第87話 ヴァニタスへ輝く虹を

 地下のお墓。人が苦しむ壁画に囲まれた、薄暗い空間。

 わたしとシャロさん達で、呪いの犯人だった画家さんに立ち向かっている最中。

 よく分からない事ばかりで苦戦していたけど、ペルクスからの連絡で、一気に流れが変わった。


 黒い呪いに覆われた肌も元通り。

 わたしはもう大丈夫だ。


「ペルクス、ありがとう! 助かってるよ!」

『そうか、良かった。そちらの調査はどうだ?』

「今、犯人と直接対決中!」

『何!?』


 その答えにはペルクスが慌ててたしおとうさんの必死な声も聞こえたけど、シャロさんはそれ以上は言わずに連絡の道具をしまう。

 悪魔の攻勢が激しくなったからだ。クロムジードさんが止めきれなかった宝石がシャロさんのすぐ横をかすめた。

 気を付けないと余波に巻き込まれそう。


 それにまだ画家さんは冷たく、呪いの黒を塗り続ける。


「邪魔をするな」

「するよ! 皆が困ってるから!」


 気持ちが伝わってほしくて、わたしは叫ぶ。

 悲しい。なんとかしたい。しなくちゃ。

 でも相手は絵の中にいるから、その方法は考えないといけない。


「精霊さん、うんと明るくして!」


 心を込めて頼めば、光が地下に溢れた。炎みたいな熱くて強い光じゃなくて、春の太陽みたいな優しい光だ。

 悪魔も、それから壁画もよく見える。

 怖い絵だった。胸が痛くなるくらい、見てて辛い絵だ。

 でも。


「凄い。本物みたいに上手で、どれだけ頑張ってるのか分かるよ。だから、こんな事に使わないで」

「邪魔をするな」


 画家さんはあくまでツンと言い放って、後は黙々と筆を動かす。絵の中を移動して呪いの黒を重ねていく。

 それでも苦しくならないのは、ペルクスのおかげでドラゴンが復活したから。それを意識すればわたしも力が湧く。


 話にならないのは悲しいけど、へこたれない。諦めたくない。

 なのに、どうすればいいか分からない。

 壁を殴ったり壊したりは難しそうだ。


 と、悩んでいるところに、空気を裂く音。

 絵の悪魔が出した宝石がわたしに迫ってきて、壁に当たって砕けた。

 続けてたくさんの攻撃が見えた。

 クロムジードさんはひたすら蹴って防ぐ。砕けた宝石がきらめきながら散って、破れた花びらが細かく舞って、油は霧状に形をなくす。

 優雅な踊りみたいに激しい動きは、無数にばらまかれる色のほとんどを無力化していく。

 リズミカルに弾いて、軽快に足音を打ち鳴らす。踊りと演奏みたい。

 遊び半分とかじゃなくて、きっと、それが一番速くて強いんだ。

 音楽を戦いに使うんじゃなくて、戦いを音楽にしてしまうみたいに。


「爺さんはもう分からんけど、とにかく悪魔に勝てばいいんだよな! オレは応援するよ!」


 明るく開き直って、シャロさんは楽器を演奏し始める。

 狭い地下によく響く。クロムジードさんの音と踊りも合わさって、劇場の舞台みたいだ。それもとびっきりの最高な劇。


 こんな時なのに、わたしまで楽しくなってくる。


「やっぱオレはこっちだね。それと……よし、いけた!」


 サルビアさんの歌声まで聞こえてきた。

 悪魔の魔法で、地上から届いてくるんだ。お客さんの歓声や拍手さえも。


 クロムジードさんの動きが更に軽快になった。音楽を楽しんで、でも自分も踊りで対抗するみたいに。

 花や宝石。色とりどりでキラキラとした攻撃が、音楽を更に彩り豊かに飾る。

 互角の戦いみたい。いや、それ以上に綺麗だった。美麗で豪華。見惚れて心を奪われるくらいのショー。

 この狭い劇場で、神秘の舞台が開かれていた。

 画家さんが見向きもしないのが、他の人にも見せられないのが残念なくらい。


「お願い、止めて! 竜人ばっかり注目されたのが許せないんでしょ? ほら、これなら誰にも負けないショーだよ! あなたが作ってるんだよ!」

「邪魔をするな」


 説得は響かない。だけど憎々しげに睨まれたからには、聞いてはいるみたいだ。

 止める代わりに新しい命令。クロムジードさんへ攻撃する合間に、絵の悪魔がノミで床を叩く。


 すると。

 ずん、と後ろから重い地響き。地下が崩れないかと心配になるくらい。

 振り返れば大きな影。

 来る時に見た彫像が、命を持ったみたいにこちらに向けて動いていた。


「一騎打ちじゃなかった! カモちゃん大丈夫!?」

「うん、大丈夫!」


 心配するシャロさんへ元気に応えて、わたしは一旦入口へ飛ぶ。

 潰そうとしてくる像を見上げる。大きくて重くて、危険。威圧される見た目は怖い。

