第66話 夫婦喧嘩に非ず
嵐は前進する程に酷くなっていく。
暴れる川を行く僕達の船は翻弄される木っ端のようだ。
雨は視界を覆い尽くす程に強く。風は世界から何もかも吹き飛ばしそうな程に荒い。
源に近付いているのだから当たり前だが、中心は更なる惨状かと思うとゾッとする。
魔法を使っていても厳しい。正直船が転覆しないだけでも奇跡だ。ワコの精霊魔法はそれだけ素晴らしい。感謝してもしきれない。
ただ、やはり憎悪の嵐の規模が上回る。
全員びしょ濡れで、水を吸った服が重い。不快さが集中力を削り、心に暗さがのしかかる。使命感でなんとか意志を支えている状態。
そんな中でも陽気さを保てる人間はやはり傑物だ。
川を進むちっぽけな船の上から、嵐の只中へ笑い声が響く。
「きひひっ、きひひひひひっ! 流石はお姉様だねえ! こりゃまた豪快だ!」
「流石に不謹慎なのでは……」
「んな事言ってたら世の真理なんて夢のまた夢さね! これすら礎にしないで研究者を名乗れるもんかい!」
目を爛々と輝かせる師匠にクグムスがおずおずと言うも、彼女は自分を曲げなかった。
どんな時も研究者を貫く姿勢には惚れ惚れする。他の皆は引いているようだが。
途中で草原の拠点に寄って、二人と合流したのだ。
そこも嵐で大変だった。マラライアが中心となり対策を指揮、奇跡による多数の人員も活躍し、被害は抑えられていた。陸鮫達も竜人に負けず劣らず水と風には相性が良いのが功を奏したようだ。
ひとまずは安心。ここは信頼して僕達は一刻も早く事態を解決しようと進んだ。
師匠が落ち着いたところで、時間を無駄にしまいと船上で作戦会議。
風雨の音が邪魔になるが、シャロの力で会話を成立させる。
事前準備と、心構え。覚悟を決める。
前方に、草原の終わりが見えてきた。
「警戒! 何が飛んできてもおかしくない!」
森の中に入れば川幅は狭くなった。
早速とばかり枝が飛んでくる。倒木まで行く手を遮る。
川とは思えない大波も行く手に立ちはだかった。
魔法で障害物や魚等をふっ飛ばしながら驀進。
そうして荒っぽく突き進めば、見えてきたのは湖。
かつての拠点であるキャンプのあった場所だ。
「このまま行ってくれ!」
「ん」
小舟は湖から岸へ乗り上げ、そのまま陸地を征く。土を削り跡を残しながら強引に。
陸鮫の真似事。
地面が水浸しで沼地めいているので可能になった芸当だ。これでまだ距離を稼げる。
更に岩塊を運ぶ際に木々を薙ぎ倒したので、森の中に道が出来ていた。
「出来る限り、全速で頼む!」
「ん!」
僕の頼みに応じるワコ。心なしか高揚感を感じた。
揺れが激しくなり一同が慌てるも、速さが優先だ。我慢する。
森を抜けた先、乾いた荒野は一変していた。
水を含んだそこは、濁りきった沼のよう。また別の死の大地になっただけだ。
やはり精霊も魔力も薄い。
船は止まった。初めて経験したワコは戸惑っている。
「流石にもう走るしかないか」
「って、アレがそう? まじでアレ止まんの!?」
シャロが前を指差し、悲鳴じみた叫びを上げた。
もう、遠目に見えている。
高速で動く二つの影。
ローナとグタンだ。
嵐の中の舞いが、雨を弾いて更なる風を起こす。
ここまで突進の奔流が届いて僕達を叩いた。
人の立ち入れぬ争いの様相だが、怯んではいられない。
「急ぐぞ!」
「雨の舞い。風の声。戯れは明日。願いは晴天」
「ならワタシも。“
風雨を防ぐ為に、ワコと師匠がそれぞれに唱えた。
弱まった精霊魔法だが、それでも一応は使える。構造上、魔術はそれよりはまだ有効。なんとか普通の雨くらいには抑えられたか。
あとは気合いで走る。
風が荒い。
魔法に守られていても、あまりに強い音が僕達は無防備だとの錯覚を起こす。
正直森の時より弱まった気はしない。これ以上強くならないだけでも十分か。
「キャハハハハハハハハッ!」
狂気を感じる笑い声が雨音を貫いて響いた。
動きながら発される為に、そこら中から聞こえてくる。まるで空自体が笑っているように。荒ぶる自然の化身だ。
対するは、狙われるゴブリンを背負うグタン。巨躯のはずの彼が、今はちっぽけに見えた。
両者は、目で追いきれない速度で嵐の荒野を駆け巡る。
“破城”の恐ろしさが身に染みた。
直線的な突進は、それだけでも衝撃波で荒野を抉る。紙一重で避けようとすればひとたまりもない。
だから避けるには余計に大きな動作が必要で、グタンは消耗を強いられた。
俊敏な動作は機能美の結晶。速く、勢いを殺さずに曲がる。
背のゴブリンは既にグロッキー。
