第67話 妖精は荒天を裂いて

 乱暴な雨と風が容赦なく生まれ続け、雷が何度も鳴る。

 立っているだけも難しくて、抗うには強力な人じゃないといけなかった。世界の大きさと力強さを自慢げに見せつけてくるみたい。

 人間がちっぽけに思える、圧倒的な災い。

 それも自然の一面だけど、これは違う。

 明らかに不自然な、魔法による災いだった。


 フロンチェカの街は大変だ。

 色んな物が風で吹き飛んだり、壊れたりしていた。

 わたしは飛び回って力仕事をして、精霊魔法で雨と風をねじ曲げる。

 街の皆を助けたかったから。まだ来たばかりで分からない事も多いけど、嬉しい事や楽しい事はあって、好きになってきている。

 やっぱり皆笑顔が一番だし、仲良くなりたい。


 あちこちで働いている内に嵐は段々弱まってきたけど、まだ怖い。

 今も、崩れそうな壁を支えて、補強する。


「そっち頼む!」

「うんっ!」

「次はこっちだ。焦るな! 丁寧に扱えよ!」

「任せて!」


 支える間に板を打ち付けて建物に空いた穴を塞ぐ。この天気だと大変だけど、皆で力を合わせてまた一仕事終えた。

 とりあえずは大丈夫になったみたいだ。


 指示を出していた、領主のバントゥスさんが喋りかけてくる。


「いや頼りになる。流石の力だ」

「うん! まだまだ大丈夫だから頼りにしていいよ!」

「でも、そろそろ大丈夫だ。だからお行きなさい」

「何の話?」

「君には行くべき場所がある。そうだろう?」


 首をかしげて聞き返すと、優しく微笑む。

 それでいてわたしを見定めるみたいな、緊張する目でもあった。


 そこにアブレイムさんも来た。

 怪我人の救助や避難の誘導をしていたけど終わったみたい。


「バントゥス様の仰る通りです。ここは任せましょう」

「でもまだ大変だよ?」

「この嵐の原因は理解しているでしょう? それは貴女にしか果たせない役割です」

「え、あ……」


 アブレイムさんの言う通りだった。

 突きつけられて、ようやく怖々と向き合う。


 薄々感じていたけど、信じられなくて、認めるのが怖くて、考えないようにしていた。

 でもずっと、この嵐からは、おかあさんの気配がしていたんだ。

 おかあさんの、怒りと敵意の叫び。暴力的で荒々しい。

 きっかけは、あのゴブリンとの出来事だ。

 だから、これは、わたしと無関係じゃない。

 解決する手伝いをしないといけない。

 傷ついた人々の為にも、謝る為にも。


 わたしは胸が苦しくても前を向く。


「おかあさんの所に……行かなきゃいけないんだね?」

「貴女なら出来ます」


 真っ直ぐに目が合う。

 ただ、背中を押す事だけを語った。

 無理に強いる事は言わなかった。

 それはバントゥスさんも同じ。怒っている訳でも、責める訳でもない。信じてくれているんだろう。


 やりたい。自分でおかあさんを助けたい。

 わたしは自信を持って返事をする。


「わかった!」


 その答えにバントゥスさんが微笑んで、宝石みたいな物を渡してくる。


「これを持っていくといい。魔力の結晶だ。怯えて部屋に引っ込んでいるレオンルークという男が作った物でな、きっと役に立つだろう」

「ここから出来る限りの精霊を連れていくといいでしょう。行き先は神罰の地です」

「うん、ありがとう!」

「はい。信じていますよ」


 アブレイムさんも助言してくれて、二人から熱い気持ちを受け取った。

 力がみなぎる。

 わたしは暗い雲を、その先の青空を思い出しながら見上げた。


「精霊さん! 幸せ運ぶ優しい精霊さん! 頑張るから、わたしに力を貸して!」


 願いを込めて呼びかけ、集まってきた濃い魔力を纏って、わたしは飛んだ。


 この街を、皆を、おかあさんを。

 助ける為に、救う為に。

 わたしは、聖女なんだから。




「おかあさん……」


 雨と風が激しい空を無理矢理に飛行していく。

