第68話 災いの地にもささやかな祈りを

 神罰の地の嵐は、環境に甚大な変化を起こしつつも人の力に屈しかけていた。

 グタンとクグムスが囮を引き受けている間に勢力は随分と減衰。

 カモミールが到着した時には既に十分殺傷力は削れていた。

 だからこそカモミールも触れられる程に接近出来たし、影響を与える事が出来た。

 そして遂に、立ち向かった全員による奮闘が実を結ぶ。


 だが、その決着は、カモミールの歪んだ表情を生んでしまう。


「カモミール!」


 遠い上空でも、異変はすぐに感じ取った。

 あれ程猛威を振るっていた風がピタリと止み、静寂を取り戻したのだ。魔力の異常活性も精霊のざわめきも同様。

 ローナが、自ら羽を切り落としたからだ。

 カモミールの健闘で収まったかに見えた。が、あくまで一時的な復調で、また暴走しかねないと判断からこその行動だろう。

 僕の言葉が聞こえていたか、自ら最善だと考えたか、どちらにせよ責任を取ったと言える。

 カモミールに手を下させるのはやはり気が引けたし、ローナの意地を見られた。なにより解決という結果は喜ばしい。


 だが、このままでは終われない。


 確かに彼女は周辺地域に多大な悪影響を与えた。被害を受けた者は許せないだろう。

 だとしてもこれで終わり、などという結末は余りにも虚しい。

 罰があるなら、あくまで協議をした上で与えるべきだ。

 だから、覆す。


 僕は、既に覚悟を決めている。


「すぐに処置する! ここに!」

「う、うん!」


 叫びに応じて慌てて飛んでくるカモミール。焦燥からか飛行姿勢も随分危うかった。

 手の中にいるローナは酷い魔力の減衰を感じられたが、見た目だけでは綺麗な状態で、眠っているよう。

 泥沼と化した大地は治療に相応しくない。石工メイソンの魔術で一部を高く持ち上げ、綺麗に清め、上にそっと寝かせる。

 必死に堪えている表情のグタンがカモミールの肩を支えた。

 他の面々も集合。皆の顔が一様に曇っていた。


 淀んだ空気を改善すべく、僕は意識的に声を張る。


「“展開ロード”、“分析アナライズ”」


 まずは魔力を診る。

 黒い羽は未だ悪意の魔力が満ちているが、切り離されたローナ自体からは消えていた。

 その肉体は、消耗が激しい。負担も大きかったので治療も必要だ。

 そして背中の羽の付け根の部分。綺麗な切断面は乱れが少なく、治すにも都合が良い。


 結果としては、重傷で難題ではあっても治療は可能といったところだ。

 友人として、魔術師として、秩序の担い手の一人として、僕が治す。


「……ローナ、今から救う」

「きひっ。大丈夫なんだね?」

「はい、見通しは立ちました」

「クグムス! 体は?」

「いけます」

「よし、手伝いな」

「はい」


 魔術師三人が揃い、堂々と並ぶ。

 心強い。難題にも心置きなく立ち向かえるというもの。

 僕は勇んで魔術を展開する。


「“展開ロード”、“生物研究サンクチュアリ”」


 眩い魔法陣がローナを包む。

 が、流石に僕も疲労が強かった。消耗していたせいで、ガクンと力が抜けてしまう。危うく頭を打つところだった。

 このままではいけないと、懐の薬を飲む。

 魔力を持つ素材から調合した、気付けと強壮の薬。効果は強い代わりに後で副作用も出るが、今は必要だった。

 僕の心身を作業が可能な状態にした上で、処置を進める。


「まずは浄化します」

「なら清浄な空気がいるね?」

「お願いします」

「“展開ロード”。“人域スタンドライヴ”」


 師匠の魔術が周囲に広がり、輝きが重なる。

 有害な物を排除し、人が生存出来る環境を作る魔術だ。今回は効能を高めて、より安全で衛生的な環境を生み出してくれた。

 遠慮なく更に助力を求める。


「肉体の維持にも補助が要る。クグムス、頼めるか」

「任せてください。“展開ロード”。“生命喚起アクティベート”」


 三度魔法陣が光を発した。

 初めて見る魔術だが、魔力により肉体に活力を与えるものに違いない。ローナの鼓動が強く響く。

 これなら命の心配は要らないだろう。


 改めてローナと向き合う。

 処置を検討し計算したところ、やはり多量の魔力が必要で、不足している。魔力消費はローナの弱体化に必要だったが、ここに来ては都合が悪い。

 かといってここ神罰の地から移動させるのも難しい。下手に動かすのは危険だ。

 だから、外部から持ってくるべきだろう。


「カモミール、森から精霊を連れてきてくれ」

「分かった! あ、待って。これ使える?」


 カモミールは宝石のような物を差し出してきた。

 感じただけで分かる、純度の高い魔力の結晶。

 驚きつつも詳しく”分析アナライズ“してみれば、容易に魔力を取り出して使えると理解した。刻まれた魔力の質から、レオンルークの手による物だろう。彼もまた優秀であると納得した。