一度避けても、ローナはすぐに反転して再突撃。必殺の一撃がこう何度も放たれるのだから凄まじく理不尽。
グタンは速度に緩急をつけ、時に強引な方向転換。体を上手く使う技術を大いに活用して対抗。自然に人の力が通っていた。
加速後に背後を災いが通過し、かと思えばまた避ける為に急な後退り。
絶体絶命の繰り返し。
命の瀬戸際で絶えず動き続ける。
表情は見えないが、どんなものかはある程度分かる。
彼は必死に呼びかけていたのだから。
「ローナ! ローナ! ライフィローナ!」
懸命な呼びかけからは、疲労とそれを上回る情が伝わる。
触れられない。せめて声だけでも、と吼える。
それは心を尽くす愛の形だ。
突撃を避けるだけ、それが既に異次元の技。明らかに実力以上の力を発揮している。
添い遂げようと決めた男の意地もあるのだろう。
僕達は、ここに割り込む。
圧倒され逃げたくなる弱気を叱咤し、挑戦的に笑う。
「“
まずは準備を整える。
魔術で地面を操作し、壁と屋根を作る。吹き飛ばされないよう可能な限り頑丈に。
少しでも精神的な余裕を持ち、集中力を高めたい。
難事を為す為の、せめてもの支えだ。
現にシャロは、情けない顔で弱音を吐いている。
「うえぇ……オレなんかが意味あるぅ……?」
不安の色がかなり濃い。
気持ちは分かる。この光景には力の差をまざまざと思い知らされるから。
ただ、サルビアはあくまで普段と同じように、シャロの肩に手を乗せた。
「しょうがないでしょ。カモちゃんの為よ。いつものお母さんを取り戻さないと」
「分かってるけどさ、こう、なんな場違い感がさ……」
「前に言ったじゃない。派手派手なシチュエーションで演奏するライブかなんかしたいとか。それだと思えば?」
「そっか……じゃあ、まー、気持ち作れるかも」
よく分からないが顔付きが変わったシャロ。本人にとっては余程重要なのだろう。
サルビアはよく扱い方を知っている。
曲目は決めてあるので、覚悟さえ決まれば、華麗な音楽が流れ出す。
──憎しみに囚われないで。憎しみ以外を見て。あなたには愛してくれる人がいるでしょう。
歌姫は復讐譚の一部、復讐を思い留まらせようとする場面を歌い上げる。
歌声は荒々しい環境を浄化するように清らか。
それを悪魔の力が補助。
フロンチェカの人々への公演で悪魔への供物は溜まっているらしい。
独特な魔力が音楽に乗って世界を侵食する。
さて、ローナに届くまでにどれだけかかるか。
ただ信じて待つだけというのも芸が無い。僕達は僕達で努力する。
「ボクも行きます」
クグムスが前へ。
表情は精悍。堂々とした姿勢で嵐へ挑む。
「“
魔術により自身に獣の特性を呼び起こした。
姿が大きく筋肉質に変わる。脚が重点的に引き締まっていた。
そして強烈な踏み込み。矢のように飛び出す。
風と衝撃を受け流し、飛び散る石を弾いて駆ける。
高速移動するグタンに追いついて魔術を使用。自身と同じものを彼にも付与した。
立派な体格が更に威容を増し、いつかの神獣めいた姿へ。強化された脚力は凄まじい速度を叩き出す。
クグムスは一旦離れ、助けが必要になった時に駆けつけられる位置に待機した。ローナの標的はあくまでゴブリンなのだから、消耗を抑えるにも有効な手だ。
グタンにも余裕が出来たのだろうが、安心はまだ早い。
一つのミスが終わりに繋がる。
災いの暴風に翻弄される獣はいつまで自由でいられるか。
目まぐるしい攻防は新たな伝説。
決死の迫力が大地に存在を刻む。
とはいえ似た動作の繰り返し。変化は見えず、音と余波が不安を刺激する。
結果が出ない状況に、焦りは募る。
それを吐き出すようにシャロが疑念を呟いた。
「んー……ホントに効くのかな? これ」
「ああ。暴走は負の性質を持った精霊の魔力を取り込んだのが理由。本来の自我が前面に出さえすれば解決する」
「呼びかけで暴走を止める。定番なのは分かるけどさ、なんか……こう、んんー……」
「己がまず信じなければ観客の心は動かせない。だろう?」
「……あー、うんそれはそう。っよし、迷うのは止める!」
目付きを変えるシャロ。迷いを振り払って、清らかに演奏を響かせる。
違和感は確かに気になるが、検討する余裕はなかった。
この音楽があるおかげでなんとか希望を保っていられるのだ。
成功を信じて、奮闘の姿を見守る。
が、そんな時。
「ぐぅ!」
遂に均衡が崩れてしまった。
鮮やかな赤が舞う。
余波から逃げ切れずにグタンが負傷。腕が裂け、転倒してしまう。
それでも意地で背中のゴブリンを投げた。
