第64話 楽園追放

 妖精は肉体を持つ精霊。肉体は本質ではなく、後付けのようなものだ。

 故に感情、精神の影響が強く表れる。


 羽は精霊としての要素が特に強い部位。それこそ魔力の塊に近い。

 故に、黒くなった羽は、悪感情を取り込んでしまった証だ。

 元々ローナの羽は紫だった。カモミールの羽と違って。だが更に以前は白かったのだ。

 それは、既に悪意に染まりかけだった事を意味している。


 かつて聞いた、ローナの過去には、このような出来事があったらしい。






 妖精の国。

 外界から隔絶したその国は、色とりどりの花々が咲き誇り、毎日が快晴に保たれた、神秘の花園。

 妖精が飛び交い、賑やかに笑う。苦悩もなく不満もなく、幸福を謳歌していた。

 常春の異郷。この世ならざる楽園である。


 だが、そんな国にも馴染めない若者はいた。


 花園の中心には、大きな妖精樹がある。

 内部は宮殿。人間のものとは異なるが、花や蔓草によって飾られた聖域でもある。

 その謁見の間に、静かな怒りを感じる声が響いた。


「……何度言えば分かるのです」


 儚き美しさを備えた顔。緻密な細工が施された装束。神々しく輝く羽。威厳に満ちた妖精。

 妖精女王である。


 女王と言えど、妖精に身分差はない。

 単に最も古くから生き、最も強い力を持つ妖精が名乗る称号。

 花園を取り纏める役割はあるが、あくまで妖精全ての母のような存在だった。


 対面の妖精は不機嫌を隠さず、刺々しく女王を睨む。威厳など関係ないと言わんばかりの態度。

 ライフィローナは反発心に溢れた若者であった。


「それはこっちの台詞だっての。他の奴らは出てんじゃねえか」

「彼らは衛士です。対して貴女はまだ若い」

「じゃあ衛士にしてくれよ」

「まだ若いと言ったでしょう」

「アタシはアイツらより強い!」


 いかに熱弁を振るおうと、女王は首を横に振るだけ。交渉ですらなく、決定事項を納得させようとする態度だった。


 ローナは外への憧れが人一倍強かった。

 確かに仲間との力比べ、魔法比べでも負け知らず。言葉にするだけの実力はある。

 花園が素晴らしい楽園といえど、狭いそこしか世界を知らぬ者は、外部にこそ理想を求める。景色の変化に乏しい花園は、彼女には退屈だったのだ。


 衛士とは花園の守り手。

 外部と分かつ結界を張り、他種族への窓口役をこなし、必要に応じて力を振るう。花園を護るに相応しい使い手揃い。

 女王はあえて語らずにいたが、ローナには若さ以上に、衛士としての責任感が欠けていた。

 自分の理想だけを求める者に、外へ出る許可は出せない。


「話は終わりです」

「おい、待てよ!」

「その言葉遣いも直すように」


 冷たい言葉を最後に残し、妖精女王は去ってゆく。命令だ。それを理解せぬまま、若者は憤る。

 謁見の間に、似つかわしくない大きな舌打ちが響いたのだった。




「あんの妖精女王ババアが……!」


 花園の端、結界の森付近に、感情が溢れる悪態。

 宮殿から離れたローナは外の方向を睨んでいた。

 出られないと分かっていても、諦め切れない。

 結界は内からも未熟者を出さない。守る為だが、彼女には不満しかなかった。

 隙間を探して飛び、魔法を使い、懸命に抗う。無理であろうとも反発心だけで抵抗していた。


 そこに、他の羽音が混ざる。


「外に興味があるのかい?」


 小鳥だった。

 親しげな声が優しく耳に届く。

 喋る鳥がいない事もないが、目の前のこれがそうではなく、他者の魔法の影響下にある事は明らかだ。

 警戒し、怪訝な視線を向ける。


「誰だよ?」

「魔法使いさ。人間のね」

「が、なんの用だ?」

「もう言っただろう。ぼくなら外に出してあげられるよ」


 怪しい誘い。

 正に悪魔の囁きだ。

 ただ、それだけに非常に魅力的であった。


「……何が見返りだ?」

「花園の話を聞きたい。それだけさ。それだけでぼくにとっては宝に値する」

「……ふうん」


 またとない機会。

 簡単に信用はしたくないが、警戒していれば大丈夫だろう。なんせ彼女は強い。何事か企む人間だろうと打ち破れるはずだ。

 迷いは少しだけで終わり。

 決断する。


「分かった。外に出してくれ」

「よし、契約成立だ。さぁ、行こう! 煌めく未知の世界が待っている!」


 大袈裟な台詞を吐く小鳥に、白けた顔で続く。信用していないとアピールするように。


 花園の結界を通る。

 招き、応じる。そのやりとりを契約とし、結界に誤認させるのだという。

 妖精の魔法に干渉が可能。小鳥の主は極めて優秀なようだ。罠だとしたら危険性が高い。


 それを頭に留めつつも、膨らんだ希望は尚大きかった。

 我慢出来ないと、急いで妖精の国の外、世界へ、一歩踏み出す。


 すると、待ち受けていたのは。


「………………は?」


 そこは、汚れに満ちていた。

 羽をもがれた妖精。板に針で留められた妖精。命を失った妖精。

 それを為したであろう人間が三人。

 血の匂い、死の温度。悪意の舌触り。嘲弄の笑い声。


 小鳥は男の一人、特に立派な服装をした者の肩に留まる。


「ありがとう。これで花園中の妖精も狩れる」

「……あ」


 衝撃が大き過ぎて、騙されたと意識するのが遅れた。

 気付いた時には既に敵の手の中にあった。