 精霊魔法は絶好調。むしろ活性化していて、それは問題ない。

 ぐんぐんと加速して、前へと進む。

 その分雨が顔や体にバンバン当たる。

 冷たいし気持ち悪いけど我慢。


 皆が心配だ。

 胸がギュッとなる。慣れない苦しみが、空を飛ぶ楽しさを打ち消してしまう。


 森を抜けて、草原を渡って、また森を越えて。

 今まで通ってきた場所を、一気に飛んだ。

 全部が嵐でメチャクチャだった。

 ずっと、おかあさんの気配の中にあった。


 でも、いつもと逆。

 安心出来なくて、不安がどんどん大きくなる。

 だからこそ、わたしは元気でなきゃいけない。聖女だから、皆を安心させる方なんだから。


 そうして荒野に着いた。

 精霊や魔力の薄れた土地。寂しくて、居心地の悪い、戦いの場所だ。


「おかあさん!」


 気配が濃い方を目指して更に飛んだ。

 近付けば、飛び回る姿が見える。

 おかあさんも、従う精霊も、荒れ狂っている。

 分かっていたのに、実際に見るとショックだ。

 こんなの、全然違う。


 わたしは苦しさを胸に押し込んで、叫ぶ。


「皆、わたしも手伝うよ!」


 おとうさん、それからペルクス達も集まっておかあさんを止めようとしているんだ。

 おとうさんは吹っ飛ばされて怪我してるみたいで、悲しくなる。

 でも皆はまだ頑張っていた。負けないように目を輝かせていた。


「無事か、カモミール!」

「カモミール、ローナを追いかけてくれ! しばらくはそれだけでいい!」

「う、うん!」


 わたしはペルクスの言う通りに、おかあさんを追いかける。

 おかあさんは速く、縦横無尽に飛び回っている。精霊が少ないのに、強引に力を引き出して飛んでいる。

 暴力的で、いつもの飛び方とは違う。

 他の人からすると、おかあさんはいつも荒々しく見えるかもしれないけど、それは違う。いつもは自由で、大きくて、頼もしく精霊を率いながら飛んでいるんだ。

 それがこんなに乱暴で、辛い。

 元に戻ってもらいたい。

 いや、わたしが、元に戻すんだ。


 わたしは、気合いを入れた。

 街からここまで付いてきてくれた皆に、改めて頼む。


「精霊さん、お願いします。もっと速く、もっと強く、風をください!」


 ぐぐんと加速しておかあさんのすぐ後ろに迫る。

 おかあさんはクグムスさんを追いかけていた。ゴブリンを背負って、自分から標的になったクグムスさんを。

 息が荒くて、疲れている。限界も近そうだ。

 感謝しかない。わたしは優しい人達に恵まれている。


「クグムスさん!」


 呼びかければ、黙ってうなずいてくれた。

 でも。まだ囮を続ける。頑張ろうとしていた。


 なら、こっちも同じくらい頑張る。

 わたしはおかあさんに並ぼうと、羽を広げて更に加速する。体のあちこちが痛くなったけど、こんなの平気だ。


「おかあさん! わたしはもう大丈夫だよ! 元に戻って!」


 返事はない。こっちを見てもくれない。

 ただゴブリンを貫こうと飛ぶだけだ。

 悲しくて苦しい。

 それを無理矢理呑み込んで、もっともっと加速した。肌がビリビリするぐらいに。


「カモミール、ローナから精霊を奪え! より多くの精霊を味方につけるんだ!」


 ペルクスがアドバイスを叫ぶ。


 精霊の奪い合い。

 精霊にも意志があって、感情がある。むしろ人よりも感情主体で動く。

 だから、おかあさんより、わたしに力を貸したいと思ってくれたら、わたしの味方になってくれる。誰だって強引な支配よりも、自分で助ける方が好きなんだ。

 ただでさえ精霊が少ない環境だから、魔力が薄れていく場所だから、それが重要になってくる。


 だったら、笑おう。

 明るく、楽しく。こんな時だからこそ。

 そうすれば、応援したくなる。


「おかあさんっ! わたし、頑張るよ!」


 元気を出して宣言。

 悲しい心を奥にしまって、痛みも呑み込んで、ニコッと笑う。