即座にクグムスが受け取り、代わりに駆けた。ローナを遠くへ誘導していく。
その間に僕と師匠がグタンの下へ急ぐ。
「“
「薬だ」
「……済まない」
二人で応急処置。師匠の専門は歴史、空気だが、最低限の治療の心得はあるのだ。
傷を塞ぎ、同時に疲労も癒やす。体の状態を確かめれば、分かりやすい傷以外にもあちこちに無理の代償が表れていた。
意識があるのが不思議な程。
そして今度はクグムスが嵐の前に晒された。
俊敏な脚力により荒地を駆け巡る。縦横無尽に回避。
ただ、やはりグタンより、危なっかしい。風圧で体が流され、直撃スレスレの場面が何度もあった。
ただ、光はあった。
ローナの速度や嵐の規模も、初めよりいくらか弱まっている。
確実に、耐久戦の意味はあるのだ。
ならば出し惜しまずに手を重ねる。
「“
「“
僕が土壁を構築し、師匠がクグムスを助ける魔術を使用。
魔力が弱い地域故、質も量もそれなりで脆い。
それでも力を削れれば上出来。
ローナは簡単に土壁を破壊する。だとしてもそれに用いられた力は確実に減っているはずだ。
クグムスは険しい顔。
獣のしなやかな動きは、この危地にあって尚健在。
何度もギリギリの場面を潜り、何度も余波に揺さぶられ、乗り切っていた。
こちらがハラハラする。
僕が効果的な補助の為に前を見据える中、グタンは身を起こして静かに言った。
「頼みがある」
気力は全く折れていない。瞳からは熱い決意を窺わせる。
故に師匠に提案したのは、攻めの意見。
「安全に彼女を捕まえる魔術はあるだろうか」
「いいよ。それに切り札もある」
「感謝する」
グタンは堂々と立ち上がった。
補助の魔術、そして切り札も受け取る。
「やはり、ローナ相手では、逃げるより立ち向かわなければ。それこそが彼女に相応しい」
「あ、分かった!」
重い言葉を聞いたところで、何故かシャロが反応。顔は晴れ晴れと輝いていた。
手招きされたので駆け寄れば、音楽を魔術で加工するよう頼まれる。
それで僕は狙いを理解。
楽器が足りないと、ワコも動員して手拍子足踏み。打ち鳴らした音に手を加える。
速く激しいリズム。力強いメロディ。歌声もまたガラリと変貌。
いつか聞いたような、心を荒々しく揺さぶる曲目が披露された。
──そんなもんかお前は。そうじゃないだろ。負けっぱなしでいい訳あるかよ。お前の本気見せてみろよ。
それはより直接的なメッセージ。強烈に訴えかける熱い情熱の歌だ。
「うん、姐さんならこっちだよ!」
「確かに、この方がローナらしい」
愉快げに微笑み、深く頷くグタン。
彼は大きく息を吸う。そして迫力満点に吠えた。
「ライフィローナァ!」
激しい音を背景に、声で風雨を散らし、駆ける。
まずはクグムスを追い抜いて、ローナとの間に立つ。
前を向き、どっしりと構えた。眼は愛しき嵐を見据えて。
本体が到達する前から、衝撃でグタンの体は傷だらけ。それも地に踏ん張って耐える。
そして瞬く間に、到達。
神速の突進。理外の一撃。
風圧が音を跳ね飛ばす。成功するのはほんのわずかな時間のみ。
合わせるのは奇跡の技だった。
直撃の瞬間を捉え、掌を閉じる。神業である反面、大きな手で愛しく握るよう。
直接手で掴むのではなく、空気の層がローナを包んだ。
弱った突撃。魔術による拘束。包む圧力。
それらがあるとはいえ、今も明確に押されていた。豪快に土に跡を引きずって後退していく。
だとしても。
「グタン」
ローナの目には、輝き。理性の光が見えた。
そして槍が落ちる。羽は黒く、魔法は維持されているが、確かに正気がそこにはあった。
僕達の奮闘は彼女の心に届いていたのだ。
このタイミングなら切り札が使える。
神官の装飾品。
師匠考案の、神殿の魔法を利用した、時間を操作する魔術。それの絶好の機会だ。
装飾品の魔法陣が前提条件だったが、それはグタンの手の中。距離はあれど魔術的な繋がりはあり、条件を満たしている。
師匠とローナの間に魔法陣の繋がりが生まれていた。
笑みを見せ、すかさず師匠が発動させる。
「
「……悪い」
だが、遅かった。
暴風が弾ける。
既にローナの意志は関係ない。
邪悪な性質の魔力は制御不能。真っ黒な羽が瞬き、莫大な魔力が一気に放出。目に見えぬ爆発となって世に現れた。
脅威の加速が全てを置き去り。
ローナはグタンを木の葉のように吹き飛ばし、彼方へ消えていく。
勝利直前まで近付いたはずが、呆気なく切り札は打ち破られてしまった。
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