第77話 歌姫の子守唄、あるいは
「あたしが一人で舞台に立つわ」
堂々と、サルビアさんは言い放つ。
見惚れるくらいに綺麗で格好良い姿だった。
でもわたしは心配になる。
「サルビアさん。大丈夫なの?」
「大丈夫よ。それともカモちゃんも舞台に立ちたかった? なら、ごめんね」
「そうじゃなくて……」
「はい。無理をしなくても打開する方法はあるはずです」
「歌姫だからといって責任を全部背負わなくてもいいのですよ」
次々と温かく声をかけていく。皆が同じように気遣っていく。サルビアさんを支える為に。
だけど、それはどうやら違っていたみたい。
「ありがとう。でもね、これはワガママなの」
サルビアさんは不敵に、誇らしげに微笑んで言い放つ。
「シャロには悪いけど、やっぱりあたしは観客の心を独り占めしたいの。主役以外も大切だって分かってるし、実際北の王都でもお世話になってた。それでもね、これだけの舞台で喧嘩を売られたら、あたしの欲望がどうしようもなく疼くの」
確かにワガママな言葉。
でも顔は晴れ晴れと、強い自信に満ち溢れていた。
「だからあたし一人で魅せつけてやりたいのよ」
気持ちは分かった。独りよがりじゃなくて、皆の協力にもちゃんと感謝してる。
それでも、自分の力を一番に信じているんだろう。
強さに憧れる。応援したくなった。
シャロさんも同じなのか、真面目な顔でうなずく。
「分かった。そういう事ならオレ達だけで行こうか」
「一人で、って言ってるでしょ。有り難いけど今日は下がってて」
冷たい返事にシャロさんが慌てて、裏声で驚いた。
「え、オレもなの!?」
「そうよ。シャロも袖で演奏してて」
「えー、口上やりたいのにー」
「それもここでやればいいでしょ」
「うーん……まーいっか。いいよ、サルビア。頑張ってきて」
「ええ」
二人は見つめ合って、包むみたいに手を握る。
軽く、ほんの短い時間の触れ合いをして、向きを変えて歩き出した。それで十分な信頼関係。
これも素敵で憧れる。やる気満々な気分になれた。
控室から舞台袖へ。
未だにガヤガヤと客席が賑やかだった。
劇団に魅了されて、興奮して、すっかり虜。次の演目に期待するより、今の感想を語り合うのに夢中。
確かにそれだけ凄かったし、わたしも混ざってお喋りしたいくらい。
でも、わたし達は、これを塗り替えないといけない。改めて気合を入れた。
舞台のすぐそばには、やっぱり団長さんが誇らしげに待っていた。
「この客席を見よ。我らの劇が上等なものであるとの証明だ」
「はいはい。後で後で。今忙しいから。あ、オレもさっきのには感動したよ。じゃ」
「失敬だぞ!」
シャロさんが適当にやり過ごしてさっさと歩いていく。
わたしは立ち止まって「感動しました」って伝えた。でも団長さんは不満げだった。悲しいけど皆を追いかける。
いよいよ本番。予定変更したけど、準備万端で挑む。
だけど客席は静かにならない。ずっと向こうの劇団に夢中になったままだ。
これじゃ歌を聞いてくれない。どうしたらいいんだろう。
と、困っていたらシャロさんがあくまで自然体で動く。
ハープを構えて、ポーン、と一際に高い音を鳴らした。
お客さんが少し反応してざわめきが薄れる。それを確認したシャロさんが、よく響く声で語る。
「皆様お待たせ致しました。ディップヒック劇団に引き続きまして、これよりシャルビア劇団が演じさせて頂きます。只今の素晴らしき舞台の後にお目汚しにならぬよう、力を尽くしますので、どうかお楽しみ頂けましたら幸いでございます。私共の歌姫、最高の歌姫たるサルビアに、どうか割れんばかりの拍手を!」
口上を受けて、サルビアさんが出ていく。
背筋をピンと伸ばし、表情は気品のある微笑み。惚れ惚れする立ち姿。
歌わなくても存在感が既に魅力的だ。
その雰囲気に呑まれたみたいに、客席は静かになった。じっと、期待に満ちた目が、品定めする目が、サルビアさんに向く。
真っ向から劇場の全てを受け止めて、歌姫は口を開く。
そして、歌声。
──────!