 楽しい気持ちで、おかあさんに挑む。


 凶暴な突進と同じくらいまで速度を上げる。でもそれだけじゃ届かない。

 方向転換がいつあるか分からなくて、気を抜くと引き離されてしまう。その度に無理矢理加速して追いつくのは大変だ。

 この速さは、痛い。

 雨が石みたいに体にぶつかってくる。気を抜けばわたしまで吹き飛びそうになる。

 空はすっかり戦いの場所。遊びのない暴力的な空間。

 なのに。


 歌と演奏がハッキリと届く。

 熱い気分になる音楽が。

 速くて激しくて迫力満点な曲。怖いけど、おかあさんの好きそうな曲だ。

 いつものおかあさんに戻ってもらう為なんだろう。

 苦手だけど、この激しさが今は必要だ。


 でもわたしを思ってなのか曲を変えようとしてるみたいだったから、思いっ切り叫ぶ。


「シャロさん、このままでいいよ!」

「え、じゃあ、うん。カモちゃん頑張って!」

「うん!」


 その代わり、ワコさんが楽しませてくれた。

 雨に色をつけて、鮮やかにペルクスが作った土壁に絵を生み出す。

 わたしとおかあさんが笑って並ぶ絵だ。思わずニヤニヤするぐらい綺麗で素敵で、力が湧いてくるみたいな絵だった。


「ありがとう!」

「ん」


 皆が作る空気に、わたしも乗る。

 速さだけじゃなく、愉快に踊るみたいに。

 精霊を楽しませて良い気分になるように。

 暴力よりずっと良いと自慢するみたいに。


 それから勿論おとうさんも全力で応援してくれる。


「カモミール! 皆と一緒に、ローナを救おう!」


 クグムスさんと交代していた。

 ゴブリンを背負って、走る。

 一生懸命に頑張っている姿。それだけでやっぱり力が湧いてくる。


 ペルクスは師匠さんと話し合っている。きっと何か良い手を考えてくれるはずだ。


 少しずつ、少しずつ。

 精霊はわたしの方についてきてくれた。

 おかあさんにもすぐ近くまでついていけるようになった。

 雷は聞こえなくなって、雨も弱い。風だけはまだ荒々しい。

 ひたすら必死に飛び続ける。


 いつまで続けないといけないんだろう。そんな弱気はさっさと振り払った。

 音と色。荒い戦場を彩る芸術は鮮やかだ。

 わたしはあくまで、明るく笑って、飛ぶ。


「カモミール!」


 そんな時。

 ペルクスが悲痛な声で呼びかけてきた。

 それがあんまりにも苦しそうで、なんだか胸騒ぎがする。


「……ローナの羽を、切り落とせるか」

「え!?」


 衝撃的な発言に声が出た。

 思わず羽が揺らいだ。心臓がギュッと痛くなって精霊さんも嫌な感じで騒ぐ。

 なんとか落ち着いて姿勢を戻す。


「羽は悪意に染まった魔力が染み込み過ぎた。このままではローナの心には届かない」


 妖精の羽は、精霊としての力の源。形を持った魔力の塊。感情に強い影響を受けるし、与える。

 だから、羽を切り離せば、今の暴走も止められる。むしろそれしか方法はない。

 理屈は分かる。

 分かるけど、そんな事は、辛い。

 ペルクスもそう思うから、今まで言わなかったし、悲痛な声なんだ。最後の手段だ。


「でも……」

「安心するんだ! 僕が、必ず治す!」


 遠くて速くて、ペルクスの顔はよく見えない。

 でも声はひたすらに熱かった。

 決意。強い覚悟。責任を負う重さがあった。信じたくなる声だ。

 いつものおかあさんに戻ってくれるなら、出来るだろうか。

 助けるには必要だっていうなら、後で必ず治せるっていうなら、出来るかもしれない。


 おかあさんを見る。いつもと違う、乱暴なおかあさん。

 それでも嫌いじゃない。嫌いになれない。

 やっぱり羽を切るなんて、嫌だった。


「カモミール、無理はするな! 自分も全力を出す!」


 おとうさんも熱く吼える。

 やっぱり高速飛行の間は、よく顔が見えない。

 それでも大体の感覚で目を合わせて、笑う。安心してっていうみたいに。