「助かる! だが余裕は持っておきたい。やはり精霊を連れてきてくれるか」

「うん!」


 返事をするやいなや、あっという間に加速し、見えなくなるカモミール。

 少し慌て過ぎなのが不安になるが、もう誰も追いつけない。母を救うお手伝いは彼女だけの特権か。


 シャロが恐る恐る聞いてくる。


「音楽はいる? 静かにしてた方がいい?」

「む……アリだな。例の力で精神に直接刺激を与えるのは効果が望める。特にローナの好きな曲目が良い」

「よっしゃ、まだまだロックだね!」


 即座に華麗な演奏が響く。

 激しいリズムが荒野を揺らす。速いメロディーが死の土地を盛り上げる。

 慎重な処置には似つかわしくないものの、ローナの状態を重視した。


 それに、集中すれば、余計な感覚は世界から消える。

 僕とローナ、精霊と魔力、魔法陣、それらだけが浮かび上がる世界。

 羽を慎重に触る。感触は意外と固い。それでいてきめ細やかな滑らかさがある。

 悪意に染まった黒い羽から、過剰な魔力を取り除く。

 それには闇や悪意の魔力が安定する、相性の良い存在がいれば、比較的容易に移せる。つまりは。


「ゴブリンをここに」

「ああ」


 グタンがゴブリンをローナの近くに寝かせてくれた。

 白目を剥いて気絶している。

 あれだけ容赦なく振り回されてよく生きているものだ。流石の生命力に感心した。

 魔法陣を広げ、ローナとゴブリンの間に魔力の経路を繋げる。それを通して、魔力を流す。

 様子を見ながら速度や濃度を調整。焦らずゆっくりと、後遺症が残らないように移動させていく。


「お待たせ! おかあさんは?」


 途中で速くもカモミールが帰ってきた。確かに多くの精霊が彼女の周りに集まっている。

 顔は不安に揺れる。垂れた耳にもよく表れていた。

 だが仕事は果たしてくれた。場に魔力が満たされる。

 僕は元気づけようと、笑う。


「まだ完治には遠い。だが安心だ。必ず助ける」

「う、うん……」

「カモミール」


 グタンが寄り添い、手を握った。顔を見合わせ、励まし合う。そして懸命に見守る。無言の応援は僕の胸に火を灯す。

 心地良い緊張感が集中を高めた。

 魔力が弾けないように、溢れないように、微細な制御を続ける。五感が消えたかのように静かだ。

 