 拘束魔法で羽の動きすら奪われ、呆気なく地に落ちる。


 ローナは茫然自失。

 悔しさや悲しさはない。

 ただ、現実に追い付けなかった。

 衛士は既に死んでいた。彼女のせいではない。何をしても結界の中に入れなかったから、丁度いい場所にいた彼女に呼びかけたのだ。

 彼らは外敵を通さない。衛士としての役割を全うしたのだ。

 代わりに、これから花園で被害があれば、それは彼女の責任だ。


 悪意。

 これが、外の世界。

 己の理想が幼稚だった事を思い知り、情けなさに震える。

 呆然と終わりを待つばかり。


 と、不意に。

 鈍い衝撃。ローナの拘束が外れる。

 人間とは異なる魔法が、強引に破ったのだ。


「逃げろ!」


 張り付けられていた衛士だ。必死の抵抗。

 逃がそうと、最後の力を振り絞ってくれた。


「まだ生きてたのか。標本の癖に」

「お前のミスだ、取り分から引くぜ」

「はあ? ふざけんな」


 軽口を叩きながら、淡々と処置。

 助けてくれた妖精は今度こそ止めを刺された。あっけなく、虫のように。


 ローナは自由の身になった。

 これで逃げられる。いや、逃げて、妖精の国に外敵の襲来を報せらせなければならない。それが外敵を招いてしまった彼女の役目だ。


 だが、それでは彼女の気は収まらない。


 自失から立ち直って、怒りが生まれたから。

 内からの熱に焦がされ、炎の中にいるようだった。

 初めての激情に振り回されている。抑える術を持たなかった。

 頭も心も殺意に呑まれ、ただ素早く殺す為だけに体は動く。


 近くの木から葉を取り、剣のように構える。

 人間はげらげらと嘲笑った。


「それが武器か? ちいせえってのは大変だな!」


 魔法の準備は遅い。遊びすら交えている。余裕ぶって無警戒が故の失態。

 妖精より魔法が巧みであるというその驕りが、彼らを破滅に導くとも知らず。


 ローナは悪魔の如き形相で、竜の如く吠えた。


「風よ、風よ、風よ! ただ、アタシにはやさを──!」


 一陣の風。

 見えざる殺意が通り過ぎる。

 そして男達の首筋から鮮血が噴き出した。

 何が起こったか認識する間もなく、彼らは倒れ伏す。

 最速の突進が、単なる葉を鋭い刃へと変えたのだ。


 血と悪意と殺戮。花園を狙う外敵を退けた。

 代償は、羽の変化。真っ白な羽が紫に染まっていた。


 感慨はない。灼熱はすっかり冷えていた。

 ローナはじっと、その場に留まり続ける。


 やがて、騒ぎになった。

 この異変に気付いた妖精達が花園から外に出てきたのだ。

 女王への報告、仲間と外敵の遺体への対応、それぞれに忙しく行動。

 その中で顔馴染みがローナに気付く。


「なにこれ、それにあんた、その羽……」


 無視。

 沈黙。

 蒼白な顔は揺るぎもしない。

 何度も呼びかけられて、ようやくローナは気付く。没頭していた思考から戻ってこられた。


 ローナは決意していた。

 そもそも掟に定められているのだ。

 羽から純白を失った者は、花園を去らなければならない、と。


「……妖精女王ババアに言っといてくれ。じゃあな、ってよ」


 そして花園に背を向けた。二度と振り返る事はない。


 そして彼女は放浪の傭兵となった。

 以後数十年。グタンやカモミールによってある程度は癒やされたのであろうが、破滅の残り火は消える事はなかったのだ。




 彼女の心に何が潜んでいたのか、僕は完全に理解出来ると思わない。

 過去を知っていて、破滅の未来も予想出来た。今回の暴走は僕達の責任だった。無論彼女自身は己の失態だと断じるだろうが、それでも悔やむ。

 だから、どれだけ痛みを負ってでも引き戻さなければいけないのだ。






 嵐。

 大災害の予兆。

 ごうごうと吹く風より尚強く、悪意に呑まれた妖精が嗤う。


「キャハハハハハハハハッ!」


 ゴブリンの王を斃した後はしばらく留まっていたローナだが、急に強引に加速し、方向転換。

 またこちらへ突撃姿勢。ゴブリン王に従っていた配下が狙いだ。


 既に理性はないと思っていたが、未だゴブリンへの殺意はある様子。

 誘導するのに利用させてもらおう。

 グタンも同意見か、早速ゴブリンを担いだ。

 だが顔は苦々しい。


「しかしこの後は……」

「いや、策はある。焼石に水かもしれないが」


 強い悪感情が精霊の力を高め、逆に精霊が精神に作用し感情を深めて、それが更に精霊を呼び込む。悪循環が起きている。

 更にこの森はゴブリンと相性の良い精霊が豊富。影響は大きい。


 ならば、対策にはまず環境を変える。移動が必要だ。

 そして、移動先にすべきは、精霊自体が少ない環境が理想。


「神罰の地だ!」


 精霊も魔力も乏しい荒野。

 そこなら今以上に悪意に染まった精霊の流入を防げるはずだ。


「では自分が担おう」


 すぐに把握したグタンはゴブリンを背負ったまま全力で駆け出した。

 迅速に逃げる。獣人の怪力と俊足であっという間に見えなくなる。十二分に速い。

 だとしても明らかに分が悪い。

 決死の覚悟。暴走するローナの破壊に巻き込まれかねないのだから。

 固い表情もそれを物語っていた。覚悟の上だ。


 彼を助けるべく、僕達も荒れる森の中を走った。

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