楽器もなく、歌声だけ。しかも歌詞はない、ラララという音の連なりだ。
本当にサルビアさんだけでの勝負。
シンプルなそれが、最初から劇場全体を圧倒した。
人の声が、こんなにも澄んだ音を出せるなんて。
音が、こんなにも人の心に訴えかけてくるなんて。
まるで魔法。それも相当に手間を掛けた強大な魔法。普通の魔法使いじゃとても敵わない。
耳から入って、体を通る感覚が気持ち良い。
心に深く残る綺麗な体験。
今まで何度も聞いてきたのに、今日はまた最高の歌声だ。
お客さんも同じみたいだ。顔を見るだけで同じ気持ちだと伝わる。舞台に集中。
うっとりと、満足そうに歌の世界に浸っている。
サルビアさんの望み通りで、わたしまで嬉しい。ふわふわと幸せだ。
「カモちゃん、もうオレ達も出番だよ」
シャロさんが声をかけてくれて、それで我に返った。
わたしはお客さんじゃない。袖にいても出演者だ。
反省して楽器を構える。
「いくよ」
ゴーレムの代わりに、わたし、ベルノウさん、クグムスさんが演奏する事になっていた。
ハープ、リュート、笛、太鼓。
これまでも舞台に立つ事はあったし、宴会や遊びでも演奏する事はあった。いつも楽しくて好きだった。
でもこうしてお客さん相手にするには、練習は足りないと思う。シャロさんの力とクグムスさんの魔術の補助もあるといっても、頼りきりじゃいけない。
緊張して喉が乾いた。心臓の鼓動も早い。
昨日の稽古とはまるで別物。
「カモちゃん」
シャロさんが変な顔をして、ついわたしは吹き出した。
それから陽気に笑う。楽しくやるのが一番だよ、って言うと引き始めた。
緊張がとけていく。
続いてベルノウさんの太鼓のリズム、クグムスさんの弦の音色も励ましてくれた。
だからわたしも笛を鳴らす。
──あなたがいればそれだけで幸せなの。
歌に、歌詞と楽器の音色が加わった。
わたしのせいか、ちぐはぐな音色。
でも不思議と邪魔って感じじゃない。
サルビアさんのおかげで、バラバラな音も一つに率いられて音楽に変わる。どんな音も従えて美しさを引き立てるアクセントにしている。
歌と演奏が組み合わされば、もう無敵。
劇場いっぱいに広がって、ここはもう幸せな楽園みたいな場所だ。
──嗚呼、愛しいあなた。どうしていなくなってしまったの。
盛り上がる場面に進めば、また一段と良くなった。
英雄と姫。愛を語る、別れの一幕。
悲しさが湧き上がって、心が熱くなって、肌が震える。
目の前に二人の姿が見えてきた。
演奏を止めて聞き入っていたくなる。
それを我慢するのが大変だ。
代わりに、演奏の切れ目で声を漏らす。
「……すっごい」
「はい」
「一流の技なのです」
「でしょでしょー? サルビアは超一流の歌姫だからね」
シャロさんがニマニマと嬉しそうにしている。子供みたいに純粋な喜びが顔いっぱい。
サルビアさんを自分の事以上に誇らしくしていて、やっぱり二人は家族みたいだ。
「やっぱりオレの見る目は間違ってなかったねー」
「シャロさんも凄いよ」
「ありがとう。いやー、本番中にこんなの言えるなんて、裏方で正解だったかも」
おどけた風に、大きく笑って言う。
その間も惚れ惚れする演奏は続けているのがまた驚きの技。わたしも集中し直す。
客席はすっかり新しい歌姫に夢中。身を乗り出し、涙を流す人までいた。
幸せそうだ。これが多くの人に広がれば、それが理想の形。
勝負して憎むより、こうして仲良くなれればずっと良い。
わたしよりも、ずっと聖女みたいだ。
ペルクスも分かっていたから、わたしを題材にした音楽とか絵に協力的だったんだろうか。
それなら恥ずかしさも我慢できる。
だけど、見回している内に気付いた。
「ちょっと待って。変じゃない?」
「何が?」
「ほら、何人か目を閉じて動かないよ。寝てるみたい」
背もたれに沈んでいたり、前に屈んでいたり。
具合が悪いんだろうか。心配してざわざわする。
なんだか不安が大きい。
「気持ちよくて寝ちゃったかな? それとも刺激的過ぎて気絶? いやぁ、サルビアが罪な歌姫で悪いね」
「……調べてみましょう。“
明るく楽観的なシャロさんとは逆に、思い詰めた感じのクグムスさんが調べてくれる。
歌を邪魔しないようにこっそりと、客席の下に淡く魔法陣を出した。
「……これは」
するとみるみる深刻な、不安が更に大きくなる顔になった。
それから少し考え、言う。
「……シャロさん。劇場の外を耳で調べてもらえませんか」
「え、なんで? まーいいけど」
演奏は続けたままで、耳を澄ませる。
すぐにシャロさんも顔色を変えた。深刻そうな戸惑いの声をあげる。
「人が……え? 都全体……が、え? なにこれ」
「外でも人が倒れてるの?」
「……うん。無事な人もいて介抱してるけど、結構多いっぽい。いや、またどんどん増えてって、これ本気でやばい!」
演奏は中止。シャロさんの雰囲気が真剣に心配するものに変わった。
森全体を把握する程の耳が、広くて人も多い都の今を筒抜けにしたんだ。酷い光景を想像して、わたしも心が痛くなる。
クグムスさんは重い現状を淡々と教えてくれた。
「やはりそうでしたか。ゴーレムの異常も同じ原因でしょう。都全体に、呪いらしき症状が広がっています」
折角の楽しい音楽の時間から、都の一大事。
そうなったら、残念だけどサルビアさんの歌はお預けだ。悲しい。
皆の幸せを奪うなんて許せないから、早く解決したいと思った。
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