第65話 憎悪は猛毒って言ってたけどさ!
豪雨に暴風、遠雷も響く。鳥獣の悲鳴じみた声も嵐の恐ろしさに拍車を掛ける。
踏み固められた道が雨で酷くぬかるんでいた。葉や枝、衣服に道具、樽までが風に飛ばされ、歩くだけでも危険な有り様。
フロンチェカは大騒動だった。
人々は右往左往。避難や家の補強を急ぎ、風音に負けないように必死な叫びが飛び交う。
それが、ローナの暴走の引き起こした結果だ。
僕とワコは被害の大きさに立ち止まってしまった。だが愕然としていられない。
すぐに気を取り直し、宿へ急いだ。
「ねえこれなんなの!? ねえなんなのぉ!?」
「うるさいわね、落ち着きなさいよ!」
「いやだってこれさあ!」
「だからうるさい!」
宿に着くと、僕を見つけて飛び出してきたシャロとサルビアが騒々しく言い合った。
パニックになっている二人と合流した事で、僕は逆に冷静になる。
落ち着いて説明する余裕が出来た。
「これはローナの暴走だ」
「…………まじ?」
「ああ。カモミールが先に帰っただろう? その一件が元で我を忘れたようだ」
「ええ……」
呆れというか落胆というか、引いた顔となるシャロ。
しかしサルビアは納得した風に頷いた。
「カモちゃんが泣かされたなら仕方ないわね」
「えぇ……」
「なに?」
「その通りでございます」
寸劇めいた二人の会話だが、本人達は至って真面目なようだった。
こうした緊張感の欠けた遣り取りが、有り難い。頭も体も、普段通りの力を発揮するには余裕が必要だから。
が、急に刺々しい気配。
扉をわずかに開けて顔だけを出すギャロルが怒り心頭で睨んでいた。
「……貴様等、なんてことをしてくれた。信用が重要だと何度も言ったはずだな? 補償に幾らかかると思っている?」
「いや全くもって面目ない」
「ふん」
弁明せず素直に非を認める。
後始末に尽力するのは当然。物資に人手、多くを負担しなければならない。後の奔走は覚悟している。
だが、今は事態を収めるのが先決だ。
「解決の筋道は立てているんだろうな」
「勿論だ。グタンが神罰の地へ誘導している最中だし、シャロとサルビアの音楽が効果的だと思う」
「うえぁ!? オレェ? 無理じゃない?」
「毒で幻覚の中にあったカモミールに効果があった。今回も通じると見ている」
「あー……まー、それはそうかも」
以前、グタンとローナを迎えに行く道中でカモミールが幻覚花の影響下にあった時。どんな呼びかけも正しく伝わらなかったが、シャロとサルビアの音楽は伝わっていた。
悪魔の音楽は、心身の異常にも妨害されず、直接心に通じる。
あくまで希望的観測だが、魔法とは異なる理を持つ神秘であるが故の効果なのだろう。
納得してくれたシャロ。サルビアも溜め息を吐きつつ同意した。
「じゃ、あとはカモちゃん呼ぼうか? 姐さんを止めるなら呼ばなきゃダメじゃない?」
「……出来れば、今のローナを見せたくない」
確かに有効だと思う提案だが、思わず目を逸らして答えた。
カモミールにとって、母親は愛情の源。
そのローナが、愛情とかけ離れた姿になっているのは、衝撃的に過ぎる。
話が通じずに強引な手段を取らざるを得ない場合も考えられるので、余計に立ち会わせるのははばかられた。
街の惨状は自分が遠因だとも教えたくはない。
ただ、これは逃避だろうとは思う。
己の失態を隠すような、落胆するカモミールと向き合うのを避けるような。
要は覚悟がないのだろう。
未熟を自覚しながら、抗えない僕。
それを見透かしたように、鋭い声が刺さる。
「分かりました。私が彼女に報せましょう」
アブレイムだ。
外からやって来た彼の服装はびしょ濡れで、汚れやほつれも目立つ。既に街の被害を抑えるべく尽力していたようだ。
「しかし、精神面への負担が大き過ぎるのでは……」
「聖女を甘く見ているようですね。彼女は今、既に街の人々を助けようとしています」
「カモミールが……」
僕は目を見張り、感心して言葉を詰まらせた。
精霊魔法。力仕事。
確かにこの状況ではカモミールは大いに役に立てる。
泣いて帰った彼女だが、この惨状を見て自ら立ち上がったのだ。
確かに、過小評価していたかもしれない。
アブレイムは淡々と、しかし熱意ある立ち姿で行動を促す。細い目付きは、鋭く本質を見通しているかのようだ。
「こちらにも人手が必要です。この中を探すにも一苦労。先行して下さい。彼女ならすぐに追いつけるでしょう」
「……済まない。恩に着る」
言外に応援と信頼を示していた。
やはり彼は聖職者。
悩む子羊を導く手腕を持つ。過激な面はあくまで彼の一部だ。
僕は頬を叩いて気合いを入れた。
「よし、僕達で止めるぞ」
「え、いやまじでこの中行くの? どうやって?」
シャロが困惑。
確かに近くまで歩くだけでも困難なのに、神罰の地まで行くのはまず不可能と思えるか。
無論、解決する手段はある。
後ろに控えていたワコが、小さくもよく通る声を発した。
「任せて」
朗々と唱えれば、雨を浴びて活性化していた精霊が更に沸き立つ。
