第80話 死闘なる観察

 財宝輝く洞窟の最奥。魔力の密度が高い空間。未知の神秘が息づく地。

 好奇心をそそるドラゴンの住み処は、その価値に見合った危険地帯だ。


 雄偉な巨体。暴威の咆哮。

 対峙して固まる体。真っ白になる思考。

 絶対強者を前に、生物としての根源的な恐怖に支配されてしまった。

 死が迫る。

 攻撃ですらない、ただ一歩踏み出しただけ。それが脅威になり得る、ただただ圧倒的な力を、呆然と見上げるばかり。


 そんな情けなく立ち止まる僕は、雄々しい声に強く打たれた。


「雄大なる大地、高遠なる天空、猛き戦士たる力を我が内に!」


 グタンは精霊魔法を使い自身を強化。盾を上に掲げ、重々しい踏みつけを受け止める。

 ずんと来る衝撃が背後の僕達にも来た。

 息の詰まる圧迫感。間近の大剣めいた爪が恐ろしい。

 盾からヒビ割れる音が鳴り、グタンの肉体もみしみしと苦しげに唸るよう。頼もしい背中だが、危機の只中にあるのは間違いない。


 我に返った僕はギリと歯を食いしばる。そしてグタンを潰そうとする前脚に、小型ゴーレムドルザを突っ込ませた。


「ドルザ、突撃!」

「クソ! 負けるか!」

「震えてはいられません!」


 続けて戦士の二人も前進。それぞれの武器で指先に攻撃を繰り出した。鈍器と刃が高く音を鳴らす。

 

 が、どれも容易く弾かれた。

 真っ黒な鱗は艶やかなまま。まるで揺るがずに存在を誇示していた。


 しかしドラゴンは無傷の前脚を持ち上げる。

 僕達の抵抗はほぼ無意味。邪魔にもならない。

 このまま続けても有効なのに止めたのは、単なる気まぐれかもしれない。


 いや、もっと簡単に排除する手段にしようとしただけなのか。

 ドラゴンは大きく口を開いた。

 集まっていく魔力。揺らめく空気。

 強い悪寒が走る。

 ドラゴンの代名詞、炎を吐くのだろう。

 入り口では逃げ場がない。

 かといって内部へ入れば間合いの内。

 バラバラになっても不味い。


 わずかな迷いが命取りとなる場面で、真っ先に静かな声が響く。


「熱は空へ。炎は煙へ。醒ましの雨よ」


 ワコの精霊魔法が発動。

 ほぼ同時に、ドラゴンが炎を吐く。

 視界が紅に染まった。

 感じるのは溺れそうな程に濃密な魔力。高熱が空間に広がる。


 ただ、僕達は無事だ。

 ワコの魔法が炎に干渉しているようだ。

 主力は彼女についてきた水の精霊。炎熱を洞窟の上部へ逸らしていく。

 しかし辛そうだ。かなり無理をしており、じわじわと熱気が迫ってきている。


 ならば僕も見ているばかりでいられない。


「ドルザ、突撃!」


 炎の源である顎を、下から打つ。

 強引に閉じようとしての命令。

 が、ドルザの突進はまたも貫けない。少し揺らいだ程度で閉じはしなかった。

 それでも調子は乱したらしい。


 ドラゴンの虚ろな目がこちらを向く。怖気を飲み下して睨み返す。

 炎の勢いが増した。ワコが苦しげに呻く。

 僕も急いで新たな防御を増やす。


「“展開ロード”、“石工メイソン”」


 前方に土壁を隆起。

 炎に晒され、黒く焦げ、今にも崩れかねない。

 阻んでいても熱い。息が苦しい。

 壁の内から動けない。


 それでも後には下がらない。

 むしろ相手も動かないのなら好都合だと強がる。

 同時に魔術を使用。


「“展開ロード”、“生物研究サンクチュアリ”」


 魔法陣がドラゴンを覆う。

 あくまで目的は調査。例えまるで敵わずとも、情報を得られたのなら僕達の勝利だ。

 困難な環境でも集中を維持する。


 が、しかし。


「……駄目か」


 ドラゴンが纏う魔力の障壁に阻まれる。

 しかし手応えからすると防御魔法というよりは、自然な、単純に肉体が備えた抵抗力といったものに思えた。

 そこで対象を変える。


「“展開ロード”、“分析アナライズ”」


 その魔力障壁自体に狙いを定め情報を求める。

 こちらには手応え。やはり珍しい魔力、魔法陣、興味深い研究対象だと場違いながら興奮した。


 と、不意に炎が止まった。

 何故かと警戒する間もなく。


 ──オオオオオォォォォオオオオ!


