第63話 ゴブリン滅するべし
ゴブリンとは、極めて厄介な相手だ。
知性と悪意があり、道具を作るし魔法も使う。悪戯程度で済めばいいが、戦闘に用いれば脅威。
手製の武器は侮れない。時に職人技を身に付ける個体もいて、殺傷力は十分だ。
深い森や洞窟の妖精として、土や影の精霊と親和性が高い。それらの精霊魔法が活きる暗く湿った環境は彼らの庭であり、砦にもなる。
獣を飼い慣らすのも体験した通り。
戦術めいた集団行動もする。巣穴に潜み、罠を張るのだ。甘く見た人間が誘い込まれたら一巻の終わり。狭い空間で群れに囲まれて一方的に餌食だ。
一体一体は弱い、というのもよくある誤解。子供のように小柄であっても屈強だ。力は鍛えた人間の大人と同等にもなる。俊敏な動きと合わされば、対応は難しい。
そして生来が森や洞窟の住人。慣れた環境で逃げ隠れに徹されたら見つけ出すのは困難。人手を集めた山狩りでも発見出来ない場合がある。
と、数々の長所を持つゴブリン。
退治するには実力者を揃え、きちんと対策を立て、臨む必要があった。
たった一人、無策で感情的に挑めば返り討ちに遭う。
……本来は、そのはずだった。
「キャハハハハハ!
曇天の下。昼でも暗い森の中、ローナは高笑いしながら宙を駆ける。
精霊魔法で見つけた巣穴へ一直線。
渦巻く風を纏い、間の木々や獣への被害も意に介さず、森に跡を残して突撃していく。
そして、破壊。
岩場の洞窟の天井を砕き、巣穴を崩落させた。
轟音と共に地形が変わる。哀れな断末魔はかき消された。
罠や魔法の気配を感じていたが、諸共に滅したようだ。偶然か見張りか、巣穴の外にいた個体も、崩落に巻き込まれて岩の下敷き。
壮絶な災害の跡のよう。
ゴブリンの群れはまともな抵抗すら出来ずに壊滅してしまった。
だが、この森に、ゴブリンの巣穴は一つではない。各所に点在している。
その全てを退治するよう依頼された訳ではなく、一定数減らせばよかったのだ。
なのにまだローナの戦意は衰えていない。今にも再度突撃しそうであった。
一回成功したからといって、次も上手くいくとは限らない。ゴブリンにも復讐心はあり、学習もするのだから。
怒りも冷えただろうと、僕達は声をかける。
「ローナ! カモミールを泣かせた群れは壊滅した! 一度落ち着いて、戻ってきてくれ!」
「そうだ! 己を省みろ!」
「ああん? 糞野郎共は滅ぼすっつったろうが!」
ローナは聞く耳を持たない。
即座に索敵し、次の巣穴へ向かう。
いや、巣穴の外に出ていた個体までも逃さずに貫いていく。ジグザグに刻まれる破壊の痕跡が森を染めた。
岸壁の洞窟、地面の下、大木のうろ、どんな種類の巣も無関係。
どれもを一方的に貫通。“破城”の名は伊達ではない。
僕達はついていくのもやっと。
疾走するグタンへ必死にしがみつくのが最速の移動方法。それでも遅れる。
だから、当たりをつけて先回りするしかない。
ゴブリンの動きも活発になり、読む材料は最初よりも増えたから出来る事だ。
猪突猛進のローナが標的を遥かに通り過ぎるのも、追いつく隙となる。
「一旦止まれ! この巣は流石に大規模過ぎ……」
「上等ぉ!」
それは、この一帯で最大の巣だった。
魔術で測定したところ、地面に掘られた穴の中身は、大迷宮にも匹敵する規模。難攻不落のゴブリンの城と言えた。
が、ローナは構わず突っ込み、掘削し、地盤を崩して埋めてしまった。兵も罠も、あらゆる備えを全て無に帰した。
巣が支えていた土砂が形をなくす。
周囲は大きく陥没し、木々が倒れてなだれ込んだ。ゴブリンは死体すら見えない。
森中の生き物が逃げ惑う。僕達すら巻き込まれないよう、懸命に逃げなければいけなかった。
「ゴブリンだけを見るんじゃない!」
「しゃらくせえ!」
まだゴブリンは残っており、抵抗は激しさを増す。
飼っている獣も惜しまずに投入された。恐らくは時間稼ぎの壁として。
狼、鹿、熊、それから鳥や虫まで。ゴブリンの器用さは素直に驚嘆の域だ。
もっとも、多くは急拵えらしい。魔法も用いたのだろうが、不十分な調教。
まるで統率がとれていない。ローナの圧で逃げる獣も多かった。
種類も士気もバラバラな軍勢が立ちはだかる。
が、やはり止められない。
ローナが真っ直ぐに突き進むだけで、道は容易く開かれる。
後に残るは血道。死屍累々の惨劇。
「冷静になれ! 血が上った頭では遁走に徹するゴブリンは……」
「は! アタシが逃がすかぁ!」
隠れるのも悪手だった。
この勢いでローナは絶好調。従う精霊もまた活性化し、探索の精度を増している。
ゴブリンの隠蔽魔法は弾かれた。
森中がローナの狩り場。
見つかれば、ゴブリンは逃げる間もない。最速で狩人が飛んでいく。そして結末は破滅だ。
「警戒! あれは並じゃない!」
「笑わせんな!」
造りの違う鎧と棍棒。立ち姿は威風堂々。発する闘志も緊張を誘う。
一流の戦士らしきゴブリンが堂々と立ちはだかった。
最低限の動作でカウンターを狙っているようだ。
それも、撃退。
魔法で強化された武具のようだが、直接接触する前から風圧に耐えられず砕ける。態勢も整わない。ゴブリンがなんとか振るった反撃も空を切った。