 でも、やっぱり造りが凄い。誰かが丁寧に心を込めて作った作品だ。

 壊したくない。

 だから。


「精霊さん、壊さないように、包んで飛ばせて!」


 柔らかな、でも強い風が地下に生まれる。

 ごうと一気に吹き抜けて、囲んで重い彫像を浮かせた。

 そのままフワフワと宙へ。いくら頑丈で強そうな手足を動かしても空振りするだけ。その場で捕えて、誰も傷つけさせない。

 音楽に乗って踊ってるみたいだ。

 もう怖くない。


 それに、おかげでこうすればいいんだと思いついた。

 これでまた画家さんに向き直れる。

 わたしの力で、立ち向かえる。


「精霊さん、光をください。真っ白な光を!」


 頼むだけじゃ駄目だ。

 だから、悪いけど強引にいく。

 精霊魔法で作った光の球を、壁画に飛ばす。絵の具を塗るみたいに。

 元の絵を台無しにしないように黒い部分だけを狙って。

 壊せないし消せないなら、呪いの素だけを塗り潰して消してやるんだ。


「邪魔を、するな!」


 画家さんは顔を真っ赤にして激怒。なら、これでいいんだと安心する。

 だけど向こうも必死だ。

 また黒が壁に増えていく。折角塗った白が次々塗りつぶされていく。

 絵の中の画家さんは激情に呑まれながらも、丁寧に素早く、的確に仕事をこなしている。流石に大仕事を任された画家さんだ。


 速さじゃ勝てない。

 だとしても、諦めない。

 わたしは笑う。明るく笑う。無理矢理じゃなくて心から。

 楽しさで、勝つんだ。周りの音と色も味方してくれる。


 と、頑張って壁画を見ていたら、ふと気づく。


「あれ?」


 呪う為に描かれたわたしの絵も、笑っていた。絵の中で、ハッキリと。


 様子を見ると画家さんがやった訳じゃないみたいだ。

 ペルクスなら理由が分かるかもしれないけど、わたしには難しい理屈はよく分からない。


 それでも、なんとなく分かった。


 わたしと、わたしの絵は繋がっている。絵を黒く塗ったらわたしの肌が黒く塗られたのと、逆だ。

 だから、わたしの笑顔が、絵にも伝わったんだろう。

 それなら、もう一人のわたしだ。


「精霊さん、綺麗な色をもっとください。あっちのわたしにも!」


 床に落ちていた色の欠片が混ざって、風に乗ってわたしの絵の横にくっついて、一本の筆が描かれた。

 絵の中のわたしはそれを持って、平らな壁を飛んだ。画家さんみたいに筆を振って、鮮やかに黒を塗り潰す。

 わたしも一緒に、反対側から光の白を伸ばしていく。


「邪魔をするな!」


 光と呪い。白と黒のぶつかり合い。

 絵の中で陣地を求めてせめぎ合う。明るく、暗く、移り変わりに目がチカチカする。

 筆と魔法を振るって、振るって、お互いに壁画の上を駆けていく。

 中央では悪魔の戦い。

 無数の攻撃的な色を、ダンスが華麗な演出に変える。

 暗かった地下も、虹色の光と華やかな音楽が満ちる。

 平和なようで、激しい。熱いのに、楽しくて笑う。


 わたしは負けられない。

 それ以上に、助けたかった。


「精霊さん、優しい花畑の精霊さん! この気持ちを届けさせて!」


 勢いをつけたくて、力いっぱいに叫ぶ。

 感情を精霊魔法に乗せる。

 音楽の楽しさをそのまま力に。

 段々白が増えていく。わたしの祈りを込めた白が。

 画家さんの動きは速い。その職人技には勝てそうにない。

 でもそれに色が追いついていなかった。悪魔の力が弱くなっているせいだ。

 きっとそう。シャロさんも、上のサルビアさんも相手の力を削って、ペルクスも頑張っている。

 それが、目に見える結果になった。


 皆を感じられて、だからもっと力が湧いてくる。

 精霊魔法は絶好調。壁のほとんどは白い光が制覇している。

 もう一人のわたしは加速して、もう画家さんの前。

 筆を捨てて、空いた両手で、バッと飛び込む。


「もう止めよう!」


 絵の中で抱き着く。ギュッと強く。

 そして、二人のわたしで揃って呼びかける。


「ね、もう止めて。悲しいよ。こんなに凄い絵なのに」


 絵の中がどうなってるか分からない。それでも温かみをあげたかった。

 なのに、画家さんは、まだ冷たいままだ。


「邪魔、を、するな」


 画家さんは無理矢理動いてわたしに黒を塗る。両方のわたしが揃って呪いに染まる。

 だけど、痛くも、苦しくもない。わたし自身の黒もすぐに消えていった。

 やっぱり呪いは弱くなっていた。


 抵抗はしない。笑う。笑いかける。

 おとうさんみたいに、全部を受けとめるんだ。