 咆哮が轟く。

 魔力を含んだそれは、威嚇か攻撃か。全身が痺れる。パラパラと土塊が落ちてきた。

 分析の魔術が強引に中断させられてしまった。


 これは意識しての防衛。反応を引き出した。

 となれば一矢報いたのだ。

 僕は強気に笑う。

 やはり効果がありそうだ。

 とはいえ分析を完遂するには、こちらからも攻撃が必要となるか。


「……グタン」

「任せてくれ」


 グタンは長く息を吐く。表情は精悍。

 反撃の機会に燃えている。

 

 再び炎が吐かれる前に、消えたような速度で飛び出した。

 足場は宝の山で不安定。ガシャガシャと鳴るのも不利な条件。

 だからこそ真正面から駆ける。


 迎撃として豪快に左の前脚が振るわれた。大柄なグタンも容易に叩き潰しかねない重撃。風切り音すらも重かった。

 彼は的確に跳んで避ける。

 が、次は右から、空中にいるところ再び襲われる。

 その右脚を僕のドルザが直撃。弾かれたが少しは軌道がズレただろうか。グタンは盾を斜めに構えて衝撃を受け流す。

 

 そうして無事に着地した途端、ドラゴンへ急接近。豪快に飛び散る金貨。

 再び薙ぎ払おうとする前脚を素早く潜り抜け、腹の下へ。

 音高い踏み込み。鱗のない部分をめがけ、盾を突き出した。

 が、やはり効かない。グタンもそれを確認し、離脱。遅れて脚が振るわれた。

 やはり厳しい戦い。

 ただ、炎は吐かれない。宝を焼かない為か。ならば勝機はあるかもしれない。


 反対側からも二人の戦士が駆ける。


「こっち見ろよぉ!」

「こちらにも意地があります!」


 彼らは壁際を走って接近。グタンが引き付けている間に距離を稼いでいたようだ。

 狙いは同じく腹。殴り、突く。微動だにしなくてもお構いなしの連撃。

 グタンも目立つように、的を絞らせないように動く。脚を警戒した連携が上手くとれているようだ。


 しかしそこで、ドラゴンは羽ばたいた。

 暴風が吹き荒れる。宝の一部が凶器と化して乱れ飛ぶ。

 三人は顔を手でかばうも、体中に飛来した宝が突き刺さる。

 その上風圧に踏ん張り切れず、洞窟の壁に打ち付けられた。


「ぐお!」

「うあ!」


 負傷は重い。流血と苦痛で顔が歪んだ。

 ドラゴンの首が動く。直接噛みつこうと迫る。鋭利な牙が光る。

 二人は悔しげに、それを見ていた。


「おおお!」


 高らかにグタンが吼える。

 跳び上がり、重い一撃で目元を痛打。甲高い衝撃音が反響。

 流石にドラゴンも嫌悪らしき反応を示す。

 二人を狙う首が止まり、グタンの方を向いた。


 すかさず土砂の流れが二人を包んで運ぶ。ワコの魔法が逃がしたのだ。


「……悪い」

「役に立てず申し訳ありません」

「いや、よくやってくれた」


 憔悴する彼らを宥めて薬を差し出しつつ、更に僕は壁面に魔法陣を展開する。


「“展開ロード”、“石工メイソン”」


 土壁をより頑丈に作る。

 壁に隠れて安全を確保して休んでもらう。

 傷は与えられなくとも気を引ければ上等。

 やる気があるのなら十分回復してからまた行けばいい。今はグタンに任せるべきだと説明すれば、二人は頷いた。


 そのグタンは今も煌めく洞窟内を駆け回る。

 至近距離ならば炎は吐かないようだ。とはいえ咆哮は時折あり、それで態勢を乱される。

 並外れた反応速度と身体能力があって、なんとか対抗出来ていた。


「おおおお!」


 爪を殴りつけ、先端を折る。

 グタンは消耗しているはずだが、むしろ動きには磨きがかかっていく。ドラゴンの魔力に順応しているようだ。

 また咆哮。鼓膜が破れかねない音量の中、耐えて進んで、穿つ。

 ドラゴンは口を閉じ、ちっぽけな敵を睨む。敵意が集中する。攻防を繰り返した事で認められたか。

 煩わしい咆哮の隙間は、好機。

 僕は再び魔力障壁を狙う。


「“展開ロード“、“分析”アナライズ


 今度は邪魔なく読み取れる。

 魔力の性質。魔法陣の構成。読み取れる情報は貴重と喜び勇んで進めていく。

 そうして得た情報と、今までの研究成果の中には、近いものがあった。


「これは……まさか……」


 僕は驚きに息を呑む。

 ある予測が立ったからだ。

 それを確かめるべく、もう一度“生物研究サンクチュアリ”を使いたい。

 しかし障壁に阻まれる。

 どうすれば通せるか。

 少し考え、出た案を迷わずに叫ぶ。


「……グタン、僕を背負ってくれ!」

「覚悟の上だな」

「勿論」


 頷けば、前線から素早く後退してきてくれた。

 背中にしっかり掴まり、直接乗り込む為の準備を整えた。


「援護を頼む」

「ん」

「根性あんな」

「武運を祈ります」


 ワコと、二人の戦士も背中を押す。

 爆発的に飛び出した。体が滅茶苦茶に揺さぶられるが、もう慣れたもの。歯を食いしばり、笑む。