 処置を続けていくと、羽の色が薄くなる。

 以前と同じ紫。未だ悪意の影響は残っている。

 このままカモミールのように、真っ白になるまで処置すべきかとも考えた。

 が、やはり長年馴染んできた紫の状態に合うよう、肉体も変質している。下手に変えれば変調の原因になるだろう。

 なので完了だ。


 集中を解き、一度呼吸を整える。

 気付けば汗が滝のように流れていた。


「顔色が悪いよ。無茶はお姉様の破滅に繋がると心得な」

「はい、理解しています。安全な成功が最優先です」

「なら、よし」


 汗を拭い、師匠の言葉に気を引き締める。

 焦りは禁物。

 丁寧に息を吸い、吐く。強張った体をほぐし、体調を確認。


 そうして次の段階へ。

 切れた紫の羽を、ローナの背中にそっと置いた。


「“展開ロード”、“生物研究サンクチュアリ”」


 妖精の羽は、形を持った精霊の力の具現。魔力の塊。

 鳥とも虫とも全く構造が異なる。


 魔術による治療も、布を糸で縫ったり糊で接着したり、とはまるで違う感覚。

 羽の一部を一度魔力そのものに戻し、付け根と経路を繋いで、改めて具現化。

 魔力を変質させ、馴染ませ、固定する。繊細で緻密な制御が求められた。

 前例は聞いた事がない。

 いやローナの昔話で聞いた人間や、レオンルークの口振りからすると、秘匿されていただけで技術はあったのかもしれない。

 が、やはり今は、僕だけの難題だ。頼れる手は少ない。


 集中し、僕は再び必要なものだけの閉じた感覚へ入った。

 無音の世界。

 魔法陣の内側で、魔力を寸分の狂いなく制御。

 精霊の魔力を用い、あるいは精霊自体をローナと一体化させるような荒業。

 徐々に徐々に繋げ、羽の形に戻していく。

 まず、一枚。


 そして休息。ふうぅっと、一息。

 極限の集中は長く持たない。

 魔法陣も解除して集中の世界から抜け出した。


 休憩がてら、ぼんやりと周りを見た。


「おかあさん……神様、助けてください」


 カモミールは手を組み、祈っている。

 真剣そのもの。思いの丈を全て込めている。

 グタンも、他の皆もそれぞれ違う形で祈っていた。


 僕もまた、姿勢を正して祈る。


「神よ、僕の努力を見届けてください」


 これは、人の技で叶う領域。

 ならば奇跡ではない。

 奇跡ではないが、神の助けが欲しい難題だ。

 どれだけ積んだ努力も才能も、運や、神の意志が入り込む。

 だから懸命に祈り、感謝するのだ。

 人の手に出来る事は限られているのだから。

 神は人の幸せを望む。だが怠惰を甘やかしはしない。力の限りを尽くす者にこそ、加護をもたらしてくださる。

 ローナにも罰は与えまい。人の世にある限りは人の裁量に任せられているのだから。

 だから、僕さえやり遂げれば、彼女は救える。


 そうしてまた続きだ。

 再び極狭の世界へ。

 精霊に手を借りて魔力を繋ぐ。

 同じ行為であっても楽ではない。

 人の技を、奇跡ならざる難行を、神の御心が現実にする。そうなるように、叶うように全力を尽くす。

 これまでの研究と努力を、今こそ惜しみなく。


 魔力を操作し小さな羽を繋げる。

 そこだけに集中し、他の部分の感覚は麻痺していた。

 時間や疲労すら意識から消えた極限の集中と、目に見えない単位の細緻な作業の末。

 苦労して、もう一枚が繋がる。


 完了。

 仕事を終えた途端、僕は仰向けにどっと倒れ込んだ。息も荒く汗はだくだく疲労は濃厚。よく動けていたものだと自分でも驚いた。


「お疲れ。後はワタシが代わるよ」

「頼みます」


 師匠がローナの前へ。容態と魔法陣を見守ってくれる。

 確かに僕はもう限界だった。


 ただ形が繋がっただけでは意味がない。

 魔力の流れは確認したが、やはり実際に目覚めて姿を見るまでは安心してはいけない。

 のだが、僕は無理だ。

 無念に思いつつ、任せた。


 固唾を呑んで見守るしかない時間が遅々と流れる。

 固い沈黙が荒野に満ちた。

 やがて、小さな声。


「んあ……」


 ローナが目覚めた。

 ゆっくりと体を起こす。寝起きのようにのんびりと体を伸ばす。

 だが緊張した面持ちの周りを見て、慌てて背中を見た。

 そこで事態を把握したのだろう。やや固い声で呟く。


「おう、そうか」


 当然のように、自然と精霊魔法が発動。

 強い風が吹く。ローナは羽を動かし、飛んだ。

 成功の証明だ。

 カモミールが飛びつくように迫り、顔を間近に寄せる。


「おかあさん! やった、よかった、よかったよお!」

「よしよし、カモミールもよく頑張ったな」

「うんっ!」


 グタンも駆け寄り親子の触れ合い。

 中心はローナ。泣き笑いの賑やかな輪。温かい光景に荒野が和む。

 そこからローナは飛び出して、僕達の方を向く。


「いやカモミールだけじゃねえよな。全員ありがとよ!」


 豪快に笑い、無事をアピールするように魔法を発動。温かな風と、甘い花の香りが辺りを満たした。爽やかに癒やされる、普段の彼女とは印象の異なる妖精らしい魔法だ。

 荒野が歓声に沸く。

 感情そのままにシャロが奏で、サルビアが歌う。笑い声が響く。


 僕は倒れたままで、改めて祈った。


「神よ。僕達を認め、助けてくださりありがとうございます」


 結果は最高。ならば良し。


 後始末の事は、今は考えたくなかった。

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