 うん。もう、大丈夫だ。迷わない。


 羽を広げて魔法を強めて、落ちた速度をまた最高速に。

 おかあさんに追いつく。捕まえる。

 本当なら絶対に無理だ。わたしは本気のおかあさんより遅い。

 でも今なら出来る。

 悪い感情が動かすおかあさんなんて、飛ぶのが下手だ。これっぽっちも自由じゃない。だから、勝てる。追いつける。

 この競争は、わたしが勝つ。


 勇気を奮わせる為に、おかあさんの真似をする。


「きゃっはあぁぁぁぁぁ!」


 速く、速く。

 速過ぎて体が痛くなっても、まだ速く。

 悪意の空を駆け抜けて、おかあさんを捕まえる為に、風音が怖くなってもまだ速く。


 背中は近くて遠い。

 前からの風は今は敵。邪魔になる。

 精霊さんに頼んで退かしてもらう。

 目は頼りにならない。

 ぐるぐると世界が回る。流れる景色は線と色だけでハッキリしない。

 魔力の感覚が頼り。

 速くなればなる程、音も色も歪んで届く。

 でも冷たい風と雨の中、激しい音楽は聞こえる。

 シャロさんの力だ。

 皆の熱が、わたしの背中を押してくれる。


 姿勢はピンと伸ばす。

 手を伸ばし、おかあさんの羽へ向ける。


 加速、加速。

 方向転換するおかあさんを追って曲がれば、体が重い。痛い。苦しい。

 避けたおとうさんとすれ違って、また向かう為に進行方向を反転。

 速くなる程飛ぶ為の力は大きくなって、空自体も反発してくる。


 それでもわたしは空を、気分だけでも楽しく舞い踊る。

 自由に、自由に。

 精霊を引き付けられるように、明るく笑う。

 わたしは速度を増して、おかあさんの速度は落ちてきて、それが続いて、やっと並んだ。


「おかあさん!」


 両手で、少しはみ出る大きさのおかあさんを包む。

 同じぐらいの速さで、止まっているみたい。

 魔力や衝撃が手を弾く。鋭い痛みが走った。

 それでも手は引っ込めずに、優しく、あくまで優しく手を近付けていく。


 遂に羽をつまんだ。黒い輝きの薄い羽をしっかり捕まえた。

 後は精霊魔法を使えばいいだけ。


 でも、やっぱり切り離すなんて出来ない。

 嫌だ。そんなの絶対に。

 まだ一緒に飛びたいし、いつものおかあさんに戻ってきてほしい。

 ペルクスは信じてるし、止めなきゃいけないのは分かってるけど、どうしても。


 だから代わりに、全力で頼む。


「精霊さん! 自由な空の精霊さん! この憎しみを消して!」


 精霊任せの魔法。

 力を使い果たすぐらいに、この呼びかけに全てを注ぐ。

 一番の結果を追い求めて、聖女らしく。

 抵抗してくる黒い羽を、それでも掴み続けて、痛くなる手を離さない。精霊に全力を出してもらえるように笑う。

 わたしの出来る限りの事を、力の限りに。

 苦しさも辛さも奥底にしまって、笑顔を願う。


「精霊さん! 優しい明るい精霊さん! おかあさんを、元に戻して!」


 荒れた空に響くわたしの声。

 集中した魔力が羽を覆って、魔法が発動。黒と白の光がぶつかって眩しくなる。

 それでも目は離さず、見つめ続けた。


 そして、その声は聞こえた。


「よく頑張ったな、カモミール」


 いつものおかあさんだ。体の向きを変えて、ニヤリと笑って、わたしの指を強く握ってくれた。

 わたしは目を見開いた。

 涙が自然に溢れる。言葉が出ない。嬉しくて、嬉し過ぎて、ソワソワと落ち着かない。

 もう我慢しないでいいんだと、本気で笑えた。


 でも。


精霊オマエら、落とし前つけてくれ」


 渦巻いて、鋭く風が吹く。

 おかあさんの羽が、綺麗に切れた。

 わたしの手の中で、おかあさんは不自然に目を閉じる。


「あ……」


 嵐が、止んだ。空から、それにおかあさんからは、悪い感じの魔力が消え去った。


 なのに、晴れない。

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