 流れる視界には、凶悪な爪、牙、尻尾。すぐ傍にある危険。

 唸る風圧が、死の気配を運ぶ。

 僕もクグムスを真似てグタンを強化。一心同体で修羅場を潜り抜けていく。

 尻尾を飛び越え、風圧を乗りこなし、爪を受け流す。

 一つ間違えれば終わり。その中で僕は集中力を整える。危機感がむしろその度合いを高めてくれた。

 魔力と圧力が全身を叩く。震えと痺れが肌を覆う。

 掠ってすらいない動作が背筋を凍らせた。

 それでも、遂には。


 無事、頭の上に着地。素早く背中から降りて直接ドラゴンに触れる。


「“展開ロード”、“分析アナライズ”、“生物研究サンクチュアリ”」


 魔力障壁は肉体の表面を覆う。

 あくまで防御でなく、自然な特性。

 故に触れる手は邪魔されない。そして遠距離、範囲、精密さ、その辺りの機能を取り除けば魔力を本来の性能に回せる。

 魔術を直接展開。

 ドラゴンの濃厚な魔力の影響下では制御が難しい。だから体の方がおろそかになってしまう。

 グタンはそんな僕を支え、その場で振り落とそうとする力に耐えてくれている。

 ならば僕は集中するだけだ。力強さに安心すらしている。


 そして、結果は。


「やはり……!」


 僕は推測が的中したと確信。心の内が熱くなった。

 となればもう。


「十分だ! 撤退する!」


 叫び、全力で逃走。

 グタンは僕を抱えてドラゴンの体を飛び降り、駆け抜け、外を目指す。

 炎熱、暴力。予想される障害は強大だ。

 だとしても逆に高揚する気分で空間の入り口へ。

 ワコ達と合流。グタンの背中から降りて脱出のタイミングを測る。


 ドラゴンに背中を見せるのは危険過ぎた。

 実際、グタン達はじりじりと下がりつつもドラゴンから目を離せない。

 ずしんと響く足音。逃すまいと凄む迫力に震える。

 僕達は視線を交わし、頷く。


「“展開ロード”、“石工メイソン”」


 洞窟の地面と壁を隆起。

 それを合図として全速力で逃げた。

 壁が時間稼ぎになればいいが、気休め程度か。


 ドラゴンは後を追っては来ない。

 代わりに炎が迫る。

 今までよりも強い最上級の熱。壁は容易く崩れ去った。

 洞窟を埋め尽くす赤が迫る。


 土砂、師匠から学んだ空気を操る魔術、消化の薬剤、僕とワコがあらゆる手を用い抵抗。炎から全速力で逃げる。

 魔法に専念出来るよう、僕達をリカルゴとモルフィナがそれぞれ背負ってくれた。

 途中、行きに襲ってきた蝙蝠や小動物を跨ぎ行く。

 それらも炎に呑み込まれていった。

 背に熱気。

 焦げる匂い。

 火花が爆ぜる。

 眩しい色が目を焼く。

 灼熱に追われ休みなしで走る。

 全員必死。グタンすらも険しい顔つき。

 足が砕けそう。頭が茹だりそう。意識が飛びそう。

 だからこそ全員が力を尽くして我武者羅に体を動かしていく。


 だが。

 ガッ、と。グタンが溝につまずく。

 やはり、無理をしていたか。負担をかけてしまったか。

 全速力の勢いのまま、体が浮いた。

 死の予感。最悪の想像に血の気が引く。

 

 それを、横から二人が支えた。

 リカルゴ、モルフィナ。僕達を背負った上でグタンも補助。五人が一つに固まった。

 加速。

 再び走る。

 熱を遠ざける。

 炎対策も品切れとなり。

 ようやく前方に光が見えてきた。

 外だ。手足を全力で振り抜く。走り抜く。


 そして、夜空が見えた。

 涼しい風が吹き抜ける。

 素早く横に転がったが、洞窟から炎は噴き出してこない。


 無事、脱出に成功したようだ。

 どっと大の字に倒れ込む。心臓が未だに暴れている。

 開放された爽快感が、じんわりと染みてくる。


「皆のおかげだ。感謝する」


 五人が揃って、顔を合わせて安堵の笑み。

 それから簡易的に神への祈りを捧げる。

 が、事は重大で急を要する。

 グタンが居住まいを正して尋ねてきた。


「どんな成果があった?」

「ああ。話しておこう」


 疲労を押し込め、上半身を起こす。

 留守番の師匠や都のカモミール達にも報告するが、休憩がてらに情報共有するのは悪くない。僕もその前に整理しておきたかった。


 息を整え、意識して淡々と結果を報告。


「あれは生物ではなく、魔獣でもなく、妖精でもなく、勿論神でもない。未知の多い存在だった。ただ、非常に似ている存在を僕は知っている」


 訝しげな目に注目されながら、納得されない事を予感しながら、僕は言う。


「……悪魔だ!」


 これが何を意味するのか、どんな結末を導くのか、今はまだ分からない。

 それでも確かに、始まりの一歩を踏んだのだ。

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