「天の水。恵みの雫。転じて災い。穿つ雨垂れ。一時の拒絶。お目溢しを」
水に働きかける精霊魔法。
雨がシャロとサルビアを避け、斜めに流れていく。「すご! 濡れてない!」とはしゃいだ。
僕達には既に使用済み。お陰でここまでの労を軽くして辿り着けたのだ。
アブレイムに送り出され、街を駆ける。
川は大荒れだった。
岸辺が飛沫を被り、浅い川のように水が覆う。大きな波はまるで海。
魚等の生き物は陸に上げられ、逆に獣が川に引き込まれて溺れてもいた。嵐は人だけの問題ではないのだ。
それでも港周辺の範囲はまだ波が小さい。竜人の精霊魔法は確かに水との相性が非常に高い。荒ぶる川が抑えられている。
彼らは船や荷物を守るべく作業している。皆が懸命に。
そんな作業員の一人とワコが交渉。
驚かれた上に止めるよう説得されたが、最終的には譲ってくれた。彼女の意志の強さに折れた形だ。
心配げな周囲に見守られながら、ワコは一番に鮮やかな小舟へと乗り込む。
「ん。大丈夫」
帆を張り、手早く状態を確認する。
港内では波は穏やか。しかし前方を見れば荒波。
飛び込むには勇気がいるか。
「乗って」
「これ!? いや怖いよ」
「早く乗りなさい!」
「ひゃい!」
サルビアに背中を叩かれ、シャロが落ちるように乗り込む。
僕も飛び乗った。
魔法があっても、船上は揺れて不安定。
だとしても、急ぐ必要がある。
「飛ばしてくれ」
「ん」
揺れない返事が頼もしい。船が急に加速し、ぐんと進む。
「支配の大魚。雄大なる水の流れ。勇士の戦船。旗を掲げて。波を裂け」
精霊魔法が船を押す。
波を引き裂いて、川を上る。
陸鮫も同じような魔法を使っていたが、また原理が異なるようだ。
豪快に速い。
代わりにぐわんぐわんと揺さぶられた。
酷く気持ちが悪い。先日の転移陣の岩塊を運んだ時とどちらがマシか。
シャロは川へ吐き、サルビアは気丈に姿勢を正していたが顔は青い。
ワコだけは平気のようで、やはり竜人が水と親しい種族なのだと実感した。
なんとか気分を紛らわせようと、ワコに語りかける。
「助けは有り難いが、何故にこうまで危険な事を?」
彼女は暴走するローナを恐れていたはずだ。
だが今は恐れの色は皆無。やる気に満ちている。
単なる正義感や使命感ではなく、彼女なりの思惑があると感じた。
「……それは」
一度振り返って呟き、また前を向いて沈黙。
静かな背中。彼女自身も考えているよう。
水と風の音がやけに響く。
やがてハッキリ聞こえる答えが返ってきた。
「もっと、近くで見たいから」
意外な答え。
僕は気持ち悪さも忘れて問い返す。
「絵の為か?」
「ん」
「危険だぞ?」
「でも、描きたい」
短い返答からは真意が読み取れない。肯定なのは確かで熱意も感じられるのだが、全てでないと思えた。
僕とて研究、未知への好奇心で危険を冒す。
危ういが、魅力なのは理解している。
今のローナは、他にない貴重なモチーフだ。
「……祖竜様は、美を求めている。捧げるのは喜び」
「そうか」
興味深い言葉に、僕は思考に専念する。
神。
美、芸術を捧げる。すると力の源となる。
その在り方は、音楽や酒を力の源とする悪魔と似ている。
悪魔呼ばわりは失礼に過ぎるが覚えておこう。
やはり思考に没頭すれば荒れっぷりは気にならなくなる。次々と思い浮かぶ思索にふけた。
と、話が途切れたのを見計らってか、割り込む声があった。
「それだけじゃないでしょ」
声の主はサルビアだ。その態度はやけに自信に満ちていた。
ワコも興味を持ったらしく、振り返る。
二人は視線を交わした。いまいち読めない表情のワコに、サルビアは気丈な笑顔で語りかける。
「描くのが好きだから頑張りたい。極めたい。神様とかじゃなく、とにかく自分が納得するまで貫きたい。そんな顔してる」
「……そう?」
「だってあたしがそうだから」
不可解げに首を傾げるワコに、サルビアは言い切る。己の推測を事実と信じていた。
絵と音楽。
道は違えど芸術分野で共感があるらしい。一方的な共感かもしれないが。
幾分か親しみを増した雰囲気で、彼女は続ける。
「あたしが今のこれを頑張るのはカモちゃんの為だけど、あんたも応援してあげる」
サルビアは息を吸い、堂々と胸を張る。そして嵐にも負けない、周囲を支配する技を披露する。
──夜に嵐に怪物も、恐れる道理は有りはしない。まだ見ぬ土地へ我らは進む。
演奏抜きでも、歌声は空気を圧倒した。
大海を征く冒険船の物語。現状には相応しい。悪かった気分も爽快になる。シャロも復活した。
ワコは驚いた後で柔らかく微笑み、それから前を向いて強気に唱える。
「陸を呑み込む海の竜。化身たる川の流れ。勇者を乗せた帆掛け船。掲げるは理に逆らい進む傲慢の旗」
精霊魔法の影響力が跳ね上がる。
魔力をもって暴れる川を逆流。前を阻む波と風は強引に破る。
分厚い圧力を跳ね除け、前へ。
速度をぐんと増して、船は上流を目指した。
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