「同胞の生きた証は打ち捨てられた。全て、全て余所者に!」

「違うよ。そんな事はない。皆、あの絵が好きだよ。竜人の人達だってそうだもん!」


 絵の中のわたしは真っ黒。それでも笑って喋り続ける。

 豪華な音楽が鳴ってるのに、ここだけは静かだ。

 静かに、画家さんは憎悪を燃やしている。


「シャロさん! 話す道具を貸して!」

「え? あ、うん!」


 演奏を中断して素早く投げてくれた。

 受け取って、焦りつつ呼びかける。


「聞こえてた!? ワコさん、お願い!」

『ん』


 ワコさんが待っていたみたいに応えた。

 詳しく言わなくても分かってくれた、ううん、元々そうしようとしていたみたいに話し始める。


『あなたが、アルデジン・オンテス?』

「邪魔を」

『ワコ。フダヴァス諸島の竜人』


 そう言った瞬間、画家さんが顔を真っ赤にして怒鳴る。


「竜人、竜人! 余所者が! 貴様らが! 貴様らが奪ったのだ! 決して、決して許さぬぞ!」

『あなたはフダヴァスでも有名。直接見れて良かった』


 ワコさんの淡々とした声に、怒鳴り声が止まる。


『自分で描く時も真似してるし、この都で見るのが夢だった。あなたの栄光も、ずっと伝わってる』

「……そんな訳が」

『本当。あなたの絵は、竜人にも人気。あなた以外の、この国の画家も。捨てるどころか、大事に飾ってる』

「そう、か……」


 感情が見えない平坦な声なのに、ワコさんの熱意は伝わってきた。本気で憧れているからこその言葉だ。


 画家さんは自分の手をじっと見つめる。


「この力の源は、竜人だったか」


 その呟きは、か細くて。寂しさすらあった。

 嫌っていた相手に、気付かずにずっと支えられていたと知ったから。


 それが、許せないみたいだ。

 目を見開いて、口を震わせて、頬を歪めて。

 でも、最後には乾いた笑いを浮かべた。


「メフアトレス」


 多分悪魔の名前だ。睨んで、命じる。


 でも、動かない。それどころか感じる魔力が弱くなっている。怖い気配も薄い。力を使い果たしたみたいだ。

 悔しげに憎々しげに、歯ぎしりが鳴る。


「……終わり。終わりか」

「ううん。まだ納得してないでしょ」


 わたしは願う。

 それから天井に精霊魔法の光で絵を描いた。画家さんに比べたら下手な、わたしの絵。笑顔のわたし。

 絵を捧げる。力の源を。

 少しだけしかないけど、最後に。


 目を見開いた画家さんは、だけどすぐ作業に取り掛かった。

 床に、素早くドラゴンが描かれていく。

 シャロさんは心配そうにこっちを見て、でもわたしがうなずくとクロムジードさんと一緒に後ろへ下がる。

 二人の決着を任せてくれた。


 そして、画家さんの絵は完成。

 相変わらずの綺麗な格好良さ。本物みたいな、威圧感まである凄い絵。床にあるのに立体的で飛び出してくるみたい。


「私の最高傑作だ」


 そして、炎。

 黒い炎が、地下の部屋ごとわたしを呑み込もうと広がった。

 憎悪と、熱、それから悲しみも。


「精霊さん! 受けとめて、全部!」


 温かな風が渦巻く。

 綺麗な欠片で色がついて、人の形みたいになって、わたしの前に立った。

 風と炎。今度は虹と黒のぶつかり合い。

 焦げそうになりながら、笑う。

 汗が噴き出す。肌が焼ける。

 やっぱり凄い人だ。

 顔を背けたくなるけど、意地でも前を向く。向き合う。


 ドラゴンも、画家さんも、段々と気配が変わっていく。濁った瞳が熱で浄化されていくみたいに。悪いものを吐き出して残ったものが膨らむみたいに。

 熱い。熱い。

 それでも笑う。こんなにやりがいがあって、助けたい気持ちがある。受け止められる。

 苦しさもへっちゃらだ。

 耐えて、向き合って、思いをぶつけ合って。


 やがて、その時は来た。


「凄い。綺麗で、本当に最高傑作だったよ」


 炎が消える。熱気が去って、唐突に冷える。

 ドラゴンも、そして画家さんも動きを止めていた。

 どちらの絵も、もう喋らないし動かない。

 悪魔を残して、画家さんはいなくなってしまった。

 だけど残った絵は、満足そうな笑顔だった。恨みも何もない晴れ晴れした顔。

 お墓はもう静かだ。色も音もない。

 この事件はこれで解決、なんだろう。


 わたしはその場にどっと座り込む。

 疲れ果てて辛いけど、わたしも満足。心地良い感覚が胸に溢れていた。

 最後に画家さんの幸せを願って、わたしは祈る。

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