頼み事もしてみる。


「あとは祖竜様にも是非直接お会いしたいのだが」


 しばしきょとん。そして、ガハハそいつぁ無理だ、と豪快に笑われる。

 やはり難しいのか。


 残念に思いつつも、それ以上に満足感のある夜の宴だった。

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