力量差をまざまざと見せつける結果に終わった。
「抵抗の気配が消えた。一度休んで……」
「キャハハハハハ!」
消耗を心配したが、魔力や体力が切れる事もないようだ。
忠告にも応じず、狩りを続ける。
この無尽蔵のスタミナには訳があった。
元々妖精の中でも強者だったが、森の豊富な魔力とゴブリンから強奪のように回収した魔力が理由だ。
更に無理を重ねた。肉体に負荷をかけ、今後にも響くであろう無茶を。
そうまでして、ゴブリンを滅する。
発端は既に忘却の彼方なのだろう。
「キャハハハハハハハッ!」
血濡れのローナは高笑いを響かせる。
ゴブリン退治という目的は間もなく達成されるはず。
英雄の功績だ。
味方の被害、速度、多くの面で文句なしの評価。
だが、あまりにも正義の英雄像からはかけ離れていた。
戦闘ではなく、一方的な殲滅。
娘を泣かされたとはいえ、怒りと憎しみに囚われた。明らかな落ち度だ。
僕達は本来の仕事では出番がなかったが、それ以上の困難が要求された。
すなわち、暴走を止めるという試練だ。
「ローナ、落ち着け! 落ち着くんだ!」
「やり過ぎだ!」
「キャハハハハハハハ!」
最早言葉が通じない。
ただただ、ゴブリンだけを追っていた。
浴びた返り血が、壮絶な相貌を彩る。笑い声は怪物の咆哮の如く森を縮みあがらせた。
妖精は肉体を持つ精霊。
そして精霊の力は感情に左右される。妖精もまたしかりだ。強い感情は強い影響力を持ち、妖精の精神と肉体を変質させてしまう。
特に今回は、回収したゴブリンの影の魔力の影響も受けた。増々憎悪に呑まれやすくなっていたのだ。
憎悪が力を膨らませ、力がまた憎悪を濃くする悪循環。
既にローナ自身の意志も感情も薄れ、殺意がローナを支配していると見ていい。
このままでは、彼女こそが人々の脅威と化す。
「こうなったら力尽くで止めるしか……」
「自分の責任だ。困難だがなんとしてでも止めなければ」
「……本気?」
悲壮な顔で決意を固める僕とグタン。
そこに、震える声をかけてきたのが、ワコ。顔が酷く青白い。
感情表現に乏しい彼女ですら、恐怖に呑まれている。そう、ローナへの恐怖だ。
強大な存在が理性を無くして暴れていて、それがいつ自分に向くか分からない。
それは、適切な警戒心だ。
それだけ事態は悪い。
僕は真摯に謝罪するしかない。
「済まない。迷惑をかけた」
「申し訳ない。必ず止める」
「……ん」
ぎゅっと唇を結んでいた。
言いたい事は多そうだが、沈黙を選ぶ。不満や悪態も漏らさず耐える。
そんな彼女の強さを尊いと思った。
そうしている内に、雨が降ってきた。しかも徐々に強くなっていく。
風も勢いを増す。音で会話も難しくなる程に。
嵐が近い。しかも、それはたった今発生したものだ。
「……まずい」
既に環境への影響が現れている。
暴風雨の招来。妖精の枠を超えた、災厄のなりかけ。
グタンも無理をしてローナを追った。急ぎ、四肢の筋肉を張り、顔は心配に曇る。
胸が張り裂けそう、とは彼の現状に他ならない。
そして。
ゴブリンが、未だ諦めていないと知って僕は驚嘆。
大物が現れた。
他を圧する体格。視線は強烈。場を圧する気迫。魔力も精霊も、強く支配する。
ゴブリンの王。
類稀なる強大な存在が、憎悪をもってローナの前に立つ。
とはいえ、だ。
だとしてもローナを留めるには足りない。
自力には差があり、疲労等の悪条件があっても、彼女の方が上だからだ。
そして、これ以上の血と殺戮は、見過ごせない。悪化するに違いないから。
今なら、まだ引き戻せる。
運よく僕達の方が王に近い。
「“
「獣の将、森の主、地の母よ。武勇を供えるが故に、我にひとかどの戦士たる証を授けたまえ」
僕は眠り薬を霧状にして散布。
グタンも精霊魔法を使う。ローナには及ばずともかなりの使い手だ。
筋力を増幅。一時的に力を高めて挑む。
最短で目的へ急ぐ。
ローナを狙うには難しいので、ゴブリンの王が狙い。
眠らせて動きを封じ、グタンが担いで突撃のルートから強引に逃がす。それは目論見通りに済んだ。
このまま時間を稼ぎ、眠り薬が充満した空間にある程度留めれば、ローナといえど止められるはずだ。
「な!?」
が、突撃は急ターン。
有り得ない、間違いなく体に過剰な負荷をかける角度で、強引に突撃を曲げて対応してきた。
ゴブリンの王を豪快に貫く。
あまりにも容易く一瞬で命は散った。
勢いは止まらず、地面を深い穴を作った底でようやく止まったらしい。
穴から上がってきたローナは、全身に血を浴びていた。不思議と風で飛び散らずに、染み込むように赤を纏う。
失敗。だが落胆する暇はない。
ローナには、更なる変化があった。
「キャハハハハハ!」
紫だった羽が、黒く染まった。悪魔のように。
高らかに笑い出した。狂気に呑まれたように。
吹き荒れる強風。暴風を纏い、風圧を発する。天上にまで及ぶ魔力が、空を支配していた。
ローナは嵐の化身と成っていた。
暴走状態。森が、災厄に揺れる。
「駄目だ……このままでは一帯が壊滅しかねん!」
僕達は、最悪の未来に戦慄していた。
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